恋人同士はどうかといいますと、恋に落ちてから熱が冷めるまでの時間は、平均して約一年半から三年となっています。あんなに大騒ぎしてスタートした恋なのに、ちょっと早すぎるんじゃないの…と文句のひとつもいいたくなりますが、これもまた動かしようのない現実なのです。

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恋は三年で冷める?

本表紙 水口義明 著

恋は三年で冷める?

ピンクバラすばらしい恋に胸を震わせているあなたにはコクかもしれませんが、こんな現実もあることは知っておいてほしいのです。七年目の浮気というのは結婚生活でのことですが、「恋愛は三年で冷める」という説があるのをご存じですか。
 ヘレン・E・フィッシャーの調査結果をまとめた『愛はなぜ終わるのか』の中に、面白いデータがあります。世界六十二の国、地域、民族グループの1947〜89年あいだの、ある年の離婚のピーク188例を調べたところ、結婚四年目で離婚するカップルがいちばん多く、次が三年目、二年目と続いていることが分かりました。

恋は五年以上もつと、あとは安定期

 五年以上もつと、あとは安定期に入るようです。子供ができたりして、結婚生活の中で“生活”の部分が増えるからだとみられています。
 アッアッの新婚ムードも三〜四年でスーッと冷めてしまうようです。恋をして、幸せな結婚して、と限りない夢を追っている方には水をぶっかけるような調査ですが、これが現実と言うものでしょう。

平均して約一年半から三年で恋熱は冷める

 恋人同士はどうかといいますと、恋に落ちてから熱が冷めるまでの時間は、平均して約一年半から三年となっています。あんなに大騒ぎしてスタートした恋なのに、ちょっと早すぎるんじゃないの…と文句のひとつもいいたくなりますが、これもまた動かしようのない現実なのです。

 どんなにのぼせ上がっても、アキは必ずやってきます。“アバタもエクボ”だったのが“アバタはアバタ”になり、ついには“エクボもアバタ”になってしまっては、もう別れるより道はないでしょう。

 花の命と同じで、一般に恋の命も短いものなのです。
 恋に胸をときめかしている方にはちょっとシラける調査結果ですが、ここでは生理学的に恋を眺めてみましょう。

人間の性欲や恋愛感情ラブホルモン

 人間の性欲や恋愛感情は、まずホルモンの影響をうけていることはご存じのはずです。このホルモンは甲状腺刺激ホルモン放出ホルモンといわれ、これに生殖線刺激ホルモン放出ホルモンが分泌されるとムラムラとオスメス行動の力がわき起こってくるという仕組みになっています。

 しかし、四六時中ムラムラしているわけにはいきません。疲れ切ってダウンしてしまいます。そこでそれらのホルモンが抑えるホルモンとして、メラニトンが分泌されるのです。肉体は興奮と鎮静のバランスのうえに成り立っているのだから、ラブホルモンの分泌にも波があり、当然のことながら恋愛感情にも影響は及びます。

高い波が恋愛感情を掻き立てているうちは恋も絶好調なのですが、そのうちに必ず低い波に変わってきて、非情なようですが、ジ・エンドになるのです。これが、どんなに好きになっても必ず終わりが来るという淋しい結論です。

 ただし、この説明には時間的なことは一切含まれておりません。ホルモンの波が一年で低くなるのか三年で低くなるのかは、生理学的に説明することはできないからです。

 ラブホルモンの分泌の波も、一対一で平穏に恋が進んでいれば、それなりに安定した高低を繰り返すのですが、外から別の刺激が加わると様相は一変します。
 そこにもうひとりの男、あるいは女、つまりライバルが登場すると、独占の争い、嫉妬の激情の憤出などによって変調をきたします。
 恋のマグマが急上昇して思いがけない展開をみせることもあるのです。
 恋をしている人の性格によってはかなりの危険をともないますから、十分注意が必要です。

 また別の調査では、女より男のほうがロマンチストで、男より女のほうがリアリスト、という結果が出ています。そのわけはどのへんにあるのでしょう。

 現在の社会環境、現実のものでは、どうしても女性のほうが恋によって弱い立場に追い込まれていることが多いようです。恋に危険を感じた場合、女性は自分の身を守るために、早く目覚めて現実に戻り、冷静にならなければなりません。

