社表

セックスレス、性生活

 煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレ ス化する人多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特 許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブ ー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善し セックスレス夫婦になるのを防いでくれます。トップ画像

本表紙初めての結婚 秋元 康&柴門 ふみ 著
第二章 期待と失望
ピンクバラ結婚して変わる二人の関係、一緒に暮らすようになると、彼は変わってしまうものですか――
 秋元―結婚する人生の青写真が見えてしまう…
 結婚式を終えて、晴れて恋人から愛する男性の妻となる。
 好きな人と結ばれる、まさに幸せの絶頂の瞬間。そのときに女性が得る最大のものは、世の中に唯一無二の自分の味方がいて、生活の基盤ができるという、安心感だと思うんです。

 でも、その反面、こんなはずじゃなかったと思うことも多く、手放すものもある。
 その一つが、僕は「未来」だと思うんです。
 結婚すると、毎日の生活を通して、恋人同士のときには見えなかったものが見えてくるようになります。

 たとえば子どもが大きくなって、受験で忙しくなって、その子が二十歳ぐらいでようやく手が離れて…というような自分の人生の青写真が否応なしに見えてしまうんです。

 日常生活を共にすることで、頼もしいと思っていた彼の将来性といようなものも現実的になって「たぶん部長止まりだな」とか「一攫千金を手にするような、世界を牛耳るような大企業のオーナーにはならないだろう」ということもわかってしまうんです。

 結婚する前は、昔読んだ漫画じゃないけれど、お付きの人とはぐれた王様と、偶然ばったり空港で出会って、ということだって絶対にないとは言い切れない。もしかしたら私は、○○○王国の王様の、王女様になれるかもしれないというロマンチックなシンデレラストーリーだって描くこともできるんです。

 でも、そんな夢は、結婚することではかなく消えていくんです。もう王様に見初められることもない。たいていの女性が「平凡な主婦」という立場に甘んじるわけです。

 そうやって自分の人生が見えてき時点で、その人生のレールのようなものが安心感という形で受け止められる人は、幸せな結婚をした女性だと言えるし、本来、結婚に向いているタイプだと思うんです。

 でも、大好きな人と結婚できたにもかかわらず、その生活に早くも飽きてしまう女性もいる。彼女たちはたいてい「今の自分」に不満を持っています。

 僕のところに、よくこんな内容の手紙が来るんです。
「私は三十五歳の主婦ですが、自分を見失ってしまっていて、作詞でもしようかと思っています」
「作詞でも」と言われる僕はツライ。作詞というのは、日本語ができれば誰でもできるものだと思っている人が多いんです。漫画はうまく描けないけれども、作詞ならできるような気がする、らしい。

 でも、そういう人ほど秀でた才能があるわけでもないし、何かがしたいんだけども、それが何だかわからない状態でさまよっているだけなんです。
 結婚すると、否応なくいろいろな制約ができる。あらゆる可能性があったはずの「未来」がそこで閉ざされてしまうんです。

 でも、その代償に手に入れた「安心」は、僕はとても価値があると思うんです。たとえ未来を引き渡しても、結婚で得られるものはずっと大きい。それが結婚の醍醐味(だいごみ)であり、そう思える人は結婚して幸せをつかむことができる人だと思うんです。

結婚しても自分を認識できる場所を手に入れる

 柴門―男性でも家事や育児に参加するのは当たり前という世代の母親に育てられた子供たちが大きくなれば別ですが、今の時点では、結婚して失うものは、やはり男性より女性のほうが大きいいとうことは否定できません。

 よく言われることですが、専業主婦になって名字まで変わってしまうと、「○○さんの奥さん」「○○ちゃんのお母さん」だけになってしまう。夫にさえ「お母さん」と呼ばれるようになると、「私って何?」と考えてしまうのも無理もないことでしょう。

 どんなに仕事ができる女性でも、結婚なり、出産なりで一度会社を辞めてしまえば、それまであった“可能性”はいったん断たれてしまいます。
 自分で働かなくなれば経済的にも事情は変わって来るので、自由に使えるお小遣いというのは独身の頃に比べたら、少なくなりますし、もしかしたら、まったくないということだってあり得るのです。

 もう「ローマの休日」のような、夢も見られない。あるのは来る日も来る日も単調で退屈な日常です。夫は一日仕事で忙しいし、子どもがいればもちろん楽しいこともありますが、それを忘れさせるほどの時間と忍耐を要します。自分には何もないというふうに思ってしまうのは、こんな時かもしれません。

