社表

性の不一致、セックスレス

 煌きを失った夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致と なる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与でき避妊方 法とし用いても優れた特許取得避妊用具は既存避妊方 法の嫌な疲れを解消し、夫婦生活の性の不一致を改善 しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。トップ画像

イクって、努力しようがない、冷めてしまって、

赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

本表紙渡辺麻里 34歳/化粧品販売員
●高校卒業後、水商売の世界に入り、お店に来ていたお客と20歳で結婚。10年以上続いた夫の暴力が原因で32歳で離婚。14歳、10歳、2歳の3人の子供がいる。
●化粧品の販売という職業柄なのか、見た目はかなり若く見える。雰囲気や服装もギャル風。
●10年前のバブルの頃は、ボディコンを着てディスコで遊びまわっていたとう。当時から数えて、男性経験は100人以上。みずからを「ヤリマン」だと認める。現在、20歳と23歳の2人の年下男性と交際中

◆「遊んでる」女のセックス観結婚、離婚、仕事

 一年前に離婚してから、今まで二十人は超えたかな。エッチした人、付き合った人含めて、ですけど。
 今も二十歳のバーテンの男の子と、二十三歳のホストの男の子と付き合ってます。今、ちょこちょこホスト遊びしてますけど、彼が働いている店には絶対行かないですね。

 だって、彼氏の目を気にしてお酒飲むの、嫌じゃないですか。「どうしても、来て」って彼氏が言ったらなら彼氏がお金出すでしょうし。だからこの頃は、その彼氏がいないホストクラブに行っていますね。そんなに頻繁(ひんぱん)じゃないですけど。
 ああ、そうそう。三十歳のセックスフレンドもいますよ。でも、それは「付き合っている」うちに入んないから。付き合ってる若い男の子二人は、お互いに私が二股かけてるって微塵(みじん)も思っていないですね。

 この間、片方に「一緒に住もう」とかいわれちゃってー。どうしょうー。だって、両方にここの部屋の鍵、渡しちゃっているからなー。
 私が付き合う人って、みんな束縛してくるんですよね。わたしはやきもちも焼かないし、束縛はしないのに・・・そういうことする女の子の気持ちはわかるんだけど、私は全然。
 気にしたことがないし、男がいなくて自分で「さ みしい」と思ったことがないのね。

 一週間に一日しかお休みがないから、ローテーション組むのが大変。だって、あっち二人は土日休みで、私は基本的に平日休みでしょう? でも、私、「店長」を任されてるから、なんとか休みが自由に取れるんですよ。

 なるべく月曜日休みを取るようにしてるんです。それでも、個々に二週間ごとにしか会えなくなっちゃうんですけど。今のところなんとかバッティングはしていない。

 「急に絶対に来ないでね」、クギはさしてるから。結婚していたこと? 知っていますよ。それに子供がいることも。二人ともそれでもいいって。

 子供? 三人いますよ。十四歳と十歳と、二歳の女の子です。一年前に一番下の子だけ連れて別れたんですけど、旦那の暴力に耐えられなかったからなんです。

 旦那とは…・私、高校を出て十八歳から水商売をやってたんですね。そのときの客です。旦那と付き合ってて、十九歳になって、「普通の仕事をしよう」って気になって、デパートの面接を受けたんですね。
 それで今の化粧品メーカーの派遣社員になったんです。やっぱり、水商売って。
 男を口説いてなんぼ、じゃないですか。どんな男だって、やきもちぐらいは焼くだろう、と。
 だから、旦那のために水商売を辞めて、普通の仕事を始めたんです。

 その当時三人彼氏がいたんですけど、旦那はその人たちとは違っていました。年齢的にも見た目も似たような三人だったんですけど、他の2人は「買い物の時のお財布」代わりみたいな位置の男で、エッチも月に一回すればいいほうで。

 でも、旦那との付き合い方はそうじゃなかった。確かに「お財布」にはなっていたけど(笑)、会えばセックス、みたいな感じ。旦那に対してだけ、何でそうなったのか未だに分からないんだけどねぇ。

