
 著者 植西 聡
 著者 植西 聡 「日々、平常心を失わずに暮していくコツは、何かあるのか」という質問を多く受けます。
「日々、平常心を失わずに暮していくコツは、何かあるのか」という質問を多く受けます。 非難を受け入れてみると、「それも一理あるな」とわかってくる
 非難を受け入れてみると、「それも一理あるな」とわかってくる
職場で、「私は、こう思います」と述べた言葉を、上司が頭ごなしに「くだらないことを言う人ですね。だから、あなたはいつまでたっても芽が出ないんですよ」などと否定されるようなことを言われたら、誰であっても感情が乱れます。
             カッとなって、「なにを!」と怒りの声をあげてしまう人もいるでしょう。
             ガックリ落ち込んでしまって、やる気をなくしてしまう人もいるかもしれません。
             投げやりな気持ちになって、「自分の考えを認めてくれない、こんな会社は辞めてやる」という思いにとらわれる人もいるでしょう。
             しかし、乱れた精神状態で、このような考えを起こしてみても、何も得になることはないと思います。
             自分の意見を頭ごなしに否定されるようなことを言われた時こそ大切なのは。平常心ではないでしょうか。
             冷静さを保って、「それでは、どの点が『くだらない』というのか、具体的に教えていただけませんか」と、相手に問いかけてみるのがいいと思います。
             相手は色々な意見を述べてくるでしょう。
             その相手の言葉の中には、きっと「なるほど。そういうことも、言われてみれば一理ある」と、うなずけるものもあるのではないでしょうか。
             それに気づくことが出来れば、自分は一つ得をしたとも言えるのです。
             改善点を見つけ出すことが出来れば、さらに自分のアイディアが浮かんでくるかもしれません。
             他人から否定的なことを言われることに平常心で対処することは、このように自分を成長させてくれることにつながるのです。
             感情を乱して怒ったり、落ち込んだり、投げやりになったとしても、自分にとって得になることは無いと思います。
             身近な人と意見が食い違った時は、こう考えるのがいい
身近な人と意見が食い違った時は、こう考えるのがいい
 まったくの他人が、自分と違う意見を述べたとしても、人はそれほど動揺することはありせん。
             しかし親友だとか恋人といった身近な人から「私はそうは思わない、あなたの意見には反対だ」といっことを真っ正面から言われると、心が動揺してしまうという人も少なくないようです。
             親友だとか恋人といった身近な相手に対しては、人は無意識のうちに「私とこの人は考え方も趣味もすべてが一致している」と考えがちです。
             一致していることが、お互いに仲のいい証しであるように信じているのです。
             そう信じている相手から反対意見を述べられると、なにか相手から裏切られたような感じがしてくるのです。
             しかし、考えてみれば、いくら仲のいい親友や恋人であれ、それぞれ自立した一個人なのです。ですから、多くの点で一致するところがあるにしても、多少は考え方や趣味に違うところがあるのは当たり前の事でしょう。
             そのことを理解するのが、まずは、親友や恋人から「私はそうは思わない」という反対意見を述べられた時に心を乱さないコツだと思います。
             その上で、「話し合って解決する」ということです。
             基本的に信頼関係で結ばれている親友や恋人なのですから、よく話し合えば必ず、アイムOK、ユーアーOKという両方が納得する解決策を見つけ出すことができるはずです。
             反対意見を述べられたことに動揺し、そこで口ゲンカをしてしまったり、相手との関係を冷え込ませてしまうのは、よくないと思います。
            「私とあの人は何でも話し合える、話し合って、どのようなことでも乗り超えていける」と信じて相手とつき合っていくことが、友人や恋人との人間関係で平常心を保っていくコツになると思います。
             執着する気持ちを捨てることで、本当の幸せが見えてくる
 執着する気持ちを捨てることで、本当の幸せが見えてくる
 執着心が平常心を失わせる原因になることがよくあります。