 でも結婚して専業主婦になったとしても、趣味なり興味の対象なり、自分を認識できる場所があれば、その喪失感も少ないんです。
 何より忘れていけないのは、好きな人と一緒に暮らしているという幸せです。恋人同士のときには、週に一度しか会えなかったのが、毎日会えるようになる。

 映画を観た後、同じ家に帰るようになる。それが結婚です。
 お互い忙しすぎて会う時間がなかなか取れないというカップルには、結婚して一つの屋根の下で暮らせるメリットは大きいと思います。 

価値観の違う二人はぶつかりやすい 

秋元― 結婚する前はあんなに熱々だった二人だったのに、いざ夫婦になってみたらうまくいかないということはよくあります。いくら愛し合っている二人でも、残念ながら結婚には向かない。吉凶の組み合わせというものがあるんです。
 それを決定づけるのが、お金に対する価値観の違いではないかと僕は思っています。

 たとえばボーナスで、あるいは宝くじかなんかで百万円を手にしたときに、アンディ・ウォホールのリトグラフを買いたいという夫と、それよりか海外旅行に行きましょうという妻では、やはりぶっかると思うんです。
「たかが絵一枚に百万円も支払うのは無駄」という考えの一方で、「旅行は行って帰ってくれば何も残らない」という考え方がある。

 結婚生活にはお金というものが極めて現実的に介在してくるのです。何に対してお金を使うか、その価値観が大幅に違ってくると、二人で金銭をシェアする結婚生活というのは成立しにくいのです。

 お金のことでしょっちゅう衝突するのは、お互いかなりストレスが溜まる。恋人同士のときは財布が別々だから、ボーナスなり給料なりを相手が何に使おうがいいんです。でも、結婚すれば、そうはいかなくなるものです。

 いちばん難しいのは、自分の親にお金を使う場合です。たとえば、母の日に、実家のお母さんにプレゼントを買って送りたいときに、相手にも、相手の親にも心配りが必要になってくる。またそういうときに、愛の人間性というか、本音のようなものも見えてくるんです。

「お母さんにプレゼントしようと思うんだけど」と言ったときに、「それはいいね」と言ってくれる夫もいれば、「そんなことしなくてもいいしゃないか」と夫だっている。
自分にとっては当然と思えることが、相手にとってもそうであるとは限らないのが結婚かもしれません。

お金に対する考え方は結婚前に見極めておく‥

柴門― お金に対する考え方というのは、結婚生活でかなりのウエイトを占めてくると思うのです。
 たとえば専業主婦で家計費はすべて夫の給料で賄うという場合、家庭によってその渡し方もいろいろあるようです。
 ある夫婦は、必要があるときに、「何をいくら使いますからお金をください」というふうに、妻から夫にお願いをしてお金をもらっていると聞きました。

 そこまではないにしろ、専業主婦の立場だと夫に無断で使えるお金の額というのは限られてきます。自分はブラウス一枚買うにしても、夫にお伺いを立てなくてはいけないのに、一方の夫と言えば自分の趣味に湯水のようにお金をつぎ込んでいる…・と不満を漏らす妻もいます。

男性だけに限ったことでありませんが、つき合っているころというのは、カッコつけたいものです。本当はケチな彼だって、彼女には太っ腹なところを見せているのかもしれません。
でも、金銭感覚というのは、隠しても隠しきれない、ちょっとした会話から、ある程度は分かります。

 私の友人は、恋人に「君は会うたびに、違う服を着てきているね」と言われて別れました。自分のお金で買ったものに対して、結婚する前からとがめられるようでは、先が思いやられます。
彼女の選択は正しかったと私は思いました。

ちなみに我が家の家計は、結婚当初から別々です。二人とも仕事を持っているので、生活費はこうしましょう。これとこれはどちらが払うか、というように、きちんと言葉に出して話し合っているんです。

共働きならば、どこからどこまでを折半にするのか、また専業主婦ならお互いのお小遣いはどうするのかという話し合いは、結婚前にしておいたほうがいい。

給料は変化するし、今の時代は不景気でボーナスにも波があるし、いつリストラになるかわからないから、実際には予定通りにはいかず、臨機応変に対応していかざるを得ないかもしれません。それでも事前に話し合うことで、お互いの金銭感覚を確認することはできると思うんです。

