男は誉めたがりやで、女はけち? だから、女は元手のかからない言葉を使い、女はものに弱く、男が照れ屋だから男は金を使って形のあるものに頼るのかもしれません。トップ画像

男はもので好意を示し、女は言葉で好意示す

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男はもので好意を示し、女は言葉で好意示す

ピンクバラ 男の観察研究においてすぐ分かった、まず間違いないのが「ものをくれる男はあなたに好意を持っている」。
 女が誉め言葉で男心をくすぐるなら、男はもので女心に訴えようとしています。おごるという形も含まれますが、その人の財力によって金額の大小はあれ、とにかく形あるもので釣りにきます。
 昔、「実は君のこと好きだったんだ」と事後報告的に告白され、私はぜんぜんそんなことに気づいていなかったから「? ? ?」。
 いったいどういうことかしらと悩みました。
 そうしたら「いろんなプレゼントしたじゃない」。

 言われて初めて、そうだったのかと思いあたりました。確かにその方からはいろいろといただきものをしました。
いつもすいませんと、にこにこしながら、ありがたくいただいていたんですが、そんな下心(?)あったとは、つゆほども考えませんでした。
 ほんとうにプレゼントのしがいがないやっですいません。

心に残るは変な? プレゼント 

 私はごはんなぜか変なものばかりもらうタイプだったんです。
 今までもらったものの中で、一番変わっていたのは養命酒。
 学生時代に田舎から遊びに来た友達が「顔色悪いよ。ちゃんと食べているの?」と言って、その足で薬局に行き養命酒を買ってくれました。
変わったものといえばうちの夫にもらったものも変なものばかりです。彼の名誉のためにひとこといっておきますと、もちろん素敵なものもくれました。でも、最初にくれたのは椎茸。田舎から送ってきた、お歳暮みたいなやつです。

 出会った最初のころはいろいろプレゼントをもらったんですね、素敵だなあと、感激したものはメロンとバラと、なぜか、焼肉をおごってくれたこと。
 ある日、うちのドアーを開けたらバラの花束を持って、立っているんです。「男にバラなんてもらったことがないだろう」って。
 これには本当にびっくりしました。

 メロンも高いものだったから「うわーっ、こんのものもらっていいのかしら」と、うれしかった反面、少し心配になりました。それから、学生の身分で焼肉おごってもらうというのも、当時としてはすごく画期的なことだったから感動しました。けれども印象はやっぱり一番最初にもらった椎茸。

 椎茸が私の人生を決めたかもしれません!? と言ったら、ちょっとおおげさすぎるでしょうか。

男は「好きだから」あげる

 さて、世の中にはいわゆる「マメオくん」という人種がいて、だれかれ構わずに、ものをあげたり、何かしてあげたりします。でも、それは女がまわりの男にあれこれお世辞を言ったり、ちょっと誉めたりするのと同じ撒(ま)き餌(え)。

 男は誉めたがりやで、女はけち? だから、女は元手のかからない言葉を使い、女はものに弱く、男が照れ屋だから男は金を使って形のあるものに頼るのかもしれません。

 だから、男が何かしてくれた「私に気があるのね」って堂々と勘違いしましょう。

 男は現金だから、好意のない女、あるいは自分にメリットがない女には、何もしてくれません。
 たとえ恋のレベルにいたらなくても、好意はある。
 何かされてちょっといいなと思ったら、今度はこちらから餌を撒く。

 注意するのはマメさを男の愛の深さと勘違いしないこと。
 これさえ忘れなければ好意がある分、何もないところから振り向かせるよりも確率は高いはずです。
 本音をいえば、女ってこれぞと思った男には自分だけにマメにして欲しいものです。
 けれどマメな男って誰にでもマメ。

 マメな男は楽なんだけれども、誰にでもやさしいから不安になったりするし、それにマメオくんに限って、釣った魚には餌をやらなくなったりする確率が高い。
 どこかに自分だけにずっとマメな男がいればいいんですけれど、それはかなり虫のいい話かもしれません。
 私だって、恋愛とは別に、そんな人に出会ってみたいものだと思います。