             ある若い男性は、ある大学に入学するために三年ほど浪人しました。しかし、それでも希望の大学に入学することができず結局は大学に入ることをあきらめてしまいました。
             そこで彼は就職することに決めました。しかし、浪人していた三年間の空白がネックになって、どこの会社も採用してくれませんでした。
             現在、彼はフリーターをしています。
             彼はけっして勉強ができなかったわけではありません。高校時代の成績は優秀なほうでした。
             もし希望の大学に執着しなければ、他の合格できる大学はいくらでもありました。
             実際、両親も「希望の大学に入らなければ、いい人生を実現できないというわけではない。他の大学であってもいい人生を実現できる」とアドバイスして、他の大学への入学も選択肢に入れるように勧めていました。
             しかし、彼はあくまでも希望の大学に執着しました。
            「希望の大学に入学できなければ、僕は幸せになれない」と言う考えに、あくまでも彼はこだわったのです。
             しかし、その結果、大学にも入学できず、就職もできない、という現状なのです。そんな人生が、彼にとって幸せであるはずはありません。
             もし執着心を捨て、冷静にものを判断することができれば、両親のアドバイス通り「希望の大学とは別の大学に入学する生き方もある」という考え方を受け入れることもできただろうと思います。
             強い信念を持つことは、生きる上で大切なことだと思います。
             しかし、その信念が執着心になってしまうと、その人から平常心に従った冷静な判断力を失わせる結果になりがちなのです。
             上手くいかないのは、「誰のせいでもない」と考えるのがいい
 上手くいかないのは、「誰のせいでもない」と考えるのがいい
 人は、物事が上手くいかない時、その原因が「他人にある」と考えがちです。
             あるタイプの人たちは、「他人が悪いから、物事が上手くいかない」と考えます。
            「上司が悪いから、僕は仕事で能力を発揮できないんだ」「彼氏が悪いから、私は幸せになれない」といった具合です。
             一方で「自分が悪いから、物事が上手くいかない」と考えるタイプの人もいます。
            「仕事がうまくいかないのは、僕がダメ人間だからだ」「彼氏との関係が上手くいかない責任は、すべて自分にある」といった具合です。
             心理学では、前者を「他罰傾向」、後者を「自罰傾向」と呼んでいます。
             いずれのタイプも、心の平静さを失いやすく、感情に流されやすい性格だと言われています。
             前者は、一般的な言い方をすれば、「わがままタイプ」です。
            「上司が悪い」「彼氏が悪い」と、他人に責任を押し付けている限り、事態は改善しません。ですか、いつまでも心の平静は得られません。
             後者は一見、謙虚なタイプのようにも思えます。しかし、この「自分が悪い」という自罰傾向が強すぎると、気持ちが落ち込むばかりで、事態を改善させようという意欲を失ってしまいがちです。
             ですから、やはり心の乱れはおさまりません。
             平常心を保っていくことが出来る人は、上手くいかないことを「人のせい」にはしません。「他人が悪いから」でもなく、「自分が悪いから」でもない。と考えます。
            「人のせいにする」のではなく、もつと現実的に「上手くいかないのは、どこに問題があるのか」ということを考えます。
             そうすれば、「仕事が上手くいかないのは、マーケティングができていなかったから」「彼氏とうまくいかなかったのは、会って話をする機会が少なかったから」という別の理由が見えてきます。
後は、その問題に対して躯体的な解決策を講じればいいのです。
             「あきらめるか、あきらめないか」最後に決めるのは自分自身だと考えておく
 「あきらめるか、あきらめないか」最後に決めるのは自分自身だと考えておく
 物事が上手くいかないとき、人の心は弱気になりがちです。
             不安と心配で心が揺れて動きます。
             そのような時は、とくに、周りの人たちの言葉に惑わされがちになりがちですから注意しておく方がいいと思います。
            