説明しなくてもわかりあえる関係がいい‥

秋元― 金銭感覚に加えて、人間的なセンスが近いかどうかも結婚前に知っておいた方がいいことのひとつです。
なんとなく面白い、なんとなく許せないというときに、何がいいのか、何がダメなのかが通じる関係でなければ、お互いつらくなってくるのではないでしょうか。

それは夫婦だけでなく、友だち同士の関係でもあるでしょう。いちいち言葉で説明しなくてもわかってくれる。すべていうのは無理でも、「最低でもここだけは押さえておいてほしい」という、お互いのレベルというか、呼吸というか、そんなものがあると思うんです。

たとえば、日常生活の中で恥ずかしいと思うかも、人によって様々です。
中華料理店に行って、食べきれないくらい頼むことが恥ずかしいのか、何人かで行って二品しか頼まないことが恥ずかしいのか、あるいは残ったものを「テイクアウトにしてください」と頼むことが恥ずかしいのか。

そういう相手の生活センスの違いというのは、デートしていても言葉の端々でもわかるものです。
毎日のように顔を突き合わせていくわけですから、夫とどこかに出かけるたびに恥ずかしい思いをしていたらケンカにもなるし、第一お互いに嫌な気分になるでしょう。

話の通じない相手との結婚生活は窮屈です。自分にとって基本と思えるようなところは、できるだけ説明しないですむ人であるというのが、一緒に暮らす上では大切なのではないでしょうか。

たとえば、趣味が違ってもいいと思うんです。フランス映画が好きか、ハリウッド映画が好きか、あるいは吉本系のドタバタ、コテコテのお笑いが好きか嫌いか、というのは好みの問題ですから。
でも、相手が大笑いしているのに、自分はなぜそれが面白いのかわからないと、だんだんと「この人違う!」と心のどこかで思うようになるのではないでしょうか。

愛情だけでは結婚生活はうまくいかない 

柴門― 話が通じるか通じないかというのは、その人の人間性にも通じるように思います。
学歴が高くて、知識があっても、話の通じない相手というのはいるんです。そんな人と毎日顔を合わせるというのは苛立(いらだ)つものですし、ふだんの何気ない会話すら成り立たなくなりますから、生活そのものがギクシャクしてきます。

私が人間としてのセンスがないなと思う人は、男でも女でも、立ち上がれないぐらい酷い言葉で相手を傷つけてしまうタイプです。
努力しても変えられないような、生まれつき持っている欠点のようなものを指摘して、罵(ののし)り出したりするような人。人間関係で絶対に言ってはいけない言葉を使う相手というのも、長く一緒にいると苦痛になってくると思うんです。

たとえ、その人がいくら仕事の面で尊敬できたとしても、です。
今は愛されていたとしても、いつかはその尖(とが)った言葉の矛先(ほこさき)が、自分のもとに突きつけられてくるかもしれない。
たとえば料理がおいしくできなかったとき。
子どもの成績が悪くなったとき。
年老いた親の面倒を見なければならなくなったとき。
彼はどんな言葉を自分にかけてくれるのか。
いくら相手のことが好きでも、それと結婚生活はうまくいく確率は必ずしも比例しません。一度、感情抜きで、結婚を意識している相手との結婚生活をシミュレーションしてみるのもいいかもしれません。

男にとって婚姻は届け一生分のアイラブユー 

秋元― 僕はカミさんから「釣った魚に餌をやれ」とよく言われるんですけれども、結婚すると、ほとんどの男が誕生日やクリスマスのイベントを、恋人の頃のように重要視しなくなるものです。
たまの日曜日にはどこかに連れて行ってもらいたいと思っていても、そういうこともあまりなくなる。男は結婚したら、しだいにマメさを失っていくんです。

ここで男の本音を言わせてもらえれば、別にどこにも行かなくても、家にいて、こうして一緒にいるんじゃないか、と言いたいわけです。それに、もっと本音を言ってしまえば、そんなことより、たまの休みにはゆっくりしたい。

男にとってみれば、結婚するときに役所に出した婚姻届けが、一生分の「アイラブユー」なんです。
「籍」を入れることが人生最大のプレゼントだと思っているから、それ以上の物は贈れないし、もう贈らなくてもいいだろうと考えている。

