女の人生は、時期ごとに見ると完結していて単調だか、一つの段階から次の段階への移行は急激で、危険をともなう。この移行は思春期、性への入門期、閉経期というように、男よりずっと決定的な危機となって現れる 
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  Ⅰ人生80年型セックス・ライフ

性(SEX)ぬきに老後は語れない 続・老年期の性

Ⅰ人生80年型セックス・ライフ

心の絆を深めよう
人生五十型生活規範よ、さようなら!

あなたの生き方の規範は五十年型? それとも八十型? いずれであろうか。
昭和二十二年、敗戦後はじめての国勢調査では、平均寿命が男五十・〇六歳、女五十三・九六歳であるから、生活規範も人生五十年型でよかった。

 ところが、昭和六十年の国勢調査では、平均寿命が男七十四・九五歳、女八十・七五歳と、三十八年間で男は二十五歳、女は二十七歳も寿命が延びた。さらに平成元年十月の平均寿命が男七十五・九一歳、女八十一・七七歳で、男女とも過去最高。過去三十四年間で男女とも六十五歳まで生存する者の割合は二一ポイント増加しており、八十歳まで生存する者の割合は三十四年間で二倍以上になっている。(週間保護衛生ニュース)世界一の長寿国となったものの、外国の長寿国は、七十五年から百年以上をかけて長寿国に移行したため、いわゆる老後の生活規範も、わが国と違ってその時代とともに整備されてきた。

 また、敗戦後四十年年間を、国興しに躍起となって働いた日本は、今やジャパンマネーが諸外国を脅かす時代となり、生活様式も大きく変貌を遂げた。

 価値観の多様化、個性化、単身化であり、また、女性の社会進出により家庭の構造、機能も変化し、生活水準の向上と自由時間の増大とも相まって、生活の質や精神的な豊かさを求めるようになった。

 翻って、老後の生活を概観してみれば、第一に、忍び寄る老化と余力の低下、病気、死に直面する肉体の衰えがあるが、これは自然の摂理であり、うまく乗り切るよりほかにないのである。生きがいを失って寝つくことから、寝たきりになってしまう。要は寝つかない努力が必要であろう。現在、ぼけの出現率は五%で、残りの九五%のお年寄りはぼけていないのである。そしてこの五%の老人のうち、三%の脳血管障害性のぼけは血圧管理を妨げるし、残る二%のアルツハイマーもいつかは、究明されるだろう。

 第二に家庭の構造と機能の変化である。
 高齢化社会は五世代家庭も出現する反面、高齢者世帯で夫婦のみの世帯が昭和五十年から六十年の間に二倍に増加。六十五歳以上の老人総人口は一、二六〇万人で、うち約一割近くの一一七万人がひとり暮らし老人である。そして今、五人に一人の割合で老人単独世帯が増加中だという。(昭和六十年国勢調査)
 老親の扶養義務は、嫁に非ず子どもにあるのだが、これも絶対扶養義務は課されていない。結局は、夫婦しか残らないのである。病めるときの看とりの中心になるのは当然、配偶者だ。結婚の誓いの言葉である”汝、健やかなるときも病めるときも”を地で行くことが要求される。お互いに長生きするには、夫婦の絆が問われる時代となった。

 第三には、生殖のための性行為を閉じる。女性は、結婚後の生殖年齢期間以上に、閉経後の人生を長く生きる。つまり、妊娠の懸念なく夫婦の心の絆を強める、触れ合いの性行為が、死の寸前まで楽しめる。

 クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)を高めることこそ、「素晴らしいき老後・夫婦の時代」への幕開けである。

  性を追う女たち 愛と快楽

誰もがかかわっていることなのに、あまりにも個人差が大きいもの。一般的な基準がわからず、自分だけがおかしいのではないかと考えてしまいがちなもの。そして、それをなかなか人に聞くことも話すこともできないもの。それが「性」ではないだろうか。

 とらえ方、意味合い、倫理観、行動、受け止め方、重要度など、その人にとっての性のありようは、ときとして、生き方にも関係してくる。

 わたし自身にとって、性は非常に重要であり、自ら求めるものでもある。重視するいちばんの理由は、愛をより深く知る手段になりうるからだ。心が好きだと思える相手とのセックスでは、快感を越えた、まるで魂が触れあえるような歓びがある。

 だが一方で、性がまた、コミュニケーションの枠を離れて、単に快楽を得る手段としてのみ存在することもあるし、人によっては寂しさを埋める手段となっていることもある。善悪の問題ではなく、それが実情だ。
現代の男女関係には、以前なら表面化しなかった種々の問題が生じている。実態として、日本はフリーセックスの国といってもいいと思うのだ、人々の心は、そう簡単に自由にはなっていない。過剰に性的快楽を求める人と、性から離れ気味になっている人、どうもセックスに関しては、ここ数年、大きな二極文化が見られる。

 また、男女の関係は、携帯電話とそのメールによって、大幅に形を変えてきた。不倫関係においては、便利で「命綱」ともなる携帯だが、そこから配偶者に露見するケースも多い。亀山早苗著一部引用

非日常での恋愛・浮気・不倫は相手の人格を勝手に善人と誇大妄想している。言い換えればラリっている状態だ。
二人の主な目的はただひとつ情熱的・動物的抱擁を渇望する。会うたびに貪欲に心地よさを淫蕩し合うことだ。そんな行為こそが心から愛し合っていると大きな勘違いしているのだ。
 生活基盤に欠けたこのような空辣な恋愛・浮気・不倫でさえ長く続けて行くにしても、新たな刺激と興奮を取り入れないとやがて飽きてしまって終焉(しゅうえん)を迎えてしまう。結婚生活の『性』でも同様である。

セックスから逃げる男女たち

夫婦関係は言うに及ばず、恋人同士の間さえ、セックスレスの問題は根深い。三〇歳前後の男女でも、つきあって数ヶ月から半年が経過するころには、セックスが間遠(まどお)になっていく傾向が強いようだ。

セックスレスに不満を抱く夫婦の片方は浮気・不倫を繰り返すようになり夫婦関係が成り立たなくなり、結果として家族全員に壮絶な傷を負わすことになる場合もある。YouTubeをご覧の方は特に女の不貞に対する男の復讐による惨めで壮絶な人生を目の当たりに描けるはずだ。
 
 『セックスレスの原因』記述の通り数えればきりがないほどある。
 男は結婚したら家族全員を喰わす使命と、子供を人並み世に送り出す学業資金を稼ぐ方法として会社人間になり、日夜限りなく会社に尽くすことで立身出世し高給取を目指すことになり、家庭を顧みないというより、そこまで考えが至らない。本当のところ自分自身のことで精一杯であり日々の生活で体力を使い果たす性行為は控えるという男が多いのが実情であるといえる。

 男は今も昔も仕事への取り組み方や倫理観念はさほど変わらないが、女の家庭環境は昔には考えられないほど変わった。至り尽くせりの家庭用便利厨房器具や様々な電化製品・生活用品によって家事負担が楽になり時間が余り趣味娯楽に回せて楽しんでいる極ひと握りの専業主婦もいる。

しかし一方で数多くの電化製品・生活用品を維持し、子供を有名大学卒にするには大金が必要となり、主婦の傍ら会社やパート勤めに出て金を稼ぐことを強い要られることになる。
 働きに出ることは危険を伴う誘惑がある。そこで男性経験が少なくオーガズム(身体の痙攣を伴うエクスタシー)を知らない既婚女性であったなら夫以外の男のセックスには興味津々であり、まして仕事ができる尊敬に値する同僚や上司に出会い優しく接してくれると心がときめく。何となく自然に目配せているものだ。男もそれを意識し悪い気はしない更に自分の好みであったら妻子がいても家庭を壊さない程度に一度、二度くらい不倫相手をして見ようと考えるものである。

 日本人女性の膣の長さ

は11~12㎝であり、コンドームL寸「長さ16㎝超=太さ17㎝超」のデカチンなら女の快感の壺である子宮や卵巣を直接ペニスで刺激し興奮させることができる。ただし膣内膜は鈍感である、であっても膣内膜外側(内臓側)には性感帯の受容体が数多くあり、太くて亀頭が張り出して固いペニスであれば膣内膜を引っ張り、戻したりひねりを加えたりすることで強烈な快感を与えることで素早く女をオガィズムに到達することができる。
 ちなみに欧米では市販3L寸コンドーム「長さ20㎝超=太さ50㎝超」など普通に販売機にある。

デカチンでテクニシャンであればセックスの最中で何度でも前頭葉脳縁から全身にアドレナリン放射されることで全身が1.5秒間隔で微細痙攣する様を得て女は興奮の坩堝(るつぼ)に嵌り込むことで性奴隷化になる。

浮気男の常套句甘言

薬味として愛している、離婚して一緒になろうと言う、浮気男の噓の口車にうっかり信用して乗せられると、女は男と違って心は夫にあったとしても夫も子供も平気で捨て去る覚悟が女はできるのだ。しかしその後の9割以上の女が浮気男に捨てられたり、逃げられたりして取り返しのつかない人生を送る羽目になる女たちが多くいるのだ。YouTubeご覧の通りだ。

 性的欲望に負けて人生を台無しにした人が言うセリフは、平穏で安心安全で家族みんなで暮らせ孫たちに囲まれる人生が本当は一番幸せだと言うのだ。
 デカチンの男みたいに妻を心逝くまで何回もイカせたいと願うなら避妊方法としても優れているソフトノーブルを膣に入れることでコンドームLL寸長さと同じ効果を発揮する。
 さらに前戯としてノーブルウッシングC型を用いることで男の体力消耗を軽減してくれ、精力の弱いひとでも女を何度でもイカせることもできる。

お年寄りだって若者と同じ

「年寄りのくせに、いい年をして‥‥」と、お年寄りの性犯罪に世間は眉をしかめる。お年寄りだからといって差別されたり、責められてはかなわない。悪いことは若者もお年寄りも同様である。
つづく  性(SEX)ぬきに老後は語れない 続・老年期の性大工原秀子

ピンクばら男と女というのは、実は結婚した時から飽きる方向にしか向かって行かない。いくら好きだからと言って、年中すき焼き食わされたら、誰だって飽きます。そんなことは初めからわかり切ったことで、飽きたくなかったら、二人で飽きないように努力し続ける。それが結婚というものです。
日本の多くの男には、「結婚してタダでやらせてくれる女とセックスなんかするバカがどこにいる」みたいなセリフも出てきますね。これは、日本では今でも性行為、あるいは性の中心は男で、俺の満足のために女がいるんだっていう考えが強いからなんです。そういう”俺中心”の考えでいたら、性行為は飽きるに決まっている。女房とのセックスに飽きたと言うけど、それ、自分のセックスに飽きているんです。つまり男がやることと言えば、常に、興奮・勃起・射精・満足。終わり。
そんな夫に対し、女の性はいつも変化があって、しかも完成することがないんです。ホルモンの流れ方にしても、いっときとして同じということがない。排卵の時、排卵の前後、そしてメンスの時で、女の人の感覚はまったく違います。男はバカだから、おっぱいを可愛がってやれば、いつでも嬉しがると思っている。ところが生理が近づくと、黄体ホルモンが増えて、乳房をいじられるのがイヤになるという女性もいる。つまり女の人って、今晩こうだから、明日もこうだろうって、絶対にありえないんですよ。日本の男は女をよく知っているみたいな顔をするけれど、それは男の発想における女を知っているだけ。高浜虚子の言葉に、「深は新に通ずる」っていうのがあって、僕の好きな言葉の一つなんですけど、一人の女の人を突き詰めていくと、どんどん新しくなるんです。パターンというものがなくて、その時になって見なきゃわからない。よき人間関係がある時こそ、苦痛を感じさせない避妊&、より性の刺激と興奮を高める避妊用具「ソフトノーブル」使うことで、クオリティーの高い性行為が成り立つ。ただし、人間関係が途絶えてる時は、どんなことしたってダメですね。
恋愛サーキュレーション図書室奈良林祥・内館牧子対談から引用
写真中村うさぎ作家(向かって右側)
風吹あんな(左)
 一九九八年生まれ。AV監督。
 OL、主婦、ホステス、写真集、グラビアモデルを経て、一九九四年「宇宙企画」よりデビュー後に、己の性癖を追求し自ら進んで「シネマジック」専属ハードSM女優となり、一九九五年「私にビデオを撮らせてよ!」で監督デビュー。現在に至るまで数百本の作品を手掛け、主に「レズビアン物」と「SM物」という、男女のセックスの分野に興味を持ち得意としている。二〇〇一年より女性向けAVレーベルを立ち上げ「男のオナニー物」を手掛ける。
著書に『セックスプレイヤー』がある。
膣と子宮を二つ持つ
バイセクシャルAV監督
性というものをあらゆる目で捉え直したい
●三日しないと吹き出物
男って、「こいつは俺のものだ」と思った途端に、性欲が減退していくものでしょ。仕方ないことですが、私はそれがイヤなので、重複交際してるんです。一人に安心させると、ほんとに減るんです。でも、他にライバルがいると、十年経ってもしょっちゅうしますよ。
中村うさぎ作家◆そうなのか! でも、そのために他の人ともやるっていうのは・・・・。
あんな❤それが私の心のなかのバランスで。もちろん一人の人に集中したほうがいいんですが、毎日セックスしないと肉体的に困るんです。
うさぎ◆困るんだ?
あんな❤三日しないと、顔に吹き出物ができて酷いことになっちゃうんです。一週間しない時の顔なんて、見られたものじゃないですよ。
うさぎ◆そぉおー? なんで? ホルモンのバランス?
あんな❤うん、ホルモンバランス。べつに「男が欲しい」と、いつも思っているわけではなくて、家族といる時はぜんぜん要らないんです。旅行に行ったりする時もセックスのことは考えないんだけど、顔に吹き出物ができて、「あれ? あっ、もう四日やっていない」って感じなんです。
うさぎ◆そういう場合は、女でもOKですか?
あんな❤OKですね。私、女性にはちゃんと恋愛できるんですが、
男性にはあまりできなくて、道具的な感覚で考えてしまうところがあるんですよ。ちゃんと情は入っていますが。だから、セックスできない、チンコ出せない男は、意味がないんです。

だから、ホストクラブで気に入った男がいて通ったとしても、一発もやらせない男に意味はないんです。会話しているだけ、恋愛の真似事の手前みたいなのは要らないんです。それだったら、友人関係、仕事関係を続けているうちに、ある日突然ムラッと来る方がいい。

●女としての焦り
――うさぎさんは七年もやっていなかったんですよ。風吹さんなら顔がお岩さんみたいになっているところですね。
うさぎ◆前彼と別れてから七年が経ちまして。途中からセックスするのがイヤになってきちゃって。もう家族みたいになってきちゃったので、五年くらいつきあって後半の二、三年は「私たち、そんな関係じゃないでしょ」って感じだったんですよ。そんな状態が続いたら「もう一生しなくていい」くらいのセックス嫌悪症になっちゃって。その彼とのセックスしなかった期間を含めて七、八年くらい誰ともセックスしなかったんです。
あんな❤そういう女性は多いんですよね。
うさぎ◆そうですか。私は「このまま一生しなくてもいいや」くらいに思っていたんですが。去年(二〇〇一年)くらいから「これはイカン」と思い始めて。それは焦りと言うか、老いを実感する年頃なので。体調によっては更年期障害かとか閉経するのかとか考えたりして、ボディラインなり顔なりが如実に老化していくので、このまま現役を上がっちゃった女としていいのかっていう焦りがでてきたんですね。
友だちがみんなゲイで、一緒に遊んで毎日楽しくという感じだったんですが、彼らはセックスしたいなんてぜんぜん思わないわけで。で、知り合った作家さんたちが異様にセックス好きなんですわ。

あんな❤それをやってみようと思い始めた?
うさぎ◆私の中でセックスに対する嫌悪感以前に、防波堤があって、自分の性欲にちゃんと向き合いたくないという気持ちがあったと思うんですよ。それが、みんなと話してて、セックスのことばっかり話しているから、考えざるを得なくて。「七年やってない」って言ったら、みんなのけぞるし。最初はちょっと得意だったんですよ。みんなが驚いてくれるので。でも、だんだん不具者みたいな感じになってきちゃって。
あんな❤でも、やりたくないものを無理にやっても仕方ないと思いますよね。逆に私は、「毎日やってどうするの?」って言われたりしますが、それと対極ですよね。オナニーも毎日二回してるんですが、それがフツーで、自分が欲している状態だから、無理にしなくたっていいと思うし、焦る必要もないと思いますよ。
うさぎ◆影響されたからセックスしなきゃと思うように思ったのか、本当にしたかったのに蓋をしてきたのか、自分でもよくわからなくて、それは、元彼との関係で生まれたセックス嫌悪感か、さっき話が出たジェンダーの問題もあるかもしれないし。二重三重に蓋がしてあったのに、それを開けられてしまったというのがあって、やっぱりセックスは大切なのかなって。
あんな❤コミュニケーションのひとですよね。
うさぎ◆でも、そう思ったからといって、相手がいないわけですよ。
あんな❤えっ、ダンナさんは?
うさぎ◆夫はゲイなんですよ。
あんな❤ああ、書いてらっしゃいましたね。だからこそ結婚できたって感じですか?
うさぎ◆そうですね。一緒に寝ていても何もないので。
あんな❤AV界に女優になりたくて来る人たちはいっぱいいますが、うさぎさんみたいな熟女も多いんですよ。
うさぎ◆「熟女」(笑)。
あんな❤うちの業界、二十五歳以上は熟女ですから(笑)。で、そういう熟女の人たちは、七年、十年セックスしていないとか、それに疑問を感じているけど夫とはしたくない、よそでするものよくない、女を取り戻したい、だったらプロにお願いしたい、という動機で来る人が多いですよ。
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閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい 

中高年になる頃には八割を超す夫婦がセックスレス

おそらく人間の寿命がこんなに延びなかったら、更年期の悩みは不要のものだったろう。かつて人生はわずか五十年といわれた時代がたしかにあった。当時は更年期を迎えるとともに女性の人生は終わったのである。

 ところが、いつの間にやら高齢化社会となってしまい。多くの女性が閉経後に、少なくとも三十年・四十年近くの歳月を生きなければならなくなった。

 では、その事実にどう向かうのか、実のところ対策はまだ確立していないといってよい。
 私はいまでもはっきりと記憶しているのだが、三十歳になったとき、自分の人生は終わったと感じた。悲しくて、泣きたいような気分だった。

なぜ悲しいのかといえば、自分の若さに別れを告げた「おばさん」の仲間入りをしてしまうと思ったからだ。その頃の私にとって、三十歳以上の女はひとくくりにして「おばさん」だった。したがって五十歳も六十歳もたいした変わりはなかった。

 それがとんでもない勘違いだったと知ったのは、三十五歳くらいの時だった。ひょっとして女の命とは、私が想像するよりはるかに長いのではないか。私が「おばさん」と信じている人々は、若い娘に負けないほどカラフルな生活を送っているのではないか。

 そうわかって、私は心配するのを止めた。それまでの私はびくびくと怯えてばかりいた。自分の女としてのマーケット・ヴァリューが下落したとき、何が起こるのかがひたすら不安だったからである。

 しかし、実際には私のちっぽけな脳味噌で想像するより、はるかに多様なマーケットがこの世には存在していた。なにも「おばさん」になったからといって人生が終わるわけではない。いや、むしろ若い頃には想像もできなかった豊かな日々が目の前に広がっている。それを知ってとき心底からほっとした。

 ところが、思いがけない落とし穴があった。
 あれは私が四十八歳のときだった。旅先で身体の不調をおぼえて緊急入院した。検査をしてもらったところ子宮筋腫だといわれ、帰国後すぐに手術するということになった。その結果、子宮を全摘し、人工的に閉経した。

 異変はその後にやってきた。とにかく原因不明の眩暈(めまい)、動悸、発汗、不眠、痺れ、倦怠感などがどっと押し寄せて、仕事も家事もできなくなった。初めはわけがわからず、自分は何か大変な病気になったのではないか疑った。何軒かの病院を訪ねたが、内科的には何の問題もないといわれた。そうなると思い当たるのは更年期障害しかなかった。

 そんな状態が四年ほど続いたところで、なんとかトンネルの出口が見えてきた。まだ完璧とはいえないが、ほぼ普通の生活が送れるようになった。少し余裕ができた頃に周辺を見廻してみると、自分と同じ更年期世代の女性たちが、なんと多種多様な生き方をしていることに気づいた。

 それぞれの女性たちが、他人には語れないような悩みや秘密を抱えて生きている。これは、現代社会だからこそ存在する現象だろうと思った。かつて若い日の私が「おばさん」と呼んだ女性たちは、その前に生々しく、一個の女だったのである。

 なれば、彼女たちが直面している現実を書き残しておくのも私の仕事ではないだろうかと思った。幸い、同じくらいの年頃ということも手伝って、多くの世代の女性たちが快く取材に応じてくださり、胸襟を開いて、さまざまな問題について語ってくれた。

 特に、性に関するテーマは、なかなか他人には話しにくいものである。だが、その反面、実にたくさんの女性たちが性と向き合って、真剣に人生を考えているのもたしかだった。性とのかかわりを抜きにしては更年期は語れないのだが、なぜ今まで、皆正面からこの問題に触れるのを避けてきたような節がある。

 思い切って女性たちの胸中を赤裸々に綴る作業を通して、これまで封印されてきた、更年期の性の問題を深く掘り下げたいというのが、私の本書を書き始めた理由だ。

 その途中で何度もたじろぎ、立ち止まった。医師や専門家に意見を求めながら、とにかく、少しでも真実に近づけたらと祈っていた。それでも、ときには自分の性の深淵に潜む謎を解く能力がまったくないのではないかと落ち込んだ。

いうまでもなく、ノンフィクションという仕事は多くの協力者がいなくては成立しない。だが、今回は性というはなはだ私的なテーマを扱ったため、取材協力者のプライバーを守ることに、とくに留意した。したがって、登場人物の多くは仮名にせざるを得なかった。職業なども変えてある。ただし、書かれている出来事はすべて本当に起きた事実である。
『快楽(けらく)』工藤美代子著 あとがき=から引用

夫婦のセックス

「差し込み文書」 男のオーガズムは短時間であっても、射精すれば必ず得られるものであるが、女の悦楽(オーガズム)は複雑で誰かれでも素早く得られるものではないし、最初から女は全身痙攣を引き起こすほどのオーガズムは備わっていないのだ。性戯に長けた男によって僅か一握りの女だけが成熟した女になれる現象である。

 夫の値が高ければ高いほど一般社会生活や、勤める会社なのでは上司とのコミュニケーションに腐心し神経をすり減らし、さらに多くの同僚とライバルとして熾烈な競争にさらされる。仕事での成果をあげるために長時間労働とサービス残業を強いられストレスを常に負いつづけることで、たいがいの妻たちは夫のセックスは不満足と答えていると言う。
 値が高い夫にセックスを満足させる資質や技術があったとしても、セックスで強いられる肉体的労苦、会社などで強いられる労苦のふたつを同時に両立させる余裕がないというのが本音である、なぜかと言うと。

 男が懸念するのは妻が悦楽(オーガズム)を一度でも覚えたらそれが日常の義務となることを大変怖れているのだ。夫は家庭ではリラックスし安息する場所、寝る場所であって家庭生活では必ずしもセックスそのものの内容が主体となるとは考えない夫たちが大多数であると思われる。

一般的に値の高い男たちの多くは、セックスは前戯も含め所要時間は十分前後で、挿入後数分程度であるという結果がすでに調査機関から発表されている。さらに、コンドーム着用すると性的感覚が鈍く、射精も遅くなり気持ちよさが半減することで使用しないというのも特徴的であると言う。

 既存の避妊方法ついても、精神的あるいは費用についても大きな負担を強いられている人も多い。そして夫から悦楽(オーガズム)を得られる機会もあまりない。そして、或いは、全く知らないという人も少なからずいるという。男たちの貧しいセックスから女の不感症患者が多くいるという現象をどう受け止めるのか。