「大丈夫。きっと事態は好転するよ」と励ましてくれたり、「この点は改めれば、上手くいくと思う」と的確なアドバイスをしてくれる相手であればいいのです。
             その言葉に勇気をもらい、不安と心配を振り払って、揺らいだ気持ちを立て直すことができるでしょう。
            
 しかし、人によっては、こちらの心をいっそう惑わすようなことを言ってくる人もいます。
            「もう、あきらめた方がいいんじゃない」
            
「いくら頑張っても。もうムリだよ」
            「僕は、最初から上手くいかないとおもっていたけどね」
            「やめるなら今のうちだよ。これ以上先に進めば、痛い目をみるのはあなただけだよ」
            このような他人のネガティブな心は、弱気になっている人の心には強い動揺をもたらします。
            
 ここで注意しなければならないのは、このようなネガティブなことを言ってくる人は、本当の意味で自分のためを思って言ってくれているのではなく、足を引っ張ってやろうといイジ悪な気持ち持っている場合もある、ということです。
            
 このような悪意のある人の言葉に惑わされると、冷静な判断能力を失って結局自分自身が損をすることになりがちです。
            
 人の言葉をよく聞くのは大切ですが、「あきらめるか。いや、あきらめないか」を最後に決めるのは自分自身だと決めておく方がいいでしょう。
             そうすれば、他人のイジ悪な言葉に惑わされることもありません。
             強すぎる自意識は、心の乱れの原因になる
 強すぎる自意識は、心の乱れの原因になる
            
 強すぎる自意識が平常心を乱す原因になります。
             ある若手の男性ミュージシャンは、とても強い自意識の持ち主です。
             彼は、周りの人たちから「あなたの音楽はいいですね」と誉められたぐらいでは、ちっとも嬉しく感じられないそうです。
            
 彼は、「内心は『特にこれと言った魅力を感じなかったが、お世辞にほめておくとか』といった気持ちでないか」という気持ちさえしてくると言います。
            
 こう思えると、誉められているのかバカにされているのか分からなくなって、気持ちが乱れてくると言います。
             このように相手の誉め言葉を素直に受け取れないのが、自意識が強い人の特徴だと思います。
            
 このタイプの人にとっては、たんに「いいですね」と誉められただけでは満足できません。
            「凄くよかった」非常に感動した」「涙が出るほど心を動かされた」いった具合に強い調子で誉められて、はじめて「評価されている」と実感できるのです。
            
 このように自意識が強い人は、裏を返せば、自分に自信がないと思います。
             自信がないから、相手の言葉を裏読みをして「や世辞でいついるのではないか」「本当は魅力など感じていないのではないか」と心を惑わせてしまうのでしょう。
            
 本当の意味で自分に自信がある人であれば、その誉め言葉がお世辞であろうが何だろうが「いいですね」という言葉は素直に受け取って喜ぶことが出来るのではないでしょうか。
            
 まずは、「人の誉め言葉を素直に受け取る」ということから心がけるようにしたらいいと思います。
             そうすれば自然に、自意識もバランスのいいものになっていくでしょう。
            
 他人の言葉を裏読みして、心を惑わされることなくなるのではないでしょうか。
             怒りたくなった時こそ、「ありがとう」と言ってみる
 怒りたくなった時こそ、「ありがとう」と言ってみる
            
 身近な人の付き合いの中で、ついカッと頭に血が登ってしまうこともあります。
             そこで感情的になって怒ってしまう人もいるでしょう。
             しかし、怒りの感情ほど、人の平常心を乱すものはありません。
            
 カッとなってしまった理由がどうあれ、いったん怒りの感情に火がついてしまうと、その後何日間もイヤな思いを引きずることになります。
            
 また、自分自身を怒らせた相手を、「どうやって今度はギャフンを言わせてやろうか」といった思いに捕らわれてしまって、本当は最優先にやらなければならないはずの大事なことが二の次になってしまいます。
            
 ですから、たとえ頭に血が登るような出来事があったとしても、そこで声を荒げるようなまねはしない方がいいと思います。
             怒りを静める、いい方法があります。
            
 それは、頭に来た相手に、「ありがとう」と感謝の言葉を使う、ということです。
             頭にくるイヤミを言ってきた相手に、「いいことを教えてもらって、ありがとう」と言ってみるのです。
             約束したことを守ろうとしない相手に、「あなたは、いつもお世話になりますね。ありがとう」と言ってみるのです。
            
「ありがとう」という言葉を口にすることで、気持ちが落ち着きます。怒りの感情が静まります。
             言いたいことがある時には、その上で、
            「でも、その点はもう理解しているから、それ以上言ってもらわなくてもいいよ」
            「先日約束したことも、よろしくお願いしますね」
             と言えばいいのではないでしょうか。
            
 まず初めに「ありがとう」と言っておくことで、心を乱すことなく、平常心で言いたいことを相手に伝えられるでしょう。
             「イヤなお客さん」を「いいお客さん」に変える方法とは?
 「イヤなお客さん」を「いいお客さん」に変える方法とは?
            