女性は直感力が男性よりも優れている

将来に不安を覚えるような恋に身を委ねていることの危険を本能が教えるのです。いやでも現実的にならざるをえないということでしょう。
『種の起源』を書いたダーウィンは130年もまえに、「一般に女性は直感力が男性よりも優れている」といっています。このダーウィンの説は正しいことが、最近の脳の研究から証明されつつあります。

 太古の時代、女性は視覚、聴覚、触覚、味覚を働かせて情報を収集し、直感を働かせて受胎し、十ケ月後には出産・育児をしなければなりませんでした。女性の直感が発達していたのは自然の成り行きだったといえるのかもしれません。

 女性もそれに気づいているようです。ブランド商品に身を固め、さっそうと街を闊歩しています。スタイルもファッションのセンスも少し前とは格段の違いです。

 美しくなった女性の大胆な恋のアバンチュールの話題も、よく週刊誌を賑わします。

恋の季節。恋の命

 現代は女性にとって恋の季節。恋の命ははかないものです。短い時間のあいだに身をやきつくすような恋の喜びを味わっていただきたいものです。

愛はギブアンドテイク? 

 ひと一倍、愛し愛されたがる魂の持ち主が、人間というものです。だから愛に飢えていると、男も女も孤独感にさいなまれる。

 肉親の愛情と男女の愛情はちょっと違いますが、肉親の場合ですと、兄弟・姉妹のあいだで、自分だけがなぜ疎外されるのだろうと悩み、すねたり、人を困らせる行動に出たりします。注目してほしい、愛してほしい、というシグナルです。

親にも好きな子と嫌いな子がいる

 親は子供を平等に愛するものと想いがちですが、ほんとうは親にも好きな子と嫌いな子がいるのです。同じように扱っているつもりでも、子供のほうは敏感で、必死に甘えたり、すねたりしてみせますか、すればするほどうとまれてしまうという皮肉な結果になってしまいます。

 男女の間の場合はどうでしょう。

 「私は愛するだけでいいの」

 こんなことを口にする女性をよく見かけます。たまには男にもいるようです。でも、本心でしょうか。

「えっ、ほんとう? ほんとうに愛するだけでいいの? じゃ、オレは愛されるだけでいいんだ。ラクでいいなあ」

 遠慮のない恋人がズケズケとこんなことをいうと、いままで強がっていた女性が、一瞬ギクッとした表情になります。
 でも、いまさら前言をひるがえすわけにはいきません。

淋しそうな表情が、恋の行く末を気づかって震えています。
 彼女はほんとうは、「何を言っているんだ。オレは何倍もオマエを愛しているよ」と言う彼の返事を期待していたんですが、期待は見事に裏切られてしまいました。

 彼女の本心は、「お願い、愛して!」と叫びたかったのです。ノドまでそのセリフが出ているのに口に出せなかったのです。

恋愛は恋するものを臆病にする

 なぜこんなことになるのでしょう。それは、恋愛は恋するものを臆病にするからです。
 愛を強要したばかりに愛が壊れてしまったら、それこそモトもなくなってしまいます。

 恋するものは、決定的に愛が壊れるのを本能的に恐れるのです。愛を壊すくらいなら、ヤセ我慢でも、「愛するだけでいいの」という言葉の裏には、こちらが一生懸命に愛せば、その何倍にもなって愛が返ってくるという願望が含まれているのです。

 このへんの心の動きに、恋するものの真実が隠されているのがよく分かります。

「愛するだけでいいの」というのは、「いっぱい愛して、もっともっと、死ぬほど愛して…」というのと同義語だったのです。

 恋するものは、大の欲張りなのです。愛はギブアンドテイク…では我慢にはなりません。

 五分五分で愛が返ってくるのでは満足できず、私が愛した何倍にもなって返ってきてほしい、と期待し心の奥底で計算しているのです。
 でも、それが打算的ではしたない感情だということもよくわかっているので、とても口には出せないだけの話です。

