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「快楽」を愛する女、「刺激」を好む男

本表紙
 

ピンクバラ「快楽」を愛する女、「刺激」を好む男

男は自由が好きと言いましたが、昔から男があこがれるのは船乗りとかパイロット。一カ所に安定しないで、あちこちを飛び回る仕事です。自由とともに、未知なもの、新しいものと巡り合える可能性が高いものと言えます。

 男は、常に自分にとっての新しいものを探しているように思えます。たとえば旅行に行くとします。そうすると大部分の男は、せっかく知らない土地に来たのだから、名所旧跡はもちろん、珍しいもの、その場所ならではのものは絶対に見ようとします(食べ物に関しては男はとても保守的なものだから、ちょっと個人差がありますが)。

 あるいはせっかく旅行に行くのなら、あまり行く人のいない珍しい国に出かけてみようかとか、観光旅行やパッケージツアーでは行けないところに行こうと考えます。

 だから、バックパックひとつ背負ってアジアを放浪したとか(近ごろは女のバックパッカーも増えましたが)、バイクでユーラシア大陸を横断したとか、ほかの人とは違う旅をしたがるわけです。

【広告】 男と女というのは、実は結婚した時から飽きる方向にしか向かって行かない。いくら好きだからと言って、年中すき焼き食わされたら、誰だって飽きます。夫婦関係を永遠に繋ぎとめておくために、多種多様な戦術を利用する。そうした戦術の大きな基盤の一つとなるのは、配偶者がもともとどんな欲求を抱いていたかという点だろう。配偶者の欲求を満たす、そして例えば愛情とセックスによって繋ぎとめられるのが理想だが、大概の男女はオーガィズムの奥義をほとんど知っていないという実情がある。オーガィズム定義サイトから知ることができる。

お土産は「もの」か「話」か

 それに引き換え女の旅は、お買い物、おいしいもの、エステ(あるいはのんびり)が基本になります。たとえば、パリにいってもエッフェル塔やルーブル美術館などそっちのけ(一応、観光ルートに入っているから話の種に見に行きますが)、サンノーレあたりで買い物に費やす時間が一番多かった、なんて話はよく聞きます。

 あるいはリゾートへ行ってエステ三昧。おいしものを食べてリフレッシュ。でもどこへ行ってもお買い物とお土産買う時間は絶対に確保します。

 うちの夫も、旅行へ行くとここであれを見て・・・なんて細かく(時に強行な)スケジュールを立てて、私にも強要するんです。
 私にしてみればせっかく旅行に来たのだから、のんびりボーッとして、おいしいものでも食べましょうと提案するんですが、「せっかく来たのに(見るべきものを見ないなんて)もったいない」と、一蹴(いっしゅう)されます。

 そのくせ、旅行(取材も含めて)に行っても「時間がなかった」のひとことでお土産なし。
 お土産を選ぶ時間があるなら、ほかにすることは一杯あるというのです。
 その代わり、ここであれを見てどういうふうでこうだったということに関しては、微に入り細に入り解説してくれます。

 女にとっても男にとっても、旅というのは日常生活を離れた、別の時間です。でも、女にとっての旅は、現実を忘れ、のんびりとリラックスする時間であり、男にとっては、未知との出会い、新しいものを求める時間なんでしょう。

新しいもの好きなのは、女? それとも男?

 男はお土産を買わないと言いましたが、けっして買い物が嫌いというわけではないんです。

 ただし、新製品に限ってのこと。男はとにかく新しいものが好き。新製品が出ると、試さずにはいられない。私の周りを見てもそうですが、車やコンピューターの新製品が出ると、自分が買う買わないは全く別として、その話題で男同士、ニ時間でも三時間でもえんえんと盛り上がれるんです。

 新しいというだけで「いいものだ」と思い、その製品を自分が必要としているかとは別に、その製品情報に夢中になれるなんて、女からしたらまったく理解できない行動としか思えません。
 それに加えて、ついに新しい製品を買うと、もう古いのには見向きもしない。
 もしかしたら、古いもの方が使いやすいかもしれません。
 そうだとしても、新しいものが出るたび、買い換えていくんです。

 新しいということに一番の価値を置く、新しいものにチェンジするという考え方なんです。
 古いものを取っておくという発想はありません。

 女だってもちろん新しいものは好き、季節が変わるごとに、流行りの洋服や靴やバッグを買いたくなる。
「あっ、このピンクのセーター、ちょっと今年っぽい」というだけで、ほとんど同じ形や色のセーターを持っていたとしても、「去年のものとは襟ぐりの深さが違う」といったような理由にならないような理由をつけて購入します。