 接客業をしている人には、「とんでもないお客さんに悩まされている」と言う人も少なくないようです。
             無理難題を言ってくるお客さん。商売の嫌がらせをしてくるお客さん。
            
 店の中で我がもの顔で振る舞うお客さん。他のお客さんに迷惑をかけるお客さん。
             金払いが悪いお客さん。
             このようなお客さんはお客さんだから、あまり荒っぽい真似をすることもできないが、かといって黙っているわけにもいかない」という状況に追い込まれた場合のことです。もちろん「荒っぽい真似をする」必要はありません。
            
 ただし、そんなとんでもないお客さんの言いなりになっているようでは、店の雰囲気や商売を荒らされるだけでしょう。
             大切なのは、お客さんの話をよく聞きながら、冷静に毅然とした対応を取る、ということではないでしょうか。
            
 お客さんの話をよく聞いて、もし自分の方に反省する点がある場合には、素直にお客さんの言葉を受け入れればいいでしょう。
            
 しかし、お客さんの言うことがもし常識を逸脱(いつだつ)しているような場合には、はっきりと「できないものは、できないと言う」「困ることは、困ると言う」というふうに心がけるほうがいいと思います。
             要は「相手がお客さんだから」ということを意識しすぎないことです。
             このことを意識しすぎると、必要以上にお客さんより低い立場に立ってしまって、とんでもないお客さんに振り回されることになります。
             もし相手が常識から外れたことを言ったりやったりする場合には、たとえ相手がお客さんであろうとも毅然とした態度で臨んでいいのです。
            
 そう理解しておけば、とんでもないお客さんに動揺することはないでしょう。
              いつも笑顔を心がければ、何があっても心安らかでいられるでしょう。
いつも笑顔を心がければ、何があっても心安らかでいられるでしょう。
            
 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)という仏教の経典の中に、『和顔愛語(わげんあいご)』という言葉が出てきます。
            「和顔」とは、「穏やかな表情」を意味します。
            「愛語」とは、「心優しい言葉」ということを表します。
            
 仏教には、「この和顔愛語を心がけることが、心を乱さず平常心を保つコッだ」という考え方があります。
             たとえば、職場で忙しい仕事に追われているとしましょう。
             そんな時に、同僚から「あなた暇そうだから、この仕事をやっといて」と、よけいな仕事を押し付けられたとしましょう。
            
 ここで、ついカチンときて、「私が今忙しくて、他人の仕事を手伝っていられないことは、見てわかるだろう」と怒鳴ってしまう人もいるのではないでしょうか。
            
 しかし一方で「和顔愛語」を心がけているひとであれば、このような場面でも表情を乱すことはありません。
            
 理不尽なことを言われても、穏やかな表情で、まずは「あなたも忙しい仕事を抱えて、大変そうですね」と、相手を気づかう言葉を投げかけることができます。
            
 その上で、「私も今、自分の仕事に追われていて、申し訳ないけれど、あなたの仕事を手伝うことはできません」と、冷静な態度で相手に申し出て断るのです。
            
 こうすれば人間関係で、さらにこれ以上悩み事を増やさずに済みます。
            
 もしここで感情を乱して怒鳴りつけるようなことをしてしまったら、相手との人間関係の悪化がまた新たな悩みの種となって心を乱すことになるでしょう。
            
 さらに、怒鳴ってしまうことで、その後もずっとイヤな思いを引きずることになります。
            
 そんな場合であっても「和顔愛語」の精神で、穏やかな表情と、心優しい言葉づかいを心がけることは、心の平静を保っていくために大切なコツになります。
             「いい、悪い」という単純な評価の仕方をやめる
 「いい、悪い」という単純な評価の仕方をやめる
            
 あるタイプの人たちは、「あれはいい。これは悪い」といった非常に単純な評価の仕方をします。
            「あの人はいい人だ。だけど、あの人は悪い」
            「あそこはいい会社だ。でも、この会社は悪い」
            「あのレストランはうまい。このレストランはまずい」
            「この町は住み心地がいい。でも、あの町は環境が悪い」
             といった具具合にです。
            