 きっと、すごく優しくしてもらったんだろうなぁ。そんな気持ちから、だんだん「この人のためだったから」って変わっていったんだと思う。

 結婚は二十歳のときでした。結婚式のときには、すでに私のお腹の中には長男がいました。いわゆる「できちゃった結婚」ですけど、その旦那は私に生まれた初めて「この男のために何かしよう」って思わせた人だったんですよ。今は憎しみしかありませんけどね。別れちゃったから。

 旦那って普通のサラリーマンの人だったんですけど、その人の実家ってすごい裕福で。私たちが住んでいたマンションの家賃とか払っていたんですよ、旦那はひとりっ子だったから溺愛(できあい)されていたんです。だからかもしんないけど、なんか自分が気に入らないことがあったら、すぐに怒りだす人で。

 そのことを注意すると、それがまた気に入らなくって黙り込んじゃうんですよ。私が「愛していなければこんなことを言わないでしょ」って言うともうそこで手が出る、みたいな。

 私も殴られるのが怖いから、そのうち何も言わなくなるじゃないですか。それでまた、そういう態度に旦那が腹立ってきて「何で何も言わねんだよ!」ってまた殴る、それの繰り返しでしたね。

 結婚してから三、四年目ぐらいからそういう結婚生活だったんです。それでも、ふだんはやさしかったから、付き合ってた当時と同じペース、月に一、二回のペースで夫婦生活はしてたんです。

 それは三人目の子供が生まれるまで変わらず、三人目の子供が生まれたら、半年に一回とか、そういうペースになりましたけどね。

 結婚しても、産休を取ったくらいで、デパートの仕事、化粧品の仕事は続けました。結婚しても、仕事を辞めようと考えたことは無いですね。

 美容部員の免許も途中で撮ったし。仕事が好き、とかそういうのじゃなくって生活のために、それで二人目の子どもが生まれて、しばらくした二十五歳のとき、旦那の親がお金を出してくれてスナック経営を始めたんです。
 だから、昼間デパートで化粧品を売って、夜はスナックのママをやってたんですよ。

 お店はすごい繁盛しましたね。そんなに大きなお店じゃなかったんですけど、月々、二、三百万の売り上げがあって。なんでそんなに?盛したかっていうと、私が十八歳のとき働いていた(水商売の)お店のお客、その時まで持っていたんですよ。そのお客を呼ぶことから始めて。

 ちょうどバブルの終わりぐらいだったから、そんなにバカ儲(もう)けは出来ませんでしたけど、まぁ、そこそこ恩恵は受けて。旦那は相変わらずサラリーマンをやっていたけど、お店の売り上げのおかげで裕福な生活をしていましたよ。

 旦那の親へも家賃を払ってもらってた時期があったから、月々いくらかのお金を渡せていたし。それが三十二歳のときまで続いてて。そう言うと、ずいぶん昔のようなんですが、それからまだ二年ぐらいしか経ってないんですよね。

 でも、私、限界まで我慢したんですよ。「子供がいるんだから、きっと我慢できるだろう」って思ってました。

 私が三十三歳のとき、三人目の子供が生まれて、それが待ち望んでた、ずっと欲しかった女の子で‥‥もう、すごい嬉しかったです。

 上が二人とも男の子だから、全然洋服とかの「親子おそろい」ってあんまりできないじゃないですか。

 お化粧してあげる、っていう楽しみもないし。その子が産まれてすぐ、いつものようにささいなことで頭を殴られて気を失ったんです。蹴られたんだか、殴られたんだか、打たれ強くはなってたんだけどね。でも、殴られた片ほうの耳が聞こえなくなったんですよ。

 今で障害が残ってて、ほとんど聞こえません。その時、思ったんです、「なんでコイツにこんなことをされるんだろう。
 私には第二の人生があるだろう」って。その瞬間、今まで考えたひとのなかった「離婚」という二文字が浮かんだのです。そのケンカの翌日に、私の方から離婚を切り出しました。私、吹っ切れたら、早いんですよ。

