煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

恋の冒険への出発 1

本表紙 水口義明 著

恋の冒険への出発

ピンクバラ 恋のアバンチュール―この言葉が美しい想い出になるのか、思い出にしたくない傷となって残るのかは、女性にとって大問題です。
 恋のアバンチュールには、誰もがチャンスさえあれば、すぐに出発できます。
突如としてアバンチュールのヒロインになってしまい、こんなはずじゃなかったのにと、戸惑いながらも強い力に引きずられて、走り出してしまった経験をおもちの方も多いことでしょう。
 
気づいたときには抜き差しならない深みにはまりこんでしまって、死を考えるほど思いつめていた、なんていうのではとても恋愛上手とはいえませんし、一生心の傷となって残ってしまうかもしれません。
 楽しいはずの恋をして傷ついてしまったのでは意味がありません。

 恋の喜びを十二分に満喫して豊かに美しく変身してこそ、恋をしたと言えるのです。楽しい恋をするにはどうしたらよいのでしょう。
 アバンチュールというだけあって、恋には甘さや楽しさの裏に危険がいっぱい隠されています。その危険をいかに察知できるかが、恋を楽しむか、恋で傷つくかの分かれ道になるのです。
危険を察知するためには、“恋”というものをもっとよく知っておく必要があります。

 恋というと、大部分の人は甘くきれいなイメージしか思い浮かべないようですが、これはとんでもない思い違いです。恋にはドロドロした部分がたくさんあり、そのドロドロが恋の妖しい魅力になっていることも知っておかなくてはなりません。

 三百年も前に、フランスのある作家が「女と男はだまし合い、その中で真実の愛が育ていく」といっていますが、この言葉は恋の一面を見事にとらえています。

 真実の愛を育てそこなって、愛憎渦巻く恋の修羅場が展開されることはよく見聞きすることです。恋に美しいことばかりを期待しすぎていると、こんな結果になりやすいのです。恋には醜い一面もあることをよくおぼえておきましょう。

 いうまでもなく、恋は突発的に訪れます。その典型が”一目惚れ“でしょう。喜びと危険を隠し持った突然の訪問者に何のためらいもなく身を委ねてしまうのは、ちょっと危険すぎます。結末で深手を負いかねません。

 だからといって優柔不断を決め込んでいたのでは、せっかくの恋のチャンスが逃げてしまいます。そうならないために、日ごろから防禦(ぼうぎょ)の準備だけはしておきたいものです。

 あなたが恋におちいったとしましょう。夜は眠れなくなり、電話のそばから離れなくなり、鏡を眺めては大丈夫と思い、次の瞬間には自信喪失してしまう。
 ソワソワ、ニヤニヤ、突然はしゃぎ、突然黙り込む。昔から“恋の病い”といわれるだけあって、精神状態はただごとではありません。そしてあなたの心を占領するのは、彼のことばかり。

 こんな心理状態のときに、あなたの恋愛感情をいちばん適切な言葉で表現してみてくだい、といっても無理かもしれません。でも、どうしてもやっていただきたいのです。なぜそんなことをするかというと、言葉で表現することで、あなたの恋愛感情がいくらかでも具体的な“形”を帯びてくるからです。

 ひと口に恋愛感情と言いますが、恋愛感情にもいろいろあって、自分の恋心を言葉で表すと違いがはっきりわかります。例えば…、
 彼のことを思うと息苦しいほど切ない。彼と一緒にいるだけで幸せ、あたし舞い上がっている、のぼせている、カーッなっている、頭に血が充満している、いや、もしかしたら子宮かな、などなど、あなたのアバンチュールを言い表す言葉は、いろいろあることと思います。

 その言葉で、あなたの恋は精神的な要素が強いのか、肉体的な要素が強いのか判断できるでしょう。そして、恋の“形”ができれば、その恋をどう発展させればいいのか、泣きをみないようにするにはどうすればいいのかの対応も講じられるのです。

 自分の恋心を言葉に表すとどのようになるのかを知って、恋を育てたり、危険を避けるのに役立てたりと、恋のテクニックとして活用できるのです。

 恋とか愛とか気軽に口にするけれど、自分のそのときの気持ち、感情がどういうものであるか、ちょっと冷静に考えてみるのも必要なことがわかるでしょう。

 最近の若い人たちは、好きになるとそれをすぐに性愛に結びつけてしまうようですが、早まってはいけません。愛し合っているのだから、すべてを許し合うのは当然、というのがいまふう考え方のようですが、だからといってあわてる必要は少しもありません。

