セックスレスに陥らないにはSEXは体と心両方の快感を求めるもの心さえ満足すればいと言うは欺瞞に過ぎない自身の心と体の在り様を知ることで何を欲しているのか、何処をどうして欲しいのかをパートナーへ伝えることでセックスレスは回避できる。トップ画像

愛撫 SEXが楽しい時

本表紙

愛撫 SEXが楽しい時

ピンクバラ五感――見る。聞く。触る。嗅ぐ。味わう。
 恋をすると五感が鋭敏になります。五感のすべてで相手を受け入れたくなると、
「あなたを食べてしまいたい」
 なんて、表現の仕方も怖いものになります。
 男と女が接触し、そこから快感が流れ出し、広がっていくので
「愛とは、ふたつの魂の調和とふたつの表皮の接触」
 そっと愛撫されることの心地よさ、愛撫は心のこもった皮膚の接触から始まります。

「相手の瞳を食い入るように見ながら愛をささやく恋人同士も、静かに瞳を閉じた接吻を忘れてはならない」
 脳生理学の権威・時実利彦博士もこんな名言を残しています。
 キスするとき、男も女も自然に瞼を閉じます。目をつぶると下界がシャットアウトされ、性愛への集中力が増すからです。

〈皮膚は、体を包む薄い膜の脳〉

といわれています。厚さは二ミリほどで、そこには無数の感覚受容器がちりばめられています。粘膜もそうですが、体の中でもっとも神秘的な器官が皮膚なのです。

 恋した女性は、しばらくすると肌がツヤツヤと美しく輝いてきます。皮膚の神秘に恋のマジックが作用したのです。

「あたし、ヤな奴に触られると、鳥肌がたっちゃう」

 このふたつの反応の違いを考えてみましょう。
“くすぐったい”には、ふたつのアピールがあって、ひとつは警戒信号です。言葉は出さないけれど相手がSEXを求めていて、こちらをその気にさせるために愛撫しているのですが、まだついていけない状態にあるとき、
「いや―ん、くすぐったい」
 なんて、甘えて身をよじったりします。体が半分快感を覚えているのですが、このまま突き進むことに躊躇しているのです。
「身を任せるのはまだ早い。後悔することになるかもしれない」
 皮膚という“脳”が、愛撫のさなかにも、理性的に判断しているのです。
 もうひとつは赤ちゃんがくすぐったがるのと同じで、幼児期の記憶が残っているための反応です。
 皮膚という感覚受容器は、これほどデリケートなものです。

 嫌いな男に触られて鳥肌が立つのは、皮膚がアレルギー反応を起こすからです。酷いときにはジンマシンが出るほどで、皮膚がいかに敏感かおわかりでしょう。
 そっと撫でられているうちに、眠りたいようないい気持になるようだったら、相手の男が好きになっている証拠です。
 恋すると、五感はどれほど変化するか、観察してみましょう。

〈目と目 瞳の中のあなた ひと目惚れ〉

 好き嫌いは、何といっても目で見た瞬間の第一印象です。ひと目惚れは、あとになってミスったということもありますが、ああ、あのときの私の目は正しかった、と確信することも少なくありません。

 ウインク、目くばせ、擬視、相手にまず視線で合図を送ることから、いろいろなことがスタートします。
 相手を見た瞬間、網膜に映った映像はすべて大脳新皮質の視覚領というところに送りこまれます。

 漠然と視野に入れているようでも、指や皮膚が知覚しているのと同じように、一目惚れしても大丈夫か、自分に危害を加えることはないかなどの判断もしているのです。

“目をかける”という言葉もありますが、これは人との付き合い、教育の場などで、めんどうをみる、情けをかけることです。

 大脳生理学とセクソロジーの本をたくさん書いている大島清博士の著書のなかに、『快楽の構造』という本があります。そのなから、恋の気分に関係あるところを拾い出してみましょう。

〈『古事記』のさわりにあるマグワイ〉
 メークラブのことを、昔むかしは“マグワイ”といいました。『古事記』のなかの「一神の結婚」の一節、イザナギノミコトが、イザナミノミコトを口説くところです。
〈しからば、わたしとあなたと、この天の御柱を行めぐり逢って、みとのまぐはいをしましょうよ〉

 まぐはい。マグワイ。漢字だと、“目合”と書きます。マグワイの意味は、“目を見合わせて愛情をしらせること。めくばせ。
 男女の”交接”と広辞苑には書いてあります。交接というと、交尾を連想してシラケてしまうけれど、目と目、見つめ合った瞬間から、肉体の交わりが予感されるということです。