 愛するだけでいいの…という女性ほど欲張り屋さんなのかもしれません。

不倫の恋のあぶない魅力

 恋には、結婚に向かう恋と結婚に向かわない恋があります。
〈女はえてして愛する男よりも愛さない男を夫に選ぶものだ。姦通への本能から…〉
 これは、姦通・不倫に関しては世界的に評価の高いフランスの諺(ことわざ)です。
 さすがフランス、と感心ばかりしてはいられません。この諺によれば、女性はすべて、結婚に向かわない恋のスペシャリストになってしまいます。

 日本にも“不倫の恋”などという妖しい響きをもつ言葉があって、秘かに憧れている人も多いということです。
 しかし、不倫の恋をしてやろう、と目的を決めて不倫の恋がスタートするのはごくマレといっていいでしょう。

 恋が芽生える瞬間は、相手の身分立場などはいっさい関係なく、ひとりの異性としてパッと心に灯がともるのです。
 独身であろうと、妻のある人であろうと、好き好きという激情がエンジンを全開にして発進するのです。

「恋をしているときほど、苦しみに対して無防備になることはない」
 フロイドという有名な心理学者のいうとおり、激情にあおられて何も考えずにスタートしてしまい、先の苦しみなど全く気にしないのが不倫の恋なのです。

 ロマンチックで妖しい魅力をたたえたもの、というのが、不倫の恋に対する一般的なイメージではないでしょうか。
 
 不倫ゆえにつきまとうさまざまなトラブルに思いをはせる人は、あまりいないようです。
 先には泥沼の苦しみが待っているのに、恋する人はひるみません。
 
 恋の恐ろしさがここにあるのです。やっかいなことに、恋の情熱と愛着は障害があるほど激しく強くなり、苦しみが大きいほどエクスタシーが高まります。

 こうなると周囲の忠告などいっさい耳に入りません。
 ふたりは真実の愛を認めてもらえない被害者で、この被害者意識がふたりの結束をいっそう強めます。
 不倫の恋は似たような結末を迎えることが多いのですが、キッカケはいろいろです。

その中から、代表的なパターンを二つ拾ってみましょう。

○1職場の上司、同僚とOL

不倫の恋のヒーローとヒロインを年齢的に見ると、男三十八歳、女二十七歳ぐらいがいちばん多く、そのほとんどが既婚男性とシングル女性です。
 男性は奥さんに飽きてきて、きれいな女性に目移りするころで、女性は爛(らん)熟の盛りで収入も少なくないという恵まれた環境にあるのが特徴といっていいでしょう。

 何不自由ない女性でも、職場の悩み事は避けて通れません。上司や同僚に相談を持ちかけます。このとき女性は、必ず好意を持っている人を相談相手に選びます。

不倫の恋が芽生える条件としては、申し分ないものです。
 男性も頼りにされて悪い気がするはずもありません。
 それに悩みにうちひしがれている女性はセクシーに映ります。オレがかばってやらなくては、と勇気を出すのはごくごく当然の成り行きです。

 相談ごとは、相手に弱みを見せることですから、“相談だけ”ですまなくなることがままあります。とくに男というものは相談されると妙に自信を持つヘキがあるようです。

 自信過剰な男は、相談されただけで“彼女はオレにホレている”と早とちりするほどですから、相談の相手を選びには十分注意が必要です。
 ともあれ、途方に暮れて泣いている女性の肩を抱きしめた瞬間、既婚男性は不倫への第一歩を踏み出すのです。

 ○2おとなの男と娘のような女性

 男と女の対等な関係でなく、父と娘の関係がSEXでつながっているという不倫の愛もあります。

 見方によってはこれ以上ない満ち足りた状態ともいえるかもしれません。“満ち足りた結婚”があるように“満ち足りた情事”というのもあるようです。


 社会経験もあり、女性についても十分に知り尽くし、家庭では父親でもある男が、娘のような年の独身女性と知り合えば、いやがおうでも青春がよみがえり、若々しく再生することでしょう。

 異性に対しては親切で、SEXの手ほどきも上手で、高価なプレゼントもちょいちょいと来れば、不倫という肩身の狭さはあっても、若い娘にとっては、〈ああ、しあわせ…〉となっても不思議ではありません。

恍惚と魅力のエネルギー

不倫の恋が情熱的でものすごいエネルギーを発散するのは、生理学的にも説明できるようです。
「恍惚と魅力のエネルギーは、脳の感情中枢の天然のアンフェタミンの刺激で引き起こされる」