 オーガズムとは本当はどんな感覚か、どうすれば得られるのか必見の

避妊具

発明品「挿入避妊具、

膣洗浄用具膣挿入温水洗浄」を使用することで誰かれでも得られ易い。当該避妊具を使い続けることで男女双方の性器へのエクササイズとして特殊効果を発揮する。
 つまり、避妊用具を用いて性器へのエクササイズで男性器の逞しさ、持久力を獲得することで女を容易にオーガズムに達しさせられるという。

 一方の女性も避妊用具を用いてエクササイズで下腹部(インナーマッスル)を自在に収縮・解放する能力を持つ筋肉を獲得することが可能である。

 ある意味で女は男の射精を優位的にコントロールすることもできるということ。あるいは、性的快楽を自在に操れるというのは男の心も、女の心をもコントロールできる可能性を秘めていることなのだ。
そして自らのオーガズムも自在にコントロールできる可能性もある。オーガズムの定義サイトよりご覧ください。
* セックスの頻度や個人差があり数ヶ月、或いは、数年でエクササイズ効果を発揮する場合もある。
用具の太さ、長さが自分たちにあったもの、避妊用途として重視するか確かめて購入してください。
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結婚という制度に入ると

夫以外の男性と恋愛することは許されない。「結婚しても、妻でもあり母であるだけではなく、いつまでも女でいたい」欲求が募る。現代の四十代は、まだまだ現役可能である。ここ数十年で、日本人女性の肉体的若さは飛躍的に高まった


(SEXに限局された)エロティシズムで男に惹かれることなのである。くらたま(倉田真由美)の言葉でいえば、自然に女が惹かれる男の条件は、「セックスのテクが上手い」「持続力がある」「ち○こがでかい」というようなすこぶる即物的で露悪趣味なものになる。


性器の俗称を羞恥心なく語ることを、女性側からジェンダーを粉砕する戦略と考え、実験的にあらゆるセックスに挑戦することは、若い世代のフェミニストもやっている。

女性は結婚してからも、自分のフェチを外に追求する。芸能人の追っかけをして、夫からは生活費以外なにも求めないし、愛しているという気持すら要らないと言った主婦がいた。メシとカネの交換のみという割り切った夫婦生活で、家庭にエロスはない。結婚相手とフェチの対象への愛は両立するのだ。


男女の関係性の中では、男性が欲求を満たされる側で、女性がそれを満たす側という非対称性があって、女性はある年齢で、もう夫の欲求に応答するのはやーめた、という時期が来るのではないか。それが結婚生活に入ってから速いか遅いかの違いだけではないかという気がする。

セックスの欲望と人格を切り離すことは、それ自体で反・制度的なものである。たとえば、男が相手の合意なく人格を無視してやると強姦となって犯罪者となり、男が相手の人格を尊重していても欲望しないとEDとラベリングされてバイアグラを処方される。

すなわち法律と医学で対処されるが、女がこれをすると、強姦にはならないので法律で裁かれることがないかわり、「色き〇がい」とか、「壊れてる」とか言われて「非難」される。

日本では、学者フェミニスト(ネット接続業者「グーグル検索サイト、ヤフー検索サイト)は、セクシャリティをワイセツと断罪しタブーにしてきた。
法律を破ると国家が定めた「罰」がくだるが、公序良俗という名の規範(文章化されていない規則)を破ると「恥」を感じるように仕向けられる。

人は、「罰」より「恥」の方が恐ろしいため、多くの人は「恥」を内面化して「非難」を避けるように生きている。人が最も恐れるもの、「非難」なのだ。最終的にこれに対するには、自分が内面化している「恥」を捨てるしかないのだ。自分の中から「恥」を追い出して「恥知らず」になれば、頭を上げてちゃんと生きていける。

私は、最近の女性作家たちの表現に見られる、性器の俗称の連発は、「フェティッシュの交響楽」から、楽器を一つ抜き取って単独演奏する欲求、つまり「全体」としてのセックスへ回帰したいという欲望の現われだと思う。
フェティッシュとは本来、物質であり、次第に身体のパーツに向けられるようになった。感受性(理性や意志でコントロールできない「オーガズム」)の対象であり、頭が気づく前に身体が既に知っているものなのだ。女が男をフェチで選ぶのはセックスの全体性を崩壊させ、男を物質に還元することなのだ。

結婚の条件引用

問題は、何歳までセックスをするかということ

 あれはたしか五、六年前のことだった。私は更年期に関する取材で、ある産婦人科の医師と話をしていた、「結局ね、更年期の問題って、つきつめていくと女性が何歳までセックスをするかっていうことなんですよ」

 不意を衝かれたような気がした。
 正直いうと、私はそれまで、女性は本人の意思さえあれば、死ぬまでセックスができるものだと思い込んでいた。だから更年期とセックスを結びつけて考えたことすらなかった。

「先生、それはどういう意味ですか?」
 
「つまりね、更年期におけるほかの症状はやがて時間が経過すれば必ず治るのです。ただ、セックスだけは、そのままにしておくとできなくなります。これはもう確実にそうなります」
 確信のある声で医師は答えた。

 今さら説明するまでもないが、女性の更年期は五十歳を中心に前後五年といわれている。一般的には、この間に女性は閉経する。それに伴ってホルモンのバランスが崩れるため、さまざまな症状が表れる。

不眠や不定愁訴、ホルモンフラッシュ、動悸、ドライ・アイなど、それこそ多種多様な障害がふりかかってくる。

 もちろん個人差もあって、何事もなく更年期をやり過ごす人もいる。私の母などは「更年期障害っていのはつまりは、妊娠した時のつわりと同じよ。気の持ちようじゃないかしら。

あたしなんか、更年期のときは忙しくて、それどころじゃなかったから、考えている暇もなく通り過ぎていっちゃったわよ」とこともなげにいう。

 そういう幸せな人がいる半面、日常生活に支障をきたすほど苦しむ人もいる。
 私自身も、いわゆる不定愁訴に悩まされ、過去五年間ほど精神安定剤のお世話になっている。だが、セックスについてはそれまで一度も考えたことがなかった。

「いいですか、閉経すると女性の膣は縮んで硬くなり、男性の性器を受け入れるのが難しくなるのです。膣の潤いもなくなります。したがって、性交痛や出血が起きます。これは厳然たる事実です」

 私がよほど困惑した顔をしていたのだろう。相手は「事実」というところを込めていった。
 気が付いたら、私はもう一度椅子に座り直して、医師の言葉に耳を傾けていた。

「女性がずっとセックスを続けたいと思ったら。ホルモン補充療法しかありません。これをやれば、セックスは可能です。しかし、リスクもあります。ホルモン補充療法は子宮がんや乳がんになる確率が高いといわれているのはご存知ですね? だから女性はいろいろ悩むわけです」

 日本はアメリカと違ってホルモン補充療法の歴史が浅いので、まだ十分なデータ出ていない。しかし、女性は何より癌を恐れているのは確かだと言ってから、医師は驚くべき実例を話してくれた。

 彼の患者さんで、六十代の初めの女性がいる。ご主人が年下で、かなりアクティブな性生活を送っている。しかし、そのためにホルモン補充療法が欠かせない。

 彼女の恐怖は、ホルモン投与を続けることによって子宮がんになるのではないかと言うことだった。そこで、癌になる前に子宮を摘出してしまえば、問題は解決すると考えた。

「セックスを続けるために、その人は先月、子宮摘出手術を受けました」といわれて、私は愕然とした。

 医師は穏やかな声で言葉を続けた。
「工藤さん、セックスするかしないかは本人の選択です。しかし、女性の身体は、放っておくと間違いなくセックスができなくなります。

『快楽(けらく)』工藤美代子著より引用 
本表紙

更年期は始まりも終わりもややこしい

阿川 女性にとって、特に40代、50代には、けっこう 重い問題のひとつが更年期障害ですが、大石さんはどうでした? 今もまだ続いていますか?


大石 私、40代半ばくらいからずっと女性ホルモン補充療法をしているの。
阿川 そんなに早くから? どうしてホルモン療法を始めたんですか?


大石 そのころ、なんだかよくわからない眩暈(めまい)がして、いつもないようなフワフワ感があるなって思っていたの。そしたら知り合いの編集者が「私、更年期の本をつくったんです」ってくれた本を読んでみたら、全部みごとに当てはまってた。ああこれが更年期障害なのかと。


阿川 まず、眩暈から始まったんですか?


大石 眩暈が一番ひどかった。あとは、やる気が出ない。気分の浮き沈みが激しい。急に鬱(うつ)っぽくなったり、ものすごくハイになったり。それで血液検査をしたのよ。


阿川 血液検査でホルモンの状態がわかるんですか?
大石 そうよ、知らなかった? 結果、「閉経後くらいから、女性ホルモン量が落ちています」って言われて。
阿川 え?  でもまだ、月の訪れは・・・・・。


大石 先生に「生理はきちんときているんですけど」って言ったら、「それは無排卵月経です」って言われて、はらーってなった。それで「これだけ女性ホルモン量が落ちているんだったら」と、女性ホルモンを補完することを提案されたの。今でこそ、貼ったり塗ったりする薬があるけれど、20年くらい前は飲む薬しかなかったのね。で、のんでみたら、ピッと治ったのー あらゆる鬱陶しい感じがすべてなくなっちゃって、もうビックリ。


阿川 うー、果敢なかたですなあ。不安はありませんでした?


大石 乳がんや子宮がんになるリスクが高いとか血栓症になりやすいとか、いろいろ問題はあったわよ。でも「もうどうなっていい。今、心地よい方がいい」と思って腹をくくったの。それからずっと飲んでいます。年齢に応じて量は少なくなっているけど。


阿川 じゃあ、早期対応のおかげで、その後は更年期症状に苦しむこともなく?


大石 そうだったんだけど、女性ホルモン補充の薬を飲み始めてちょうど10年経った55歳のとき、血栓症になっちゃったのよ。血管外科の先生には、女性ホルモン補充療法の性じゃないかって言われ、仕方なく一時的に辞めたの。そしたら・・・・。


阿川 来ましたか・・・・。


大石 うん。ホットフラッシュが一気に。私、ずっと女性ホルモン剤で抑えていたんじゃない? 徐々に辞めればよかったんだけど、突然辞めたもんだから、もうひどくって。仕事には全然集中できないし、外で打ち合わせしていても、みんながダウンジャケットを着てるくらい寒いのに、私一人が汗びっしょりになっちゃったり。新幹線の中でも突然頭がグラッとして、ダーッと汗がしたたり落ちたり。もう本当に具合が悪すぎて、血栓症になろうとも乳がんになろうとも、とにかく薬を死ぬまで飲もう思ったの(笑)。 実際、薬を再開したら、ピタッと治ったし。

ホットフラッシュは突然に‥‥‥

阿川 ホットフラッシュって、ほんとうに突然来るんですよね。私は、初めて来たのが40代の終わりくらいだったかな。取材の時間に遅れそうになりダッシュして、現場になんとか駆け込んで、「すいません、お待たせしました」って椅子に座ったら、汗が止まらないの。冬だったのに、首の後ろからずっと汗がタラタラタラって。しばらく汗を拭き拭き話をしていたら、今度は急に寒くなって来て。あとで、「もしかしたらあれが世に言うホットフラッシュ?」って思ったのが、初めてのホットフラッシュ体験でした。


大石 そう、暑い暑い暑いって思っていたら突然、寒い寒い寒いってなるのよね。


阿川 私の場合「暑い寒い」っていう現象は、年に1回か2回くる程度で、他には何も起こらなかったんですよ。ところが或る日突然、鼻血がドバーッと出て、それがけっこうな量でびっくりしちゃって。うち合わせている最中だったから、「すいません」って慌ててティシュを鼻に詰めたんだけど、ちっとも止まらなくて。打合せ後に「週刊文春」の対談があったんですが、移動のタクシーの中でも止まらない。カバンの中が真っ赤に染まったティシュでいっぱいになったのを覚えています。もう、何なのこれは? って思った。


大石 それ、下から出る分が鼻からってこと?


阿川 わかんないです。でも、もしかしたらこれが生理の打ち止めの合図か? とは思いました。「これが最後ですよー、打ち止めですよぉ、カンカンカンー」って鐘を鳴らしてるのかと。その頃、ひどい鼻血が2週間に1回くらいの割合で続いたんで、ちょっと怖かったですけどね。


大石 やっぱり、定期的に血は外に出さないとまずいのかしら。でもそんな状態で、お医者様に相談しなかったの?


阿川 うーん、何か忙しかったし、ま、しばらく様子を見ようかと。そこが、大石さんと違って行動力がないんです。病院に行った方がいいかなとおもっているうちに、なんとなく治まってた。で、1年間くらい断続的に大量出血を繰り返して、それからしばらくしたら。「あれ、もしかして閉経したのかな?」って感じでしたね。
大石 1年間も鼻血が続くって凄くない? 私だったらすぐ病院に駆け込んじゃう。


阿川 これは更年期障害と思えば、別に病気ではないしねえ、だいたい、同年代の友達の話を聞いていると、私は軽い方だなって自覚がありましたし。


大石 何時が始まりっていうのがわからないのよね、更年期障害って。閉経もはっきりしていないし。


阿川 そうですよね。3ヶ月くらい生理がこなくて、妊娠か? ってことはまずない、だとしたらついに閉経か? と思って納得し始めたら、1年後に再開するってことはありましたからね。結局、いつ閉経したのか、いまだによく分かっていない。一度、母に「何歳のとき、終わったの?」って聞いてみたんですよ。そしたら、「そうねえ。どうだったかしらね」なんて答えるから、恥じらっているのかなって思ったけど、今なら理解できる。わかりませんよね、いつ終わったかって聞かれても。
大石 ほんとにそうね。

目玉焼きが焼けそうなくらい後頭部が熱い

阿川 でも、その大量鼻血と。年に数度のホットフラッシュぐらいで私の更年期障害はクリアしていると思っていたら、甘かったですね。53歳、54歳ぐらいになって。ふっと泣き出したらタ゜ム決壊かって思うくらい涙が止まらなくなって声を上げて泣き続けるとか、精神的に不安定になるとか、無性にイライラするとかね。なによりホットフラッシュの頻度がものすごく激しくなりました。酷い時は10分に一度くらいのペースで。


大石 それ、かなりひどいんじゃないの?


阿川 あるとき、テレビ局の楽屋でメーク中にアシスタントから電話がかかって来て、「原稿の締め切り、明日ですけど」って言われて。「え、来週まで延びるって話じゃなかったっけ?」「いえ、確認したら、明日が本当にギリギリだそうです」って言われた途端に、グワーッと体が熱くなって。そしたらヘア&メークさんが「阿川さん、阿川さん、今、どんどん頭が熱くなっているですけどっー 汗が滲み出てます。目玉焼きが焼けそうですっ」て実況中継してくれました。その日は、朝、シャンプーして髪をさらさらにしてたはずなのに、汗ですっかりびちゃびちゃ状態になっちゃって。


大石 わかる。洗ったばかりの髪が、あっという間にべったりするのよね。特に後頭部の下あたりが酷い。


阿川 私も後頭部の下側から汗が噴き出ました。その頃はまだ美容院に通ってたんですけど、担当の人に、「アガワさんの髪、後頭部の下のあたりの痛みが酷い。パサパサになっている」って言われましたもん。汗のせいだったみたい。


大石 あの時の汗は、尋常じゃない量よね。


阿川 夏の盛りに仕事に出かけなくちゃいけなくて、車を出そうと駐車場へ降りていったら、見知らぬ奥様に「今日は。暑いですねえ、辛いですねえ」って声をかけられたんですよ。そうしたら、たちまち涙が溢れてきて、その見知らぬ奥様の前でオイオイ泣き出して。「大丈夫ですか?」って心配されて、むちゃくちゃ恥ずかしかった。でもその日は私、だいぶ不安定だったのか、仕事場に行っても涙が止まらなくて、「具合悪かったら無理しなくていいよ」っていわれると、また申し訳なくて涙が流れるという具合で。これはやばいぞって自分でも怖くなったことがあります。


大石 わけもなく悲しくなるのよね、突然スィッチが入ったみたいに。


阿川 私、更年期障害って大したことはないし、まわりに比較してかなり軽症だなって思っていたんです。それなのに、途中からジワジワ強烈になってきて。あまりにも精神状態が不安定で、ちょっと仕事を調整した方がいいかと思ったほどです。ちょうどその頃、小説の連載をしていたんですけど、男性の編集者に正直に告白して、「辛くて、今月書けないかも」って言ったら、「じゃその心境を書いたらどうですか」と。


大石 さすが男性。女性だとそういう提案にならないかも。


阿川 毎回語りが変わる連作スタイルだったので、その回の主人公を50代ぐらいの女性に設定して、私のホットフラッシュの話をこと細かに書いたの。当時の私の口癖が「きたきたきたきたーっ」だったから、セリフにもそのまんま使って、それでその月の締め切りをなんとか乗り切っました。


大石 転んでもタダじゃ起きないわね(笑)。

子宮を取って、さっぱり―

阿川 薬を信用しない主義とかではないけど、我慢してりゃ何とかなると思ってたんです。それと、50歳になるちょっと前に、婦人科検診で「子宮筋腫がゴロゴロあります」っていわれたとき、同時に「ただ、子宮筋腫のエサは女性ホルモンですから、ゴロゴロあるっていうことはまだ女性度が高い証拠です。でも、だんだん女性ホルモンは減って行きますから、ゴロゴロは放っておけば自然になくなります」って先生がおっしゃったのね。だから、更年期障害が始まったときも、自然の流れに任せていればいつか終わるだろうって思っちゃった。私、料理は加工癖があるんだけれど、体に関することは、加工しないでなるべく自然にいきたいってタチかもしれません。


大石 私はずっと「女性はだいたいあるものなのに、珍しくあなたは子宮筋腫がない」って言われたの。でも、めまいや情緒不安定さを感じた40代半ばに薬を飲んだでしょう? ホルモン剤の影響か、その後やっぱり筋腫が育っちゃたらしい。だけど、それを止めるには女性ホルモン剤を辞めるしかない。でもやめると具合が悪くなる。ものすごく辛い。それを繰り返しているうちに「もう、子宮をとってしまおう」ってことになったの。


阿川 ええーっー 子宮そのものを!?


大石 卵巣は女性ホルモンを分泌するところだから取るのはまずいけれど、子宮はとっちゃってもいいかなと。48歳のときかな。


阿川 取っちゃったんですか?
大石 うん、取っちゃった。生理もこないし、さっぱりしたわ。
阿川 うさっぱりって、大胆だなあ。それ、外科手術したって事ですか?
大石 そうよ。ここ、お腹を切って。


阿川 ひえー。信じられない。病気でもないのに身体にメスを入れるなんて…‥。


大石 卵巣があれば大丈夫だし、子供を産まないなら子宮はいらないわけだし。逆に、子宮筋腫みたいに、そこにできているものがどんどん育って外の臓器を圧迫するくらいなら、取ったほうがいいという先生たちの意見もあって。「歯を抜くぐらいのものだから」と(笑)。
阿川 歯と同じかいー


大石 実際は、歯を抜くよりは100倍大変だったんだけどね。
阿川 そりゃそうでしょう。


大石 更年期障害は、始まりもややこしければ終わりもややこしいって言うけれど、私の場合、心置きなく女性ホルモンを飲み、最後は子宮を取ったから、始まりも終わりも楽。ただし、その10年後、子宮を取った時の手術が原因で腸閉塞になり、大変な目に遭いましたけど。


阿川 だから言わんこっちゃない。やっぱり歯を抜くのとは大違いじゃないですか。

更年期障害は続くよ、どこまでも

大石 それにしても、更年期障害の度合いは本当に人それぞれよね。


阿川 私は今でも軽い方だと思ってましたけどね。ただ、あまりにも辛い状態が続いた時は、本気で仕事を辞めようかと思いました。誰にも会いたくないし、イライラするし、すぐに泣きたくなるし、汗はすごいし。


大石 そこまで思うのって、決して軽くはないとおもうわよ。


阿川 そう? それまでまた母に、「更年期障害が辛いんだけど、母さんどうだった?」って聞いたんです。そしたら、「どうだったかしら。大したことなかったような気がする」って言われてがっかり。相談相手にもならなりゃしない。親子なのにこんなに違うものなのかって驚きました。


大石 うちの母もそうよ。「まったく覚えていないわ」って。
阿川 それで、60代半ばぐらいの女性に「辛いんですよぉ」って訴えたら、「でもそれ、まだ10年は続くわよ」って言われてショックで。確かに今でもまだときどきホットフラッシュが来ますからね。最初のホットフラッシュから勘定すると10年以上経っているのに。


大石 そうなのよ、続くのよー だから私の担当医は「女性ホルモンの薬をサプリメントだと思って、生涯飲んでもいいと思う」って。リスクはあるけどね。ただし、保険がきくのは60歳までなのよ。以降は自費になる。結局、ある程度お金がないと女性ホルモンも補充できないのよね。


阿川 介護もそうだけど、医療って結局、お金があるかないかで対処できることが違ってくるんですね。あと、更年期障害って腰痛と同じで、見た目にはほとんど分からないし、そもそも病気って訳でもないから、他人に、特に男性にこの痛みやイライラを理解してもらおうと思っても、なかなか難しい。そこが、一番つらいところがだと思います。


大石 特に仕事をしている女性は辛いと思う。阿川佐和子の対談に阿川さんがいないわけにはいかないし、私の場合なら台本の打ち合わせにはいなくちゃ始まらない。死にたくなるような気持ちや、汗ダラダラのホットフラッシュを抱えていても、絶対的責任のもとに約束の時間、場所に行かなきゃいけない。その責任感と、どうにもできない辛さの間で”前線”で働く女はより一層、更年期障害のしんどさが増すんじゃないかな。


阿川 そうかもね。でも逆に、仕事があってよかったなって思う時もあります。テレビの収録中に突然、「きたきたきたーっ」てなるときは、さほど悪化せず治まることが多いんです。やっぱり気力っていうか集中力っていうか、そういう力が働くんですかね。

周囲に宣言する

大石 阿川さんは更年期障害に関して、どんな対処をしたの?


阿川 積極的に薬を飲むことはしなかったアガワの対処法はですね、まず「自分が不快だと思う事はできるだけ排除」しました。たとえば、テレビの収録や写真撮影がある仕事は別として、打ち合わせやラジオの仕事のときは「お見苦しいでしょうが、しばらくスッピンでお許しください」とスタッフにお断りしました。だって、出かける支度して、顔にファンデーションを塗った瞬間から、ダーッと汗が流れ始めるから。塗っては扇風機の前でしばらく冷やし、またメークをしては冷やしって、普段の3倍ぐらいお化粧に時間がかかっちゃって、どうしようもないじゃない。


大石 わかる。化粧どころの騒ぎじゃないわよね。


阿川 それから、「ノースリーブをお許しください」と宣言しました。私、腕が太いから本当は見せたくないんですけど、恥ずかしいとか言っている場合じゃない。とにかく暑くてかなわんと。恥ずかしいと辛いと、どっちを取るか? と自問して、恥ずかしいに甘んじようと決めたんです。そんな風に、自分とって精神的に不安定、不快になる要因を一つずつ排除していったら、少し楽になりました。


大石 周囲に宣言するってこと、実は大切よね。


阿川 昔だったらこういう特有の身体のことは、秘め事として周囲には明かさないようにするのが女性のたしなみだったと思うんですけど、もうね。ちょっと男性諸氏にも理解してもらったほうがいい気がして。実際、私の男友達は、奥さんが更年期障害のせいで、まったく家から出かけられない、人とも会えない、料理も作ってくれないって状態になった時、最初のうちはオロオロするばかりだったけど、更年期障害のことを理解してから、ものすごく協力的になれたって言ってた。だから私も、仕事場やゴルフ場で鼻血が出たり、「きたきたっ」て急に暑くなったときなんか、「すいません。こういう年頃なんです。けっこう辛いんです。ご理解のほど」って。ケロッと周囲に言っていましたもの。


大石 私も男性プロデューサーに「ただ今私はこのような状況でして、薬を飲んでずいぶんと押さえてはいるけども、いろいろ大変なんです」ってはっきり言いました。「脳下垂体がこうなっていて、こういう反応が起こるんです」って図解つきで説明したり、「あなたの妻もいずれ、突然なくとか不安定になったり、めまいがするとか言うかもしれない。それはこういう仕組みだってこと、知識として覚えておくといいですよ」って、あらゆる男性に言ったな。


阿川 そういう理論的説明のできるところが、私とは全然違う、さすがだわ。


大石 だって、男性こそきちんと更年期障害について学んでおいた方がいいと思うもの。でも、いくら丁寧に説明したって、みんな全然しみてないわけ。「はあ・・・・?」みていな感じで。

バッサリ髪を切る

阿川 若い女性もそうですよね。こればっかりは、実際に自分でなってみて、実感しないと分からないからねえ。体験している者同士だと、更年期障害ネタだけでわんわん泣きながらお酒を酌み交わしたりできるけどね(笑)。
 子供たちも多少は知っておくといいと思う。なんでお母さんは最近、バカに機嫌が悪いんだ? なんであんなに暑がるんだ? ああ、そうか。そういう年頃なんだって、理解していれば、家族同士の余計な争いも減るでしょう。そうだ、対処と言えば、もう一つ、思いだしました。バッサリ髪を切った。


大石 それもご自分でカットしたの?