 もう、決めたら全然引きずらない。結局、その週末に旦那の実家に行って正式に話しました。

 私って、男の人と付き合った時点で、その人の全てを信じちゃうんですね。やきもちの原因の、ヘンな妄想を抱とかないんですよ。これって性格なんでしようね。

 だからといって、男に関して落ち込んだことは無い。離婚しても「ああ次の男みつけう」としか考えてなかったし。別れるとき、必ずその男の人の悪い所を見るんですよ。だから、後を引きずらないし、引きずらない。

 その、旦那の実家との話し合いが最悪。あっちの親はすぐに「裁判」っていう言葉を出してくるんです。私は「なんで裁判なんかかけられなくちゃいけないの?」って、もう、悔しくって悔しくって仕方なかったですね。

 今も思い出すだけで嫌な気分になります。私の人生の中で結婚が一番の汚点なんですよ。
 早く結婚して失敗したな、って。

 一緒にいた十三年間っていうのは、私の中で何もしなかった、何もできなかった時間じゃなかって。
 子供の世話と、食事の用意と、仕事の十三年間でしかなかった。あんなに頑頑張ってたのに、別れた代償に何ももらってない。子供一人もらったぐらいで。

 もらった、って言い方はおかしいんだけど、引き取ったくらいで。…・結婚してなにも残らなかったから。

 それで、慰謝料の話をすると「裁判、裁判」て。裁判って何ヶ月もかかるって聞いから「もういいや」って、なっちゃったんですよ。極端な話「別れたければなんでもいい!」みたいな。

 そんなことよりも、別れたあとに、なんだかんだ言われるのが嫌だったんで、こっちに「借り」がないように、お店を開いてもらったお金を払ったんです。
 それで私の貯金が全部なくなっちゃいましたよ。でも、これじゃあ、お金を払って「離婚してもらった」みたいですよね。
 今は別れて本当によかったと思ってますよ。
 今は、貯金するために一年だけ私の実家に子供を預けて一人暮らししているんです。
 本当に子供、三人とも引き取りたかったんですけれどね。
 でも冷静に考えての判断です。今の時代、お金がないと、絶対に不幸になると思うんですよ。お金がない生活なんか、考えだけでぞっとする。

「愛情があれば」とかなんとか、奇麗ごとなんか言ってられないですよ。お金がない生活、それが一番、子供がかわいそうだと思うんです。
 それで今、昼間の仕事の他に、週に三、四日ぐらい、水商売もやっているんです。そっちは月に二十万ぐらい貰っているかな。昼、夜仕事してると子供の面倒が見れないし、託児所なんか入れたらお金ばっか掛かるから貯金どころじゃないし。

◆家庭環境、肉親、少女時代

 一年間でも親に預かってもらって、私が働き詰めの方がいいなって思ったんです。

 私の血のつながった唯一の肉親ですから、貯蓄して、必ず子供、幸せにしようって思ってますよ。五百万ぐらい貯めて迎えに行きたいですよね。

 実家の父親は働いてますけど、母親は専業主婦だから面倒見れるし。やっぱり、身内に手を掛けられたほうが子供のためにはいいんじゃないかって。
 でも、この子供のことで自分の親と距離が縮まりましたね。なんでかというと、私ってなぜか、何故かって言うのも変だけど。

両親はもちろん、お姉ちゃん、つまり家族全員と血が繋がってないんですよ。だから、母親に「本当の子供だって思っているんだから、これぐらい甘えなさい」って言われたのが嬉しかったですね。

 私が連れ子だったんですよ、本当の父親の。その父親は、私が小学校に入るか、入らないかの時に事故で死んじゃって。その時の母親、というか今の義母は私を連れて再婚したんです。義父の連れ子がお姉ちゃんなんですね。だから、今の家族の中では私だけ「家族」じゃないんですよ。育てられてはいるんだけど、両方とも血が繋がってないのね。というか、今まで自分と血が繋がっている人と会ったことがない、というか。