 目は口ほどにものをいい、ともいいます。ただし、これは誤解されやすいので注意が必要です。
 ある会社での話。
 Wくんは、その女の子が気になって仕方ありません。いつも潤んだ瞳じっとWくんを見つめているように思えるのです。
「あの子はオレに気がある」
 Wくんがそう思ったのも無理はありません。じっと見返してみると、彼女の視線も返ってきます。
 ちょっと得意になったWくん、実は…・と、何人かの友人にノロケてみたのです。すると、オレも惚れられている、と友人たちが口々にいうのです。
 若い男数人が、オレだ、オレだと言い合っている横を通りかかった例の女の子の友達が、ゲラゲラ笑いながら、引導を渡したものです。

「あなたら、バカじゃないの。あの子がど近眼なの知らないの。人の顔がほとんどわからないから、向こうから来る人が自分を見ているなと思ったら、目を凝らすのよ。いつもじっと眺めていれば、目が痛くなってウルウルしてくるでしょう。ほんと、度しがたいうぬぼれ屋さんたちね」

 Wくんの恋物語もこれでチョン。でもこの話、逆もまた真なりで、ハンサム近眼男と女の子のあいだに起こってもおかしくはありません。
 余談ですが、女優、タレントで瞳がきれいで潤みがちという美女は、八割方ど近眼だそうです。潤んだ瞳を凝らして楚々(そそ)とした風情(ふぜい)は、十分にカメラのアップに耐えられ、思いれたっぷりな目の演技が、ごく自然にできてしまうそうです。
 松阪慶子さん、岩下志麻さん、吉永小百合さんら、きわめつきの美女に多いようです。

〈女の心を揺さぶる声〉

 声に恋する、こともあるんです。低音の囁きに子宮が疼(うず)いたのよ、なんて告白する女性もいます。
 鳥のさえずり、蛙のゲコゲコ、スズムシ、マツムシの鳴き声、みんな愛の告白です。
 だから人間だって、愛の言葉、その響き。声もその人の肉体の分身なのです。

 鳥や動物は交尾期になると、悩ましい特殊な声を出します。さかりのついたオス猫の何とも言えぬ春の夜の鳴き声に、顔も赤らめた人もいることでしょう。

 その声をキャッチする耳も優れた受容器官で、恋のメッセージを受け止めます。
 人間の耳一個には、音波を知覚する神経細胞が、およそ二万四千個もあります。振動する音波のエネルギーを電気的な情報に変える神経細胞の働きによって、人間は音を聞くことができるのです。

 ですから、声を発する声帯も、声をキャッチする耳も、重要な恋の武器ということになります。

 オペラ好きな女性は、オペラ歌手のテナー、あるいはバリトンの声にしびれ、性的なエクスタシーに陥ることさえあるそうです。
 若い頃はエリザベス・テーラーに似ているといわれた、女優の富士真奈美さんは、若い日のひとつの恋が、美少女として芸能界にデビューし、モテまくり、口説かれまくって、恋多き日々を過ごしていました。
 そして、ひとつの恋が終わったとき。

「寂しさもあって、カウンター・バーに通っていたことがあるの。ある日、顔は見えないけれど、とてもいい声が少し離れたところから聞こえてきたの。周りがざわざわしているので、何をはなしているのかわからないけれど、遠くの声がすぐ近くから聞こえてくるのね。その音声にしびれた、て言っていいかしら…。

 帰るとき、戸口で顔を合わせ、そのまま彼とドライブ。新しい恋にどっぷりつかっていったことがある。三ケ月ぐらい、彼の部屋に沈没していたもの・…」

 富士さんは面食いとして有名だから、声に惚れた男の顔も、声にふさわしく合格! だったに違いない。あとでわかったことですが、その人の声がいいのも道理、若手の能楽師だったのです。

〈すばらしい言葉は、すばらしい声でいっそう輝く〉

 セクシーな声で口説かれたら、いちころ、という女性は想像以上に多いようです。
 類人猿、クジラ、イルカなどは音声を発してコミュニケーションをとっていますが、言葉を伝達手段として使えるのは人間だけです。
 人間は、囁き、呼びかけることによって、恋を育て、愛を深めてきました。愛の歌が数限りなく生まれるのも、このあたりに原因があります。

 昔、「夜這い」という風俗があったといわれています。女性のもとに夜中に忍び込むとされていますが、異論もあるようです。
「呼び合い」がなまったものとする説です。男と女が互いに呼び合って、確認し合う。鳥が鳴き交わして、次第に近づいていくようなもの、というのです。
 すばらしい声で呼び合ったら、夜這いも大成功疑いなし、でしょう。