阿川 いや、さすがに美容院で。さっきのノーメーク宣言と一緒で、とにかく頭も髪も汗でびっちゃびちゃになるから、もうできるだけ短くしようと。特に煩わしい前髪を短くしました。あとは扇子とタオルハンカチを常に持ち歩く。冬でもね。


大石 そう、タオル地― ハンカチなんて気取ったものじゃ無理、あの汗は吸収できない。


阿川 アクセサリーもできるだけつけないようにした。ただでさえ暑くてカーッとなっているのに、アクセサリーがちょろちょろぶら下がっているだけでイライラするから。とにかく精神的に煩わしいと思うものを徹底的に排除しました。それでも少しずつ少しずつ、薄皮を剝がすように辛さが軽減していった気がします。でもまだ、終わっていないんだなあ。中には、何も問題なく更年期を終える人がいるみたいですね。体質ってあるのかな。継続して運動している人は比較的軽い、とか。


大石 あまり関係ないと思うな。だって、これまでずっと定期的に女性ホルモンを分泌していた卵巣がそれを出さなくてなって、そうするように命じていた脳下垂体が、なぜ出さないだー と卵巣に命令を出すわけでしょう。そのとき、脳下垂体は心臓の動きから何から全部に指示を出しているわけで、必死に卵巣に働きかけるあまり、いろんな機能にも影響を与えしまうわけ。汗を大量に出すとかね。それは、運動なんかで紛らわせられるものじゃないと思うり。

物覚えが悪くなったのもホルモンのせいか!?

阿川 つくづく、人間の体にホルモンがどれほど影響を与えているかということを痛感しますね。体だけじゃなくて精神面にもね。悲しい気持ちを落ち着けたり、暑い寒いを感じたり。あらゆるバランスを取ってくれるわけだものね。いわば制御機能。血圧にもコレステロールにも、肌荒れや爪の具合まで、あらゆることに影響しているんですね、女性ホルモンって。そういえば最近、物覚えが悪くなったのも女性ホルモンが影響しているのかもしれない。


大石 本当に、ホルモンの偉大さに改めておどろくわね。元来、女性ホルモンは子供を産み、育て、守っていかなきゃいけない母の強さの源だと思う。生きるパワーにすごく関係しているのよね、きっと。


阿川 男性にも更年期障害があるんですってね。狩りに出たり、戦ったり、子孫を残したりするための男性ホルモンがなくっていけば、男性が女性化していく。だから歳を取った男性はなんとなくお婆ちゃんっぽい印象になるんですよね。女の人はお爺さいんになり、男の人はお婆さんになり、そして人類は一種類に昇華されていくのか。


大石 確かに。男性は、男性ホルモンの減少とともに、全体的に体つきも丸くなるし、顔も優しくなって、性格まで丸くなるわよね。

男性ホルモンで意欲的にー

阿川 一方、女性は・・・・。
大石 私「なんだか最近やる気が出ない」ってかかりつけの医者に相談したら、「じゃ、男性ホルモン打ってみますかー」って言われたの。で、注射をピチッと打つと、その日バンバンにやる気になるよ。


阿川 ホントですか!? じゃ、あちらも?
大石 やあね、仕事よ、仕事― 仕事に意欲的になるの。ただね、男性ホルモンを注射すると、顔にニキビが出るのよ。


阿川 そのうち、胸毛やヒゲが生えてきそう。
大石 打ち続ければそうなるわね、きっと、どうしてもやる気になりたいときは、男性ホルモン注射はおすすめよ。
阿川 どうしてそう肉体改造したがるのかな(笑)。
大石 「今すぐ元気が欲しい」と思うと我慢できないの。出来ることがあれば即やっちゃう。


阿川 ナチュラルでは生きていけないんですか?
大石 ナチュラルな方がいいとは思うんだけど、元来の性格が短気なのよね。今、どうしても欲しい物は欲しい― と思った時の行動力は、自分でもすごいと思う。


阿川 私は、ちょっと1週間ほど様子を見て見ようかなとおもっているうちに、まあ1年先でもいっか、というタイプだからなぁ。下着も大石さんに倣って、上下色を揃えた方がいいだろうなと思いながら、きっとバラバラのまま死ぬな。


大石 私はとにかくすぐやってみるタイプだから、待ってみるって事が出来ないの。行動力があるというより、短気なのよ。


阿川 あら、私も短気ですけど。
大石 そう? 短気じゃなくてせっかちなだけじゃない?


阿川 短気とせっかちって違うんですか? せっかちとか短気も、更年期障害で加速されるのかしら。どんどん面倒なババアになっていく予感がする。

オンナの奥義 無敵のオバサンになるための33の扉=阿川佐和子・大石 静共著 対談より引用

性交痛・更年期障害

閉経によって卵巣からのホルモン分泌量が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい。

 女性は欲情を感じると脳から身体へ放射されるホルモンと卵巣から放射されるホルモンとがある。
結婚して子どもができ、そして年とともに、どんなに仲のいい夫婦でもセックスそのものが飽きて面倒になってセックスレスに陥りその結果脳が欲情を感じなくなると「性交痛」というのが普通に起こり得るのだ。

 男性は、年相応に応じて新たな刺激と興奮を得られるようなセクシャル・テクニックを修練し夫婦ふたり楽しみ合えて心地よい性行為を行えるのであれば女性は、思考系大脳が刺激され脳が活性化され大脳皮質からホルモン分泌が盛んになり性欲が起き易く、生理に伴って卵巣は活発になり卵子・卵巣ホルンも放射され性欲というものが内なる身体から自然に生じ、刺激を得ると外性器・膣内はホルモンで溢れ満たされ、性交痛は起きないのである。
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます
 一組の夫婦が仔細に自分の心理を確かめてみると、実は相手より自分が大切だと思っているのを発見する場合が多い。
 このような人はオーガズムというもを知らない、性行為すら嫌悪を感じる人が多いのが特徴である。
 愛は忍耐と親切だという。しかし、忍耐しなければいけないような人間関係になると、早々と愛も冷めるのが普通である。一般的いい加減な夫婦はお互いに親切ですらない。
夫はいかにもよさそうな人間に見える。女は「いい男」には飽きないが、「いい人間」には飽きるものだ。そして結婚し子供が産まれると「いい人間」とは中高年になる頃には八割を超す夫婦がセックスレスになっていると言う。

いつまでもセックスに飽きない「いい男」の条件。ジェットコースターで地の底まで急降下させ、一気に天空高く昇らせてくれる。その快感に何ら恥ずることなく叫び、その一体間の中で激しく感じ体中の細胞がすべて拡がり、大きく呼吸し始めるのを感じるようなセックス。
そのようなセックスが欲しいとたまに感じるのが女心なのだ、それを叶え援用してくれるのが「特許取得のソフトノーブル『挿入避妊具』&ノーブルウッシングC型『膣洗浄器』」を用いるとその夢を叶えてくれる可能性は非常に高い。

 一般夫婦は性行為に要する時間は10~20分程度というある調査結果がある。夫婦がともに楽しみ合ってするのではなく、男の欲情処理、浮気防止のための義務と感じ多くの女性が「イッタ」ふりの嘘を演じる性行為である。
 或いは、ペニス・外性器にゼリーを塗り無理やり挿入するような貧しい性行為をつづけた結果、膣内に激痛が走る「性交痛」を引き起こす原因である。さらに「更年期障害」という酷い苦痛に堪えなければいけないのだ。

 性交痛、更年期障害を克服するためには、若い時から段階的に男性は前戯の多様性・挿入勃起持久力、セックステク等を学び努力をし、なおかつ50、60歳なっても修練を怠らず、新たな刺激となるものを見つけ心と心そして肉体と肉体をぶつけ合って感激するようなオーガズムを次々と見出し夫婦二人で楽しみ合うことである。
 当サイト恋愛サーキュレーション図書室の多くの著書からも発見できるからぜひご覧ください。

 しかし、残念ながら男は年とともに挿入持久力は激減する「究極のオーガズムを、最小時間で、最低負荷で心も肉体も解放され恍惚に浸れる」クオリティ の高いセックスであるなら、いくら年とっても女性は「性交痛」は起きにくい。夫婦ともに満足し合える人生を送ることができるのではないだろうか。
 また閉経を伴う酷い「更年期障害」も同様であり、夫婦関係がいいと生理が無くなった程度で全く更年期障害を理解できない女性もいるのだ。
 
 平均寿命が延びて結婚歴60年という時代になってきた、だけど中高年女性に至っては「性交痛」や「更年期障害」などの原因かしてセックスに嫌悪感を示すようになったという女性が非常に多くなり、プラトニックラブ(性行為を求めない)いわゆる若い芸能人、歌手への追っかけという現象が起きている。
 本当にこの様なプラトニックラブ人生で満足されるのは男の立場としたら実に情けないひと言に尽きると思うが!奮起されることを願いたいもの女性も心の裡では同じ想かもしれません。

クラブでの実験

科学者たちはホルモンと性衝動には深い繋がりあるのではないかと考えてきた。人がどれくらいの頻度で、どのように性的興奮を覚えるか、どんな相手に惹かれるかまで、ホルモンの力に左右されているのではないかと言うのである。

 男性の性欲は主としてテストトロンのレベルが保たれていることによって引き起こされる。このホルモンがあるから男性は、出来るだけ多くの相手とできるだけたくさんセックスをしようとするのである。かたや女性の性欲には、非常に異なる三つのホルモンが複雑に混ざり合って影響を与えている。

第二の性 Ⅱ体験 ボーヴォワール著 中嶋公子・加藤康子監訳

女であることはなんと不幸なことか― しかし、女であることの最大の不幸は、実は、それが不幸であることが分からないことである
 燃えやすい気性の女なら困難はすべて解消すると考えてはならない。逆に、こうした女は激しすぎるのだ。女の性的興奮は男の知らない強烈さに達することができる。
男の欲望は激しい局部化されていて、男は欲望の為に――おそらく痙攣の瞬間を除いて――自意識を失わない。
女は反対に自分がまったく無になってしまう。多くの女にとって、この変貌は愛の最も官能的で最も決定的な瞬間だ。

しかし、その変貌はまた魔的で恐ろしい性格を持っている。
男は抱いている女を前にして恐怖を感じることがある。
それほど女が感じる興奮は男の攻撃的狂熱よりずっと根源的変質である。この情熱が女を羞恥心から開放するのだが、目が覚めたときには、羞恥心と恐怖を起こさせもする。つづきは写真クリック
ボーヴォワール著

性交痛改善法

“性交痛”発症の女性は、ノーブルウッシングを用い膣奥に挿入しオリーブオイルを流し入れ、そのままあらゆる種類のマッサージを施すことで、膣内体温上昇し、膣内分泌液(テストトロン、エストロゲン)分泌を促し、性的興奮がマックスに到達すると脳内物質アドレナリン、大脳皮質においてドーパミン系機構からドーパミンが大量に身体全体に放射され今まで得られることのなかった膣痙攣を伴った最高レベルのオーガズムを経験することができたと思われる セックスレス改善したい、凄く感じたい。と、今どきの中高年女性や若い女性でさえ買いに行くバイブレーターというヒット商品がある。八年間で百五十万個売ったという。月に一万個、そして年末になるとクリスマス・プレゼントなどで二万個は売れるという。

もはやセックスとは夫婦で楽しむものという社会概念が出来上がっているといってもよい。

「性生活は、食べること、眠ること、住むこと、衣服を着ること、学ぶこと等と同様に、人間が人類として生きる上で自然なことではないでしょうか。食にこだわり、住にこだわり、睡眠にこだわり、学歴にこだわり、ファッションにこだわる日本人が、性生活にこだわらないのは何故でしょうか。
 
 もう、若い世代への性教育の在り方、大人世代の性生活についてもっと、自然にオープンにそして、真剣に取り組む時期に来ているのではないでしょうか」

日本には、性生活に悩んでいる人が相談する場所がない。性生活に関して援助できる人が少ないし、性生活を充分に堪能できる方法を気軽に指導できる人が少ないのです。記例もある。

 人は快楽に弱い。しかも性の快楽はとどまるところを知らない

そして禁じられた恋ほど、激しく男と女を結びつけるこれが情熱恋愛であり苦悩の始まり、そして障害が大きいほど激しく強くなり、苦しみが大きいほどエクスタシーが高まるのであるから忘れられなくなるのだ。

この事実から恋愛やセックスは脳で感じるということがわかる。気の合わない者同士がいくら性器と性器が結合し擦り合わせ前後運動をしてもオーガズムを得られものではないというのも事実であるこれがセックスレス・性拒否の正体であるし性交痛の原因ともいえるし、ますます更年期障害が酷くなっていくともいえる。

性交痛がある女の人であってもセクシャルヌレヌレフィンガーテク方法でパートナーが時間をかけて、じゅうぶんに潤わせ濡らしてあげ、潤いが不十分ならゼリーであったりオリーブオイルを用い女性にまず一回程度オーガズムに達してあげる。さらにペニスに自信ある人は挿入してあげ、ふたりでオーガズムを心ゆくまで楽しめばいい。

通常のセックスで性交痛を感じる人であったら、ノーブルウッシングB型(下記写真)を掴むTソケット下部を挿入する時は上向きにし市販のオリーブオイル(潤滑ゼリー・ローション)を流しいれながら膣奥へと挿入することで膣深部までオイルが行き渡ることで性交痛を感じさせない。
ノーブルウッシングB型
 勃起不全や早漏気味の人は膣挿入洗浄器が自分のペニスだと思って愛をこめて丁寧に前後運動・ローリングしてあげれば何回でもオーガズムに達してあげることができる。
オーガズムとは「オーガズムの定義」からご覧ください。
使用法については「セクシャルヌレヌレフィンガーテク・セックスレス改善法」はこちらからご覧ください。

「男性のセックスにおける最大の恐怖」

 男にとってセックスは自分の立場、男としての有能感を賭けた戦いの場。
 それですべてがうまくいき、満足できればけっこうなことだが、“戦い”に敗れたときは悲惨である。失われた自信はそう簡単に回復できない。

 まして、女性から「あなたヘタね」とテクニックを批判されたり、「もうイッちゃったの?」と早漏を指摘されたり、「けっこう小さいのね」とペニスの小ささを笑われたりすると、セックスすることがすっかり怖くなってしまつたりする。

「インポテンツ(勃起不全)」

 そして男性最大の恐怖「インポテンツ(勃起不全)」になってしまうことすらあるのだ。
 インポテンツになる原因は2種類ある。「一次性インポテンツ」は身体的な理由によるもので、肝臓が悪い、年齢による体の衰えといった理由で勃起しなくなることをいう。
 「二次性インポテンツ」は心理的なストレスが原因となっておこる。
 たとえば、「オレはセックスがうまくできないんじゃないか」という不安や恐怖感がストレスの素になる。

 あるいは、たまたま酒を飲み過ぎて勃起しないことがあり、そこでもうダメなのではないかと恐怖を抱いてしまって、インポテンツになってしまったりすることもある。

 男性はそれだけセックスに対する恐怖心を持っていて、その恐怖が原因となってしまう危うさがあるのだ。

男性にも更年期障害がある。

 小説や芸能ニュースなどで男性にも更年期障害があると取り上げてみると、男性が描く「老後の恋愛、性」にはいくつかの共通見解があることが見えてくる。

 六〇歳までは”恋愛、性愛の現役”として、二〇代、三〇代の女性と積極的に恋愛したい。
 六〇歳超えても、異性への性的関心や性欲は変わらず存在する。とはいえ、それをどこまで実行に移すかは、ケース・バイ・ケースである。ただし、性的行為があるなしは別として、若い女性、美しい女性への興味はあるし、かかわりも持ちたい。

 女性にしてみれば”ちょっと待ってよ”と言いたのではないか。六〇歳まででも六〇歳を過ぎてからも、その興味、関心の対象となるのは、どうも「若くて美しい女性」であるようだ。ところが、女性は三〇代までで加齢が止まるわけではない。高齢化社会の半分を占めるのは、あたりまえだが高齢女性たちなのだ。四〇代以降の女性たちには、同世代からも上の世代からも、もちろん下の世代の男性たちからも恋愛の対象にならない、というアンバランスが起きている。

 そして、一〇代から三〇代半までの女性の多くは、五〇代や六〇代やそれ以降の男性ではなくて、やはり同世代の男性と恋愛や結婚をしたい、と思っているはずだ。

 ここで悲しいミスマッチが起きている。四〇代以降の女性たちはどの世代の男性からも恋愛の対象にならず、失望感を味わっていると同時に、実は三〇代より下の女性たちを永遠に求め続ける五〇代以降の男性たちも、その願望が実現する可能性は非常に少なく、やはり同様に「挫折感」「敗北感」を抱いていると考えられるのだ。

 さらにミドルからシニアの男性たちの、「敗北感」を強めているのは、「オレ、性的にもうダメなんだよ」という性的機能の低下だ。最近は、性的機能の衰えだけではなく、この時期の男性たちがさまざまな面で心身の不調を感じる「男性更年期」にも注目が集まっている。実際に検査や治療を行う医療機関も出てきた。つまり、男性も女性と同じような「更年期障害」がある。というのが医学の世界の常識となりつつあるのだ。

男性の更年期障害の原因は、男性ホルモン(テストステロン)の減少だ。しかし、閉経などがない男性では、女性ほど急激にホルモン減少しないし、個人差も大きく「年齢ごとの正常値」もはっきりしない。男性更年期の場合。重要なのは「今の男性ホルモンの数値」ではなくて、「以前からどのくらい減少したか」なのだ。しかし、その”以前の数値”が記録されているケースも多くないので、診断はさらに難しくなるのだという。

 こうなるとますます、「なぜ、うつ病でなくて、男性更年期だとわかるのか」と区別がわかりにくくなるのだが、泌尿器科医の見解としては、女性の更年期と同じようにこの男性更年期には、「ほてりや冷え、うつ症状や不眠、筋力の衰えや体のだるさ、性欲減退、勃起力の低下」など心身にわたり多岐に症状が現れるのだという。

 治療は女性更年期と同様、「足りないホルモンを補う」という男性ホルモン補充法だ。しかし現段階では、男性ホルモン補充は女性のようにパッチで簡単に、というわけにはいかないどころか、内服薬さえその安全性が確立されていない。少なくとも二~三ヶ月と長い時間がかかる、という報告もある。さらに、一度、効果が出た人の中にも、治療開始後半年くらいで「ホルモン補充療法をしなくても大丈夫」と治療の必要性がなくなる人も少なくないのだそうだ。

 一度、低下した男性ホルモン生産機能が、注射をきっかけに再び高まるとは考えられない。これは精神科医としての推測なのだが、「もうオレは人間としてダメなのだ」と思っていた彼らは、「それはあなた自身のせいではなくて、男性ホルモンの影響なのですよ」と言われたことで安心し、注射の効果でさらに「まだ大丈夫なんだ」と力づけられ、心理的な暗示効果により症状を克服することが出来た、という事ではないだろうか。ここからも、この男性更年期障害は「ホルモン半分、心理半分」ではないか、という事がわかる。

 数年前に、男性更年期外来を受診する患者さんの半数以上にうつ病を認めるという報告がありました。LOH症候群(男性更年期障害)の症状は様々ですが、うつ病の症状もかなり重複することや、精神科や心療内科にかかるのは抵抗があるという患者さんが相当数いらっしゃることが、その一因かと思われます。

また、既に精神科で投薬を受けているにもかかわらず症状がよくならないと言って来る患者さんも比較的多くおられます。LOH症候群に関しては、初診時に質問票に答えていただき、男性ホルモンを測定することにより診断が可能ですので、一度相談しにいらっしゃっていただければと思います。当科でも両方の科にかかり治療を継続されている方もいらっしゃいますし、精神科・泌尿器科が互いに連携し、患者さんを紹介しあい、患者さんにとって最も良い治療を行っていきたいと考えています。本表紙香山リカ著から引用

更年期過ぎても男も女も、いくつになっても性的存在である
 タブ-視されていた更年期後の性の実態に果敢に迫った保健師の大工原秀子さん(『老年期の性』『性ぬきには語れない』の著者、一九九二年没)の二回にわたる「老人の性の実態調査」によると、一九七三年の第一回調査では、《性的欲求》が「全くなし」と答えた男性は一一%です。一九八五年の第二回調査ではさらに減って九%です。《性行為の有無》については、「あり」は七三年調査で77%、八五年調査では九六%です。
高齢期の男性は、枯れてなどいないというわけです。

 では女性はどうでしょう。七三年の第一回調査では、《性的欲求》の「全くなし」は六六%。第二回目が四一%です。《性行為の有無》では、「あり」が七三年では四六%。八五年ではなんと二倍の九二%。です。
 性行為の数値で見る限り、男女の差はほとんどありません。高齢期の女性の九割が今もなお、性交の現役であるとは頼もしい限りです。

 この結果を受けて、「女性の場合、性交『あり』の数値と、性的欲求の『全くなし』の数値との格差が気にかかる」として、「性的欲求がなくても性行為があるということは、俗にいう『おつとめ』としてのものなのでしょうか。結婚生活で豊かな性の享受を受けてこなかったことが、この数値から透いて見えるようで悲しくなります」と感想を述べている。しかしそれよりも、そもそも高齢女性の九二%に性生活がある、という結果が信頼のおけるものだとすれば、これまで紹介してきたいくつかの「高齢者白書」がその問題にまったく触れていないのは、明らかに問題の見落としといえるのではないだろうか。


 
男性のオーガズムは射精すれば性欲を満たしオーガズムは得られるものの、女性となるとそうはいかないのだ、性欲を満たしオーガズムに達する条件は、二人の間の愛情と、信頼関係と、さらにプラス精神安定の三つの条件が揃っていることが必要不可欠であり「膣そのものは女性のからだの中でも桁外れに鈍感で快感」を感じることができない性器であり、それを男性に提供するというマイナス条件下で行われる、愛情豊かな肌のふれあいを十二分におこない逡巡しつつ心からふたりが楽しむ環境へと埋没し膣挿入のち持続力に富んだ性交でなければ女性の性欲が満たされ「イク」ということはまず望み薄である。

 しかし、中高年層は自らのペニスを膣挿入してからの持続力には限界があるしまず不可能といってもよい。当サイト商品「ノーブルウッシングC型」を用いて膣挿入しパートナーがオーガズムに達するようにピンポイントで責められることで、何回でもオーガズムへ誘うことが可能であり、強靭な体力も持続力も必要としない、翌日の仕事に影響を与えることが少ない、そしてパートナー(妻)を満足させられることで愛情表現のひとつとして信頼関係がさらに深まる。
 セックスという行為で(オーガズム「イク」)達しなければ不感症のレッテル貼られ女の価値そのものを問われかねないしセックスレスの原因でもある。また、あるいは、男性もまた自信を失ったり落ち込む恐れがあるのだ