プレゼントをもらったら・・・・

 マメとはちょっと違いますけれど「女にお金を払わせない男性」と「高いものをプレゼントしたがる男性」もいます。

 あきらかにお金持ちの彼ならともかく、恋人になっていないのにそんなことをする男は下心でいっぱいなのか、せめてお金を女子に使って気分的に満足したいのかどちらかでしょう。

 あなただけに、というならそれは本気なのでしょうから、相手の好意を受けてもいいなら好意に受ける。
 そうでなければやんわりと、でもはっきりお断りしないと、その勘違いがのちのち問題になることもあるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、「あすなろ白書」の取手くんみたいに、借金してまであなたへプレゼントをしてしまうという、金銭感覚のない男でないことだけは確かめてくださいね。
 相手が誰であれ、会うたびに高価なものをいただいたり、ご馳走されてばっかりでは、まともな心根の持ち主ならば苦しくなってしまうもの。

 かといってお返しをしようにも、それに見合うものが返せない。
 そんな時、自分は男性にお金を使ってもらって当然の女だと思ってしまうのか、どうかも問題です。

恋の基本はおもいやり

 つき合いはじめたころは、男も女も相手に対していいかっこうをしたい、気に入られたいという気持ちが強い。
 だから、けっこう無理してしまう。とくに男は金銭的に無理をする。そこで味を占めて、彼に対する感謝、相手の気持ちを思いやることを忘れたら恋はおしまい。

 彼氏もすぐにできるんだけれど、どうも長続きしない、という悩みがあるなら、男の好意に甘えてそのうえであぐらをかいてしまうというところに自分があるのではないかと、自問自答してみてはどうでしょうか。

 もちろんこれは金銭的なことだけではありません。
 最初の心地よい状態があたりまえだと思ってはいけないのです。
 いつまでもハイテンションでおいしい恋なんてありません。恋は二人で育てる、楽しいけど難しい生き物なのです。

女と男、勝負どころの違い

 女は争いごとが嫌い。だから八方美人というこう言葉が生まれたわけでもないでしょうが、とにかく女は誰からも好かれたいし、敵を作りたくない。
 だからいい子ぶりたい、誰からも好かれたい願望が強い。

 とくに男の人に対しては。多くの人に好かれる=自分は魅力的な女、と。
いう図式があたまにあるわけです・だから女の判断基準は好き嫌い。
 たとえば仕事なら、その重要性とか、将来性とかよりも、この仕事は好きだけれども、この仕事は嫌いというように好き嫌いで分類しているんです。

 ところが男は、人に好かれたいなんてとんでもない、とにかく他人に勝ちたい。
 他の人より自分が一歩抜きん出たい、なんです。

 だから何かするときに、まわりの不特定多数の人に好かれるようなんて小細工とか、嫌われたらどうしょうかという躊躇(ちゅうちょ)はない。
 極端な話、嫌われてもいいんです。

 したいことができればいい。
 そう考えると、男の判断基準は勝ち負け。勝った数に自分の男としての価値を見出していくんです。
 (男は、それこそ精子のころから競争人生を生きていますものね)。

好き嫌いも、勝ち負けのうち

 それでは人生に勝てれば人に好かれなくてもいいと男が思っているかといえばそんなことはありません。
 女がまんべんなく好かれたいのに対し、男は自分が好きな (これは女だけじゃなく、仕事上などメリットのある人も含みますが)、あるいは自分が好きになってもいいと思ってくれる人には、絶対好かれたいんです。

  そしてそのためには何でもするんです。
 自分の味方を増やしたい、ネットワークを張りたいということでしょう。

 多分、男にとっては、性別を問わず好きな人には好かれる=高く評価される男、という図式が成り立つのだと思います。
 高く評価されることは、相手に自分の価値を認めさせる、信頼を勝ち取ったということです。つまり、人から好かれることさえも、勝ち負けという基準で計られてしまうわけです。
 すべての男が、勝ち負けだけを追及しているではないと思いますが、それでも男にとって、他人に勝つということは人生の中でかなり重要な部分を占めていることは間違いありません。

「負け犬」という形容詞はやはり男に使うものでしょうし、経済面でよく出てくる「勝ち組」「負け組」という表現にしても、勝つことがよくて、負けることが悪いという男の価値観をよく表していると思います。