 しかし現実的には、どのようなことがあれ、そう単純に「いい。悪い」で区切りをつけられるものではありません。
             たとえば、いい人だと思っていた相手から、意地悪をされることもあると思います。
             そんな時、「いい。悪い」という単純な考え方をするタイプの人は、心を激しく揺さぶられることになるでしょう。
            
 実際には、やりがいのある仕事もあり、同僚にも頼りになる人がいる会社だというのに、「悪意会社だ」と単純に決めつけたばかりに、「「こんな会社にいたくない。早く辞めたい」と動揺している人もいるかもしれません。
            
 ですから、「いい。悪い」で単純に区切りをつけるような考え方をするのではなく、
            「評価するなら、ものをじっくり観察してからにする」という思考の仕方を習慣にするほうがいいとおもいます。
            
 そうすれば、いい人だと思っていた人に意地悪されたり、希望していなかった会社で働くことになっても、平常心を失って取り乱すことはないでしょう。
             また、つきあう人、働く会社、あるいは食事に行くレストラン、暮らす環境といったものに、心を振り回されることが少なくなるではないでしょうか。
            
世の中は、いいことと悪いことが混ざりあった多面的な性格を持っています。それをよく見極めるほうがいいと思います。
 第二章 クヨクヨしないで生きていく
第二章 クヨクヨしないで生きていく
            「たら、れば」思考をやめれば、人生は前進し始める
            
 人の心を惑わす感情の一つに、後悔があります。
             ある若い男性は次のような後悔の念に心を惑わされています。
            「あんな大学に入らなければよかった。浪人して、もっといい大学に入っていたらよかった。あんな大学に入ったばかりに、僕の人生はメチャクチャになった」と言うのです。
            
「望んだ大学に入れなかったから、いい会社−の就職が出来なかった。やりがいのある仕事に就けなかった。給料もよくない。恋人も見つからない。頑張って生きていく意欲が生まれない」と言うのです。
             しかし、このように自分の過去の人生をいくら後悔したところで、自分の人生は好転しては行かないでしょう。
            
 心を惑わされ、やる気を失って落ち込んでいくばかりで、むしろ人生は悪い方向へと傾いていきます。
             後悔の感情にとらわれた人は、よく「〜していたら、もっと幸せになれた」「〜していれば、自分の人生は違った」と言います。
             しかし、本当にそうでしょうか。
             彼の場合にしても、そもそも「浪人していたら、いい大学に入れた」のでしょうか?
            
 もし浪人していたら、そのままどこの大学にも入れずに、今ごろはフリーターになっていたかもしれないのです。
             そう考えれば、望んだ大学でなくても、大学に入れただけで幸福だったかもしれません。いい会社でなくても、正社員として雇ってくれた会社があっただけでも幸運だったかもしれないのです。
            「たら、れば」で考えることは、すべて仮定の話でしかありません。
             現状の中で、どう前向きに生きていくか考える方がいいと思います。
             そのほうが、じっくりと落ち着いた気持で、自分の人生と向かいあえます。
             「心の支えとなる人」を持っておくのがいい
 「心の支えとなる人」を持っておくのがいい
            
 四国八十八か所のお寺をめぐって行くお遍路さんは、日よけの傘や衣服によく「同行二人」という言葉を書きつけています。
             この言葉には「いつも弘法大使空海と二人で歩いている」という意味があります。
             空海は平安時代初期の僧侶で、真言宗の開祖です。この空海は若い頃に四国の各地で修業したと言われています。
            
 この空海に縁のあるお寺を巡るのが、お遍路です。
             巡っている人たちは、このお遍路を続けていく途中で、体力的にしんどくなったり、心が折れそうなった時に、「私は一人ではない。空海様がそばにいて応援してくれている」と考えることで、力がわいてくると言います。
            
 一人ではないということで、乱れた心が整い、安心感に満たされ、安定した気持ちでお遍路を続けていけるようになるのです。
             人生には多くの苦難があります。
             苦難に見舞われた時、その人の心は揺れ動き、時には心がくじけそうになります。
            
 そんな時に「心の支えになる人」を持っている人は、その苦難を平常心で乗り越えていく力を与えられるのではないでしょうか。
             それは友人であり、家族であるのでしょう。
             上司や、恩師といった人物であるかもしれません。
             あるいは、お遍路さんにとっての空海のように、今は実在しない人物でもいいのでしょう。
            