更年期後女性の性生活をどう生きるか

生殖のための性行為を閉じる。女性は、結婚後の生殖年齢期間以上に、閉経後の人生を長く生きる。つまり、妊娠の懸念なく夫婦の心の絆を強める、触れ合いの性行為が、死の寸前まで楽しめる。
 クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)を高めることこそ、「素晴らしいき老後・夫婦の時代」への幕開けである。
規則的な性的表現がカギを握る
 年齢とともに女性性器は衰えてくるが、男性もポテンスが下がる。
 六十歳前後の定年の時期の男性には、ストレスもたまって、第二次インポテンスに見舞われる。日本人は性教育の基礎教育を受けていないから、自分だけが特別のように考え、そのことを妻に隠して、何となく調子が悪いとか、会社が忙しいとか、酒を飲んだからとか、言い訳をしてセックスから遠ざかる。が、第二次インポテンスは誰にでもある。

 その立ち直りが問題で、この時期に、夫婦が互いの老いを傷つけあってしまうと、この後にどんなに長生きしても、相手がせっかくのパートナーで居ながらも、ヒジ鉄を喰わせてしまう。夫婦で権力闘争をしている人もいるが、パートナーの拒絶というのが、一番男性のポテンスを下げるといわれる。

 そこで、老年期の性障害の克服であるが、男性も六十歳を過ぎると、二段階ある射精過程が変わって来る。若い頃は、見たり聞いたりして感じ取ると、すぐ勃起して、睾丸から精子が前立腺のところまで射出され射精が我慢できなくなる射精抑止不可避感を感じる。そこまでが一段階である。ところが六十歳を過ぎると、この一段階がなくなり、切迫感のない射精になるから、ここで性的に衰えたと感じる、というわけである。
 このことをカバーして、中高年が性的反応を維持するには、規則的な性的表現をすることが、そのカギだといわれている。
今まで遅れていた脳の研究が進むにつれて、性反応の仕組みなども、かなりわかってきた。現在では、食欲中枢などと並んで、性中枢があることがわかっている。この脳の性中枢が働いて性欲を作り、性ホルモンを動員して、腰にある仙髄、つまり脊髄神経を動かす。男性を勃起させる副交感神経、射精に関わる交感神経も、性中枢に支配されている。また性的な淋しさである空閨(くうけい)感も、人間の内臓感覚、体の感覚を脳がキャッチして感じるものである。

 いい匂いだ、美しい、触れられて気持ちいいといった、五感を通して得られた刺激は、腰の性中枢に伝えられてもその中枢からの指令によって、性腺刺激ホルモンや性腺刺激促進ホルモンなどが分泌され、神経系に刺激が伝わって、体が反応し、性欲が表現化される。

 つまり、性欲とは、脳が感じるものである。老人の性を考える場合、たとえ性器が衰えても、脳の性中枢が存在する以上、性欲があるのは当然なのだということを、まず認識する必要がある。

 月経が停止し、卵巣の機能がストップし、性器を支配していた卵巣からのホルモンが停止すれば、子宮や膣は老化する。膣が紙のように薄くなったり、オーガズムが少し遅くなる、膣のテント形成がなくなる、性的紅潮がなくなるなどの老化現象がみられる。しかし、脳の中枢で作られる性欲は、衰えはしても、なくなることはない。

 従って、性欲があっても、年を取ると、性器機能障害を招くということはあり得る。ところが、高年女性でも性的表現を充分にしていれば、女性の性反応は高齢になっても、二十代、三十代と変わらないといわれている。「マスターズの報告『人間の性反応』」ゴナドトロピンという性腺刺激ホルモンなどは、閉経のころが最高に多く、八十歳ぐらいまできちんと分泌しているといわれている。(石浜淳美『Sexluality Manual』HATO書房)

浮気と恋愛の境界線

〆現実には叶わぬドラマの主人公を夢見て

どんなに素敵に見える女性でも結婚して二、三年もたてば、互いにボロが出てくることも知っている。つまり異性との関係でもっともオイシイ部分というのは、結婚に至る前の、互いに相手に自分の醜悪な実体を見せない範囲でのことであることを知っている。食事をしながら平気で轟音と共にガスを排出するような妻とは違う、女性との関係に憧れている。

 それは女性にしてもそうであろう。食事をしても苦労して整えても、美味いでもなく、有り難いでもなく。テレビの野球放送を見ながらすますような亭主に幻滅している。料理の一つ一つについて、苦労をいたわり、感謝し、賛美してほしい。

 性行為にしても、空腹を満たすために、目の前の食物を口に入れる、といった性ではなく、自分の女性としての魅力の讃美からはじまり、情熱的な行動に終わり、欲望の放出ではなく、陶酔を伴う性の謳歌に終わるような男性との関係を望むであろう。いや、人格なと゜というものは、性への没入の妨げになるから、相手も自分も、名前も社会的地位も無視できる存在になったほうがよい、という考え方もあるだろう。

 つまり一人の魅力的な女性というだけの自分と、やはり一人の魅力的な男性と会い、数時間を共にすることによって、女性であり、男性である証を完全に表現することに、憧れる女性もいるかも知れない。
しかし、たちまち世間に露呈し制裁を加えられ何もかも失ってしまうのが世の常であるを知ることとなる。

 老人の性は健康づくりの性

昭和十年の統計によれば、最後の子供を生み終えるのが三十五歳で、閉経後二年で女性は死んでいた。この時代は、老年期の性など考える必要もなかった。
 現在、女性は平均二十八歳で最後の子どもを生み終え、平均閉経年齢は五十三歳、さらに平均寿命まであと三十年誰でもが生きることになる。心臓は百二十年、脳神経細胞は百二十五年生きるともいわれているから、そうなると閉経後六十年くらい高齢で生きることもできる。

こういう時代の到来には、老年期の性、つまり生殖を目的としない性について考えなければならなくなったのは当然と思う。

 二十八歳で子どもを生み終えてからの性は、生殖のための性でなく、夫婦のコミュニケーションのための性に変えながら、高齢をミズミズしく生きるためには、週に二回とマスターズの調査が答えていることを、若いうちから考慮しなければならない、と筆者は考える。
 特に、お年寄りの性は、コミュニケーションのための性であり、健康づくりのための性だといえる。

 性が生殖レベルで考えられていた間は、老人の性は枯れるものだ、お年寄りの性など不潔だ、といった考え方が一般的で、老人の性はタブー視されていた。人生五十年の時代はそれほども、さほど問題はなかっただろうが、高齢化社会の現在ではそうはいかない。
老年期も、六十五歳以上になると、男性の約九十%には配偶者がいるが、女性には五十%しか配偶者がいなくなる。性欲はあっても、表現する相手がいなくなる時期である。
 老人の性が、思春期の性と決定的に違うのは、長い経験、過去の歴史があることだ。その過去は、激しく変化する時代だった。人生五十年の時代の教育を受け、儒教の影響の強く、男尊女卑の時代に育って、老年期に入ると、人生八十年の時代になっており、しかも男女平等同権の時代になっている。ジェンダーの性のありようが大きく変わった。

 妻が応じてくれない、と嘆く多くの男性のお年寄りがいる。妻のオーガズムなどまるで無視して、自分本位の夫婦生活を送ってきた男性が、今になって妻のヒジテツをくっている。
変わる老人の性意識
 Ⅰ第二回老人の性意識実態調査から
お年寄りの訴える”寂しさ”は、単に寂しいのではなくて性的な寂しさも含んでいることを、家庭訪問でお年寄りとかかわっていくなかで、やっと理解することができた。ところが役所の上司は”お年寄りは暇だからそんなことを考える。本を読んだり、庭いじりをしたり、散歩すればよい”と「聖老人」ばかりを考え「性老人」を考えようとしない。大学病院の老人専門の教授にも尋ねた、「自分はまだ老人でないからわからない、データもない」と。そこでやむを得ず「老人の性意識実態調査」に踏み切った。
一回目当時、「お前は色気違いではないか」と、老人クラブの会長さんに言われ、大変なショックに陥った。今回は「人間皆色気違いだから人類は繫栄してきたのヨ」などサラッと言えるようになったが、まさにお年寄りの性問題の足を引っ張るのはお年寄り自身なのである。
表1 二回の性意識調査の年齢構成表1
 性的な要求は男女差がかなり大きい。また、「全くなし」と答えた人をさらに年齢別で見ると、男性は八十代で半減するのに対し、女性は七十代で早くも半減している。次に配偶者の有無別に女性を見ると、六十年の調査では、雄配偶者の女性の二九%、無配偶者が四九%で、女性の「全くなし」は、配偶者の有無に左右されている。(表16)しかし、図1見る限り、老人は性欲を高齢まで維持している。
図1
 性行為の有無
 性行為「あり」の男性は、四八年が七七%で、今回は一九ポイント増加。女性は四六%が二倍の四六ポイント増加。
 性行為有無の比較
表22、23

 性行為の有無について『産婦人科の世界』(36巻・秋季増刊)で第一回の調査データを中心に「中高年の性の実態」を分担執筆した。
『人間の性反応』(マスターズ報告、謝国権訳)によれば、『規則正しい性的表現の維持は、良好な健康状態と老化過程に対する、精神的調節と相まって、結婚生活に性的刺激のある環境を作り出し、順次性的緊張を向上させ八十歳以上に能力を与える』とあったので、お年寄りが、どのくらい、良好な健康状態と老化過程に能力を与えているか、「性行為の有無と性行為の相手」についてのデータにX²検定を行い、正しく言えることはないか調べてみた。一%の危険率で関係があった。つまり、九九%は信じられない数字。

女性の性生理 (1) 女性の性反応

 有効な性的刺激に対する生理学的反応の強さと、解剖学的反応の持続時間とは、年をとるにつれて、性周期の四段階すべてを通じて減退する乳房、陰唇、膣、子宮などの関係器官の老化による退縮は、月経閉止後の性ステロイド飢餓状態を現すものである。生殖器官の退縮変化にかかわりなく、年をとった女性、特にその女性が規則的に有効な性的刺激を与えられる場合は、オーガズムにいたる性行為を行う能力を充分に持っている。
「女の色気は灰になるまで」

(2) 女性の性反応・四つの時期

●興奮期
 性的緊張の興奮期に達したときに、まず現れる生理的反応は、膣の粘滑液の産出。
 月経閉止後五年もたつと、粘滑液産出の速度は量とは一般的に減少する例外がある。
 若い女性は、いずれの形にせよ、有効な性的刺激が与えられてから、一〇秒~三十秒の間に、膣腔全体に充分にゆきわたる。
 女性が五十代半ばを過ぎると、特に六十歳を越えると、与えられている性的刺激に心から期待と快感をもってはっきり反応している場合でも、明確な腔粘滑液の産出認められるまでには、一~三分を要する。

 例外として。膣粘膜は非常に薄く、萎縮しているにもかかわらず、粘滑液は急速に充分に産出され、膣腔全体に拡張し、小陰唇をおおった女性もいる。共通したことは、成人してかずっと週に一~二度の性行為を欠かさずに行っていた。一般には、膣内腔内方2/3の不随意的拡張は、月経閉止後反応の強度と速度において減退していく。

●平坦期
 膣の外方1/3におけるオーガズム帯の形成。すべての女性に年齢を問わず、方法にかかわりなく、有効な性的刺激の効果として起こる、オーガズム帯が形成されると、老衰した膣腔の中心内径は、若い女性の場合と同程度に狭窄する。

 ●オーガズム期
 オーガズム期の性的緊張における特有の生理学的反応は、二十~三十歳の女性と比べると、オーガズム期の持続時間が減少するが、オーガズムプラットホームの収縮は、若い女性と同じ形式でおこる。収縮回数は若い女性の五~一〇回反復と異なり、三~五回反復となる。が例外の女性では、四~七回みられた。

 ●消退期
 拡張した膣の内方2/3の部分は、急速に虚脱した非刺激状態に復する。
『マスターズ報告』にあるこれらのデータに刮(かつ)目して、死の瞬時まで性的刺激の中に身を置き、自らの女性、性を自らの手で老いの淵に沈めないことが肝要である。

(3) 性的障害をもたらす社会的要因

○1年取った女性は、どのような形の性的活動にも生来関心を持つべきではないと、貝原益軒以来、タブー視されてきた。性的活動に対する価値観で高齢女性を社会的に抑圧してきた。また、女性自身も自縛してきたのではないか。
○2七十歳以上の女性の性的活動は、男性の消耗という要因に影響されている。夫は平均すると、妻より四歳年長。老衰がすすみ、肉体的衰えのために、その機会を失われている。この年頃の女性には夫以外の男性と性的関係をもつことが不可能。

○3人間社会が夫のいない高年女性の社会に傾いている。約一割の女性は一生結婚しない。年をとればとるほど、配偶者は欠損する。
○4長命の享受は、両性平等でない。余生を夫なしで送る女性の生き方としては、宗教、実業界、社会奉仕、あるいは成人していく子や孫たちをうるさく世話したりすることに専念する。このことは、実は根本的な不安定を実証している。
○5正常な性的はけ口を奪われてうっ積したために、承認されない性的緊張を発散させるために、後年女性は意識的、または無意識的努力によってさまざまな活動で、体力を消耗している。

(4) 生殖器官

●膣
 高年女性の膣は、特有の退縮変化を示す。
 女性の卵巣性のステロイド生産分泌が、月経閉止に伴って衰退すると、関係器官、陰唇、膣、子宮、乳房などに変化が起こる。
○1膣壁は萎縮し始める。紙のように薄くなり、ザラザラした襞がなくなり、赤紫色は薄い桃色に変色、透かししてみえるほどになる。
○2長さや幅の縮少、膣の拡張能力も衰える。

 ●外性器
 小陰唇、大陰唇は、女性が年をとるに従って、性的緊張による反応性が変化する。陰核の反応は、月経閉止前の女性について確立されている型で、七十歳まで続くが、小陰唇と大陰唇の反応は、老化過程に固有と思われる衰退的変化を反映する。

(5) 月経閉止時の感情障害
月経閉止を、全生涯における生殖の終焉とみなして、敗北感を持つ。
月経閉止期の感情障害の基本は本来、精神神経症的なもので、過去にかかわったことのある似たような障害を悪化させたもの。幸福感の欠如とか、総体的な肉体的不快感は、性的原因による精神神経症的行動を昂(こ)進させ、再発させる傾向がある。

(6) 女性の精神身体的症状

月経閉止期に最も大きく変動するので、さまざまな緊張が関連する性的衝動が、この年代
の女性の不安定さを反映する。
○1生殖衝動への復帰、もう一度妊娠したいという願望。
○2生殖からの逃避。
 更年期の到来を歓迎するが、月経閉止がはっきり確立されるまで、性的衝動の増加を示さない。
 子どもが多すぎるか、経済的事情が不安定に過ぎて、適切な家族の保護が望めなかったという重荷を負っていた。
○3夫と自分自身の肉体の維持とに関心を向ける。二度目の新婚期を迎えた妊娠恐怖症の軽減により、解放された性衝動の発見は、性的緊張の増進に招く要因の一つとなる。
 妊娠恐怖症者が、夫に関心を示すのは、性関係において、快楽と安心の基盤が反映されたときである。

 ●有痛性交や排尿困難は専門医へ
 これらの徴候は、膣粘膜の顕著な韮薄化と膣腔全体の不随意的拡張性の減退に起因する。
 五十歳後半の女性では、膣腔と、膣の入り口を粘滑化する自然の能力が減退し、反応を起こすにも時間がかかる。卵巣機能の衰退によるステロイド飢餓に起因する。

 卵巣機能の月経閉止後の生理学的衰退徴候は、適切な内分泌代替療法によって、簡単に改善できるといわれているから、婦人科に受診すればすむ。
 性的能力と効果的な性行為を維持するために必要なことは、規則正しい性的表現の機会をもつこと。
 高年女性にとっては、機会をもつことが、若い女性に比べてはるかに重大。膣や大陰唇が老化していても、週一~二回の性行為を行っていた高齢女性の性能力は、若い女性に劣らないことを前述した。
 月経閉止後、五~十年たった女性で、たまにしか(月に一回かそれ以下)性交を行わず、マスターベーションの規則的な習慣も持たない場合には、たまに性交を行うと陰茎を受け入れるのが困難となることはしばしばある。

 ●高年女性の性反応型には
 女性が老化し性ステロイド・レベルが低下すると、オーガズム時の子宮収縮は、しばしば痛みを伴なうようになる。
 痛みの程度はその時、その個人により異なる。疼痛を覚える子宮の引きつりは、オーガズム中やその後に感じられる。
 この苦痛が大きいために、故意にオーガズムに達するのを避けたり、性交さえも避けようとする。この苦痛は、適切なホルモン代替えによって消失するから、産婦人科で治療する道が拓けている。治療によって、性交の機会を持たない同年齢層の女性より性行為に対してはるかに高度な能力を維持する。

 内分泌の飢餓は、女性の性的能力や性行為に間接的影響を及ぼすが、性衝動は老化過程によって影響を受ける。肉体的、社会心理的要因の一つに過ぎない。

 ●尿道および膀胱
 若い女性と同様に、高年女性が強烈なオーガズムに達している時は、尿道口が微かに不随意的に拡張する。
 また、一回目のオーガズムから続けざまに二回、三回目のオーガズムに達した場合が認められた。
 多くの月経閉止後の女性は、性交後二~三時間以内に、排尿時に灼熱感を訴えるが、性交が長期間に及んだとき特にひどい。
 月経閉止後、年をとるにつれて、膣の内壁は紙のように薄くなり萎縮していく。従って活発な性交の機械的な刺激を吸収すると、下層構造の尿道や膀胱を保護することができない。
 粘膜液が充分産出されない場合には、陰茎の前進運動によって、尿道と膀胱にその刺激を受ける頻度はさらに増す。
 そのために、性交後間もなく尿意を覚え、何度も排尿する女性、長期間にわたる性交のあと、二~三日の間は灼熱感や尿意頻数を訴える人がある。

 人によっては、特に激しい性交のあと、無意識に尿を漏らしてしまう人もある。
 現在良質な失禁パットが販売されているので、失禁の心配を軽減する。日常的に失禁予防体操を行い、骨盤底筋群をきたえておくこと。

(7) 月経閉止後の性衝動

 生殖可能な期間につくられた性的慣習に直接関係ある。生殖可能な期間につくられた性的慣習に直接関係がある。
○1幸福な、よく調節された、刺激的な結婚生活を送った女性は、月経閉止期や閉止後も、性的活動の頻度や、それに対する関心が中断されることは全くない。
○2社会的、経済的な安定も、年を取ってからの性の調整を成功させる大きな要因。
 生殖可能期間に不感症に悩まされたり、調和のとれた反応で性交をしなかったり、性心理的に満足できる性交を持たなかったことに悩むなら、月経閉止の到来にあたって、性衝動を減退させ、どんな形の性的行為をも、嫌悪するようになり、不充分な性行為に対する個人的な悩みや、解消されない性的緊張からくる欲求不満から逃れるために、月経閉止以降は、「年をとっているから」と言い訳をする。筆者に相談に来る妻からセックスを拒否されている夫達は過去の結婚生活はどうだったのだろうか。長寿をお互いが「めでたい」と実感するためには、妻とよく話し合って夫婦しての達成未完の問題にトライしてほしい。

(8) 女性のマスターベーション

 マスターベーションは、後年の女性にとって別に重大な問題ではない。
 性的緊張を発散させるために、二十歳代、三十歳代を通じてマスターベーションを行ってきた未婚の女性は、四十代~六十代にかけて。再びこの習慣を続けるようになる。
 異性との性交が制限されたり、全くできなくなったりすると、未亡人や離婚した女性は、性的緊張が我慢できないほど高まった場合、十代、二十代の頃にもっていたマスターベーションの習慣に再び戻る。

 月経閉止後の性交や、マスターベーションの頻度は、女性が健康で活動的でかつ社会的によく順応した一員である限り、別に重大な事ではない。
 月経閉止という、女性の生涯における一里程標のために、性的能力、性的行為、性的衝動が減退すべき理由はない。
 健康な高年女性は、発散を必要とする性的衝動をもっている。女性の性的機能の深さ、性的能力の効果は、女性の性的興奮とともに、女性の老化過程におけるあらゆる精神的生理学、社会的生理学諸問題によって、間接的に影響を受けるものである。
 女性のセックスは年齢により制限を受けることはない。
 高年女性も、マスターズの調査報告ら刮目して、あらゆる方法を使って女性の性障害をクリアする。そして年齢を越えたミズミズしさを保つ方法を各人が発見して、惜しむことなく努力する。女性はいつまでも社会の花。これから迎える超長寿社会に女性が花となって付加価値をつけてエイジレス(年を感じさせない)社会を作ろうではないか。
本表紙 大工原 秀子著より引用

女の生涯――女が相変わらず雌の機能に閉じ込められているために――男よりもずっとその生理的運命に左右される。女の生理的運命の曲線はよりギクシャクしており、非連続的である。女の人生は、時期ごとに見ると完結していて単調だか、一つの段階から次の段階への移行は急激で、危険をともなう。この移行は思春期、性への入門期、閉経期というように、男よりずっと決定的な危機となって現れる。

男は徐々に老化していくことに対し、女は突然、女の特質を奪われてしまう。女はまだ若いうちに性的魅力や出産能力を失うが、それこそが、社会の目にも自分自身の目にも、自分の存在の根拠と幸福のチャンスを引き出すもとになっていたのだ。こうした女は、成人としての人生のほぼ半分を、あらゆる未来を奪われて生きてかなければならない。

「危険な年齢[更年期]は、いくつかの器官的疾患によって特徴づけられるが(*1)、そうした疾患が重要性をもつのは、それらの疾患がおびる象徴的な意味のせいである。何よりも自分の女らしさに賭けてきた女は、この危機をいっそう切実に感じる。家庭内にしろ家庭外にしろ、厳しい労働をしている女たちは、月経の束縛がなくなったことをほっとして受け入れる。
ボーヴォワール著第二の性より引用



ナビゲーション

本表紙 山早苗 著 目次

ピンバラ・社長夫人の座を捨てて駆け落ちした女性の「失われた十年
・三歳年下の”運命の人
・セックスの相性がよすぎる
・いつか結婚してくれるは
・結局、何も築けなかった
・性交七年ぶりのセックス以来、奔放な性に耽った・・

四十八歳の残照
・浮気夫を汚らわしく感じ
・「いつ死ぬかもわからない」から
・女が性欲に支配される時期
・早く枯れたい‥‥
・離婚後、放埓な性に身を委ねた女性部長が涙した”老いの烙印”
・離婚して三年目の恋
・バーで愚痴るうちに‥‥
・みんな去ってしまった。
・大事な部分が老いてしまい

第二章

ピンバラ 屈辱の浮気絶倫夫との二十七年、我慢の末に流す後悔の涙
「幸せになるために生きる」と人は言う。「幸せ」とは何なのだろう。自分が考える「本当の幸せ」は、本当に自分の価値観だけから成るものだろうか。

 自分自身の考えだと思っていたことが、実は環境や教育によって植え付けられたものだと気づくことがある。私は恋愛、結婚、仕事など失敗し続け、価値観を覆されてきた。

 もっと若い頃、柔軟に対応していれば、あの結婚は続いていのではないか、家族をもって幸せに暮らせたのではないか――。半世紀近く生きてきた今になって、過去の人生を振り返り、後悔ばかりしている。

 ・身体に、心が裏切られる

 里枝さんの両親も見合い結婚。彼女は、「女は経済的に安定した家に嫁いで家庭を築くのが、何より幸せ」と考える母親の意見をすんなり受け入れた。

「旦那さんとあちらのご両親には、絶対に逆らわずに尽くしなさい。それがあなたの幸せなのよ」

 嫁ぐ日の夜、母に言われてその言葉を、里枝さんはしっかり胸に刻み込んだという。

・舅姑への不満も積もって

・「おまえは干物

・もう遅い、何もかも

婚約を破棄して不倫愛十九年、恋の末路で抱いた一縷(る)の望み

・「安定した結婚」を捨てて

「出会って三ヶ月後、上司と都心のお洒落なバーで飲んでいたら、『今日は帰したくない』と部屋のキーを握らせられたんです。その時点では婚約者と別れるつもりはなかったけど、上司に興味があったから部屋に行きました。

上司は時間をかけて私の全身を愛撫してくれて‥‥。婚約者とは感じたことのなかったような快感を覚えました。身体ががくがく勝手に震えて、何度も何度も苦しいほど感じて。

『これがセックスの快感というものなのか』と初めてわかったんです。もう離れられないと思いました。抱かれるたびもっと感じて、もっと好きになっていく。これが本当の恋なんだと信じたんです」