 もちろん世の中には、結婚しても自分の妻に高価なプレゼントを贈ったりする夫もいるようです。若い主婦向けのファッション雑誌を開けば、「夫に買ってもらった八十万円のイタリア製高級バッグ」を持って、颯爽(さっそう)と紙面に登場する主婦もいる、らしい。

 でもそれを女性は手放しに喜んでいいのだろうか。
 結婚しても恋人同士のころと少しも変わらず、釣った魚に餌をやる男も確かに、いるにはいるだろう。
 けれども、普段ふりえ返らない罪滅ぼしに、とにかく結婚記念日とクリスマスだけは押さえていればいいんだということで、とりあえずプレゼントを買う男だっている。ということを、釣った魚に餌をやらない僕は声を大にして言いたい。

恋人のころとは違うと言われても女は割きりない

柴門― それでも女は、結婚してからも、恋人時代にしてくれたように、クリスマスや誕生日は一緒に過ごしたい。どこか特別な場所に出かけたいし、愛のこもったプレゼントも欲しいんです。
結婚して何年たとうが、いくつになろうが、女性は「自分が愛さている確認」をしたいんです。それを確認できるのが、クリスマスであり、誕生日であり、結婚記念日であるわけです。

仕事で海外に出張する場合も、お土産が何であるかはとても重要です。
たとえば、それは決して高価なものでなくていいんです。忙しい時間を割いて、自分のために選んでくれたものならば、どんなものでも嬉しいのです。
出張中に家族にお土産を買うという行為自体が面倒で、重荷になることはわかっていても、だからこそなおさら、自分のためにそれをしてほしいと女は望んでしまうのです。

もう恋人同士の頃とは違う「家族」なんだから、と頭の中では割り切ろうとしても、どこか楽しみにずっと待っている。それだけ気にかけてほしいということかもしれません。
また、結婚すると、一緒に出掛けることも少なくなるようです。

たまの休みも、映画に行ったり、友人と飲みに出かけたりしてしまう。子どもが小さかったりして一緒に行けないということもあるかもしれませんが、それならばなおさら、残された妻は、置いてきぼりを食わされたような気がするものです。

女としては、映画にも食事にも連れて行ってほしいし、イベントもプレゼントも欲しい。
それが無理なら、せめて休みの日ぐらい家にいて相手をしてほしいんです。
男の立場としては、「もう結婚したんだからいいじゃないか」と言いたいのかもしれませんが、女はそれでは納得できない。
「結婚したんだから、もっと愛してほしい」というのが、女の言い分なんです。

男の愛情表現に女性は気づいていない…

秋元― 結婚すると、男と女の関係はだんだん変わっていきます。
 男が妻に餌をあげなくなるのは、あげたくないというのではなく、僕が餌をあげなくても、もう自分で食べられるんじゃないかとも思っているんです。
 映画に行きたかったら、もう自分でも行けるだろうということなんです。
 でも、女性は、愛情は具体的な形で表してくれなければ嫌だという。プレゼントなら何でもいいと言いながら、たとえば海外旅行のお土産を買い忘れて、とりあえず機内販売のものを買うというようなことでは嫌なわけでしょう?

 でも、それがいかにもあり合わせ的なものであったとしても、お土産を買ったという努力は認めてあげてほしい。
 お土産を買い忘れたという時点で、女性からすれば、それはもう失点であるのかもしれないけれど、男からすれば「でも妻をがっかりさせたくない」という思いやりが、そこにあるんです。

 相手に対する思いやりがあるうちは、夫婦というものは、たとえそれが見え見えの努力であったとしても、まだ関係は成り立ちます。
 夫婦の関係が実質的に終わるのは、努力しないことを開き直ってしまったときです。浮気したとしても、隠そうとしているうちには、まだ愛情は残っている。でも、ばれてもしょうがない、といふうになってきたら二人の仲は終焉を迎えます。

 相手に対する興味がなくなった瞬間に、男と女の関係は終わるのです。
 たとえば、妻が言ったことに対して、あるいは夫が言ったことに対して、「それがどうしたの?」と答えるようになったら、その二人は、そこで終わってしまいます。

 どうでもいいことを、楽しく会話できるのが夫婦なんです。
 結婚したらどうでもいいような会話が増えて、それに引き替えに、「愛している」「きれいだよ」というリップサービスはなくなってしまう。イベントもつくらない。
 でもそれは、わざわざ言葉や形にする必要がなくなった、ということで、もう愛していないわけではないんです。