 これは心理学者のマイケル・リーボウィッツ博士の理論です。恋人同士のコーフン状態はアンフェタミンの分泌で起こりますが、時間の経過とともに脳は持続的な効用状態に耐えられなくなって、休息に入ります。

恋の陶酔状態はせいぜい二〜三年しか持続しません

 普通の男女の場合、何の障害もなく愛し合い、いつも会える状態だと、恋の陶酔状態はせいぜい二〜三年しか持続しません。激しい恋が静かな愛情に変わっていくのは、脳にエンドルフィンという天然のモルヒネのような新しい化学物質が分泌されて、気持ちを鎮めるからです。

 結婚すると、もう愛していないのね、などと女性が苛立ったりするのも、エンドルフィンの分泌量の違いといえるでしょう。
 ところが困ったことに、不倫と言うような障害多き愛の達成のためには情熱がかき立てられ、エンドルフィンの分泌が減り、アンフェタミンの分泌が盛んになるという現象が起こるのです。
 しかも、この現象は数年にわたってつづくこともあります。

 アンフェタミンの分泌がつづいているかぎり、恋はなかなか終わりません。
 周囲の白い目に耐えながら、ふたりは見えないゴールを目指して走りつづけるのです。こうなると周囲の人に不倫をたしなめられても、もう忠告に耳を傾ける余裕はありません。
 こんなとき、男より女のほうがハラが据わっているようです。
「彼は奥さんより私の方を愛しています。妻のある人を好きになってはいけないのですか?」

 この自信に裏づけられた居直りは、モラルや道徳ぐらいではビクともしません。この愛だけが真実の愛であり、これを貫き通すことが天の摂理である。不倫の愛のヒロインはこう信じきっているのです。

 周囲が認めてくれない真実の愛に殉じるヒロイン…、これは女性が大好きな役どころでもあるのです。彼女はドラマ化された現実の世界をさまよいながら、悲劇のヒロインになりきっているのです。

 この炎のように燃え盛る不倫の愛も、ときとともにアンフェタミンの分泌が減り、エンドルフィンの分泌が増えてくると、スーッと冷めてしまいます。

 一生懸命心配した周囲をシラケさすような結末で、いとも簡単に幕を閉じるのです。
 現実社会の不倫の愛の結末は深刻なものが多いようですが、生理学的に見ると不倫の愛の結末はなぜか滑稽です。
 不倫小説として大ベストセラーになった「失楽園」について、作家の渡辺淳一さんは、「燃えたぎる愛を書いたら、それが不倫という形だったわけで、始めから不倫を書こうとしたわけではない」
 と、大変興味深いコメントをしています。どうやら不倫の愛には潜在的に激しさが含まれているようです。

 それに背徳的な蜜の香りも…。

 この妖しい魅力のとりこになってしまう男女は、想像以上に多いようです。
 めくるめく悦びとそのために支払う代償、どちらが大きいか、よ〜く思案してみることです。

キレイよりも美しいと褒められよう

 女性は誰でも“キレイだよ”といわれるのが大好きです。男もそれを良く知っていて、モテる男というのは相手のみさかいなく、“キミはキレイだよ”を連発しています。これはちょっと注意深く観察すればすぐにわかることですから、気を付けて周りを見回してご覧なさい。そして、“キレイだよ”を安売りしている男には用心することです。

 たしかに、“キレイだよ”というのは女性にとってはたいへん耳障りのいい言葉で、こういわれて悪い気がする人はいないはずです。
 でも、何か気になることはありませんか、そうです。“キレイだよ”というほめ言葉はそれこそ耳にタコですが、“キミは美しい”というほめ言葉はめったに聞かれないことです。男には“美しい”と表現することに、ためらいがあるのでしょう。

 キレイ(綺麗)な人。
 美しい人。

 このふたつにはどのような違いがあるのでしょうか。
 そしてあなたは、どちらの言葉で評価してもらいたいと思いますか。こう聞かれて、とっさに返事できる人は少ないでしょう。
 私たち日常生活のなかでこのふたつを使い分けているのですが、明確な意味の違いまで気にすることはありません。そこで広辞苑をちょっと覗いてみると…。