 唯一、生きてて血が繋がってる本当の母親はまだどこかで生きているみたいなんですけど、会いたいとかそういうのじゃないんだけど、ただ情報だけ、とか思って母親に聞いたことがあったんです。母親も知らなくって、だから、どうにか調べて会いに行く、まではしなかったんですね。

淋しいと思ったときも別にないですし、それはそれだし、ただ、父親は厳しかったけど、私が何をしても手をあげたことはなかったですね。やっぱり、母親よりも距離はありますよね。それを知って、自分なりに納得して「家族」と暮らしてきましたけど、どこかで気を遣ってました。

遠慮しちゃうというか、この事に気づいたのは「自分の家庭」を作ったからなんでしょうね。余計にそういうところが気になるようになったというか。


 ただ、私ってすごいプラス思考の悔いのない人生だけど、出来れば「生まれ変わりたい」ですね。生まれ変わって、自分の親に育てられたいですね。

普通の、ホント、ふつう―の家庭に生まれてきたいです。なんだかんだ言っても、両親にも、お姉ちゃんには特に、なんですけど、気を遣いますからね。お姉ちゃんだけは、血が繋がっている父親がいますから。

 そういうことが原因じゃ全くないですけど、私、小さい頃いじめられっ子だったんですよ。親の事でいじめられたことは無かったけど、多分、他の子みたいに「わがまま」することができなかったから弱く見えたんじゃないかな、真面目だったし。       

 ピークのときは、中学校一年のとき。先輩にトイレに行くたんびにトイレの便器に顔を突っ込まれてたし、頭から水ブッかけられてて。            なにが気に入らないんだか、わからなかったけど、集団でいつもいつも。
 でも、私、一ヶ月ぐらい、登校拒否したときに、考えたんです。                       

 ヘンな話も「復讐」を。その人たち、先輩に対して。私とか一人の、弱いものを集団でいじめる、って言うのに無性に頭きちゃって。


 そうしてもある日突然金髪にして、スカートを長くして学校に行ったんです。私、登校拒否してたときに、ヤンキーの本読んで「自分の研究」してたの。グレして良かったと思います。それまで真面目な人生をちゃくちゃくと歩んできてたのにね、私(笑)。そこで暗い生活を選んでたら、私は多分一生ダメだったと思うんですよ。

「復讐」って言い方、すごく良くない言い方だと思うんですけど、でもそのことで自分の中ですごくプライ思考になれたから、
 遊びはシンナーからクスリから、カツアゲとか興味があったから何でもやってましたね。私、何でも興味があると片っ端からやるんですよ。そこからは「男」に走り始めて。あとは、ね。最初に話した通り。そんなちゃらんぽらんな時でもやることはやってた。結構、勉強してたし。自分で「必ず学校で十位に入るんだ」って決めて、それでちゃんと入ってたし、卒業したし。

 大人になって社会人になっても結婚して主婦になっても、意味があるものは全てやってきましたね、遊びは特に。ジュリアナとかベルファーレとか流行ってたときも、ボディコン着て扇子振ってたし。 

 でも、家に帰るとちゃんとご飯の用意してたり、子供のオムツ替えてましたよ。離婚した今、昔から知っているみんなに、「若返ったねー」つて言われるんですよ。やっぱりそんなことしても、結婚してたときはフケてたみたい。                 

 でもね。みんなそういうこと人に言ってて、努力とお金が足りない。私なんか、化粧品にいったい、いくら使っていると思っているの! やっぱり化粧品屋ですからね! フケて見えちゃ、人に売りつけられないでしょう。

◆セックス観、心の内側、女としての人生、風俗入り

離婚しても子供と自由に会えるんですよ。あっちが行けない、学校の授業参観日とかにも行っているし。だって別れてても、別に母親は母親じゃないですか。そのときは私、息子のクラスの英雄ですよ。「オマエんちの母ちゃん、若くねー?」っていわれて。