 流行りのものを身につけた方がより素敵に見える(おしゃれな人だとまわりから評価される)だろうし、ちゃんと流行を意識しておしゃれをしている自分はエライと思う二重の自己満足があるんです。

 それでは、持っていた前のセーターを捨てたり、誰かにあげたりするかといえば、そういうことにはなりません。たとえタンスの肥やしと分かっていても、ずっとしまっておきます。ストックするんです。

 ため込んでおくというのが、女の考え方なのです。
 私だって、捨てるに捨てられない洋服がたまって、もうたいへん。それでもシーズンごとについ買ってしまうものだから、夫から「いいかげんにしろ」とお目玉を食らってばかり。ついに我が家はワードロープのためにリフォームを迫られたところまで来ています。

 旅にしても、買い物にしても、男の求める基本は新しいもの、未知のもの=自分を「刺激」するもの。
 一方、女の望むものは、精神的にも肉体的にも気持ち良さや満足=自分を心地よくしてくれる「快楽」といえます。

適齢期が上がったわけ

 女の人生、結婚するだけがすべてじゃないという時代に
なって、男も女も適齢期というか、いわゆるいい年なのに独身、という人口が増えてきました。うちの夫(弘兼憲史・漫画家)に言わせると結構な年(いったいいくつなんでしょうか?)になっても、結婚していない男は「面食い!」らしいのです。
 女でも、ある程度仕事をこなし、公私ともにいろいろな人を見、世界を広げたりしてくればおのずと自分の中での判断基準というか、人を見る目が厳しくなるのはあたりまえです。
「面食い」は外見というより、いろいろな条件という意味なのでしょうね、私の身内にもいい条件の見合いのお話をいただいたんですが、「見合いをするような男はモテないから嫌い」って一蹴してしまいました。

 女の場合、あんまりモテる男も心配で嫌だし、かといってあまりにモテなそうな男もダメ、結局、人より結婚が遅れれば遅れるほど「さんざん選んで、素敵な人と結婚したのね」って友達にうらやましがられたい気持ちが強くなるのでしょうか。独身でいる女は「仕事が面白すぎるんだね」とか、「(美人で相手を)選びすぎじゃないの」とか、言われたりしますが。
 けっこうまわりから心配されます。

 だいたいなかなか結婚できずに独身でいる女は性格的に押しが弱いとか、いい子なんだけど口が悪いとか、ここぞという時に男にすり寄れないタイプが多い。
 女が思う性格の悪い女は、けっこう早く結婚できるのでしょう。

 男の場合、そこそこ年齢がいっているのに一度も結婚したことがないとなると、女の側から見て「この人、大丈夫かしら?」と考えさせるものがあります。
 とくに銀行など堅い職業の男の場合、今でも家庭を持って一人前みたいな風潮がありますから、どんなにかっこういい男でも何か問題があるんじゃないかと疑われてしまいます。

 ホモかマザコンか、あるいはプレイボーイなのかしら。
 プレイボーイならまだしも最初の二つはちょっと困ります。知り合いの人に聞いた話ですが、彼女の会社に四十すぎのなかなかかっこういい男がいます。

 どうして独身なのかしらと同僚に聞いたら、いまだにお母さんのくれたぬいぐるみと一緒に寝ているという風評だと返事が返ってきたとか。マザコンって意外にインテリに多いから困りものです。こればっかりは外見から判断できませんし・・・。

息子を引きとめる、

 マザコンとまではいかなくても、日本の場合、男も女も、ある程度年がいっても親と一緒に暮らしているケースが多いですね。そうすると、身の回りの世話を母親がすべてやってくれる。
 子供のことを愛しているから、文句も言わない、ひたすら尽くす。これでは居心地がよくて結婚なんてできないでしょう。

 とくに、息子の場合、母親はいくつになっても息子はかわいいから、なんでも手を出してしまうし、許してしまう。そのくせ母親は心のどこか深いところで、一生息子に見返りを期待しているようなところもありますから、それをおびやかす(?)であろか息子の嫁について、あれこれ注文をつけてしまうのだと思います。
 そうなると独身で、適当に女と遊んでいる方が楽になります。給料も全部自分のために使って、それでも誰からも文句は言われない。

 だから、結婚はしてみたいけど、踏み込めない。そういう疑似マザコンが最近増えているようです。
 もし、つき合っている彼がそんなタイプだったらどうするのか。本当にそれ以外は何も問題がなくて、とても魅力的だったら、彼のお母さんになればいいんです。うまく本当のママを遠ざけて、お母さんの役割を演じる。