 きれい(綺麗・奇麗) ?綺(あや)のように麗しいこと。@服装が派手で美しいこと。A(花やかに)美しいこと。

 うつくしい(美しい・愛し)(肉親への愛から小さいものへの愛へ、そして小さいものの美への愛に、さらに室町時代には、美そのものを表すようになった) @愛らしい。かわいい。いとしい。
Aきれいである。みごとである。〈口語=うつくし・い〉
 うるわし(麗し・愛し) ?事物が乱れたところなく完全にととのっている状態をあらわす。@端正である。立派である。

壮麗だ。?自分より秀れていると思う相手に愛情を感ずるさま、または愛情を感ずるような事物の状態をあらわす。@愛すべきである。かわいい。いとしい。A(人の仲が)理想的にいっている。立派にやっている。仲が良い。〈口語=うるわし・い〉

 このように記されています。これでもまだはっきりと区別することは難しいのですが、よく読んでみると、“美しい”のほうに内面的なものを感じます。
 “キレイ”は見かけの部分が強く、“美しい”は見た目よりも内面からにじみ出るものが感じられ、深みや内容があるように思えます。

 もうおわかりでしょう。DNAの関係などで、顔が小さくスタイル抜群、鼻筋とおって色白で、といった外形的なキレイさは天から与えられたものでどうしょうもありません。

 なかには見栄えがちょっとばかりいいというだけでチャホヤされ、玉の輿に乗ったという話もよく耳にします。
 ところが、それで幸せになれたとは限りません。

 亭主は三代目のとんだプレイボーイ社長で、泣きの涙なんてケースは思っている以上に多いのです。
 これとは逆に、社内一の美人OLを強烈な恋愛戦争の末に勝ち取った男性が、あとになって、とんだ女房を引き当てちゃった、性格が悪くてサゲマン…なんてボヤいている図もよく見かけます。

 これなどは外見にばっかり気を取られて、一番大切なものに目を向けなかったバチといっていいでしょう。
「ちょっとばかりキレイだと思って、いい気になるんじゃない」といってやりたい女性は周囲にたくさんいるはずです。

〈性格ブス〉という悪口がピッタリするのは、実はキレイな女性に多いのです。

 男はえてして、内面的なものを見過ごしがちです。というよりは、みめうるわしい女性は、性格もみめうるわしいと思ってしまうほど単細胞なのです。
 その結果、見かけにダマされて大失敗、が繰り返されるのです。
 キレイな女性は、こういうバカな男にまかせておきましょう。

 いい女は心で勝負! 

キレイより美しいと褒められよう! これがいまふうの女性の心意気です。


 実際のところ、“美しい人”になるのは簡単なことではありません。気持ち、心、教養が豊かでなければ、美しさはけして顔かたちににじみ出てはきません。

「あなたは美しい」

 この最高のほめ言葉にふさわしい女性は、きっと自分の才能にも自信を持っているはずです。うぬぼれ、過信はしばしばコッケイに見られますが、自分なりの美しさを磨いている女性は、必ずや中身のある男性、手ごたえのある恋にめぐり合えるでしょう。

 キレイな顔立ちにはすぐアキがきますが、穏やかなほほえみ、やさしい眼差し、声のソフトな抑揚などは、ときとともに安らぎを与え、心を清らかにしてくれます。

 自分が人に比べてあまりキレイでないことを知っている女性が、一瞬、強烈に男を引きつけ、爽やかな匂いを発散するときがあります。
 知らず知らずのうちに内面の美しさがにじみ出て、目のある男を魅了するのです。彼は必ず「あなたは美しい」というでしょう。恋は女性を美しく変えるのです。

 美しさは謙虚さとつつみしみ深さを内包し、それが優雅でエレガントな雰囲気を醸し出します。

 目立とうとしない自信。

 高慢じゃないプライド。

 キレイな顔かたちだけにチヤホヤ寄って来る男たちには目もくれぬ見識。
 心を磨いている女性は、恋を得て一挙に花開きます。
 美しさは年とともに光を増していくのです。