・激しい恋に生きた三十代

上司が会社からの自宅に帰るときに立ち寄れるよう、ちょうど乗り換えに当たる駅の近くに部屋を借りた。週に数度は、雅子さんの部屋で愛を交わした。

「どんどん快感が深まっていくんです。いつまでも体の中に残るような深さ。幸せでした。もちろんいいことをしているとは思っていなかったけど、彼が好きでたまらなかった。

ただ、私は彼を部屋に泊めませんでした。それが私のせめてもの倫理観というか‥‥。
仕事もそれまで以上にがんばりました」

 ・恋の魔法から覚めてみると

彼に抱かれても、雅子さんはほとんど感じなくなった。それを彼も察してか、あまり連絡してこなくなっていく。

・ ひとりきりで老いる怖さ

 もちろん、雅子さんはわかっている。彼の傍にずっといたのは自分で決めたこと。責任も自分にある。それでもあえて、別の道に思いを馳(は)せるのは、自分の人生に対する後悔の深さゆえだろう。

 四十代で再婚し、穏やかな生活を送っている女友達が言ったことがある。「女として見てほしいと焦らなくなった。一緒に年を取っていける人がいることで、年齢を重ねることも怖くなくなった」と。

 私はそれを聞いて、心から羨ましいと思った。ともに生活するということは、ともに年をとっていけるということなのだ。

恋愛ではそうはいかない。互いに異性として見る目が厳しいから。若いときはそれでもいい、だが、人間、だんだん気弱になり、突っ張り続けていられなくなっていく。

生活苦から身を墜とした二児の母、ふと甦る苦き過去

・「二万円でどう?」
・女という性を憎みながら

 好きでもない男と寝て、その代償にお金を貰う。いけないことだと分かっていながら、彼女は彼についていった。
「いろんな人がいましたね。出会い系で知り合い、話をするだけでいいという人もいましたし、七十代の男性で、『アソコをずっとしゃぶっていてほしい』という人もいました。勃起しませんでしたけど、帰りに五万円もくれました。

誰も彼も寂しいんだなと思うと、私も生きていてもいいのかなという気持ちになったのを覚えています。もちろんやめたい思いはあったけど、人間、堕(お)ちてしまうと、その場所に慣れるものなんですよ」

危ない目にも遭ったことも、数知れずある。
「帰りに急にすごまれて、お金が貰えなかったこともあります。待ち合わせてホテルに行き、密室に入った途端、包丁を突き付けられたことも。縛るのが趣味という人に縛られたまま犯されたり、いきなりアナルセックスをされたり。多くの人はノーマルでしたけど‥‥。

ただ、どんなひどいセックスでも、時と場合によっては感じてしまうこともあって、それがとにかく哀しかった。女という性を憎みましたね。三年も続けているうちに、身も心もぼろぼろになってしまいました」

・彼に体が反応しない
・消せない過去の迷い道

第三章

ピンバラ友だちの浮気を密告したセックスレス妻のほの暗い嫉妬心

 最近、「女として下降線をたどっている」という気持ちが強まるにつれ、妙に自意識が高まってきたような気がする。不安の裏返しなのだろうか。若く見られたいが若作りはしたくない。

物欲しそう、さもしく思われたくないのに、女として見られたい、誰かに愛されたいあまり、自意識過剰になって、結局、内にこもっていく。相反する気持ち、欲望と理性が常に心の中で戦っている状態だ。
乳母で教育係で家政婦
「身近な人間である夫に、『お前を女として見られないんだよ』と言われたときのショック、想像がつきますか?」
ケンカした勢いで、と言うことならまだわかるけど、淡々とした言い方だったので、よけい傷ついたんです。その一言があってから、夜の生活は一切なくなりました。
更年期“女の致命傷”に塩を塗られ
 三年ほど前の真冬にある日、職場でひどいホットフラッシュに見舞われた。ついに来たか、とは思ったが、その時は何故か、夫への恨みが心の中に湧いてきた。

「更年期症状は誰にも現れるのかもしれないけど、夫が私を愛してくれないから、こんなひどい目に遭うんだと思ってしまったのです。もちろん冷静に考えてみればそんなことは関係ない。

だけど、十年以上セックスをしていない、男性に触れられていないということが、女の致命傷のような気がして‥‥。そこへ更年期がやってくると、私としては最後通牒を突き付けられているとしか思えなかった」
 ホットフラッシュは今でも断続的にある。不眠もひどく、食欲のある時とないときが交互に訪れる。病院に行くつもりはなかったのだが、一年ほど前、パート仲間に勧められて更年期外来を訪ね、症状は少しずつ落ち着いてきているという。

・天誅(てんちゅう)を加える必要を感じた
・哀しく捻じ曲げられた心
・卑屈な夫と恐妻家の恋人、不倫がばれてひとりぽっちの私

「愛された」というのは、おそらく人間の根源的欲求なのだと思う。だが、大人になってからそれを重視しすぎると欲求や不満に陥る危険性が高いことを、私は今までの恋愛の失敗から学んだ。だから、「恋愛は愛されるより愛する方が重要だ」

と声高に叫んでもいた。それでも、心身ともに衰えを感じる日々の中、「愛されたい」と願う女性たちの気持ちが身に染みてわかるようになってきた。

・ コンプレックス夫の凌辱

「既婚者の恋愛っていろいろな意味で五分五分だと思っていたけど、やっぱりそうではありませんね。認めることが出来ないんです。だから苦しい」

・ 「ここで土下座しなさいよ」

 そんな結婚生活の中で、真理さんは恋に落ちた。七年前のことだ。

・愛されていなかった私
・気持ちの「点」と「線」
・不倫の愛を貫いて結婚、だが病後、別の女の影が…‥

 この春のこと、ある日突然、左の乳房の奥に違和感を覚えた。浮遊物がときどき動くかのような、未知の感覚だ。ちょうど乳癌の検査を受けようと思っていたので、すぐにクリニックに予約を取った。

・ずるさも含めて好きに
・「ひとりで産むから別れて」
・ いざというときに逃げる男

 しかし、浮気癖のある男というのは、同じ場所、同じ女性に居着けないものだろうか。四年ほど経つと、夫婦生活も間遠くなっていく。

「私は一週間くらいセックスをしないと、イライラしてくるんです。でも、ちょうどそのころ夫が部署を異動して、ストレスもあったようだから私も我慢していました。
それでも限界を感じて、すり寄っていくと、彼は『疲れているんだよ』と背を向ける。『あなたが後悔しないといいけれど』という彼の奥さんからの手紙が思い出されました。

「天罰」などないはずなのに

 今から半年前、彼女に追い打ちをかけるようなできごとが起こった。夫の浮気が発覚したのだ。大ゲンカのあげく、彼は出て行ってしまう。

第四章

ピンバラ 近所の人妻の虜となった夫、私は”性の劣等生”に苛まれて


仕事と実益を兼ねて、「お見合いパーティー」潜入してみようかと思ったことがある。調べてみると、多くの年齢で区切られており、なぜか、女性の「四十七歳から五十四歳」がすっぽり抜け落ちていることに気づいた。

五十五歳からは「シニア部門」としてまた求められるようになる。いわゆる「更年期年齢」の女性だけが対象外なのだ。

 年なんて気にする必要はないと世間では言われているが、実際にはこうやって差別しているのだから、更年期の年齢の私たちが落ち込むのもやむを得ないのではないだろうか。

・男性として魅力があるとは
・グロスたっぷりの唇が‥‥
・「おまえが拒み続けるから」
・私が知らない快楽を知る女
・介護バトルの末、夫を見限り、縋る五十代にして初めての恋
・母を引き取ることを拒まれ

「私も夫婦は他人だと、結婚生活の折々に感じさせられてきました。他人に気遣いせず、お互いに嫌なところばかり見せあってしまう。だからだんだん愛情も薄れてくる。私の場合は、もう夫には関心がありません。寂しいけど、それが正直な気持ちです」
 何かも私に押し付けるな
 二年後、今度は夫の父親が亡くなる。ひとりになった自分の母を、夫はすぐに引きとると宣言した。

・家庭に絶望する男と女
・自分が生きてきた証を求めて
・姑。浮気。DV、借金――三人の夫が去った

 かつて「人生五十年」と言われた時代があった。今は人生八十年。ひたすら老いに向かう残り三十年をどうやって過ごそうかと考えると、居ても立っても居られないような不安に駆られることがある。

・「子どもを売って」離婚をし
・DV夫との怒涛の日々
・四十四歳、女ひとりでの再出発
・なぜ誰にも愛されないの!?

 更年期に入っても、それほどひどい症状には悩まされなかった。一年ほど肩こりと頭痛が辛かったくらい。生理もすっかり止まった。それでも決して枯れてしまったわけではない。
今も、誰かと一つのベッドで愛されたいという思いが募ることもあるという。

第五章

ピンバラ 夫に連れていかれた性のけもの道で体験した不安と恍惚

  いくつになっても「意外なこと」はあるものだと思う。ある日突然、それまで嫌悪してきたことを目の前に突き付けられて「受け入れる以外、選択肢はない」と感じたり、自分には無理だと思っていたことができるようになってしまったり…。

嗜好(しこう)から信条に至るまで、さまざまな点で、人間は年齢も善悪も関係なく、時として変化することがあるようになった。

・机の引き出しの中の淫靡な写真

「私が受け入れないと、夫は浮気をし続ける。夫が浮気をしないようにするには、私は言うことを聞くしかないのです」
四十代になってから、夫との夜の生活は間遠くなっていた。せいぜい年に数回、それも夫が強引に誘ってきたときだけ。夫以外の男性を知らないためか、セックスの不満もなければ期待もなかった。「めくるめく快感」は、別の世界の出来事と思っていたし、憧れを抱いたこともないという。

・倒錯の世界へ連れて行かれ
・とどまらぬ夫のたくらみ
・オーガズムと不安の狭間
・救いなき家庭生活は”できちゃった結婚”から始まった

 二十代のころは、「後悔しないように生きたい」と考えていた。
 だが、最近は「どう生きても後悔するものかもしれない」と思うようになっている。

 恋愛、結婚、仕事、出産、離婚など、女性には人生を左右する出来事がたくさんあり、その選択も自由だ。先を見ずに、ただ「今さえよければ」と直感で選択するといつか後悔するかもしれない。

・とにかく女だらしない夫
・帰る場所がないゆえに
・「がんばりすぎたんですね」
・不安が昂じるばかり

「夫はそうやっていつも事なかれ主義、家族の問題にも、自分はかかわりたくないのでしょう。そして、最後には開き直れば私が黙るとわかっている――。夫婦関係を構築することに失敗したのだと思います。生理が完全に止まって一年。めまいや頭痛、そして全身の倦怠感は今も続いています。

・絶望の淵の私を救った”ある仕事”―その快感と高い代償

 以前、四十代のAV女優を取材したとき、「この世界、女性は百歳まで募集があるんですよ」と聞いて驚いたことがある。それなりに需要があるからだという。その後、私は「六十歳になったらデビューした」と祝いで友人に笑われた。

・人生観が変わる紹介先
・自分が壊れていく
・「最近、生き生きしてるね」
・みんな孤独なんだな

 行くも帰るも地獄、燃えさかる不倫愛は十年で突然幕を閉じ

婚外恋愛、いわゆる不倫の恋をして男女から、「いつかは別れるしかないのかもしれない」と嘆く声をよく聞く。別れるか、それぞれ離婚したあとに再婚するか。

その二つしか選択肢がないように思われているが、誤解を恐れずに言えば、「不倫のまま続ける」という道もある。茨(いばら)の道であろうけれど。

 ・十三年前の忘れ物

「いつかは別れることになるかもしれない。いつもそれが頭にありました。ただ、こんな別れが来るとは予想もしていなかった‥‥」

・「子供が成人したら」

 行くも地獄、帰るも地獄。不倫の恋はそういうものだろう。彼にも家庭があり、ひとり娘はその当時、八歳だった。
 再び音信不通になった
一ヶ月後に、学生時代の友達から連絡があった。
「なんと彼、亡くなっていたんです」

 お祝いしよう、と言った数日後、彼は心臓麻痺で急死していた。あまりに急で、昔の友人たちまで連絡が行き渡らなかった。
彼は本気だったのか?

第六章

ピンバラ  六十九歳の母は今も女全開、娘の私は反発心から男を忌避し

 いくつになっても母親と娘のあいだには、さまざまな葛藤がある。反発しながらも母親と似たような人生を歩んでしまう人もいれば、正反対な生き方を貫く人もいる。

 女性は大人になる過程で、母親が自分を「娘」としてだけでなく、「女性としての後輩」と見ていることに気付く瞬間があるように思う。

だが娘の方は、母をいつまでも「母」としてしか見ようとしない。だから、”女としての”母を見たとき、自分の生き方に大きな影響が出てしまうのは、仕方のないことかもしれない。

 ・「仕事だけの人生」の理由

 友人で独身の渡辺優香さん(四十四歳)が体調を崩したのは、一年半ほど前のこと。生理周期が乱れ、めまいや頭痛がひどい。内科で検査をしても原因がわからず、産婦人科で初めて、女性ホルモンの量が激減していると知らされた。

「まだ本格的な更年期には少し早いけど、プレ更年期と言えるでしょうって言われた」
 同じ淫乱の血がと思うと 

・私には快感が必要だった

 今回の取材は、優香さんから「母が大変なことをしでかした」と聞いたことがきっかけだ。
「このところ、母は十歳年下の家庭持ちの男性と付き合っていたんだけど、つい一週間ほど前、奥さんが夜中に家に乗り込んできたんだって。ちょうどその彼が泊まっていたので、修羅場になってしまったの。
制限時間があるなかで

・ 恋か情か――、五十歳目前の私は今、元夫の愛人になりはて

 いくつになって「安定した生活」を送るのは難しいと、最近つくづく思う。六十五歳で離婚した女性、八十歳になってから家族から逃げ出さなければならなくなり、ひとり暮らしを始める女性‥‥。

このところ、そういった話を立て続けに聞き、「生々流転」という言葉を想った。
誰もが一人きりでは生きていけない。だが、人間をとりまく状況や関係性は刻々と変化してしまう。誰もがそれを頭ではわかっているのだが、この不安定な状況を受け入れるのは難しい。

・ふたりで生きよう
・「私、元夫の愛人なんです」
・「産める女が好きなのよ」
・不意に訪ねてきた元夫
・この快感を失いたくない

 嫌いで別れたわけではない。昇平さんが真澄さんの得意料理に舌鼓を打つようになるまで、それほど時間はかからなかった。
十六歳年上に嫁ぎ四十代で開かれた性の扉は、三年で閉じた
 人生、最終的にはプラスマイナスゼロだと言う。禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し。幸不幸は繰り返しやってくるのだ。そして人は誰もが死んでいく。最近の私は、そんなふうに妙に達観することもある。

・母とふたりで生きてきた
・父のように甘えられる人

 その会で知り合ったのが、十六歳年上、当時六十歳間近だった敏夫さんだ。

・体の奥底の火種が
・「本気で愛された」実感

第七章

ピンバラ リストラがきっかけで夫が豹変、家庭は荒れ、私は逃げて


 夫婦といえども元はといえば他人。問題がないときは、お互い穏やかな気持ちで生活していけるが、何か事が起こると、今までの関係の真価が問われてしまう。そこで壊れていく夫婦も少なくない。

 理想的に家族を得た

「夫といても孤独。かといって別れたら私の心は壊れてしまいそう‥‥」
セックスが抜け落ちた

・「女ってあさましい」
・先がない恋とわかりつつ

 裏切りで染まった愛の彷徨三十年、私は何を手にできたか
「四十にして惑わず」と孔子は言った。だが私は、五十歳になってもまだ迷っている。友人知人たちも似たような状況だ。最後まで迷い続けるのが人生なのかもしれないと近頃は思うようになった。
 私たちは母親世代と違って諦めが悪い。常に何かに飢え、何かを求め続けていくしかない定めにあるのだろう。

・「おまえはいつも完璧」

ひっそりとこじれていく
「二年ほどが経つうちに、そんな状態に耐えられなくなって。夫も相手の女性も憎い。でも夫のことは好き。いっそ私も浮気をしてやろう、夫をこれ以上に組まないためにはそれしかないと思い詰めた。
その晩、六年ぶりくらいに夫に抱かれたんですが、私、全然感じなくて‥‥。まったく濡れなかったので、夫も焦って、最後は無理やりねじ込んできた。それがまた何とも言えずかなしくてたまりませんでした」

 気持ちは夫から離れていなかったはずなのに、体が言うことをきかない。ときとして、体は心より正直な反応を示すことがあるのだ。

・人知れず逢瀬を重ねて
・それでも生きている

第八章

ピンバラ 一年に及ぶ離婚闘争劇、屈辱にまみれた私は決断できなくて

 最初に「理不尽」を感じたのは何時だったろう。小さい時、父にご飯をよそったら突き返された(意味が解らなかったが)とか、幼稚園の友達に親切にしたつもりが悪口を言われたとか。いずれにしても、「気持ちというものは自分の負ったように伝わらないとは限らない」

・「オレを助けると思って」
・殺してやる。そう思った。
・添い遂げると決めたから
・法律では解決できない

「捨てられる自分、というのに耐えられないのかもしれない」
 DV夫との十年にわたる修羅場から解放されて得た新生活
 人生はいくつになってもやり直しがきくと言われることが多い。確かに見切りをつけるなら、早い方がいいのかもしれないと思う。我慢していれば、いい結果が待っているわけではないのだから。それに、人生でいちばん若いのは「今日」なのだから。

・大人になりきれない夫

「別れた方がいいんじゃないか、別れようか、別れたいと気持ちが変化していって、それでも別れるまで十年近くかかりました」
母である前に、私には女でいてほしかったのでしょう。でもそれは、夫の弱さでもある。この人は大人になりきれない、私に依存したがっているだけだとようやく気付いたのは、結婚して十年ほど経った頃でした」

・「誰かと寝てきたのか?」
・子供たちは家に残った
・女であることを実感して

第九章

ピンバラ多忙な主婦が五十歳になって知った、淫欲と愛情の快楽地獄

正直言って、私は結婚している人が羨ましい。夫がいて子供がいて、なんだかいだと言いながら、いつでも明かりがついている家に帰り、「今日は暑かったね」と言えば「そうだね」と応えてくれる人がいるような生活こそが、「人としての幸せ」につながるのではないかとか思う。

だが、なぜ人は、いつでもないものねだりする。自分が今、何を得ているのか、そして近くて親しい人に何を求めているのかが見えなくなってしまう。きっと、もともとは「そばにいてくれさえすればいいと」と思って結婚したはずなのに。

・ “妻孝行”な夫がいるのだが

「毎日がとっても忙しいんですよ。私、それなのに付き合っている男性がふたりもいる。忙しいならそんなことをしなければいいのに‥‥。人に、あるいは自分の人生に何かを求めているのか、自分でもわからなくなって」

 いくつになっても夢を抱くのは素敵なことだ、常に向上心を持つべきだと、我々世代は植え付けられてきた。その結果、半世紀も生きてきて、まだ気持ちが落ち着かずに迷い惑っている。それがいいことなのか悪いことかはわからないけど。

・淫らなおんなになりたい
・「一度でいいから抱いて」
・引き裂かれる自分

 恋愛依存体質の女性が歩んだ過酷な半生と絶望感
 結婚していても恋愛を辞められない女性がいる。バブル世代と呼ばれる私たちが若かったころ、恋愛はすでに「女を磨くことのひとつ」だった。

恋愛至上主義、恋愛体質でいることがよしとされていたのだ。その結果、恋愛に依存せざるを得ない女性たちも生まれてしまったように思う。

・ 駆け落ち失敗。DV離婚、できちゃった婚

「好き勝手なことをやってきたツケが回ってきたような気がすてならないんです」
 石垣茉莉菜さん(五十三歳)は極細のタバコを手に、紫煙をくゆらせながら、自分の半生を振り返ってそう言った。

・七歳になったばかりの息子が

白血病発症しあっという間に亡くなった。

・愛されていると実感した日に
・ 時間だけが過ぎていく
・半世紀生きてきて、ここからもう一度‥‥

 一年半苦しめられた左の五十肩から、ようやく解放された。と思ったら、すぐに右肩がきしむようになってきている。

左肩のときは、トイレに行って下着も上げられなかったり、洋服を買いに行って試着室で身動きもできなくなったりと、情けないこと続きだった。またあの状況が復活するのかと思うと、もはや笑うしかない。

 ついでに膝の関節も動きがスムーズではなく、ごきごきと音がする。老いは急速に近づいていると実感する日々だ。

 ・ぼろぼろになった更年期

「私はもうこの一年、まったく生理が来ないのよ」
 彼女は結婚後もずっと、とある団体の職員として仕事を続けてきたのだが、更年期症状がひどかった時期は三ヶ月ほど仕事を休んだこともあったそうだ。

「肩こり、頭痛、めまい。そして蕁麻疹(じんましん)。関節痛もひどかった。もちろん気分も鬱状態で、しょっちゅう意味もなく泣いてばかり。夫に当たり散らかして、彼も理解できないせいで不機嫌になって、家庭内も最悪。離婚寸前までいったのよ」
子育ても家事も、夫と協力し合ってやってきた。夫とは三十代半ばからほとんど夫婦生活がないが、自分もセックスなんて面倒で嫌いだったから、かえって好都合だった。
「病院にも通ったけど、対処療法しかできない。ホルモン療法もしたの。でも私には合わなくて、よけい調子が悪くなるばかり。ひとつひとつはたいしたことはないのよ。だけど体のありとあらゆるところが不調で、何もやる気が起こらない。

 ・ワンピースを買ってみたら

 私は五十肩があまりひどくなったとは、病院に行った。そのとき医師は「簡単に言うと、加齢によって関節の潤滑油みたいなものが減ってくるのです。それを脳が認識し、体が『少なくなった潤滑油でやっていこう』と思えるまでに時間がかかるということです」と説明してくれた。

 目安は一年。それは治るのではなく、脳が認識して体が慣れのまでの時間だそうだ。脳って賢そうで、意外と順応性がないんだと、私はおかしくなった。
「シミもシワも前からあったのよ、きっと。だけど自分が気にしていなかっただけ。更年期を迎えて初めて、私は女だったんだと強烈に意識したんでしょうね。ただでさえ、自分をいつくしんでこなかったから、急に女というライセンスを奪われるような気分になって、無駄な抵抗をしたのかもしれない」

 ・今どきの五十歳は魅力的

「八ヶ月ほど前、ひさしぶりに中学時代の同窓会があったの。体も心も本調子でなかったけれど、気分転換に出席してみようという気になった。同い年の人たちが、身近になった老いに対してどうやって立ち向かっているのか、話してみたかったし」

・誰とも比べられない人生
・ あとがき

「長年の不倫が終わった。しかも彼からのメール一本で」
「子どもが成長し、夫婦はセックスレス。恋だけが自分を生きる証だったのに、それを失い、どうしたらいいかわからない」

「恋をなくしたとたん、体調不良になった。更年期だと思う。もう誰も私を愛してくれない。余りの孤独に押しぶれそうです」

 彼女たちの孤独感に、私の心が反応した。恋を失った寂しさなら若いときだって経験しているはず。それなのに、この年代になるとそれがもっと切実な孤独感へと発展してしまう。

その深いつらさは、もうすでに忍び寄ってきている「老い」と関係があるのかもしれない。

もう誰をも愛せないのではないか。そして誰からも愛されないのではないか。もっといえば、男性に性愛の対象として見られなくなっていく不安と焦燥感があるのではないか。それは私が抱えているものとぴったりと一致した。

気になる人たちを訪ね歩いて話を聞き、それをまとめて『婦人公論』二〇〇九年七月二十二日号から二〇一〇年八月七日号に連載させていただき、単行本化にあたりさらに新たに書き下ろしたものを一遍加えた。

誰もが過去を悔いを残しながら惑い、将来に不安を抱いて悩んでいる。どんな人生であれ、「あのとき、こうしていたら」と思うのが、この年代の特徴なのかもしれない。

 たくさんの人の話を聞いていくうち、最初は彼女たちと同化して一緒に落ち込んでいた私の気持ちが、少しずつ前向きになっていった。気づくと、彼女たちの人生を肯定して励ましている。それはおそらく、私自身も自分の過去を、そして現在を肯定したがっているからだろう。