妻はかわいい女である前に強い母を演じてしまう…

柴門― 男性が恋人の頃とは変わってしまうのは、自分をもう女としてみていないからだと女性は感じてしまうんです。
 恋人のときみたいに、お化粧しても、髪形を変えても、「きれい」だなんて、ほとんどの男はもうほめてくれなくなる。そう思っていたほうがいいかもしれません。

 でもそれはお互い様なんです。夫が髪型を変えたり、眼鏡を替えたりしても、言われなければ気が付かないという妻は意外に多いのではないでしょうか。
 夫婦がいつまでも男と女の関係でいられないという理由の一つは、子どもという存在もあるかもしれません。

 かわいい女でありたいと思っても、子どもがいる前で、どんどん図々しい母親になって、かわいげのない女になっていく、そういう自分を見せていくことにもなるんです。
 子どもというものは、離婚のストッパーにもなりますが、夫婦の関係でいえば、プラスにもマイナスにも働くものなんです。

 以前にテレビのコマーシャルで「この旅では夫婦で子どもの話はやめましょう」という台詞がありましたが、子どものいる夫婦というのは、共通の話題がそれしかないということに陥りやすい。
 独身の女性からすると、「そんな夫婦になるのは嫌!」と言うかもしれませんが、それも自分の心がけ次第ではないでしょうか。
 一つだけ私が言えることは、子どもは絶対にお母さんの味方です。たとえ「かわいい女」を演じにくくなったとしても、機会に恵まれたのなら、女は産んでいたほうが得だと思います。

恋愛のゴールが男と女では違う…

秋元― 結婚できないという女性の中には、つき合っている彼がいるのに、なかなかプロポーズしてくれないという人もいるでしょう。彼女たちの彼がなかなかプロポーズをしてくれないでいるかといえば、男は相手のことがいくら好きでも、なにかきっかけがつかめないと「結婚」というタイミングに踏み込めないものなんです。

 男性が若い場合だと、特にその傾向が顕著(けんちょ)だと思う。まだ自由でいたい、縛られたくない、例えて言うなら、遊牧民のようなもので、自分の中で何か定住するきっかけがないと、結婚しようとは思わないんです。

 それでは定住するきっかけは何かといえば、父親が余命いくばくもないとか、まわりの友達が結婚したとか、転勤を言い渡さけたとかというような、人生にかかわるような出来事が起きたときです。

 そのときになってようやく、男から「結婚」という言葉が出てくるのです。
 でもあまりにもつき合いが長すぎて、人生の転機のようなものが訪れてないでいると、タイミングを失って、そのまま飛べなかったりすることもある。縄縄跳びのように一度タイミングを失ってしまうと、なかなか入れなくなってしまうんです。

 野球で言うとテキサス・ヒットのように、お互い見合っているうちにボールは下を落ちしまうことがあるんです。
 結婚には愛情以外に、ポーンと飛べる勢いも大切なんです。だからその対極に、「会ったその日にプロポーズしました」なんて男がいるのも、僕はまんざら嘘でないと思うんです。

 男性にとっての結婚は一般的に人生の通過点であるのに対して、女性にとってはゴールであるという考え方が大多数だから、それがさらに事をややこしくしているということもあるかもしれない。
 ことに女性が、男性からのプロポーズをずっと待ち続けているという場合にはなおさらです。
 男も女も恋愛においては、なるべく遠回りや無駄うちはしたくないんです。できるだけ早く結果を出したいと思っている。

 でも、そのゴールが男性の場合は「セックス」であり、女性の場合は「結婚」であるというところで、そこに大きなズレがあるんです。
 たとえばデートだけだったら一緒に映画を観に行っても、男性の場合、「セックスしないんだったら、ごはんを食べて、こうして映画を観ていても時間の無駄でしょう。こんなのもうやめようよ」と、心の中では思っている。

 男性が女性を口説くときに、「何パーセントの可能性があるの?」と聞いたりするのはそのためなんです。
 一方の女性はというと、「結婚しないんだったら、毎週毎週こうして映画を観ていてもしょうがないでしょう」と考えているのではないでしょうか。

 だから映画館で「婚約指輪は給料の三カ月分」なんてCMが流れたりすると、すごく気まずい雰囲気になってしまうことがある。男としては、嫌なものを見てしまったというような気分になるんです。