 若い分、選ばれる確率は高いと思います。もちろん一生ずっとお母さんの役割をやりつづけるというものも、かなりしんどい気はしますが、そうしてでも手に入れたい、この男じゃなきゃ自分はだめなんだという気概があれば、そういう人生もまた楽しめるというか、いいんじゃないかと思います。

くどく男の違い

 私はどちらかと言えば、無口な男よりも少々おしゃべりな男の方が好きなんです。お互いに会話のキャッチポールで盛り上がっていく。無口な人だと、何をしゃべろうか考えて気を使っているうちに疲れて、もういいや、になってしまいます。
 それはそれで人の好みですから、おしゃべりな男がおしゃべりな女を好きとも限らないし、無口な男がおしゃべりな女を好きだったりします。
 でも、生物学的に自分の子孫を残すべく運命づけられているお男が、そのための行動として常に女を口説くなら、きっと口のうまい男の方が男という種の中では優性なのかもしれません。

 男のことはいざ知らず、女はおしゃべり、というか口のうまい男にとても弱いと思います。今までは女の立場が受け身であったこともあるので、これから先はどうなるか分かりませんが、だいたい女は口説く男に弱い。もっとはっきりいえば、自分を口説く男を好きになります。
 その人と付き合わないまでも、その気にさせられる確率は非常に高い。

 女は積み上げた理論的思考というよりは、感覚で生きているから、(もしかしたら自分では意識していなくても、無意識に蓄えた経験値を分析しているのかもしれません)、分かりやすいやさしい態度とか言葉、そういうみせかけのものにとても弱くできていると思います。

 だから、「好きだ好きだ好きだ」などと連呼されてしまったり、「こんな気持ちになったの、君が、初めてだよ」と、ささやかれながら、バラの花束をもらったりすると、もう心は舞い上がっていく、この人こそ運命の人だと思い込んでしまう。

 運命の人とまでは思わなくても、この人は自分の趣味じゃない、でも、そこまで私のことを思ってくれるなら、とその人を好きになり始めたりする。
 それも一度失敗しても懲りずに、また他の人に言い寄られると同じようにこコロッとまいってしまったりする学習能力のないところが、女には多かれ少なかれあると思います。

危ないのは調子のいい男 

 私はマンガの中でこういうくどき上手なタイプの男を何度も画いていますが、その代表的なのはやはり「東京ラブストリー」の三上健一でしょう。容姿を誉めたり、甘い言葉をささやいたり、手を変え、品を変え、相手がその気になるまで言い続ける。

 とにかく若いうちは、おいしいことをいう男に本当に弱い。若いころってどこまでが本当で、どこまでが嘘、というか絵空事かが分からないんです。
 それが若いということだと思いますけど。

 恋愛と言うよりも、社会経験を積まないと、男の言っていることが口先だけのことかどうかは、分からないのではないかと思います。女は言葉だけで気持ち良くなれるから、年を取って経験をつんで、これは口先だけだけど、気分がいいからいいわとか、これは眉唾だから気をつけなきゃだめとか、自分の中で男との会話を楽しめるようにならならないと、人生失敗してしまうこともあるような気がします。

 じゃあ具体的に、どんなことをいう男がよくて、そうじゃない男には気をつけろということです。でも、まだ自分が若かったり(これは肉体だけじゃなく精神年齢も含めて)、まして男がかなり年上だったりすると見分けられなくて失敗しちゃうんですね。
 何を言われても全部本気で受け止めてしまうし、疑って「全部嘘でしょう」と言ってみたところで、
「そんなに僕を信じられないのかい」とか何とか言われて丸め込まれたり、さらにいろいろ言われて、混乱してだんだん分からなくなってしまう。

 だから調子のいいおしゃべりな男に出会ったら、とりあえず注意して、いつも冷静な気持ちを持っことだけは、忘れないようにした方がいいと思います。

強引な男も、女を心地よくさせる

 また、くどき上手な男の中には社会の中で俺は絶対に正しい、絶対に強いんだと信じ込んでいるタイプもいます。
 自分の弱さを認めない男です。私はこんな男は嫌なんですが、女にとっては一種、魅力のある男であることは事実です。
 私のマンガの中では「あすなろ白書」の秋葉社長が、このタイプ。
 俺が一番、って思い込んでいる男です。
 こういう男は自分に自信がありますから、女は自分に絶対なびくと思っている。
 そのうえで、まめに、かつ強引にくどく、女はまめと口説きに弱いから、よほど生理的にだめでなければ、まずなびきます。
 こういうタイプの男は、そこでまた「俺は正しい」と誤解してしまうんでしょう。