 尊敬する歴史上の人物なども、心がくじけそうなとき、心の支えになってくれると思います。
             そのような「心の支えになる人」がいない人は、苦難に見舞われた際に平常心を失い挫折してしまうことが多いように思います。
             ちょっと発想を変えるだけで、心は喜びに満たされる
 ちょっと発想を変えるだけで、心は喜びに満たされる
            
 ちょっと発想を変えてみるだけで、心は喜びに満たされます。
             たとえば、釣りに行ったとしましょう。
             ところが、一匹も魚が釣れなかったとします。
             ここで気持ちを荒立てて、悔しがったり、落ち込んだりする人もいるでしょう。
             確かに、魚釣りに行って目的の魚が一匹も釣れないのでは、感情が荒立ってもしょうがありません。
            
 しかし、ここで次のように発想を変えてみることもできると思います。
            「今日一日、海で(川で)のんびり過ごすことが出来た。本当に幸せな一日だった」
            「今日はいい天気だった。きれいな空、きれいな海(川)、きれいな空気を満喫できた。いい一日だった」
            
 このように発想することが出来れば、たとえ一匹の魚が釣れなかったとしても、心は満足感と安らぎに満たされることでしょう。
             そして「明日から、いつものようにがんばっていこう」と、生きる意欲を新鮮にすることもできるのではないでしょうか。
            
 これは人の人生一般に共通して言えることです
             人生では、望みが叶えられずにガッカリする経験もたくさんしなければなりません。
            
 しかし、そこで失望感によって心をかき乱すのではなく、ちょっと発想の転換をしてみることによって人生を前向きに考えていくことが大切です。
             どんな出来事にも表と裏があります。
            
 表面的にはマイナスの出来事としか見えないことでも、裏側をひっくり返してみるとたくさんのプラス面があることに気づかされることも多いのです。
            「魚は釣れなかったが、のんびりと自然に親しむことができた」といったようにです。
             そんなプラス面に目を向けることも、平常心を保つコツになります。
             「失敗は成功の母」と考えるのがいい
 「失敗は成功の母」と考えるのがいい
            
 大きな失敗を経験すると、多くの人が「もうダメだ」と絶望的な気持ちになります。
             しかし、「失敗は成功の母」という諺(ことわざ)もあります。
            「失敗を経験することで改善点が見つかり、それが次の成功の原動力になる」という意味です。
            
 現実に「失敗から学んだことが成功に結び付いた」という事例はたくさんあると思います。
             ですから、失敗しても絶望的な気持ちになることはないと思います。
            
 たとえば、ちょっと前に、富士山が世界文化遺産に登録されたというニュースが日本中をわかせました。
             しかし、それよりも数年前、じつは富士山を世界自然遺産に登録しょうという運動が失敗に終わったという事実を覚えている人も多いと思います。
            
 この際に関係者は、「なぜ富士山は世界自然遺産登録に失敗したのか」という問題点を改めてチェックし、その反省から学ぶ形で「今度は世界文化遺産への登録を目指そう」と新たな目標を定め、それが見事な成功をもたらしたのです。
            
 失敗は「失敗」ではないのです。
             失敗は、成功を得るためのヒントを与えてくれものだと考えるほうがいいと思います。
             人は日常生活や仕事、また人間関係においてたくさんの失敗を繰り返しながら生きています。
             失敗するたびに落ち込んだり、悲しんだりして心を揺さぶられます。
            
 しかし、「失敗は成功の母だ。失敗から学ぼう」という意識があれば、失敗を経験した後もやる気を持続できると思います。
             それまでの意欲と変わらぬ意欲を持って生きていけるのです。
             相手の心理状況がわかると、許せないことでも許せるようになる
 相手の心理状況がわかると、許せないことでも許せるようになる
            
 自分のした行為が相手から誤解されてしまうことがあります。
             その本人にとっては辛い経験だと思います。
             しかし、相手がなぜそのような誤解をするのか冷静に観察してみると、相手の置かれたている状況が見えてきます。
             そして、相手の状況が見えてくると、乱れた気持ちも穏やかになり、「相手を許してあげてもいい」という心境になってきます。
             ある女性には、次のような経験があると言います。
            