私も中学生相手にもうノっちゃって「やっぱりぃ―」とかね。もう、ギャル服なんか私の普段着だから、平気で着ていくし。息子は、「オマエ、バカじゃね―? 調子こいてんじゃねぇよ!」って言ってて。息子も結構ワルなんで、私も「いいじゃない。女はねー。

奇麗とかかわいいとか言われると嬉しいもんなのよー。あんたも彼女にそう言ってあげなさいよー。でも、あんたのその口のききかたなとかしなさいよ」とか言ったりしてて。もう、友達みたいなもんですよね。


 息子と性関係の話も平気でしますよ。もう十四歳ですからね、当たり前にヤッてるみたい。彼女とヤッたときの話とか平気。「あんた毛ぇ生えてんの― ムケたの―? ちゃんとヤルときはゴムつけなさいよー」とか。彼自身も「オマエなんでそんなこと子供に聞くの―?」とかすごい嫌な顔しながらも、私にはそういう話、大っぴらにしてくれてて。全然平気、子供とそう話をするの(笑)。


 私、若い子の意見ってよくわかるんですよ。納得できる点がいっぱいある。たまにミョーに深いこと言ったり、今、子供みたいな子と付き合ってるじゃないですか。一回り違う二十歳と二十三歳。だから、余計にそう思うのね。

――子供がイッてるのに自分がイッてないこと、気になりますか?(笑)
 私、男性の性と、女性の性って全く違うものだと思うんですよー。私の中では、全く正反対だとも思うし、だって「ヤリテー」とか思わないじゃない? 女って。男性ってそれぞれ違うけど、やっぱり…・どうなんだろう‥‥。ヘンな話、男って一人エッチでもしなくちゃいられない自分があるじゃないですか?

 そういう生き物じゃないですか。でも女の場合、しなくてもいいし。私の場合「イク」って感覚がないからー、「ああ、気持ち良かった」で終わりで。「オナニーだとイケる」って話を聞いたから、私も試してみちゃおっかな―って思って、一度、試してみたんだけど全然やっぱりダメで。逆に「なにやってんの―、私」になっちゃって。イッてないのに、男の一人エッチの虚しさが解った。

 私、エッチは「時間をかけようが、かけまいが、一回は一回」っていう考え。十代のときから、そう、うーん、恥ずかしい、っていうのがあるのかも。裸見られるのが恥ずかしいんですよ。理由はないんですけど、トラウマ? そんなのない、ない。極端な話、セックスって面倒くさい。セックスは私にとって付き合う条件なのは条件なんだけど、早くても遅くても一回は一回、とりあえず男が出たら一回は一回なんですよね。

イクとかイカないとかの問題じゃない。なんか、ヘンな考え方かもしんないだけど、セックスって、私は付き合う条件なんだけど、男の人は性欲を解消するための「遊び」だと思うんですよね。その「遊び」のために自分の身体が道具になってても、何とも思わない。男を見下してる自分があるんだぁ、って思うと、なんとも思わない。                

極端な話、私は男性を「お金」だと思っているんですよ。だから、私も、相手を「道具」だと思っているのかもしれないですね。なんで男を束縛しないかっていう理由がそこにあるんじゃないかって、自分で思うんですよね。

「イクとかイカない」とかは、「好きだから、気持ちがいい」とか、そういう気持ちは関係ないと思うんですよね。別に気持ちが入っているから気持ちがいいとかないですよね。    

 やることは変わらない。そもそも、嫌いな人とはエッチしないじゃないですか。セックスて、別に人生にどうしても必要なものだとは思わないですよね。   

したければしたで、気持ちいいからいいけど、なければないで、私は困らないですよね。セックスしないでも、男の人と一緒にいると楽しいし、私はお酒を飲んでることが楽しいですね。私の本心は、男の人にはセックス以外で、信頼感が欲しいんですよ。

もっと言うば、全てにおいて信じあえる人が欲しい。全てにおいて、例えば身体ごとその人にゆだねる、とかじゃなくって。別にヤラなくても、解ることってたくさんあるじゃないですか。


 でもセックスっていう行為がある以上、私は其れから入っていっちゃう。                 

 だって、必ず求められるじゃないですか。求められたときに気持ち良くない、セックスってしたくないから。だからと言って「信頼感」って、身体じゃないし、セックスじゃないから。

興味あるセックスは?