 最初は強引さが鼻につくんです。でもだんだんその強引さが、快感に変わってくる。女は力強く引っ張られていく感じが、気持ちいいんです。
 女ってどこか純粋なところがあるから、グルについていく弟子みたいに相手を信じてしまう。「導かれるのが好き!」と遺伝子に刷り込まれているのではないかしらと思ってしまいます。

 とくに、今の時代みたいに、まわりを優柔不断の「君が決めていいんだに」などとあたりまえのように言ってしまう男の子たちに囲まれていたら、その「強引さ」に新しい魅力を感じて、ときめくのではないでしょうか。

 ある種、強引な、今の時代になくなった「俺について来い」という香りが、男を振りまわすのに飽きた女の子はたまらない魅力なんでしょう。
 だからといってそういう男がいい男かといえば、そうでないからまた恋愛は面白いんです。

男の「マドンナ」崇拝と、女の「ミーハー」信仰

 女が持つ「モテる女のイメージ」のひとつに「マドンナ」というものがあると思います。私はこれは女がいたりがちな、大きな勘違いのひとつだと思っています。

「マドンナ」といえば男の子の憧れで、みんなからちゃほゃされ、モテてうらやましいというイメージが浮かぶと思います。でも、私は不思議に誰もがあこがれる、マドンナのような女の恋って描いたことがないんです。ほんの少し「あすなろ白書」の京子さんの若いころに、そういう女だったというキャラクター設定をしていますけど。

 私は、恋愛は自分が好きな相手のことを好きになってくれることが基本だと信じているせいか、私のマンガの登場人物はみな、略奪愛も含めて、個人戦なんです。
 現実的には、男は若い時には必ずマドンナを作ってみんなであこがれますから、男をはべらすマドンナ、というか、フェロモンで男を引きつける女王蜂みたいな存在の女は、どこにでもいると思います。

「マドンナ」は永遠の存在 

 私の学生時代にもやはりそういう女がいて、クラス会で久しぶりに会ったのですが、今でもキレイ。男たちが「相変わらずキレイだね」ってチャホャしていて、同級生の女同士で「マドンナ健在」なんて笑ってきました。

 もっとも、マドンナの条件のひとつに美人でなければいけないということが挙げられますから、自分で「あっ、私、もうだめだ」と思った瞬間に昔の集まりに欠席するようになる気もしているのですが・・・・。

 でも、それはそれで男性群は当時のイメージを膨(ふく)らませ、「伝説のマドンナ」を作り上げて、勝手に思い出の中だけで盛り上がったりするものなのかもしれません。

 男は、とくに若ければ若いほど、キレイで、頭がよくて、お嬢さんみたいな人にあこがれます。しかも俺もあこがれんだから、おまえもあこがれろよ、みたいな妙な連帯感をもってその女のまわりに集まる。

 まわりにはいるだけでうれしいんですね。だから、それぞれの男の好むタイプは違っても、なぜか「マドンナ」はひとりだけ。
 女の側からみるとよくわからない心理だけれども、それこそ働き蜂が女王蜂に仕えるみたいに、ただただ取り巻きでいることがうれしい。

 お互いけん制し合ってぬけがけ禁止のような雰囲気になったり、あるいはナイトの気分であこがれているだけなんです。
 ところがその逆に、つまり身近のかっこいい男(場合よっては一般受けするようなハンサムじゃなく魅力的な男)のまわりにただ女が集まることはありません。

 集まる女はみんなその男を狙っている。あるいはすでに全員お手つきハーレム状態。この男と女の心理というか、生理の差は分かりません。

「ミーハー」はけっして止められない

 けっして女は恋愛なしにかっこういい男のまわりに集まらないと言い切りましたが、雄一、例外のケースがあります。ただし、これは条件があって普通の男ではダメなんです。
 有名人、芸能人に限ります。

 しかも一度にひとりだけというわけでもない。そう、「ミーハー」です。女は子供のころから、もちろんおばあちゃんになっても「ミーハー」が直らない。
 私は女の本質のひとつに、打算的で、何につけても見返りを求めるところがあると思っていますが、この「ミーハー」という行為に関しては、別。むしろ持ち出しがあたりまえです。

 どうして「ミーハー」に関して、女の本能が働いてブレーキをかけないのか、不思議でなりません。
 私は自他共に認める筋金(すじがね)入りの「ミーハー」で、体力も、財力も果てしなくつぎ込んでいます。

 夫からよく「どうしてそんな無駄なことをするんだ。(おっかけをしている)アイツと何かできるわけじゃないだろう、ばかばかしい」と言われています。でも、それでも止められないのが女の「ミーハー」です。
  つづく 男はもので好意を示し、女は言葉で好意示す