 むしろ、あわてることで、軽い女と見られたり、早くあきられたり、マイナスになることのほうが多いのです(このことに関しては第四章で詳しく解説します)

 恋に溺れてしまってはいけません。恋をプロデュースするぐらいの気持ちで、余裕をもって楽しんでこそ、あなたはひとまわりもふたまわりも成長するのです。

 恋のアバンチュールは気づかないうちに船出しているときもありますが、思慮深くてエネルギーに溢れている女性は、自分の性的衝動や肉体を、将来の人生のアバンチュールに投資することまで考えているのです。

 その代表的な例がマドンナです。このスーパースターは、「処女を失うのは成功の階段を上る手段だと思っていたわ」と公言してはばかりません。
 マドンナは初体験のあとでも、自分がまだ処女だという感じがした、と告白しています。

「自分が何をやっているか自覚するまでは、処女を失ったことにはならないわ」
 このマドンナの堂々たる感想をよくかみしめてくだい。マドンナを例に引いのは、恋にせよ、ちょっとした過失にせよ、あるいは不本意な状態、たとえばレイプで処女を奪われたにせよ、〈自分が何をやっているかを自覚するまでは〉バージニティを失ってはいないんだ、というプライドを持ってほしいからです。

 マドンナの恋のアバンチュールは、恋はハシカのようなものといった受け身でなく、誰よりも意志的に恋をエンジョイし、成長の糧にした力強いものであり、彼女なりのプライドに支えられています。

 これをお手本にするには難しいかもしれません。しかし、恋の喜びに身を任せて楽しさを満喫するだけでなく、どこか自分の意志をはっきり残しておきたいものです。

 そうすることで真実の愛が育ち、熟成されていくのです。やみくもに“恋に恋する”ような恋の仕方は、けっして良い結果をもたらしません。
恋が終わったあとにみにくい憎しみだけが残った、というのではあまりにも寂しすぎます。

 恋のアバンチュールのはるか先には、結婚の灯台の明かりが見えることもあります。先に出発して荒波を乗り越えてゴールした人もいれば、波に飲み込まれたり、難破した人もいます。

 アバンチュールには達成の喜びもありますが、はじめからリスクもつきまといます。
 リスクのない投資がないように、激しい恋ほどリスクも大きく、快楽も多いということを、よく頭に刻み込んでおいてほしい。

  “愛する”と”好き”の違い

“好き”から“愛する”に発展することはよくあります。しかし
“好き”の状態のままで止まってしまう場合もけっこう多いようです。“愛する”と“好き“の違いをはっきり知っておくことも、上手な恋をするうえでは欠かせません。

“愛する”と“好き”が違うのはわかりますが、どう違うのかの説明しようとするとなかなかうまくいきません。
 愛している場合は抵抗なくSEXまでゆきつくけれど、SEXまでゆきつくのに戸惑いがある場合は、まだ“好き“の段階だ、といった人がいます。このプレイボーイ的な説明は、なるほどとうなずかせる部分もありますが、何か割り切れない部分も残ります。

”愛する”と“好き”の違いを明確にするには、「ルービンの尺度」に照らし合わせるのがいちばんわかりやすいかもしれません。

 ハーバード大学の心理学者ジック・ルービンが、愛することを好きであることから区別するために質問票を作成して、デート中のカップルから回答してもらったものが「ルービンの尺度」といわれるまのです。

《好き》
 好意的評価

  ジョン(メアリ)には非常に順応性があると思う。
  ジョン(メアリ)が賞賛を受けることはきわめて簡単であると思われる。
 尊敬と信頼
  ジョン(メアリ)の優れた判断に多大な信頼をおく。
  クラス、あるいはグループの選挙で、ジョン(メアリ)に投票するつもりである。
 類似性の認知
  ジョン(メアリ)と私は互いによく似ていると思う。
  ジョン(メアリ)と一緒にいるとき、私たちはほとんどいつも同じような気分でいる。