 人は選ばなかった道に悔いを残す。後悔しない人生なんてないのかもしれない。
 老いはひたひたと近づいてきている。更年期はそのとば口かもしれない。老いにどこまで抗い。どこまで受け入れて行けばいいのか、私にはまだわからない。

 老いたから恋はもう自分に降りかかってこないとあきらめる必要もないのだろう。
 連載中に私は、大台の五十歳になった。半世紀も生きてきたことになる。自分に人生に自信ももてないけど、どうせ新たな十年を過ごすなら「もう一花咲かせてやろうじゃないか」と言う気持ちがわいてきた。
 二〇一〇年十一月  亀山早苗
本表紙亀山早苗 著 目次

ピンバラ・社長夫人の座を捨てて駆け落ちした女性の「失われた十年
・三歳年下の”運命の人
・セックスの相性がよすぎる
・いつか結婚してくれるは
・結局、何も築けなかった
・性交七年ぶりのセックス以来、奔放な性に耽った・・四十八歳の残照
・浮気夫を汚らわしく感じ
・「いつ死ぬかもわからない」から
・女が性欲に支配される時期
・早く枯れたい‥‥
・離婚後、放埓な性に身を委ねた女性部長が涙した、”老いの烙印”
・離婚して三年目の恋
・バーで愚痴るうちに‥‥
・みんな去ってしまった。
・大事な部分が老いてしまい

第二章

ピンバラ 屈辱の浮気絶倫夫との二十七年、我慢の末に流す後悔の涙
「幸せになるために生きる」と人は言う。「幸せ」とは何なのだろう。自分が考える「本当の幸せ」は、本当に自分の価値観だけから成るものだろうか。

 自分自身の考えだと思っていたことが、実は環境や教育によって植え付けられたものだと気づくことがある。私は恋愛、結婚、仕事など失敗し続け、価値観を覆されてきた。

 もっと若い頃、柔軟に対応していれば、あの結婚は続いていのではないか、家族をもって幸せに暮らせたのではないか――。半世紀近く生きてきた今になって、過去の人生を振り返り、後悔ばかりしている。

 ・身体に、心が裏切られる

 里枝さんの両親も見合い結婚。彼女は、「女は経済的に安定した家に嫁いで家庭を築くのが、何より幸せ」と考える母親の意見をすんなり受け入れた。

「旦那さんとあちらのご両親には、絶対に逆らわずに尽くしなさい。それがあなたの幸せなのよ」

 嫁ぐ日の夜、母に言われてその言葉を、里枝さんはしっかり胸に刻み込んだという。

・舅姑への不満も積もって

・「おまえは干物

・もう遅い、何もかも

婚約を破棄して不倫愛十九年、恋の末路で抱いた一縷(る)の望み

・「安定した結婚」を捨てて

「出会って三ヶ月後、上司と都心のお洒落なバーで飲んでいたら、『今日は帰したくない』と部屋のキーを握らせられたんです。その時点では婚約者と別れるつもりはなかったけど、上司に興味があったから部屋に行きました。

上司は時間をかけて私の全身を愛撫してくれて‥‥。婚約者とは感じたことのなかったような快感を覚えました。身体ががくがく勝手に震えて、何度も何度も苦しいほど感じて。

『これがセックスの快感というものなのか』と初めてわかったんです。もう離れられないと思いました。抱かれるたびもっと感じて、もっと好きになっていく。これが本当の恋なんだと信じたんです」

・激しい恋に生きた三十代

上司が会社からの自宅に帰るときに立ち寄れるよう、ちょうど乗り換えに当たる駅の近くに部屋を借りた。週に数度は、雅子さんの部屋で愛を交わした。

「どんどん快感が深まっていくんです。いつまでも体の中に残るような深さ。幸せでした。もちろんいいことをしているとは思っていなかったけど、彼が好きでたまらなかった。

ただ、私は彼を部屋に泊めませんでした。それが私のせめてもの倫理観というか‥‥。
仕事もそれまで以上にがんばりました」

 ・恋の魔法から覚めてみると

彼に抱かれても、雅子さんはほとんど感じなくなった。それを彼も察してか、あまり連絡してこなくなっていく。

・ ひとりきりで老いる怖さ

 もちろん、雅子さんはわかっている。彼の傍にずっといたのは自分で決めたこと。責任も自分にある。それでもあえて、別の道に思いを馳(は)せるのは、自分の人生に対する後悔の深さゆえだろう。

 四十代で再婚し、穏やかな生活を送っている女友達が言ったことがある。「女として見てほしいと焦らなくなった。一緒に年を取っていける人がいることで、年齢を重ねることも怖くなくなった」と。

 私はそれを聞いて、心から羨ましいと思った。ともに生活するということは、ともに年をとっていけるということなのだ。

恋愛ではそうはいかない。互いに異性として見る目が厳しいから。若いときはそれでもいい、だが、人間、だんだん気弱になり、突っ張り続けていられなくなっていく。

生活苦から身を墜とした二児の母、ふと甦る苦き過去

・「二万円でどう?」
・女という性を憎みながら

 好きでもない男と寝て、その代償にお金を貰う。いけないことだと分かっていながら、彼女は彼についていった。
「いろんな人がいましたね。出会い系で知り合い、話をするだけでいいという人もいましたし、七十代の男性で、『アソコをずっとしゃぶっていてほしい』という人もいました。勃起しませんでしたけど、帰りに五万円もくれました。

誰も彼も寂しいんだなと思うと、私も生きていてもいいのかなという気持ちになったのを覚えています。もちろんやめたい思いはあったけど、人間、堕(お)ちてしまうと、その場所に慣れるものなんですよ」

危ない目にも遭ったことも、数知れずある。
「帰りに急にすごまれて、お金が貰えなかったこともあります。待ち合わせてホテルに行き、密室に入った途端、包丁を突き付けられたことも。縛るのが趣味という人に縛られたまま犯されたり、いきなりアナルセックスをされたり。多くの人はノーマルでしたけど‥‥。

ただ、どんなひどいセックスでも、時と場合によっては感じてしまうこともあって、それがとにかく哀しかった。女という性を憎みましたね。三年も続けているうちに、身も心もぼろぼろになってしまいました」

・彼に体が反応しない
・消せない過去の迷い道

第三章

ピンバラ友だちの浮気を密告したセックスレス妻のほの暗い嫉妬心

 最近、「女として下降線をたどっている」という気持ちが強まるにつれ、妙に自意識が高まってきたような気がする。不安の裏返しなのだろうか。若く見られたいが若作りはしたくない。

物欲しそう、さもしく思われたくないのに、女として見られたい、誰かに愛されたいあまり、自意識過剰になって、結局、内にこもっていく。相反する気持ち、欲望と理性が常に心の中で戦っている状態だ。
乳母で教育係で家政婦
「身近な人間である夫に、『お前を女として見られないんだよ』と言われたときのショック、想像がつきますか?」
ケンカした勢いで、と言うことならまだわかるけど、淡々とした言い方だったので、よけい傷ついたんです。その一言があってから、夜の生活は一切なくなりました。
更年期“女の致命傷”に塩を塗られ
 三年ほど前の真冬にある日、職場でひどいホットフラッシュに見舞われた。ついに来たか、とは思ったが、その時は何故か、夫への恨みが心の中に湧いてきた。

「更年期症状は誰にも現れるのかもしれないけど、夫が私を愛してくれないから、こんなひどい目に遭うんだと思ってしまったのです。もちろん冷静に考えてみればそんなことは関係ない。

だけど、十年以上セックスをしていない、男性に触れられていないということが、女の致命傷のような気がして‥‥。そこへ更年期がやってくると、私としては最後通牒を突き付けられているとしか思えなかった」
 ホットフラッシュは今でも断続的にある。不眠もひどく、食欲のある時とないときが交互に訪れる。病院に行くつもりはなかったのだが、一年ほど前、パート仲間に勧められて更年期外来を訪ね、症状は少しずつ落ち着いてきているという。

・天誅(てんちゅう)を加える必要を感じた
・哀しく捻じ曲げられた心
・卑屈な夫と恐妻家の恋人、不倫がばれてひとりぽっちの私

「愛された」というのは、おそらく人間の根源的欲求なのだと思う。だが、大人になってからそれを重視しすぎると欲求や不満に陥る危険性が高いことを、私は今までの恋愛の失敗から学んだ。だから、「恋愛は愛されるより愛する方が重要だ」

と声高に叫んでもいた。それでも、心身ともに衰えを感じる日々の中、「愛されたい」と願う女性たちの気持ちが身に染みてわかるようになってきた。

・ コンプレックス夫の凌辱

「既婚者の恋愛っていろいろな意味で五分五分だと思っていたけど、やっぱりそうではありませんね。認めることが出来ないんです。だから苦しい」

・ 「ここで土下座しなさいよ」

 そんな結婚生活の中で、真理さんは恋に落ちた。七年前のことだ。

・愛されていなかった私
・気持ちの「点」と「線」
・不倫の愛を貫いて結婚、だが病後、別の女の影が…‥

 この春のこと、ある日突然、左の乳房の奥に違和感を覚えた。浮遊物がときどき動くかのような、未知の感覚だ。ちょうど乳癌の検査を受けようと思っていたので、すぐにクリニックに予約を取った。

・ずるさも含めて好きに
・「ひとりで産むから別れて」
・ いざというときに逃げる男

 しかし、浮気癖のある男というのは、同じ場所、同じ女性に居着けないものだろうか。四年ほど経つと、夫婦生活も間遠くなっていく。

「私は一週間くらいセックスをしないと、イライラしてくるんです。でも、ちょうどそのころ夫が部署を異動して、ストレスもあったようだから私も我慢していました。
それでも限界を感じて、すり寄っていくと、彼は『疲れているんだよ』と背を向ける。『あなたが後悔しないといいけれど』という彼の奥さんからの手紙が思い出されました。

「天罰」などないはずなのに

 今から半年前、彼女に追い打ちをかけるようなできごとが起こった。夫の浮気が発覚したのだ。大ゲンカのあげく、彼は出て行ってしまう。

第四章

ピンバラ 近所の人妻の虜となった夫、私は”性の劣等生”に苛まれて


仕事と実益を兼ねて、「お見合いパーティー」潜入してみようかと思ったことがある。調べてみると、多くの年齢で区切られており、なぜか、女性の「四十七歳から五十四歳」がすっぽり抜け落ちていることに気づいた。

五十五歳からは「シニア部門」としてまた求められるようになる。いわゆる「更年期年齢」の女性だけが対象外なのだ。

 年なんて気にする必要はないと世間では言われているが、実際にはこうやって差別しているのだから、更年期の年齢の私たちが落ち込むのもやむを得ないのではないだろうか。

・男性として魅力があるとは
・グロスたっぷりの唇が‥‥
・「おまえが拒み続けるから」
・私が知らない快楽を知る女
・介護バトルの末、夫を見限り、縋る五十代にして初めての恋
・母を引き取ることを拒まれ

「私も夫婦は他人だと、結婚生活の折々に感じさせられてきました。他人に気遣いせず、お互いに嫌なところばかり見せあってしまう。だからだんだん愛情も薄れてくる。私の場合は、もう夫には関心がありません。寂しいけど、それが正直な気持ちです」
 何かも私に押し付けるな
 二年後、今度は夫の父親が亡くなる。ひとりになった自分の母を、夫はすぐに引きとると宣言した。

・家庭に絶望する男と女
・自分が生きてきた証を求めて
・姑。浮気。DV、借金――三人の夫が去った

 かつて「人生五十年」と言われた時代があった。今は人生八十年。ひたすら老いに向かう残り三十年をどうやって過ごそうかと考えると、居ても立っても居られないような不安に駆られることがある。

・「子どもを売って」離婚をし
・DV夫との怒涛の日々
・四十四歳、女ひとりでの再出発
・なぜ誰にも愛されないの!?

 更年期に入っても、それほどひどい症状には悩まされなかった。一年ほど肩こりと頭痛が辛かったくらい。生理もすっかり止まった。それでも決して枯れてしまったわけではない。
今も、誰かと一つのベッドで愛されたいという思いが募ることもあるという。

第五章

ピンバラ 夫に連れていかれた性のけもの道で体験した不安と恍惚

  いくつになっても「意外なこと」はあるものだと思う。ある日突然、それまで嫌悪してきたことを目の前に突き付けられて「受け入れる以外、選択肢はない」と感じたり、自分には無理だと思っていたことができるようになってしまったり…。

嗜好(しこう)から信条に至るまで、さまざまな点で、人間は年齢も善悪も関係なく、時として変化することがあるようになった。

・机の引き出しの中の淫靡な写真

「私が受け入れないと、夫は浮気をし続ける。夫が浮気をしないようにするには、私は言うことを聞くしかないのです」
四十代になってから、夫との夜の生活は間遠くなっていた。せいぜい年に数回、それも夫が強引に誘ってきたときだけ。夫以外の男性を知らないためか、セックスの不満もなければ期待もなかった。「めくるめく快感」は、別の世界の出来事と思っていたし、憧れを抱いたこともないという。

・倒錯の世界へ連れて行かれ
・とどまらぬ夫のたくらみ
・オーガズムと不安の狭間
・救いなき家庭生活は”できちゃった結婚”から始まった

 二十代のころは、「後悔しないように生きたい」と考えていた。
 だが、最近は「どう生きても後悔するものかもしれない」と思うようになっている。

 恋愛、結婚、仕事、出産、離婚など、女性には人生を左右する出来事がたくさんあり、その選択も自由だ。先を見ずに、ただ「今さえよければ」と直感で選択するといつか後悔するかもしれない。

・とにかく女だらしない夫
・帰る場所がないゆえに
・「がんばりすぎたんですね」
・不安が昂じるばかり

「夫はそうやっていつも事なかれ主義、家族の問題にも、自分はかかわりたくないのでしょう。そして、最後には開き直れば私が黙るとわかっている――。夫婦関係を構築することに失敗したのだと思います。生理が完全に止まって一年。めまいや頭痛、そして全身の倦怠感は今も続いています。

・絶望の淵の私を救った”ある仕事”―その快感と高い代償

 以前、四十代のAV女優を取材したとき、「この世界、女性は百歳まで募集があるんですよ」と聞いて驚いたことがある。それなりに需要があるからだという。その後、私は「六十歳になったらデビューした」と祝いで友人に笑われた。

・人生観が変わる紹介先
・自分が壊れていく
・「最近、生き生きしてるね」
・みんな孤独なんだな

 行くも帰るも地獄、燃えさかる不倫愛は十年で突然幕を閉じ

婚外恋愛、いわゆる不倫の恋をして男女から、「いつかは別れるしかないのかもしれない」と嘆く声をよく聞く。別れるか、それぞれ離婚したあとに再婚するか。

その二つしか選択肢がないように思われているが、誤解を恐れずに言えば、「不倫のまま続ける」という道もある。茨(いばら)の道であろうけれど。

 ・十三年前の忘れ物

「いつかは別れることになるかもしれない。いつもそれが頭にありました。ただ、こんな別れが来るとは予想もしていなかった‥‥」

・「子供が成人したら」

 行くも地獄、帰るも地獄。不倫の恋はそういうものだろう。彼にも家庭があり、ひとり娘はその当時、八歳だった。
 再び音信不通になった
一ヶ月後に、学生時代の友達から連絡があった。
「なんと彼、亡くなっていたんです」

 お祝いしよう、と言った数日後、彼は心臓麻痺で急死していた。あまりに急で、昔の友人たちまで連絡が行き渡らなかった。
彼は本気だったのか?

第六章

ピンバラ  六十九歳の母は今も女全開、娘の私は反発心から男を忌避し

 いくつになっても母親と娘のあいだには、さまざまな葛藤がある。反発しながらも母親と似たような人生を歩んでしまう人もいれば、正反対な生き方を貫く人もいる。

 女性は大人になる過程で、母親が自分を「娘」としてだけでなく、「女性としての後輩」と見ていることに気付く瞬間があるように思う。

だが娘の方は、母をいつまでも「母」としてしか見ようとしない。だから、”女としての”母を見たとき、自分の生き方に大きな影響が出てしまうのは、仕方のないことかもしれない。

 ・「仕事だけの人生」の理由

 友人で独身の渡辺優香さん(四十四歳)が体調を崩したのは、一年半ほど前のこと。生理周期が乱れ、めまいや頭痛がひどい。内科で検査をしても原因がわからず、産婦人科で初めて、女性ホルモンの量が激減していると知らされた。

「まだ本格的な更年期には少し早いけど、プレ更年期と言えるでしょうって言われた」
 同じ淫乱の血がと思うと 

・私には快感が必要だった

 今回の取材は、優香さんから「母が大変なことをしでかした」と聞いたことがきっかけだ。
「このところ、母は十歳年下の家庭持ちの男性と付き合っていたんだけど、つい一週間ほど前、奥さんが夜中に家に乗り込んできたんだって。ちょうどその彼が泊まっていたので、修羅場になってしまったの。
制限時間があるなかで

・ 恋か情か――、五十歳目前の私は今、元夫の愛人になりはて

 いくつになって「安定した生活」を送るのは難しいと、最近つくづく思う。六十五歳で離婚した女性、八十歳になってから家族から逃げ出さなければならなくなり、ひとり暮らしを始める女性‥‥。

このところ、そういった話を立て続けに聞き、「生々流転」という言葉を想った。
誰もが一人きりでは生きていけない。だが、人間をとりまく状況や関係性は刻々と変化してしまう。誰もがそれを頭ではわかっているのだが、この不安定な状況を受け入れるのは難しい。

・ふたりで生きよう
・「私、元夫の愛人なんです」
・「産める女が好きなのよ」
・不意に訪ねてきた元夫
・この快感を失いたくない

 嫌いで別れたわけではない。昇平さんが真澄さんの得意料理に舌鼓を打つようになるまで、それほど時間はかからなかった。
十六歳年上に嫁ぎ四十代で開かれた性の扉は、三年で閉じた
 人生、最終的にはプラスマイナスゼロだと言う。禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し。幸不幸は繰り返しやってくるのだ。そして人は誰もが死んでいく。最近の私は、そんなふうに妙に達観することもある。

・母とふたりで生きてきた
・父のように甘えられる人

 その会で知り合ったのが、十六歳年上、当時六十歳間近だった敏夫さんだ。

・体の奥底の火種が
・「本気で愛された」実感

第七章

ピンバラ リストラがきっかけで夫が豹変、家庭は荒れ、私は逃げて


 夫婦といえども元はといえば他人。問題がないときは、お互い穏やかな気持ちで生活していけるが、何か事が起こると、今までの関係の真価が問われてしまう。そこで壊れていく夫婦も少なくない。

 理想的に家族を得た

「夫といても孤独。かといって別れたら私の心は壊れてしまいそう‥‥」
セックスが抜け落ちた

・「女ってあさましい」
・先がない恋とわかりつつ

 裏切りで染まった愛の彷徨三十年、私は何を手にできたか
「四十にして惑わず」と孔子は言った。だが私は、五十歳になってもまだ迷っている。友人知人たちも似たような状況だ。最後まで迷い続けるのが人生なのかもしれないと近頃は思うようになった。
 私たちは母親世代と違って諦めが悪い。常に何かに飢え、何かを求め続けていくしかない定めにあるのだろう。

・「おまえはいつも完璧」

ひっそりとこじれていく
「二年ほどが経つうちに、そんな状態に耐えられなくなって。夫も相手の女性も憎い。でも夫のことは好き。いっそ私も浮気をしてやろう、夫をこれ以上に組まないためにはそれしかないと思い詰めた。
その晩、六年ぶりくらいに夫に抱かれたんですが、私、全然感じなくて‥‥。まったく濡れなかったので、夫も焦って、最後は無理やりねじ込んできた。それがまた何とも言えずかなしくてたまりませんでした」

 気持ちは夫から離れていなかったはずなのに、体が言うことをきかない。ときとして、体は心より正直な反応を示すことがあるのだ。

・人知れず逢瀬を重ねて
・それでも生きている

第八章

ピンバラ 一年に及ぶ離婚闘争劇、屈辱にまみれた私は決断できなくて

 最初に「理不尽」を感じたのは何時だったろう。小さい時、父にご飯をよそったら突き返された(意味が解らなかったが)とか、幼稚園の友達に親切にしたつもりが悪口を言われたとか。いずれにしても、「気持ちというものは自分の負ったように伝わらないとは限らない」

・「オレを助けると思って」
・殺してやる。そう思った。
・添い遂げると決めたから
・法律では解決できない

「捨てられる自分、というのに耐えられないのかもしれない」
 DV夫との十年にわたる修羅場から解放されて得た新生活
 人生はいくつになってもやり直しがきくと言われることが多い。確かに見切りをつけるなら、早い方がいいのかもしれないと思う。我慢していれば、いい結果が待っているわけではないのだから。それに、人生でいちばん若いのは「今日」なのだから。

・大人になりきれない夫

「別れた方がいいんじゃないか、別れようか、別れたいと気持ちが変化していって、それでも別れるまで十年近くかかりました」
母である前に、私には女でいてほしかったのでしょう。でもそれは、夫の弱さでもある。この人は大人になりきれない、私に依存したがっているだけだとようやく気付いたのは、結婚して十年ほど経った頃でした」

・「誰かと寝てきたのか?」
・子供たちは家に残った
・女であることを実感して

第九章

ピンバラ多忙な主婦が五十歳になって知った、淫欲と愛情の快楽地獄

正直言って、私は結婚している人が羨ましい。夫がいて子供がいて、なんだかいだと言いながら、いつでも明かりがついている家に帰り、「今日は暑かったね」と言えば「そうだね」と応えてくれる人がいるような生活こそが、「人としての幸せ」につながるのではないかとか思う。

だが、なぜ人は、いつでもないものねだりする。自分が今、何を得ているのか、そして近くて親しい人に何を求めているのかが見えなくなってしまう。きっと、もともとは「そばにいてくれさえすればいいと」と思って結婚したはずなのに。

・ “妻孝行”な夫がいるのだが

「毎日がとっても忙しいんですよ。私、それなのに付き合っている男性がふたりもいる。忙しいならそんなことをしなければいいのに‥‥。人に、あるいは自分の人生に何かを求めているのか、自分でもわからなくなって」

 いくつになっても夢を抱くのは素敵なことだ、常に向上心を持つべきだと、我々世代は植え付けられてきた。その結果、半世紀も生きてきて、まだ気持ちが落ち着かずに迷い惑っている。それがいいことなのか悪いことかはわからないけど。

・淫らなおんなになりたい
・「一度でいいから抱いて」
・引き裂かれる自分

 恋愛依存体質の女性が歩んだ過酷な半生と絶望感
 結婚していても恋愛を辞められない女性がいる。バブル世代と呼ばれる私たちが若かったころ、恋愛はすでに「女を磨くことのひとつ」だった。

恋愛至上主義、恋愛体質でいることがよしとされていたのだ。その結果、恋愛に依存せざるを得ない女性たちも生まれてしまったように思う。

・ 駆け落ち失敗。DV離婚、できちゃった婚

「好き勝手なことをやってきたツケが回ってきたような気がすてならないんです」
 石垣茉莉菜さん(五十三歳)は極細のタバコを手に、紫煙をくゆらせながら、自分の半生を振り返ってそう言った。

・七歳になったばかりの息子が

白血病発症しあっという間に亡くなった。

・愛されていると実感した日に
・ 時間だけが過ぎていく
・半世紀生きてきて、ここからもう一度‥‥

 一年半苦しめられた左の五十肩から、ようやく解放された。と思ったら、すぐに右肩がきしむようになってきている。

左肩のときは、トイレに行って下着も上げられなかったり、洋服を買いに行って試着室で身動きもできなくなったりと、情けないこと続きだった。またあの状況が復活するのかと思うと、もはや笑うしかない。

 ついでに膝の関節も動きがスムーズではなく、ごきごきと音がする。老いは急速に近づいていると実感する日々だ。

 ・ぼろぼろになった更年期

「私はもうこの一年、まったく生理が来ないのよ」
 彼女は結婚後もずっと、とある団体の職員として仕事を続けてきたのだが、更年期症状がひどかった時期は三ヶ月ほど仕事を休んだこともあったそうだ。

