
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
数の問題
毎日違う野菜を食べる。裸の女の子ばかり住む町の町長になる。女たちが、数限りなく住むハーレムを持つ。男たちのファンタジーは、ある意味で「お決まり」である。しかも、実現が難しい。
難しい理由のうち主な二つ――女たちが、同意しないこと、法律が許さないこと――はとりあえず脇に置いておこう。すると、数の問題が残る。
人類の男と女は、ほぼ同数である。
となると、一人の男には必ず一人の女があてがわれ、それは女の側からみても同じはずだ。ところが、男の性が10億年以上かけて最大の繁殖機会を追い求めるよう進化した以上、男の欲望が主として受胎可能だと思われる女性に振り向けられてきたとしても不思議ではない。
五章で詳しく見るように、両方の性とも相手に繁殖能力があるかどうか推し量るためのメカニズムをさまざまに発達させてきたのである。とりあえずここでは、妊娠していたり子供を産む年齢を過ぎた女性は一般に(普遍的にというわけではない)そうでない女性より性的魅力に乏しいということを前提にしておこう。
女が子どもを生める期間は男が繁殖可能な期間より短いため、一人の男には一人の女があてがわれ筈だという原則は崩れることになる。その上、古代の専制世界のように一人の男が多くの女を独占することになれば、バランスはますます崩れていく。
その結果、多くの女を独占できる機会がほんの少しでもあるのなら、男たちは争いに血道を繰り広げる。そしてこの争いがまた、男たちの性の本能に火をつけるのである。
ピトケアン島での女たちをめぐる争いは悲惨なものだった。
おそらく、そもそも島にやってきた男と女の数のバランスが欠いていたという事実がものをいっていたのだろう。15人の男と13人の女、女がひとり死ねば、不穏な空気になり、暴力沙汰になりかねない。
古代専制社会でも、争いは熾烈だった。だが最近の研究では、男たちが出会うところではすべてから争いが起きたことがわかっている。それほど悲惨な結果を招かなくとも、とにかく争いはどこでもあったのである。
地位をめぐっての争いもあれば、金や権力をめぐっての争いもあっただろう。そして長く続く争いの中には、より多くの女たちをものにするための争いが根底にあるものも数多くっただろう。
ブライアント・グラデューは、シンシナティの実験室で、争いに対する男と女の捉え方の違いを裏付ける実験をしたことがある。被験者は二人一組になり、それぞれ別の部屋に通される。
両方とも、光が見えてきたらできるだけ早くボタンを押すように言われる。最初に押したほうが勝ちで、別の部屋にいるもう一人に電気ショックを送ることを許される。
男たちにとって、これは面白いケームのようだった。彼らは列を作り、積極的にゲームに参加した。争ってボタンを押し、嬉々として相手に電気ショックを与えた。だが女たちにとっては、何が面白いのかわからないようだった。
そんなゲームはしたくないと言って参加を拒んだ女性も沢山いたし、参加してもいないうちに早くボタンを押そうとはしなかった。たとえ押したとしても、相手に電気ショックを送りたがらなかった。
一見これは、性衝動とはなんら関わりのない現象に思える。だがグラデューが参加者のホルモン・レベルを調べてみると、積極的に参加し高い電気ショックを相手に与えた参加者ほど、男性ホルモン、テストステロンの分泌が高いことが解った。
その上、勝ちを告げられると彼らのホルモン・レベルはさらに上がったという。
テストステロンが主として男性の性衝動を司るホルモンだという説に異を唱える者はいないようだ
精巣のライジヒ細胞で作られるクリスタル状のこの物質は、規則的なリズムで体の中を流れ、男性が生殖可能な年齢の間には、5分に一回ほどの割合でピークを迎える。
男性をセックス可能な状態にまで高からぶらせるのがテストステロンの仕事だと一般に信じられているため、欲望が極端に低い患者の治療に用いられたこともある。
90年代初めに行われたテストによると、テストステロンの低い患者に6ヶ月間テストステロンを補充する治療を行うと、勃起力が強くなり、射精の回数が多くなり、全般的にリビドーが高まるという。
だがテストステロンが争いの感情とも大いに関係あるらしいことは、さほど注目されていない。競争心の強い男性のほうがテストステロンのレベルが高いことはグラデューの実験ででも裏付けられているし、心理学者のジェームズ・ダッブ・ジュニアも俳優や芸能人、フットボール選手や高等裁判所の裁判官は聖職者よりテストステロンのレベルが高いことを発見した。
ダップはまた、勝利を収めた者のほうがテストステロンのレベルが高いことも発見したが、これを裏付ける実験もほかにある。
ある実験では心理学者のグループが見習い将校を対象に調査を行い、辛い下積み時代より修業の終わりを迎えたころのほうがテストステロンのレベルが高くなることを確かめた。
また別のテニス選手を対象にした実験では、勝利を収めたときにはテストステロンが高まり負けたときには低くなるということも発見されている。
これらの発見に何かつながりがあるのだろうか? 競争心を司るホルモン系統と性衝動はまったく別のものだろうか? あるいは、何かに関係があるのだろうか? 二つの証拠を考察してみよう。
一つは性的倒錯者の世界であり、もう一つはアメリカのキャンパスの実情である。