 同僚の一人がミスをして、仕事を最初からやり直すことになりました。そのために残業しなければならなくなりました。
             そんな同僚を気づかって、彼女は缶コーヒーを差し入れてあげたそうです。
            
 するとその同僚は、「私のことを哀れだと思ってこんなことをしているんでしょう。内心では私のことを『ミスばかりするダメな人間だ』とバカにしているんでしょう」と言ってきたというのです。
             彼女は、「親切心からしてあげたことなのに、どうしてあんな誤解のされ方をされなければいけないのか」と、悲しい気持ちにさせられたと言います。
            
 また、とんでもない誤解から、そんな言いがかりをつけてくる同僚を「許せない」という気持ちにもなったとも言います。
             しかし、同僚の心境について想像していくと、「ミスをして仕事をやり直さないとならなくなった自分自身への悔しさや、残業を強いられる精神的な悔しさから、人の親切を素直に受け取れず、つい言いがかりをつけるようなことを言ってきた」と理解できるようになりました。
            
 それに気づくと、そんな同僚のことが可哀そうにも思えてきて、いったんは、「許せない」と思えた相手だったのですが、広い気持ちで許せるようになったと言います。
             相手の状況や心境を察することができれば、自分の気持ちも静まるのです。
             先入観から決めつけられた時の、ものの考え方とは?
 先入観から決めつけられた時の、ものの考え方とは?
            
 先入観から決めつけられるような言い方をされるのは、気持ちのいいものではありません。
            「あなたって血液型はA型だから、細かいことにうるさいのよね。私、細かい人って苦手なのよね」
            「学歴のない君は、こういう知的な仕事は無理でしょう。だから、君は外しておきましたから」
            「あなたのような人相の持ち主って、悪い人が多いというからさ。あまり僕に近寄って来ないで」
             こんな断定的な言われ方をされた人はショックでしょうし、「ちょっと待って下さ」と反論したくもなるでしょう。
            
 しかし、ちょっとやそっと反論しただけでは、先入観の強い人はなかなかそんな思い込みを捨て去ってはくれません。
             しかし、ものは考えようではないでしょうか。
            
 先入観の強い人が向こうから「あなたとはつきあえない」と言って遠ざかって行ってくれるのなら、それは自分としては「よかったこと」だったかもしれません。
             先入観から決めつける、そんな「考えの浅い人」と一緒にいても、自分にとっては恐らくいいことは何もないでしょう。
            
 先入観の強い人の言葉に振り回されたり踊らされたりして苦労するだけです。
             そんな相手と苦労してつきあっていく必要がなくなったことは、むしろ「得をした」と考えるほうがいいのではないでしょうか。
             そう考えれば気持ちも落ち着きます。
            
 平常心で自分は自分の進むべき道をまっすぐ歩いて行けばいいのです。
             そのほうが生産的な人生を歩めるでしょう。
             失敗したからこそ、明るい未来が開けると信じる
 失敗したからこそ、明るい未来が開けると信じる
            
 一度手痛い失敗をすると、「また同じ失敗をするのではないか」という不安から心が乱れます。
             ある若い女性は、好意を持つ男性の前で失敗をしてしまいました。
             飲み物をこぼして、彼の洋服を汚してしまったのです。それ以来、彼女は彼に会うのが怖くなってしまいました。「彼に会った際に、コーヒーショップなどで一緒に飲み物を飲むことになったら、どうしよう。また同じ失敗をして、彼に迷惑をかけることになるのではないか」という不安が心から消えないという。
             彼女はきっと、「彼の洋服を汚したことで、彼を不愉快な気持ちにさせたのではないか。また同じ失敗をしたら、もっと嫌われることになるのではないか」といったようなマイナス思考に心がとらわれてしまっているのでしょう。
             マイナス思考に心がとらわれてしまうから不安になっていく気持ちにブレーキが利かなくなって、どんどん彼に会うのが怖くなってしまうのです。
            
 このように物事をマイナスにばかり考えていく人は、ちょっとしたことで心を乱す傾向が強いようです。
             しかし、ちょっとした失敗をマイナスばかりに受け取らなくてもいいのです。
            