「肩こり、頭痛、めまい。そして蕁麻疹(じんましん)。関節痛もひどかった。もちろん気分も鬱状態で、しょっちゅう意味もなく泣いてばかり。夫に当たり散らかして、彼も理解できないせいで不機嫌になって、家庭内も最悪。離婚寸前までいったのよ」
子育ても家事も、夫と協力し合ってやってきた。夫とは三十代半ばからほとんど夫婦生活がないが、自分もセックスなんて面倒で嫌いだったから、かえって好都合だった。
「病院にも通ったけど、対処療法しかできない。ホルモン療法もしたの。でも私には合わなくて、よけい調子が悪くなるばかり。ひとつひとつはたいしたことはないのよ。だけど体のありとあらゆるところが不調で、何もやる気が起こらない。

 ・ワンピースを買ってみたら

 私は五十肩があまりひどくなったとは、病院に行った。そのとき医師は「簡単に言うと、加齢によって関節の潤滑油みたいなものが減ってくるのです。それを脳が認識し、体が『少なくなった潤滑油でやっていこう』と思えるまでに時間がかかるということです」と説明してくれた。

 目安は一年。それは治るのではなく、脳が認識して体が慣れのまでの時間だそうだ。脳って賢そうで、意外と順応性がないんだと、私はおかしくなった。
「シミもシワも前からあったのよ、きっと。だけど自分が気にしていなかっただけ。更年期を迎えて初めて、私は女だったんだと強烈に意識したんでしょうね。ただでさえ、自分をいつくしんでこなかったから、急に女というライセンスを奪われるような気分になって、無駄な抵抗をしたのかもしれない」

 ・今どきの五十歳は魅力的

「八ヶ月ほど前、ひさしぶりに中学時代の同窓会があったの。体も心も本調子でなかったけれど、気分転換に出席してみようという気になった。同い年の人たちが、身近になった老いに対してどうやって立ち向かっているのか、話してみたかったし」

・誰とも比べられない人生
・ あとがき

「長年の不倫が終わった。しかも彼からのメール一本で」
「子どもが成長し、夫婦はセックスレス。恋だけが自分を生きる証だったのに、それを失い、どうしたらいいかわからない」

「恋をなくしたとたん、体調不良になった。更年期だと思う。もう誰も私を愛してくれない。余りの孤独に押しぶれそうです」

 彼女たちの孤独感に、私の心が反応した。恋を失った寂しさなら若いときだって経験しているはず。それなのに、この年代になるとそれがもっと切実な孤独感へと発展してしまう。

その深いつらさは、もうすでに忍び寄ってきている「老い」と関係があるのかもしれない。

もう誰をも愛せないのではないか。そして誰からも愛されないのではないか。もっといえば、男性に性愛の対象として見られなくなっていく不安と焦燥感があるのではないか。それは私が抱えているものとぴったりと一致した。

気になる人たちを訪ね歩いて話を聞き、それをまとめて『婦人公論』二〇〇九年七月二十二日号から二〇一〇年八月七日号に連載させていただき、単行本化にあたりさらに新たに書き下ろしたものを一遍加えた。

誰もが過去を悔いを残しながら惑い、将来に不安を抱いて悩んでいる。どんな人生であれ、「あのとき、こうしていたら」と思うのが、この年代の特徴なのかもしれない。

 たくさんの人の話を聞いていくうち、最初は彼女たちと同化して一緒に落ち込んでいた私の気持ちが、少しずつ前向きになっていった。気づくと、彼女たちの人生を肯定して励ましている。それはおそらく、私自身も自分の過去を、そして現在を肯定したがっているからだろう。

 人は選ばなかった道に悔いを残す。後悔しない人生なんてないのかもしれない。
 老いはひたひたと近づいてきている。更年期はそのとば口かもしれない。老いにどこまで抗い。どこまで受け入れて行けばいいのか、私にはまだわからない。

 老いたから恋はもう自分に降りかかってこないとあきらめる必要もないのだろう。
 連載中に私は、大台の五十歳になった。半世紀も生きてきたことになる。自分に人生に自信ももてないけど、どうせ新たな十年を過ごすなら「もう一花咲かせてやろうじゃないか」と言う気持ちがわいてきた。
 二〇一〇年十一月  亀山早苗トップ戻る

本表紙 沖藤典子著

プロローグ

幸せな再婚は、人生を確信させる。
よしんば、前の結婚が悲しいものにあっにせよ、
再婚によって幸福をえた人々にとっては、
それもまた、
現在に至るためのプログラムでもあった。
その意味で幸せな再婚は、
過去を救うものかもしれない。
赤バラ第一再婚は、新しい時代を迎えたのだろうか。
結婚の常識なんて
1 ささやかな忘年会 ――その人は、最初の結婚――
 京王プラザホテル地階居酒屋――。

 その夜、五人の女たちが集まった。
 何かを語ろうという特別の目的があったわけではない。この再婚の取材を通して友達になった者同士、おいしいものでも食べようという程度の、ささやかな集まりだった。
 
 その顔触れには、興味を誘うものがある。
 離婚した再婚した女が二人、離婚したあと結婚なんてまっぴらだと思っている女が一人、何というべきか、あえていえば、だらだらと初婚生活を続けている女が二人。この五人が一堂に会しておしゃべりをしようという計画は、とても刺激的だった。再婚した理由、しない理由、別れる理由、別れない理由、再婚とは何だ?

赤バラ愛さずにはいきられない

婿養子にして家業を継がせる。これが親の希望だ。恋愛した相手に今の職業を変え、姓を変えてほしいとは、切り出せない。そうこうしているうちに、気持ちが醒めていく。失恋したという自覚もなく、男を振ったとする気持ちもないままに自然に別れてしまう、これが彼女の二〇代だった。田舎のこととて、結婚相手になる若い男だって、そう多くない

赤バラ第3 愛情の引き出し

 大谷さんの場合は、夫の結核と賭け事(もう一つ、女)→賭け事や事業の失敗で一千万円以上の借金→妻が働きに出る→好きな男性と出会う→離婚、という流れになる。

 彼女は音の借金を取り立てにきた人達にいったそうだ。私が働いて、責任を持って返しますと。病気の夫の看病をしながら、自営業を手伝い、夜働きに出た。

「だから皮肉な結果なんです。借金がなければ働きに出なかったかもしれないですものね。外を見るチャンスなんて、全くなかったから、一〇年ぶりに外を見たことで、私にも私の人生があるんじゃないかって、思い出したんです。こんなもんだと思って生きて来たのが、これでいいのだろうかと思うようになったんです」

赤バラ第4 正しいボタンの位置

 一般に男の離婚といえば、結婚したい女が別にいたという気なしが浮かぶ。離婚は男の得手勝手。古女房に飽きたので新しい女が欲しい。男の再婚には、そんな不義の匂いがある‥‥。しかし、彼の場合は違った。話題になった有責配偶者からの離婚請求ではなかった。

「その点はお互い誠実なものでしたよ。家内だってなかったと思います。彼女はぼくがパートナーでなきゃいい女房だったでしょう。社交的で明るくて、おしゃべりが好きで、八百屋のおかみさんにでもなっていたら、最高だったんじゃないかな」

 八百屋さんは怒るかもしれないが、彼はそう言った。彼は若い頃、妻のお喋りがもとで社宅に居られなくなり、転職したこともあるという。亭主の足を引っ張ると、彼は何回もいった。恋愛結婚だったが、いいところだけ見て、悪いところを見なかった。以来、パートナーをも違えたと思い続けていたという。

「シャツのボタンを掛け違えてしまったという。その違和感はずっとありましたね」
 掛け違えてしまったボタンをかけ直したい、それには全部一度外してしまおう、彼はじっくりと計画を練っていたのだった。

 そこまでして手に入れた離婚。財産と引き換えの自由があったけれど、やっぱり離婚してみると、衝撃は大きかった。何もかも虚しくなって、生きる張りを失った。

 赤バラ第52章 “かすがい”の価値

血よりも濃い関係
“まま母”、この言葉ほど、私を傷つけた言葉はない。白雪姫にしろシンデレラにしろ、まま母は意地が悪く、最後に復讐される存在だ。なさぬ仲の母娘の関係を、これほどの偏見の目をもって、幼い子供の魂に焼き付け、差別を再生産していた童話ではないのだろうか。

 後妻、後添え、まま母、これらの再婚関連の言葉は、その状況にある女を一段と貶(おとし)めるものとして、広く人々の口にのぼってきた、後妻。後添え、まま母は、世間では肩身が狭く、控え目に生きなければならなかった。

赤バラ 第六 新しい命の意味

母親にたっぷり愛されて、いい思い出をたくさん持つ子は、母親の思い出のない子よりも、精神的に優位に立つものがあるらしいということである。

母のない子の辛さは、ここにあるように思う。それだけ考えたって、彼らが私に会いたいはずはなかった。なつかしいと思うのは私の一方的な感情であり、彼らにしてみれば、私は十分に”罪のある子”なのだった。

赤バラ 第七 義理家族の知恵 ――再婚十カ条と財産・年金――

義理家族のためのガイドライン、再婚十か条というものを不完全ではあるだろうけど、参考までにまとめてみた。

第一条 子供に対してきちんと説明すること。
 なぜ再婚するのか、愛し合っているから一緒に暮らすのだと話す。男性のなかにはテレて、メシ炊きが必要だからと言ったりする人もいるが、そういう言い方はあとになって問題を起こす。
新しい母親あるいは父親の必要性を明確に。新しい親の存在証明を。

第二条 子供への愛情の確認。
 子供への愛情にゆるぎないことを、繰り返し繰り返し話して聞かせる。子供なりに不安な状況にいるのだから、安心させることが必要だ。また、子供の心の中にある”本当の母(父)さん”への追慕の気持ちを認めること。その上で、母(父)が二人いるのは運のいい子だと思ってもらう。だから、実父母の悪口は絶対に言ってはならない。

第三条 育ての親とは、ひとつのビジネスだと割り切ること。
 無理な愛情を発散させるのは禁物。夫への協力の一部である。義務だと思うと気が重くなるし、育ててやっていると思うと傲慢になる。本来なら相手がやるべきことだけれど、相手ができないから代わりにやっている。それに対する代価をもらうのだと思い定める。

実の子のいる人で、自分の子に一銭でも多くの財産をと、夫に迫ったりする人もいるけれど、自分だって夫からの協力の一部で生きてきた。自分の心の中で差引の勘定をきちんとする。ビジネスといえば冷たく聞こえるが、不公平なくし、自分の欲を整理して、冷静に現実を見るための心の準備が必要だということである。

第四条 大きくなった前妻の子供とのつき合いはクールに。
 トラブルの多くは、向こうからの挑発であることを知るべし。挑発には乗らないこと、多いのが、借金の申し込み。まず、返してもらえないと覚悟する。子供たちの意識には、この生活はお父さんの稼ぎのお蔭だとするものがある。

だから借りても返さなくても当然。そこには意識しなくとも、夫婦の財産を減らしてやろうとする悪意が潜んでいるかもしれない。

このとき、周囲の友人たちの拡大解釈にも注意する必要がある。ふんだくろうとしているのよ、などと言われても、うのみにしない。

 呼び名にこだわらないこと。おばさんでも、〇子さんでも、気にしない。また、小さな子ならともかく、大きくなった義理の子は、絶対に呼び捨てにしないこと。他人であることを忘れてはいけない。

第五条 親戚とのつき合いの範囲を決める。
 姑のなかには、ことごとく前の嫁と比較して、それを新しい妻の耳に入れることを趣味とする人もいる、すべてを聞き流す。

 どういう範囲の親戚と、どういうとき、どういうつき合いをするか、話し合うこと、ここで一番きちんとしなければならないのは、後妻は前妻の代用品でないということ。前の妻がしていたと言われても困る。

 孫との付き合い方も、拒否すべきは拒否、妥協すべきは妥協と、態度をはっきりさせる。この親戚とは関係においては、良くても悪くても後妻は損な役回りだとハラを据えることも大事だ。

 義理の娘の結婚のお支度に大金をかけた人がいる。評価は二つに分かれた。「本当の親なら、こんなにお金はかけなかった。後妻の心意気」と誉めた親戚と、「今どき、こんなもの、着もしないのに。まま母だからミエ張って」とくさした親戚。後妻とはこういうものだと何をいわれても意に介さないこと。

第六条 何かあったとき、必ず”前の妻”が顔を出すと覚悟すること
 夫が急病のとき、危篤のとき、亡くなったとき、前の妻に知らせるかどうか、知らせなくても来たときはどうするか、前もってシナリオを作っておく。必ず現れるのは子供である。

夫の病室で前の妻の子供たちに会ったという話は、たくさんある。そのとき初めて、ああ私は再婚だっただと実感する人も多い、だれとだれに連絡するか、連絡先など知っておいたほうがいい。

初めての親の過去というものに触れる子もいるだろうが、自信をもって、正直に話す。嫌なことも耳に入るだろうが、冷静に受け止めることが大切だ。

第七条 再婚は、助け合うことの契約である。
 恋愛であろうと見合いであろうと、再婚の基本は、助け合い。お互いにメリットがあるとはっきりさせておく。

大川さんの場合は、自分の蓄えあり収入もあり、経済的メリットは少なかったが、愛情のある生活ができた。珍しいもの見、楽しい毎日があった。入院したときも、ぜいたくな入院生活で、これも「夫の地位のお蔭」と思ったという。どっとくるお中元やお歳暮に目を丸くし、思い出深い日々であった。

夫の方も、生活の細々としたところでの女手というのはありがたかったはずだ。医者に半年と言われた命を二年延ばせたのも、彼女の献身的な看護のお蔭だった。

愛情から出発したものであっても、再婚の目的は助け合いである。ここが初婚と大きく違うところで、再婚には初婚の一〇倍の努力がいる。お互いに。

第八条 財産管理をお互いに明確にすること。
 再婚のときに、報告し合って記録しておくこと。これは相手ばかりでなく、自分のほうも万一のことを考えて、こうしてほしいと書いておく。彼女も、「あの、まことに聞きにくいことですが、財産はどのくらい‥‥」と聞き、彼の方も、「あの、まことに聞きにくいことですが」と、報告し合ったという。

「再婚は、お金目当てだとよく言われますよね。だからと言うわけじゃないけど、お金はないよりもあった方がいい。これはどんな結婚でも同じです。お金は大事だと、しっかり肝に銘じた方がいいですよ。それが自然な人情というものですもの」

 家族関係の複雑さをこなしていくためにも、お金は必要だ。気持ちはあっても、形に現せるものがないとうまくいかない。

 とくに必要なのは、再婚後に得た財産を明確にしておくこと。離婚などいったん精算した場合は別として、死別の場合揉めるのは遺産相続。それ故に、再婚前、再婚後の金銭管理の明朗さは大切である。遺言を書く場合は慎重に。

 今後、経済力のある女性が増えるにつれて、新しい母と養子縁組すれば、後妻が先妻の子にお金を残すこともあり得る。その覚悟も必要である。

赤バラ第九条 遺産相続が発生したとき、ためらいなく公的機関を利用すること。
 再婚で一番揉めるのが、この相続である。子供が再婚に反対するのもこれ。後妻が金目当て、欲があると言われるのもこれ。家庭裁判所や弁護士を利用することで、余計な気苦労やトラブルが防止できる。

赤バラ第十条 再婚であることを正々堂々と。
 どんな家庭にだって波風はあるもの。再婚だって同じ。子供を叱るときも自信をもって。世間に対しても、親戚に対しても、強く出ること。嫌味や妬みは、再婚の幸せにくっつくおまけだと、割り切る。遺伝子を越えた自覚的愛情ほど尊いものはない。自信をもって行動している人には、陰口も消えていく。

 赤バラ第八 戸籍は語らず

何も疑わずに本当の母親だとばかり思っていた人とは別に、じつの母親がいると知った時、その子はどんな衝撃を受けるのだろう。安手の小説などは、疑い深くなり、無口になり、孤独を好むようになると書いてあるけど、本当のところはどうなんだろう。
 私が初めて自分の戸籍謄本を見たのは、三十七歳、父が亡くなったときだった。そこで私は、なんと母の実の子供になっていない事を初めて知った。
 戦後、昭和二二年に民法が改正された。このとき戸籍法も改正され、三つの原則が確立された。

○1夫婦同氏一戸籍の原則
○2三代戸籍禁止の原則
○3一夫婦一戸籍の原則

 一番目は、夫婦は同じ姓で同じ戸籍であるべきものというもの。二番目は、三世代の複数の夫婦を含むことを否定したもの。だから結婚の際の「ウチの籍に入れる」などという言葉は、現代では実態のない言葉であり、明治民法のものだ。三番目はそれより一層はっきりさせたもので、結婚した夫婦は、独立して新しい戸籍をつくる。

 しかし、姓の問題は明治のまま残された。夫婦は同じ戸籍をつくる。この夫婦同姓は、これまで述べたように、一〇〇年足らずのものである。それなのに私たちは、昔からそうであったかのように錯覚してしまった。
考えてみれば、源頼朝の妻北条政子は、源政子とはいわない。これは北条家の存在を強調するためではなく、昔は夫婦は別の姓でよかったことを示すものだ。

赤バラ第九今ひとたびの、めぐりあい


四、五〇人の男女が集まっていて、しきりに名簿を眺めている。
 名簿には出席者の番号と氏名。居住の県名と趣味が載っている。男性六二名、女性四九名。後ろのほうに、紹介方法が書いてある。

1、 親睦会に出て相手を探します。
 イ「親睦会」親睦会に出席して多くの方と話し合いその中で自分に合う人を見出すこと。
 ロ「カード閲覧」親睦会で話した方のなかから、三名までカード閲覧の申し込みができます。
 ハ「一名申し込み」閲覧の結果一名を選び、正式見合いを申し込みができます。
 ニ「相手に連絡」申し込まれた場合事務局より相手の方に連絡し、意思を確認します。
 ホ「申込者連絡」相手の結果を申込み者に、事務局より連絡します。
 ヘ「正式見合い」双方日時を調整し、事務局にて改めて正式見合いをします。 

赤バラ第十 羽かろき通い路

親に認められなかった結婚。五十四歳の娘の再婚におびえた七八歳の母。母親とは、いつもいつも愛を持って娘の幸せを願うとは限らないのだ。それを親のエゴイズムというのか、老いの無残というべきか、私は言葉にならない衝撃で沈黙する。

子供に縋らないで老いの自立を全うするには、何が必要なのだろう。親はどう生きればいいのだろう。親を愛しているがゆえに、男を愛してしまったゆえに、身も心も二つに分かれて、その結果の通い婚だった。
 それにしても、彼女は自活できる十分な収入がありながら、それでもやっぱり結婚というこの煩わしさを伴う関係に入りたかったのだろうか。母親の反対を押し切ってまで。それが私の質問になった。

 赤バラ第十一 めぐりあいて、人生のとき

高原誠さんに会ったときもショックだったが、何とまあ、上には上が居るものだろう。四五年間の結婚生活を、七二歳で解消したとは。結婚というのは、何年続いたから大丈夫という、そんな目安なんてないものなのだ、結婚四〇年がルビー婚式、五〇年が金婚式。ルビーと金の間で、彼は別れた。

 人生を八〇年時代というのは、こういうことが起こる時代だということか。もしこれが人生を五〇年時代なら、合法的離婚ともいうべき形で、円満にあの世にいったものを。高齢化社会は、離婚をも高齢化させた。

「結婚四五年も経って、何が起こったんでしょうか」

 明治四四年生まれの男は二七歳で結婚して、その三五日目には兵隊に取られた。あの、二・二六事件のあった翌年だった。捕虜生活二年も含めて一〇年の兵役から帰って来たとき、妻は産褥の床にあった。まさに死の戦場から生還した男にとって、それはあまりにもむごい光景だった。

「あの女も戦争の犠牲者ですよ」
 新婚三五日にして別れた夫、敗戦と同時に行方不明となった夫、そして突然帰って来た夫。そのとき妻の胸には生まれたばかりの赤ん坊が‥‥。

「長い間ご苦労さん、お帰りなさいというのが普通でしょう。それがいえないんだから」
 戦争は、こうした悲劇の種をまいていった。戦後多く語られた悲しい話の一つが。ここにもあった。
 老後の命の質を守るためには、相手あの世に行くまで待てない、こういう時代になったのだろうか。老いたればこそ愛が欲しい、さよならあなた、さよなら君。お互い別の人と、再び愛を始めよう。
 厳しい時代――
 すばらしい時代――
 どちらとも考えられる。中年期を過ぎたら、女も男も離婚を覚悟して生きる。そのことは女と男の関係、とくに家庭内での夫婦のありようを再構築するのに、特効薬となるかもしれない。

 ただひとつ問題なのは、男は中年期過ぎても恋愛のチャンスはあるのに、女にはなかなかないことだ。無限の会でみたように、男は若い女を求め、年取った女が多いとがっかりする。
 茶目っ気たっぷりの、愉快な人は、再婚によって変わったのか、それとも、もともとこういう人だったのか、それはやっぱり分からない。でもとにかくこういう人が四五年間の、ルビー婚式と金婚式との間で離婚したというのは、ショックなのである。第六の衝撃。

 赤バラ第十二 再婚時代 ―女と男の協奏曲―

「再婚の話をしていると、気持ちが華やぐのね」
 これは本当にその通りだ。離婚の話には涙や苦悩がまつわりついていて、その衝撃が大きいだけに、いささか疲れる。だが、幸せな再婚の話は、人が生きることへの熱源体に触れるようで、人生を信じるに足りるものだと思わせてくれる。それが気持ちを明るくする。笑いは、その明るさの申し子だと、私はいった。

エピローグ

「再婚は確実に新しい時代を迎えたと思いましたよ。昔風なイメージでいえば、再婚は生きるために止むを得ないというような不幸の衣をまとっていた。そういう社会の目や世間の口があったと思うの。
ところが現在、再婚は不幸の衣どころか、ある種男の器量、女の器量を証明するものとして、再登場してきた。

あとがき

再婚に対する意識や世間の目も、この半世紀ずいぶんと変わったように思います。夫婦生活六〇年時代は、若き日の決断を一生背負っていくことを難しくしました。結婚の意味や夫婦の向き合い方が、現代ほど問われている時代はないと思います


一九九一年四月、桜満開の日に。 沖藤 典子

女50代、人生本番! 沖藤典子
 はじめに、未来はおもうほど悪くない

五十代は生き方が多様に
あなたは今、どういきていますか。
 子育てが終わって仕事探し、あるいはパートにでたところ、ボランティアや趣味活動に熱中している、親の介護中、働き盛りのキャリアウーマン、婚約中や離婚計画中の人だっているかもしれません。孫が生まれて、命のつながりを感じている人もいるでしょう。

 その一方で、病に苦しんでいる方、親や夫の介護中の方もおられる‥‥。子どもとの関係で悩んでいる人、夫婦のすったもんだを嘆いている人もいるかもしれませんね。さまざまな思いを抱いて今日を生きる、明日へと生きていくことでしょう。
 その人生の花模様は、どれ一つとっても同じではありませんね。

「二十代愛情、三十代葛藤、四十代怒り、五十代あきらめ、六十代感謝」
 五十代になってもあきらめがつかず、六十代になっても怒りが消えていない、こんな私は、感謝の六十代を迎えられるのでしょうか。

更年期障害が少し重かった

人生の中間点で
 人生百年時代がもうそこまできています。五十歳というものは、人生の中間点であり、後半に向けて歩き出す時、人生の交差点でもあります。向かう道筋はさまざま、信号も青や赤が点滅し、しばし行き先を見失うこともあるかもしれません。
「人生は五十代からが本番、人生は後半がおもしろい」
 今にして私は、こう実感しています。