〈男の匂い、セクシーな体臭を嗅ぐ〉

 愛は匂いである。フェロモンである――。動物の世界では、匂いも有効な求愛手段です。
 男臭さ、女臭さというセクシーな魅力の源泉は、いまなぜか敬遠されています。キムコ文化といわれるように、脱臭剤がもてはやされて、あの魅力的な体臭が正当な理由もなく追放されつつあります。

 しかし、ひとたび相手が好きになれば、汗臭いのだって、ワキガだって、うっとりしてしまいます。“タデ食う虫も好き好き”っていうんじゃないですか。匂いは性愛の本質の本質なのです。

「男女のあいだに結ばれるもっとも純粋な結婚は、嗅覚によって芽生え、ふたつの肉体が相寄り、かつ、共感し合うことによって生じる分泌とその発散が、脳の細胞をいきいきとさせ、そこに両性の融合が行われ、それを互いに承認し合うことである」

 いまから百年以上も前に、フランス人によって書かれた『女性の香り』という本には、ずばりこう説明されています。

 発情期の犬や猫や猿を見ると、お尻の匂いをあからさまに嗅ぎ合って、交尾への興奮を高めています。こういう行動をとるのも、異性を引き付けるフェロモンが出ているからにほかなりません。

 セックスアピールとは別に、

「あいつ(あのコ)は、フェロモンを発散している」

 などと、やっかみ半分にからかわれている男女がいます。
 人間も動物なのだから、フェロモンを分泌するのは自然なのに、ヤユの対象になるのはなぜでしょう。だから、体臭を消そうと躍起になる連中が出てくるのです。

 フェロモンをという名前がついけられたのは、いまから四十年ほど前のことです。オストメスの生殖に関係し、さかりのついた状態のときの匂いなのです。ちょっと露骨に思われて敬遠されるかもしれません。

 フェロモンは、ギリシャ語の“フェレイン(運ぶ)”と“ホルマン(興奮する、刺激する)”からきた合成語で、“匂いの言葉”といわれております。
 女性の膣から出る匂い物質がフェロモンともいえるので、ストレートな体臭として、フェロモンを避けようとする心理が働くのでしょう。

 その他、汗腺から出る匂いと、皮脂腺から出る匂い。脇の下、乳首、オヘソの周り、外陰部周辺からの匂い。これらはみんな獣の匂いといえるもので、人間もれっきとした動物である以上。メスの匂いにオスは敏感になります。

 人間の知恵がストレートなフェロモンの匂いを嫌い、香水やオーデコロンで自分の体臭を演出する人が増えてきました。この傾向は、とくに女性のあいだに顕著で、いまでは香水で体臭を演出するのが、男女間のマナーになっているといっていいでしょう。

 恋が深まり、メークラブが重ねられるようになると、お互い、オスとメスの匂いよりいっそう刺激されるようになります。フェロモンは“興奮を運ぶ物質”なのだから、当然のことです。

〈キス 味覚も愛の行為〉

 ちょっと露骨な話になりますが、いい女を見ると、男たちはおもわず、

「うまそ――、食べてみたい」
 というような表現を使います。女性のほうも負けてはいないで、
「食べられるものなら、食べてみてよ」
 と挑発します。食べる、のほかに、舌なめずり、よだれが出るなど、美男美女にあったとき、食に関係ある表現をよくしますが、これは愛の行為が、食事に似ているところがあるからです。
 接吻は“口を吸う”という表現で、千年も前から男女が行っていた行為です。このごろは、電車のなかや人ごみのなかで平気でキスをしている恋人同士をみかけますが、日本も開けたものです。

 接吻は、性愛のためのものだけでなく、尊敬の挨拶、礼儀のマナーなどもあって、コミュニケーションの手段として大切な行為です。結婚式のとき、神父さんや牧師さん、出席者の面前で交わすキスは、まさに“契り”という神聖な約束のしるしそのものです。

 恋のキスはSEXへ向かう前戯であり、どうしてもヘビーになりがちですから、TOPには十分気をつけましょう。
「やさしいキスと、そっと抱きしめていてもらうほうが、SEXするよりずっといいんだけど…」

 恋人と深い関係になってしまったあとも、こう打ち明ける女性がいるほど、キスはすばらしいものなのです。
 目を閉じて、ソフトなキスを受けると、静かな甘い時間が訪れます。眠くなるような、癒しのきぶんといってもいいでしょう。

 気分は穏やかで平和で、この静けさのなかに身を横たえていると、彼を精神的に感じることができます。
 最後はぜいたくな“人間のあじみ”が、クチヅケなのです。
 つづく SEXの休暇 しない喜びも大きい