愛することに謙虚になること…

柴門― 私も秋元さんと同様で、結婚はタイミングにかなり左右されると思うんです。
 多くの女性にとって、恋と結婚はワンセット。だから、つき合っている相手がいる女性は、「いつかこの人と結婚するんだろう」と思いながら。プロポーズしてくれるその瞬間をずっと心待ちにしているんです。

 でもどちらかが、飛ぶときにはまず右足を出して、それで何センチ体を浮かして…というふうに考えすぎてしまうと、結婚にはなかなか踏み切れないものです。

 五年、十年とつき合っていたカップルが、結局、結婚せずに別れてしまうというのは、飛ぶタイミングを失ってしまったというケースがほとんどではないでしょうか。
 なかには彼からのプロポーズを待ちきれずに、別の相手との結婚を決めてしまう女性もいます。

 私は、結婚は自転車に乗るのと同じだと思うんです。
 乗ればスーッと前に進めるのに、「本当に立つの?」「こんなに細いタイヤで?」というふうに、心配ばかりしてしまうとうまくいかない。

 また付き合いが長いと、いわゆる倦怠期(けんたいき)というか、相手に対する愛情のボルテージが下がってくる時期があって危険なんです。
 お互いの趣味の不一致や好みの違いが目についてきたり、刺激のない安定した関係を、だんだん退屈に感じて、「このひとでいいの? このままでいいの?」と考えてしまうんです。
 とくに女性は年を重ねれば重ねるほど、そうなってくる傾向は強いと思います。
 倦怠期に入ったカップルに言っておきたいのは、今以上にぴったりの相手を探すのは難しいと思ったほうがいいということ、また、そう謙虚に考えることが、倦怠期防止につながると思うんです。

 倦怠するほど馴れ合った相手は、自分のことを一番理解してくれる、人生最強のパートナーであることを忘れてはいけないんです。
 そう思えば、結婚のためらっていた恋人の存在も、もう一度愛し感じられるかもしれません。
 そうでないと、悲しいことに、「結婚しなくてもいいや」と思うようになってしまう時期が、女性にはやってくるものなのです。

大事なことは一緒に生きていきたいという気持ちで…

秋元― 結婚生活で大事なことは、昔の上村一夫(かみむらかずお)先生の「同棲時代」じゃないけれども、やっぱりキャベツ齧(かじ)ってでも一緒にいたいという気持ちだと思うんです。でも今の世の中、キャベツ齧るほどの貧乏には、残念ながらなかなかならないんです。
 ものすごいお金持ちにもなりにくいけれど、ひどい貧乏にもなりにくい。

 みんな結婚相手は収入が安定していて、お金がある人がいいというけれども、お金があるからというだけで惹かれた相手と結婚しても、絶対にうまくいかないと思う。
 お金の切れ目が縁の切れ目となって、いずれ別れる時が来るものです。
 だったら、一緒にいて幸せだと思える相手と、最初から一緒にいたほうがずっといい。

 収入がいい一流企業のエリートと結婚したとしても、夫が転勤になって都会暮らしから、田舎暮らしになってしまうかもしれないし、夫の母親がとてもいい人だと思っていたのに、結婚したら即、意地悪な姑(しゅうとめ)に変わってしまう可能性だってある。
 ただ「この人と一緒にいたい」という気持ちで決めた結婚相手であれば、何が起きようと乗り越えられると思うんです。

 一緒にいたい相手なら、親と同居であろうが、田舎に住もうが、そんなことは関係ないはず。好きな人と一緒にいられる幸せを胸に、どんな障害にも対処していけるのではないでしょうか。
 結局、結婚がなかなか決まらない人というのは、両方を望んでいると思うんです。

 恋愛して大好きな人と結婚したいけれども、でも同居もダメ、長男はダメ、ルックスもよくて高学歴じゃなきゃダメだと決め込んでしまう。
 結婚が不動産探しのようなものだとしたら、陽当りのいい家と決めたら、もう陽当たりのよさで満足するべきなんです。できれば広い方がいい、できれば駅から近いほうがいいというふうに、条件を足していったらキリがない。

 ただでさえ、人生で本当に好きになれる人との出会いはなかなかないものです。
 その貴重な出会いを、人生にいかに活かしていけるかが、幸せな結婚生活を送るための法則(ルール)だと僕は思います。
 つづく 第三章 理想と現実