 しかし、そう思えるようになるまでが、大変でした。それというのも、四十代の終わりから五十代にかけての頃は、憂鬱のマントですっぽりと覆われているような状態だったからです。
 なぜそんなに苦しかったかといえば、更年期障害が少し重かったことや、子どもが巣立った後の孤独感、仕事への不安などが主なものでしたが、理由は重層的で複雑に絡み合っていました。
 夫婦関係もよくありませんでした。当時夫は働き盛り、夜遊び盛り、夕飯はいつも一人で食べる生活でした。子ども幼かった頃の喧騒が噓のように寒々とした光景、夕飯になると涙がこぼれてなりません。
 不安で淋しくて、先々が恐ろしく、身体が震えてくるんです。人生はこのまま過ぎていくものか、納得いかないままに老いていくのか、過去にあれこれを思い出しては後悔し、焦燥感ともつかぬ苛立ちともつかぬ、何か不思議なやりきれなさでいっぱいでした。とくに健康不安が大きかったように思います。

♥更年期は葛藤を経て光年期へ

 五十の憂鬱は、更年期とも関係していました。
 しかし、「生理がなくなったら女でなくなる」なんて、露ほどにも思っていませんでした。生理があってもなくても、女という性を背負って生きているという事実に、変わりはないのです。
「女でなくなったら、何になるの?」
 でも、なんという心身の不調。心臓の動悸の激しさで入院しましたが、これは当時処方された薬の副作用で、心臓不調を起こしていたようです。セカンド・オピニオンの先生の指摘通り、その薬を止めて元気になったのですが、そこに至るまでの数年、心身ともに土砂降り状態でした。
不眠や異常な汗かき、底知れない焦燥感。加えて下の娘も姉に続いて海外に留学し、まさに「空の巣」になった家。身震いするほどの孤独感の中に、取り残されました。そこに夫の無理解な言葉の数々。更年期には夫の言辞も関係するようです。これは後々まで妻の心に影響を与えますね。

 夫婦に関する小話に、こういうのがあります。これは私が若い頃に聞いたので、現代では十年くらい後に考えた方がいいかもしれません。
「二十代愛情、三十代葛藤、四十代怒り、五十あきらめ、六十代感謝」
 七十代、八十代はどうなるんでしょう。当時の思考にはなかったのでしょうが、現代ならば「助け合い」といきたいところですね。

更年期は個人差が激しいと聞きますが、それは根性のせいでも、生活がだらしないからでもありません。ホルモンのアンバランスだと聞きます。今の時代は、薬も多々あるようで、適切な服用で乗り越える人が多いようです。お医師さんを選ぶことは、もちろん大切ですね。

 夫婦の新たな居場所づくり 夫のロマン、妻のフマン

「夫が毎日家にいるようになったらどうしよう」
 これは、中年期の妻の最大の心配事です。
 夫がいないからこそ、自由でした。電話でのお喋りも、食べ歩きも、社会的な活動も、夫が家にいないという前提で計画されていました。それが定年して毎日家にいるようになったら…‥。
電話も来なくなる、友人が来なくなる、「夫の定年は、妻の社会活動の定年か」なんぞと言われています。

 定年後の夫にも、いろいろなタイプがあります。
 私が知り得た範囲でいえば、こんなタイプです。
「おい、○○県に家を買ったぞ。引っ越しするからな」といって、妻を驚かした独善型。
家の電気使用量をいつもチェックしていて、「おい、消し忘れしていたぞ」、ドケチ口出し型。「これしか貯金がないのは、お前がやり繰り下手だったからぞ」、なんていう難癖型などなど。他にも、夫のタイプはさまざまだす。

 独善型や家庭内管理型、ドケチ口出し型や難癖型の夫は、女房が「いやよ」とか「どうして」とか「冗談じゃないわよ」なんぞといえば、家具が口を利いたかのように驚き慌てて、腰抜かし、
「おれに逆らうのか」
 なんて叫んでみたりします。
 しかし妻はこんな夫の態度には慣れっこ。
「そうよ。逆らうわよ。引っ越すならあなた一人で行って」
「その安いトマトはあなたが食べて。私は高くて質のいいトマトを食べるから」
 泰然自若、夫を尻目に決断力をしめします。

 もちろん夫の名誉のためにいえば、妻の思いをよく汲んでいい老後への助走期間とする、「思いやり型」「家事分担型」「夫婦あい和し型」もいると思います。多くの妻がうらやましさのあまり卒倒するような、素敵な夫たちも確かにいますね。

 でも…‥、多くの夫たちは、何の根拠もなく自分は妻から一目おかれていて、尊敬され、愛されているとさえ思うようです。夫のロマンですね。それが、妻のフマンになります。これを、
「夫のロマン、妻のフマン」と申します。
 多くの妻は、地域にたくさんの友人をつくっています。会社生活だけで家に寄り付かず、妻のことなんてすっかり忘れている夫が、定年と同時に妻を思い出して、
「オレについて来い」
 なんて言ってみたところで、現在の妻は昔の可憐な妻ではございません。動かぬこと山の如し、重きこと岩の如し。誰が、長年に渡る女の友情の輪を簡単に捨てるでしょうか。
 ある妻の川柳です。
 新婚の 頃の日記の あほくささ
   (「週刊文春」8・17「24号」愛知県伊藤ツヤ子 六十歳)

 妻とは、かくも変貌するもの。これは夫だって同じですね。夫も「釣った魚」とばかりに、妻に無関心になりますものね。
 定年後の生活設計は、まずは妻の意見を尊重し、夫がおとなしく妻について行く、まさに”婦唱夫随”が一番の道ではないでしょうか。

 夫がいかに夫意識を捨てるか、これは海外移住などではとくに重要だと聞きます。たとえば食べ物。夫は料理を習ってから行くか、現地食に徹底するか、どちらかであるべし。

♥人生の意味を求めて

 この年代の人には、子どもが巣立つ、「空の巣症候群」などといわれている「孤独」に、突き当たっている人もいるでしょう。子どもが巣立つというのは、想像以上の淋しさです。かの元アメリカ大統領のクリントン夫妻も、夫婦で泣きくれたそうです。でも夫婦で泣いたなんてうらやましい。それこそ夫婦のあるべき姿。私なんぞは一人で泣いていましたね。夫は毎晩泥酔しての午前様。妻のことなんか見て見ぬふり。いや、何も見ていなかったでしょう。文句を言っても、すべては右の耳から左の耳へ。中年期、管理職となった男の荒々しさを見た思いです。

 離婚は私の最大の願望でしたが、それが上手くいかなくて…‥。離婚というのは、非常なエネルギーが必要ですし、的確にアドバイスしてくれる法律家のバックアップが大切です。私もある有名女性弁護士に相談したのですが、これが酷いアドバイスで最悪でした。有名弁護士といえども信ずるべからずという、切ない顛末‥‥。

 その一方で、結婚や再婚を願っている人もいるでしょう。
 人生は巡り合いです。七十歳で再婚したカップルを、取材させていただいたことがあります。
 「結婚は山あり谷あり。でもそれも面白いですよ」
 いいことずくめでないのは、どんな夫婦でも同じ。人間が生きることは熱源が必要ですから、挑戦の価値はありますね、さまざまな人がいる中年期、人生半ばだからこその十字路。過去と未来との衝突。ある、妻がこう言いました。
「私には、生活はあったけど、人生はなかった」
 人生とは何か、その意味、あるいは生きる熱源を求めて、探求の季節の始まりが五十代です。

♥亭主元気で留守番がいい

 夫が毎日家にいるようになったら、それに文句をいうよりも、自分の方が距離を求めて、家から出ていきましょう。
「夫が家にいると出にくい…‥」
 なんていう引け目はさっさと捨てることです。
「亭主元気で留守番がいい」
 自分の人生獲得のために、精神世界の確立のために、仲間や学びの場、活動の場を求めて、家から出ましょう。
「プチ家出のすすめ」
 夫の晩御飯をどうするって? そんなことは知りません。子どもじゃないんだから、自分でやってもらいましょう。それができないのなら、餓死したっていいじゃありませんか? その程度の夫なら、致し方ないんじゃありません? つい十年ほど前までは、お盆におかずの皿を並べ、そこにご飯とお味噌汁、それを丸ごと冷蔵庫に入れて、「チンだけでいいですからね」といって外出した妻の話がありました。夫の自立を阻害して、かつそのことに不満を抱く妻です。今や、骨董品的妻ですが。
「いい介護してらっしゃるんですね」
「いやいや、こりゃ、罪滅ぼしじゃわい。ワシ若い頃さんざん悪いことをしたからな。女房、泣かせたし」
 う――ん、今度は私が考える番です。
 介護するのは罪滅ぼし?
 それでは、妻の介護をしない夫は、滅ぼすべき罪がないということか。滅ぼすべき罪のある夫がいいか、悪いことはしない代わりに滅ぼすべき罪もない夫がいいか、どっちだろう。
「最悪なのは、滅ぼすべき罪がありながら、妻の介護から逃げる夫だなあ」

♥愛情の尊さを

 だから私は冒頭の、不安におののく女友だちにいいました。
「大丈夫みたいよ。男は七十過ぎると妻への愛情を素直に表現するみたい。本当の意味での男の器量を発揮する。いい男になる」
♥立ち上がった妻
 男性と女性とでは、要介護状態になる原因が違うという、興味深い資料があります。男性に多いのは”脳血管疾患(脳卒中)”がダントツの一位。二位は、高齢による衰弱、三位以下は数パーセントですが、認知症、パーキンソン病、転倒骨折、関節疾患となっています。

 一方女性は、”脳血管疾患”は男性の半分以下。でも、トップはトップです。二位は高齢による衰弱、注目すべきは三位の転倒・骨折で、じつに男性の三倍弱です。認知症は二倍、関節疾患も二倍。

 男性と女性とでは、こんなにも要介護になる原因が違うのですね。
 それにしても男性では半分近くを占める脳血管疾患、原因はお酒でしょうか、タバコでしょうか、肥満でしょうか‥‥。女性に転倒骨折が多いのは、骨粗しょう症との関連でしょうか。軽重の差こそあれ、変形性膝関節症などの痛みを抱えている高齢女性も多いのです。つまりは、こういうことですね。

「男は呑むな(吸うな・太るな)女は転ぶな」

「守るべきもの、男は血管、女は骨と関節」
 先ほどの妻の、「転ぶのが恐いわ」というのは十分に納得できるものです。妻は絶対に転んではならないのです。老いたる暴力夫の介護疲労で、転倒して骨折するなんていうのは、夫婦の晩年の中でも、最悪のシナリオです。
沖藤典子著一部引用
本表紙 沖藤典子著

快楽上等― 3.11以降を生きる 湯山玲子・上野千鶴子

乗って3分、あがいて3秒。夜這いのセックスは前戯も後戯もなしっていう。   男と女がイーブン、かつ、気持ちいいセックスを求めて

湯山 この間、宮沢賢治を読んでたんですわ。
上野 へぇ~。それはちょっとした予測誤差(笑)。
湯山 でね、その中で宮沢賢治が自分の地元である東北の農村の現況を批判しているんですよ。農民の人生には、セックスと労働しかないと。
上野 しかも、クオリティの低いセックスだった。乗って3分、あがいて3秒。夜這いのセックスは前戯も後戯もなしっていう。
湯山 だと思います。彼はそんな状況がイヤだから、違う世界があるんだということを伝えたいと、芸術を投入した。それが彼の啓蒙原型だったというわけですが、予測不可能な遊びを楽しむこともない、社会の仕組みって、実は宮沢賢治の時代に限らず、今もあって、そこに押し詰められている人が多い気がしますね。
上野 そこからセックスがなくなってますよ、今は。

更年期の前って、女は性欲がマックスになります

湯山 更年期の前って、女は性欲がマックスになりますよね。よくこれ、アメリカ映画で妊娠したい女性が「私の中の時計がチクタク言っているの」という言い方で男に強烈にモーションかけている。マドンナもたしかにそういう言い方をしていた。
上野 30代後半なんて、いちばんやりたい盛りでしょう。この手の話でいつも思い出すのは、森瑤子さんの『情事』。作家というのは、その時々の切実な経験を作品の形で残してくれる。彼女はあの小説で、30代後半の賞味期限切れ直前の女の「性に対する渇き」をちゃんと表現した。当時、多くの既婚の女のハートを鷲掴(わしづか)みにしたが、「セックスを反吐(へど)が出るまでやりぬいてみたい」というくだりでした。後年、森さんに会って「その当時、思ったとおりにおやりになりました?」と聞いたときは、「それはね、作家は願望を作品に書くんですよ」と答えをはぐらかされましたけど。その気持ちは同年齢の女たちにとても共感された。私はその年齢に到達したとき、ちゃんと反吐が出るほどやったの(笑)。だから悔いはないわ。
湯山 私も40代に入った頃は、マックス感あったのに、それが数年前、更年期が始まったころからストンと性欲が落ちちゃった。小学校からオナニストだったので、性欲とうまく付き合えていたし、女には珍しく自分の性欲を自覚できたタイプだったのに、つるんでいた人生の相棒が急にいなくなったごとくの心持ちですよ。これからどうすればいいんでしょうか(笑)。
湯山 会社の同僚の日本人と普通に結婚。彼女、普段は有能な管理職なんですが、土日は完全にブラック専科のビッチ。だから、その裏の活動をやめて結婚したことに、みんなが驚いた。なぜその男性と結婚することにしたのかは、毎回のセックスで確実にエクスタシーに達せる相手だからだって言うんです。100万人とやってもそれほどの相性はない。もうほかの男は要らないと。まさにエクスタシーの一点だけを追及して結婚した。
湯山 私ね、何にせよ、技術巧者ですから(笑)。でも、ヨーロッパのカップルのように、定期的に性愛コミュニケーションを持たなきゃという心構は、悪くないと思いますよ。
上野 私は日本の高齢者のセックス調査を見て、つくづく感じたことがあるのよ。「セックスは快楽だったか」と聞くと、イエスと答えた女性が圧倒的に少ない。ない方がましだったとか言うの。夫婦間のセックスの質が、ない方がまし程度のものじゃねえ。
湯山 具体的な調査があるんですか?
上野 日本で最初の高齢者のセックス調査に、大工原秀子さんという保健師さんによる『老年期の性』と言う本があります。80年代に、70歳以上の日本の男女に聞いたデータ。当時だと明治生まれの女たちになるんだけど、その日本の女の大半が、セックスで快感を感じたことがないと答えたの。「一刻も早く終わってほしいつらいおつとめ」と答える女性もいました。
湯山 まあ、その頃の女性こそ、貞女モラルの強制力マックスですからね。
上野 さらにうんざりするのが、今の10代の女の子たちが、男とセックスしている子たちが、セックスは「楽しくない」と言いながら、「やらせてあげる」という言い方をすること。性愛コミュニケーションの質は、明治生まれも今も変わっていないんじゃないかと思うぐらい。
湯山 10代、うーん、その女の子たちの声は、ちょっと下方修正に過ぎる気もしないでもない。なぜなら、アダルトビデオに進んで出演する女の子たちなんかは。より良いセックスをプロとやりたいがため、という発言もある。『週刊プレイボーイ』なんかのAV嬢インタビューを読むと、まあ、あっけらかんとセックス好きを語っていますよ。どう読んでも、それは言わされていたり、ではない。
上野 AVへの出演は、承認欲求の表れでもあると思う。
湯山 それもあると思います。でも、ある程度の割合で、純粋にセックスへの興味から、という女の子がいる。今の20代、30代は、私の時代よりも確実に好色な女が増えている感じがしますね。
上野 なるほど。一方で、その上の世代で、セックスし足りない女たちは、「私はこのまま性の快楽を知らずに死ぬんでしょうか」みたいなことを言うのね。ダンナとのクオリティセックスは望むべくもないから。
湯山 それは、もうはっきり言って、他流試合しろとしか言いようがないですね。ダンナと言葉で話し合って解決する方法もあるけど、それができる人は少ないと思うし、恋愛スイッチでセックスをやっている人たちは、今さらそのポイントをずらして健康法セックス、友情セックスって言ってもできないだろうし。
 加齢とセクシャリティ、エクスタシーの到達点は?
上野 性欲が物語性から解放されたとき、最後に残るセックスは、マスタベーションになるんじゃないかな。「自分の身体とのエロス的な関係」が残る。高齢者施設で見ていると、人との身体接触をすごくイヤがってた人が、最後の最後にそうじゃなくなって、身体の境界の敷居がどんどん下がっていく感じがある。潔癖だった人がそれほどでもなくなったり。自我の境界も溶解してくるという説もあるけど、この辺はほとんど未踏の領域。私もまだ自分の体験として語れない(笑)。
湯山 セックスの作法自体には物語性がベッタリ付いてますからね。あの快感は、純粋な性欲だけとは言い難いところがある。
上野 そうなのよ。
湯山 それでも、セックスの最中の一瞬、男も女もない境地にズバッと達することはありますよね。その状態を「一体」と言ったりもするけど、そこはもう肉体も物語も関係なくなっていて、一種の脳内麻薬みたいな瞬間なんじゃないでしょうか。
上野 相手がどうでもよくなる瞬間ね。「あんた、誰?」みたいな感じで(笑)。
湯山 セックス好きの中には、依存症も含めていろいろあるけど、純粋タイプはその境地が好きな人だといえる。ちなみに、乱交好きは、そのスイッチが入ることをわかっているし、そうなるのも早いから、乱交に罪悪感がないんですよ。恍惚って、肉体的なことじゃなくて、ある意味で脳死状態のように自分の全部がエクスタシーという状態なんじゃないかと思う。私ね、これまでの人生で3.4回、寝ながらにしてエクスタシーに達したことがあるんです。半覚醒のときに急に光が降りてきて、「イった! !」という瞬間。これ、人に話すとかなりの確率で体験者が女性にいる。
心理的に予測誤差を体験するのが恋愛。セックスだけが目的じゃない、心身が伴う遊び。妊娠だの、結婚だの、家族を作るだのというゴールが、もはやない年齢にとっては、最高の遊びですよ。
本表紙
湯山玲子・上野千鶴子著

セックスの義務とセックスの演技をして平穏に暮らしている人たちもいる

  「結婚」という形態が男女に及ぼす心理を考えると、夫婦というものは毒を撒(ま)きあうことを避けるのが一番いいのだと思う。何でも問いただし、お互いの腹の中をぶちまけあうのは「理解」ではない。「毒」である。
「セックスレス」という現象は、更年期障害やそれに伴って卵巣からのホルモン分泌減少することで我慢できないほどの性交痛を引き起こすことはおそらく大昔からあったはずである。セックスレスに至るケースは多かったであろう。セックスの義務とセックスの演技をして平穏に暮らしている人たちもいる。一方満ち足りたセックスライフを送っている夫婦も多いはずだし、断言はできないが、「結婚」と「セックス」は共生しにくい。考えれば考えるほどそう思わざるをえなかった。
本表紙 内館牧子著より引用

聞く人がきけばお定まりの夫婦のいさかい、よくある話、と片付けられてしまうのかもしれない。テレビドラマで頻繫に描かれているテーマでもある。そしてうろたえなくなることが、あたかも成長の証のように称賛される。
 ところで、彼女たちは果たしてそんな打撃を受けるほど夫を愛していたのだろうか。つまり、夫への愛に比例して苦痛を味わっているのだろうか。私にはそうは思えない。
 彼女たちが苦しんでいるのは、プライドをズタズタにされたからである。契約違反をされ、信頼を裏切られたからである。一夫一妻制とは、他の異性より自分が最優先され、性的にも独占できることを公認されることだろう。その優先性、プライオリティーを疑いもなく信じる事で結婚した女性が、それを見事に夫によって否定される。それがプライドか、と言われれば実にささやかな誇りかも知れない。しかし、そんな、見ようによってはささやかなプライドによってしか支えられないのが妻の座というものなのだ。
 男たちは悲嘆にくれる妻を見て「こんなに自分を愛していたのか」と自惚れるかもしれないが、それは違う。愛を失ったとして苦しんでいるのではなく、自分を支えてきた基盤が崩れ、信頼を裏切られ、人間としてのプライドが傷つけられて苦しんでいるのだ。それはそのまま、ロマンチックラブ・イデオロギーを信奉し、そして挫折したことである。
 しかし私は、「男なんてそんなものよ。男の身勝手にいちいち反応しないでドンと構えなさい」とアドバイスされて泣き寝入りする女性に比べると、数段ましではないかと思う。そこまで信じ切ったことは、それに人生を賭けたこと、それこそがイデオロギーを生きるということだろう。あらゆるイデオロギーは、ある日簡単に捨ててしまうより、とことんそれに自分の人生を賭ける方が、ずっとずっと素晴らしい。少なくともそれが自分を大切にするということだ、と私は思う。

家族収容所 愛がなくても妻を続けるために 
信田(のぶた)さよ子 1946年、岐阜県生まれ。臨床心理士、原宿カウンセリングセンター所長。アルコール依存症、摂食障害、DV、こどもへの虐待など悩む本人やその家族へのカウンセリングを行っている。

セックスレスの問題が社会的に認知されようとしている

 あまり表面に出てこなかった、セックスレスの問題が社会的に認知されようとしている。それは「ED(勃起不全)」などという言葉が登場し、それは病気として医療現場が関与すること、私はなんともグロテスクで哀れな事態と思っている。たとえばそのことと「ED」と「DV」と関係があるのかもしれないことだ。性的に女性を満足させられないということが、男が性的トラウマを抱え自らの性的欲求を妻(恋人又は愛人)とのセックスにおいてオガィズムを与えられない、男のアイデンティティーは深刻な危機に瀕し女性が満足しないとなればセックスレス化或いは仮性EDへそして暴力、ギャンブル、浮気、アルコール依存などへと発展し妻を苦しめるが、一方夫も妻「性拒否」に苦しめていると思い込んでいるケースも数多くある。


その中でも最も多い。男の疑似性セックスレスに引き起こされると思われるDVによる妻殺人、わが子どもへの虐待による殺人事件は大昔から現在に至るまで、新聞やニュースで報道されないもを含めるとおびただしい数であり、これらのニュースを見るたびいつも怒りに震えるのではないでしょうか。

今このサイトご覧なっているあなた、単にセックスレスと安易に思っていると大変なことになる。このような事件は私たち女には全く想像できない世界だと安心していても、
「妻や恋人の怪しい動きであったり、不倫・裏切りに至った場合」など。 いつだれだってわが身に降りかかってくる可能性はあるのです。
 男は鈍感だから不倫・浮気は判らないと思っているあなた、大きな間違いだ。実は八十%近い男は本能的に何となく怪しいと感じ、妻や恋人の不審な行動に気づくものだ。

気づいても、知性・理性がある男は女ほど瞬間湯沸器みたいに騒がないのだ。今、すぐに別れるにはあまりにもリスク・ダメージが大きい場合は「見て見ぬふり・知らんふり」し男のプライドを保つ。そして、怪しい動きや不倫が終息するを待ち、復讐の機会を伺っている。
 どうすれば裏切りを倍返しできるかを!そして一番相手が傷つく方法! そして他の新しい女性(妻)を娶ろうと奔走するのだ!

2019年1月24日千葉県野田市で栗原心愛(のあ)ちゃん10歳が父親に虐待され虐待死事件のように食事も与えない残虐な死は身震するほど悲しい。
不思議なことに父親である栗原加害者の外面は優しく丁寧な言葉づかい好印象を社会的には振りまいていたそうだ。と言うことは根っから暴力性や虐待常習者であったかどうかは少し疑問に私は思う。何処で歯車が狂ったのか、もしや「妻や恋人の怪しい動きであったり、不倫・裏切りに至った場合」なのかそれとも妻をコントロールできなかったのが引き金か!
いずれノンフィクション作家の手でこのことは明になるでしょう。

妻(恋人又は愛人)とのセックスにおいてオガィズムを与えられない、精神が壊れ男のアイデンティティーが喪失しかかっている事実が。妻(恋人)がわかっていれば、オガィズムに達した(イッタ)よと、優しく嘘をついてあげて、その脆い男のアイデンティティーを支えてあげることも夫婦として家庭生活を安全運転するにはいい方法だ。

その嘘をつくのも悲しい決断かもしれない。男として、女として最高のセックス・オガィズムを生涯知らずふたりが終わるのも! 悔しいではないか!    
 セックスに必要な刺激と興奮が失われようとしたら新たな刺激と興奮を得られる工夫をすれば。だれでも最高のセックス・オガィズムを得られ生涯を仲良く暮らせる方法もあることを申し上げたい。以下サイトを閲覧するとことで!性の問題は解消する可能性はたかい。



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