量で勝負する男、質で勝負する女

 だから、男の自慢話には数が出てくるんですね。
 これは子供からおじいちゃんまでみんな同じ。
 子供なら「××ちゃんはカブトムシ」二匹だったけど、僕は六匹とった」とか、おじいちゃまなら「戦争で、百機も敵機を落としたもんじゃい」とか、(年を取るごとにだんだん数が増えていったりして・・・)。
 男同士で「女何人切り」と自慢しあったり、とにかく数で勝負します。

 だから「たくさん」でなく、必ず具体的な数字が挙がる。
 女なら「たくさんの人にラブレターもらったの」ですますところを、「高校時代四十通もラブレターをもらったんだぜえ」と具体的な数字が出てきます。

 ちなみに女の自慢話で数が出てくるのは振った男の数ぐらいでしょうか。
 それでも女の場合、数そのものより、ハンサムで背が高いとか、医学部へ行った秀才、甲子園に出た野球部のピッチャーのような具体的な役柄やキャラクターの方が重要視される気がします。

 その点、男は美人もブスも一人は一人。
 女だとあまり冴えない男の人を振った男の数に入れたりすると、女友達から、「あんなの数に入れなくっていいでしょう」という厳しい指摘が飛んできたりします。
 やはり男は量で勝負、女は質で勝負と、勝負のしどころが違います。

「信頼」する女、「義理」立てする男

 この間、うちの夫と話をしていたとき、子供のころの将来の夢の話になりました。
 夫の中学生の時の夢はなんと「社会のために生きたい」。
 子供のころからそんな大きなこと考えていたのかと、とても驚きました。
 同じころの私はといえば、自分のために生きられればいいとぐらいにしか思っていなくて、案の定、夫から「そんなことだろうと思ったよ」と一笑に付(ふ)されました。

 女の人生は環境によって左右されるものですから、男のように大きくなったら社会に出て、仕事をして、結婚して、出世して・・・という、ある意味わかりやすいメジャーで計りずらい。
 キャリア目指してバリバリ仕事していたのに、突然結婚して夫の海外赴任についていくとか、早く結婚して子供が欲しいかったのに、なぜか趣味が仕事になって成功してしまったとか、不確定要素が多いようです。

 ところが男は、最近は転職族も増えましたが、たいていは終身雇用。学校を出て会社に入ったところでだいたいの自分の人生設計ができる。
 そうするとその中で自分の地位を獲得し、それより高いところに持っていこうとする。
 一生、会社というひとつの社会で暮らしていくことになるわけです。

義理堅いことと信頼することは一致しない

 ただ一つの社会だから、義理を欠かせない。
 だから、たとえ自分と直接利害関係がなくても、義理は果たす。義理堅いというのが男社会では美徳になるんです。
 そうして親交を深めていく。では義理で固めた男同士の信頼関係が深いかといえば、それはまた別物。男は競争する動物だから、義理堅いことと信頼が厚いことは一致しません。

 それに比べて、女はけっこう義理を欠きます。
 とくに利害関係のない相手には、まったくといっていいほど義理立てをしません。
 ところが義理がないから、女同士には信頼もない、とはならないのです。

 たとえば主婦同士。男の目から見れば、主婦は自分と自分の家庭のことしか考えていないから、お互い信頼も何もないだろう、というふうに映るかもしれません。

 けれども主婦同士の信頼関係というのは男が思っているよりずっと厚いのです。それは、お互い子供を預けあう、という行為を見れば分かると思います。

 自分の分身であるかわいい、大切な子供をよそ様に預ける、これってよほど信頼していなければできないことだと思いませんか。

 女の判断基準は好き嫌いですから、出会った人を最初からこの人よし、この人ダメという具合に、フィルターにかけていきます。
 そうして自分のまわりに残った人たちだから、女同士は意外に根っこのところで認め合い、分かり合えるんです。だから、すぐに相手を信頼できるかどうかがわかる。

そのかわり自分の状況が変われば疎遠になり、信頼関係が薄れてしまうということもあると思います。
 それに比べて、男は理論や勝ち負けという基準をもとに、信頼できるかどうかを判断する。

 これはけっこう大変なことかもしれません。
 ただ、そうして下した判断だから、男の信頼も厚く、たとえ離れていても長く続くものになるのでしょう。
  つづく 女と男、どちらが強く愛を求めている?

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