 たとえば、好きな人に迷惑かけるような失敗をしたことで、相手から嫌われるどころか、かえってお互いの事を強く意識するようになって、それが恋愛関係に発展していく、というケースもあります。
            
 大切なのは、相手に迷惑をかけた時のフォローの仕方だと思います。
            「先日迷惑をかけたお詫(わ)びに、プレゼントしたいものがあるんです」といった連絡をするという方法もあるでしょう。そうすれば失敗から相手に迷惑をかけたことがきっかけになって、相手と親密になるチャンスが増える、と考えることもできるでしょう。
            
 そのようにプラス思考で失敗を捉え直すことができれば、不安や怖れから心を乱さずに済むでしょう。
             イヤなことを「すぐに忘れる」ことにするのがいい
 イヤなことを「すぐに忘れる」ことにするのがいい
            
「友だちからイヤミを言われて、イヤな思いをした」
            「上司に叱られて落ち込んだ」
            「自分で建てた目標を達成できずに。自己嫌悪におちいった」
            正直言って、このような出来事は誰にとっても日常茶飯事ではないでしょうか。
             ひとは一日の生活の中で、何度もこのような「イヤな出来事」を経験しながら暮らしています。
            
 言いかえれば、イヤな出来事を経験した時、どのようにして気持ちを切り替えるのかが、元気に暮らしていけるかどうかの大切なポイントになるように思います。
             一日の中で何度も経験するイヤなことに関して、いちいち思い悩んでいたら元気に暮らしていけないのです。
            
 気持ちの切り替えが下手で、いつまでもイヤな思いを引きずってしまうタイプの人は、残念ながら元気に暮らしていく事はできないでしょう。
             そういう人は、明日も、明後日も、クヨクヨした気持ちを引きずってしまいます。
            
 上手に気持ちを切り替えてこそ、イヤなことを経験しながら、前向きに元気よく暮らしていけます。
             ただし、上手に気持ちを切り替えるには、ちょっとしたコツを身に着ける必要があると思います。
            
 たとえば、趣味を持つことです。
             イヤな経験をした時に、楽しい趣味に熱中する時間を持てれば、イヤな出来事を忘れ上手に気持ちを切り替えることが出来ます。
             何でも相談できる親しい友人を身近に持つのもいいでしょう。
             友人と楽しいお喋りの時間が、やはりイヤな出来事を忘れさせてくれるのです。
             イヤなことは、他の事に意識を向け、すぐ忘れてしまうのがいいのです。
             「今日ほどいい一日はない」と思い込んで、今日という日を暮らしていく
 「今日ほどいい一日はない」と思い込んで、今日という日を暮らしていく
            
 禅の言葉に、「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」というものがあります。
             掛け軸にして飾ってある家庭もあるかもしれません。
             言葉通りに、その意味を受け取れば、「昨日はいい日だった。今日もいい日だ。毎日がいい日だ」という意味になるのでしょう。
            
 ただし、この言葉の本当の意味は、そのような言わば「結果」にあるのではありません。
             むしろ、「毎日を『今日ほどいい日はない』と思って生きていこう」という「心がけ」について述べられたものなのです。
            
 実際には、人は一日の生活の中で、イヤなこと、苦しいこと、悲しいことをたくさん経験しなければなりません。
             しかし、そこで心の平静さを乱したり、落ち込んでいても、自分の人生をいい方向へ進めていくことはできません。
            
 ですから、「どんなことがあって、『今日ほどいい日はない』と思って生きていこう」と、この「日々是好日」という言葉は述べているのです。
             その意味では、「日々是好日」という言葉は、自己暗示の言葉だと言ってもいいかもしれません。
            
「今日ほどいい日はない」と自分に暗示をかけることで、イヤなこと、苦しいこと、悲しいことを経験したとしても「いい勉強らなった。これで一つ賢い知恵がついた」
            「人生について深く考えることができた」と前向きに捉えていくことができます。
            
 つまり、気持ちを乱して感情的に行動するのではなく、平常心で自分の人生を前進させていくことが出来るのです。また、ネガティブな感情をいつまでも引きずることなく、今日という日を大切に生きていくこともできるようになります。
             大切なのは、クヨクヨせずに前向きに生きていく、ということなのでしょう。つづく 自分の弱さわを素直に