《愛する》
 愛着

  ジョン(メアリ)と一緒にいられなければ、みじめな思いをするだろう。
  ジョン(メアリ)のいない生活を過ごすことはつらいだろう。
 世話
  ジョン(メアリ)が嫌な思いをしているときには、彼(彼女)を元気づけるのが、私のつとめである。
 親密さ
  実際にあらゆることをジョン(メアリ)に打ち明けることができそうな気がする。
  ジョン(メアリ)と一緒のときには、かなりの時間、彼(彼女)をただ見つめるだけである。

《好き》の場合では、お互い好意を持ち、尊敬も信頼もしている
のに、ふたりのあいだに厳然とした距離があり、恋人同士の甘いムードはあまり感じられません。それに対して
《愛する》の場合では、もうふたりはメロメロです。誰でもひと目でふたりが恋人同士なのを見抜いてしまうでしょう。

“愛の尺度”と“好きの尺度”

の違いがお分かりいただけたことと思います。

 この「ルービンの尺度」のほかに、ルービン博士は男女を比較した調査をしています。その調査によると、女より男の場合に、好きであることと愛することの関係が近いことがわかりました。つまり、女の方が“愛する”と“好き”を冷静に区別していたことが裏付けられたのです。

 愛や恋に関して、女は男よりもデリケートな感性を持っているといっていいでしょう。ですからAさんよりもBさんに好意を持っているという場合でも、そこに微妙なニュアンスの違いがあるのです。これは尊敬や世話したい気持ちの場合にも当てはまります。

 当たり前の話ですが、尊敬と好きはまったく異質な感情ですから、〈尊敬しているけど、キスしたいとは思わない〉という恋心以前の感情であっても不思議ではありません。  でも、尊敬から好きになったというケースもよく耳にする話です。

 女性はせつかく愛すると好きを区別しているのですから、好きの段階から積極的な行動にでるのは考えものでしょう。
 好きになったのは確かなことでも、それをすぐに性愛に結びつけてしまうと、自分で自分を縛りつける結果になり、そうじゃない、ちょっと違うんだけど…と思いながら、ずるずると不本意な状態に追い込まれてしまうことがあります。

 こんなことにならないよう、“愛する”と“好き”をはっきり区別しておきましょう。
 トレント大学のジョン・リー教授は、ラブスタイルを次の三つに分類していますが、これを知っておくと自分にふさわしい相手を選ぶ際の参考になりますし、選んではいけない相手を選別するときの役にも立ちます。

《エロス》官能愛

 直接的な肉体の魅力、官能性、自信、魅惑的な美、パートナーとのきわめて親密で密着した関係など特徴とする

《ルダス》快楽愛

 遊びの要素が多く、快楽的で相手を拘束しない愛。

《ストルジェ》友人愛

 情愛に満ち、友愛的だが、はげしい情熱に欠ける。
さらにこの三つに共通してみられる愛の性質が三つあり、都合九つの愛の性質が定義づけられています。

《マニア》

 熱狂的で脅迫的で嫉妬深い愛。

《プラグマ》

 実際的で現実的、連合を求める。

《アガベ》

 排他的、辛抱強く従順。
 これは相性がいかに大切かと言うことを示している分類です。相性を間違えると、恋の入口で衝突してしまう、なんてことになりかねません。

 彼が快楽主義のルダス型で、女性がやさしいストルジェ型だと、「あなたって、私の体だけが目的の遊びなんでしょう」と衝突する場面が比較的多く、このタイプは情熱的な激しい愛はちょっと苦手のようです。

 ルダスの女性にホレてしまった男性も大変です。
 いいように女性に弄ばれ、憔悴しきって最後は捨てられる、というのがオチでしょう。
 アガベの女性は献身的で男のわがままに耐えて、最後には確実に勝利を手にするタイプです。
 従順な女性を相手にいい気になっていた男性が、最後にからめ捕られたことに気がついて「アッ!」と叫ぶのがアガベの女性です。

 最近社会問題になっているものにストーカーがありますが、ルダスのマニアなどがストーカーになりやすいタイプといえるでしょう。ストーカーまでいかなくとも“熱狂的で強迫的で嫉妬深い愛”なんていうのは願い下げにしたいものです。
 この組み合わせを参考にして男の性癖を見抜き、相性を確かめたうえで、ステキな恋人を早く捕まえてください。
 つづく 恋は三年で冷める?