――経験豊富な麻美さんだけど、今、興味あるセックスは?
 えっ? 特にないですね。今まであらゆるものをやって来ましたからね。何でも興味あるもの、おもちゃでもSMでも一応試してきたから。でもアナルは‥‥。                           

一回やってみてすごい痛くって、思わず蹴飛ばしたくなりましたからねー。
 実は最近、水商売のほかに、風俗を始めたんですよ。自宅待機で、時間があるときだけ、って条件で。職種はSMです。私、もともと「S」のほうだったらやれたんで。「M」は言いなりだから簡単だし。でも、まだ二ヶ月ぐらいで、五人ぐらいしかお客は取ってないんですけどね。

 風俗の仕事したときは全然。どうってことなかった。何も感じなかった。こんな簡単なことでお金を稼げるんだ、ぐらいで。でも、風俗で本番するのは抵抗がある。いくらお金のためでも嫌。選べないで、誰とでもする、っていうのは嫌なんです。

 風俗の世界に入ってみて「堕ちた」というのはちょっとは感じたかな。専業でやってたら「自分はすごく堕ちちゃった人間」って思うんだろうけど、他の仕事と両立してやっているんであればいいじゃないかと。自分の中での自己満足、というか納得? そうやって自分の中で解決している部分も確かにあるのかもしれないけど。

はたから見たら、風俗って“すごく汚れてる仕事”だと思うんですよ。自分でもやってなかった頃は、そういうイメージがあってどうしても踏み入れなかったんですよ。でも、いざ自分がやってみたら、ふふっ、「なんで女に生まれてきて、最初からこんなことに気づかなかったんだろう」って、「自分は損したなー」とまで思いましたもの。

 私が風俗に入ったのは、お金のためじゃなくって、「興味本位」。どんなことをするんだろう? って気持ちだけですね。前から興味あって。テレビに風俗っていうものが出てき始めてから、「すごい高収入なんですよー」というのを見てて、「一度はやってみたいなー」って。

それって、結婚していたときなんですけど。何でそう思ったのか? 旦那に対しての不満じゃなかったし、お金に関しても生活に関しても全然苦しくなかったし。なんとなく、純粋に女としての興味があった。売女? に興味があったというか。自分という「女」っていうのがいくらで売れるかっていうのが。男から見たら、自分っていう女がいくらで売れるかが、興味あったんですよ。

 自分の予想に反した時のショック? うーん、考えたこともなかったですね。私、水商売とか仕事で失敗したことがないんですよ。どこに行ってもお客さんを取っていたし。余計そう思ったことないのかもしれない。ハッキリ言って、今の風俗よりも全然稼いでいたんですよ、お店のNo1クラスで、休むと従業員が迎えに来たぐらい。誰も私にはなにも言えないとか。


 職場でも、プライベートでも、みんな相談してきますね。私、相談にいいみたい。親みたい、とかいう子もいて。「助けてください」とか言ってくる子も多いですね。でも、そんな皆に頼られてても、私は今、お酒以外に頼られないですね。

私、すっごい酒豪なんですよ、部屋を見てもらえば分るにー。(『真露ジンロ』の空き瓶が七、八本ぐらいテレビの脇に並んでいる)今、一番楽しいことは「お酒」ですね。お酒を飲んでいることが楽しいですよ。ヤッばい、私、オヤジ?(笑) 

 つづく なんでイカないか、分るんですよ性の不一致…
 宮本久美子 27歳/元・雑誌編集者