泥沼の恋から抜け出すには

 恋はモロくてはかないもの、というのが一般的な見方です。
 その原因はどの辺にあるのでしょう。悲しいことですが、恋は男と女のダマし合いだといわれ、それはかなりの部分で真実です。それでいて、信じあわなければ恋は成り立ちません。
 恋い焦がれ、互いにもたれ合い、ともに悲しみ、ささいなことに嫉妬する。早い時期にSEXがからめば、愛憎はいっそう深まります。

憎しみながらすがりつく不毛の情熱

 何となく気が合うのですべてを与えたSEXの相性もよく、快楽が習慣化すればするほど、別れは耐えがたいものになっていきます。
 彼がとんでもない食わせものだったということが分かっても、簡単に別れられるものではありません。他に何人も女がいる、お金に汚い、心で蔑みながら別れられないのです。

 苦い失望、耐えられない恥辱、憎悪、怒り。ケンカ、そして別れることの恐怖、欲望、争いに疲れ果ててむつみあったときのエスタシー。

 恋したばかりに振り回され、憎しみながらすがりつく不毛の情熱。恋に忠実に生きることの難しさは、経験した者でないとわかりません。

「恋愛における唯一の勝利は、しおどきを見て逃げ出すことにある」
 という古い名言が今も生きていることを見ると、恋の真実は今も昔も変わらないようです。
 ただ、逃げ出そうとするのは圧倒的に男に多く、逃げる男、追う女という図式も昔も変わっていません。

 どんなにアッアッのふたりでも、時間の経過とともにキシミが生じてくるのはいたしかたありません。いちばんの原因は、なれるにしたがってエゴが表れてくることでしょう。

 「愛しているよ」。恋をしている男女は必ずこういいます。人を愛するということは、その人のために思うことです。その人を幸福にすることで、幸せを感じることです。

 しかし、時間とともに自分のためを思うようになります。
 自分の満足感や独占欲を満たすためにわがままが出てきます。恋の初めのうちは愛するという気持ちが強かったのですが、恋の喜びを味わうにしたがって、恋する気持ちが強くなり、相手に自分を愛することを強要するようになるのです。

愛を強要されたほうには

 交際が深くなれば深くなるほど求め合うものが多くなり、献身と奉仕のバランスが崩れてくるのが恋というものなのでしょう。
 愛を強要されたほうには、これは大変な負担です。大きなプレッシャーを背負い込んだような圧迫感から楽しいはずのデート中にイライラしたり、三度に一度は口実を作ってデートを避けるようになるのも無理はありません。

 楽しかった恋の前途に暗い影がよぎり始めたのです。
 性愛を共有した男女ほど遠慮がなくなるので、大きな要求を平気でして、相手をさらに追い詰めてしまいます。

嫌悪感さえ抱く

 困ったことに相手にプレッシャーを与えていることにまるで気がついていないので、いたわりの気持ちなど少しもなく、相手は困惑し、嫌悪感さえ抱くようになっていきます。

 ここまでくるともう後戻りはできません。加速をつけて破局の坂を転げ落ちるのです。

 快楽をむさぼりあったことで欲望はいっそうとめどもなくなり、もっとほしい、もっと愛して水位ははてしなく上昇していきます。要求がかなえられないと、ダムが決壊するまで恥も外開もなく訴え、懇願し、それでもダメだと相手を罵倒し、おどし、とめどもありません。

 こうなると、そこにはもはや甘く楽しかった恋はなく、恋の残骸だけがみにくくのたうち回っているだけです。
 愛という感情はもうか欠片も残っておらず、あるものは憎しみだけ、それでいて別れられないという凄惨(せいさん)な状況がつづきます。

 これが恋の泥沼です。

 底なし泥沼に足をとられたら、ちょっとやそっとでは逃げ出せません。逃げ出すには、離れ、泥を飲み、もがき、はいずりまわっり、相手を引きずり込み、この地獄で死ぬんだという諦めにも似た境地に達して、逃げ出そうとするを辞めたとき、不思議なことにすべての怨念、情欲などが抜け落ち、スッと足が抜けて体が浮き上がるのです。

 長いトンネルを抜けた明るい陽光のなかに飛び出したように、ほんの一瞬で過去のシガラミから解き放されます。
 心の底に生臭い愛憎が残っているうちは、なかなか恋の泥沼から抜け出すことはむずかしいようです。

 つづく 第二章 男と女はここが違う 
男のSEXは一点集中主義

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