ミロにジョニー、そしてマットはサンフランシスコ在住のバイク野郎三人である。
ミロにジョニー、そしてマットはサンフランシスコ在住のバイク野郎三人である。たくましい二頭筋、袖を切り取ったTシャツ、そしてタトゥー。三人はどこから見てもバイク野郎である。だが、事実はいささか違う。三人は、性転換者だからである。女性に生まれながら男性になりたいと願い、テストステロンを自ら注射した。
目覚ましい変化はいくつかあった。まずは、肉体的な変化が目につく。筋肉が発達し、髭が生え始める。声が低くなり、肌のきめが粗くなり、クリストリスが大きくなって、時には小さなペニスのサイズにまで達することもある。
だが、心理上の変化もまた大きい。
注射を打ってほどなく、性転換者たちは性的な興奮を覚えるようになる。だがそれは、これまで知っている興奮とは違う。これまでの彼女たちの内分泌システムは主として、女性ホルモン、エストロゲンとプロゲステロンの影響を受けていたからである。
男性ホルモンを注射してからの興奮はずっと強く、三人を駆り立てる。とくに顕著なのは視覚的情報より重要な役割を演じるようになったことと、とにかくすぐに欲望を叶えたいと強く思うことだったという。
ミロによると三人は、「ベンチを蹴り倒してすぐに競技場に立ち、タッチダウンに向かいたい気分に」なのだという。もちろん欲望を感じるのは初めてではない三人は言う。
注射する前にも、興奮することは当然あった。変わったのは欲望の質なのだという。以前の欲望は穏やかで、競争心とは無縁だった。今はそれが差し迫ったものとなり、攻撃したい、爆発したいという気持ちと結びついている。
「ベンチを蹴り倒してすぐに競技場に立ちたい」
男性の性的欲望を表すこの表現を裏づける調査がある。マサチューセッツ工科大学でスポーツ・マネージメントを研究するトッド・クロセット教授は、レイプ及びレイプ未遂、相手の同意のない性的攻撃を、全米アスリート協会に入っている30の大学を対象に107件調査してみた。
1990年から93年の統計によると、熱心な運動選手は全学生の3%に過ぎないにもかかわらず、こうした性行動の19%が運動選手によってなされたという。
男性のセクシュアリティーと競争心には確かにつながりがある。
そして進化論からみれば、これは当然のことだ。これまではより多くの女性とセックスすることが繁殖をする上で最強の手段だったとするなら、そして、セックスの相手となる女性の数とセックスしたいと望む男性の数が不釣り合いならば、男性の中に女性に近づく権利を得るためなら断固として戦うエンジンのようなものが組み込まれていてもおかしくない。
勝利を手にしたものが、女性を得るのである。
もっと議論を巻き起こしている説もある。テストステロンの二つの役割は、競争心と欲望の境界線を曖昧にしているという説もある。テストステロンに裏打ちされた欲望は、ライバルの男性にだけでなくセックスを望まない女性にも向けられる。
そもそも女性が拒むのなら、競争に勝っても何もならない。トッド・クロセットが研究したレイプ犯のスポーツマンたちは、普通の男が持つセクシャルマイノリティをいささか過激に表現してしまったのだろうか?
男性にはレイプ願望がつきものというだという説は大変な議論を呼んでいる。
ここ30年ほど見ても、たとえばスーザン・ブウンミラーのようなフェミニスト作家が、レイプとは性の問題というよりは支配の問題だという議論を繰り広げている。
敵意と恐怖によって女性を征服しつづけようと企む家父長制度が、レイプをはびこらせていると言うのである。レイプの裏側にある動機を探れば探るほど、そこには残酷な進化論の論理があるように思われる。
男性の究極的な目的ができるだけ広く繁殖の機会を得ることだとすれば、女性の同意があるかないかなど問題でもなかっただろう。
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校のニール・マラマスは20年間レイプの研究をした結果、ある種の性格と男性の性行動が結びつくと、“強制セクシュアリティ”とでも呼ばれるべきものが生まれという結論に達した。
愛情のない相手とでもセックスできる男にとって、相手の同意なしにセックスすることは可能である。
しかしながらマラマスは、進化論的アプローチには限界があるとも言っている。
現実の社会を見れば、男という男がすべてレイプ犯となるわけではない(そういう願望があるかは別として)。レイプは進化ゆえの避けられない繁殖手段でなく、何かしら権力と結びついたもののはずである。
レイプ願望が男性の性衝動の根底にあるかどかを解き明かそうとして、多くの実験がなされてきた。そして、その結果はさまざまである。男性の性行動とレイプ願望は切っても切り離せないと主張する人々は、レイプする自分をファンタジーの中で実現させる男たちの多さを、レイプをシナリオにしたポルノグラフィが人気を博していることを(日本には『レイプマン』というコミックさえある)、法的拘束が意味をなさなくなる戦時下レイプが頻発することを、その証拠として挙げる。
この説に反対する人々は、戦時下はペニスより銃によるレイプの方が多いことを、オーラル・セックスの強要やアナル・レイプが多いことを、そしてもはや若くない女性や男性も若くて受胎可能な女性と同じように被害に遭うことを指摘する。繁殖のために発達したメカニズムなら、こういう結果を呼ぶだろうか?
実のところレイプは、もっと複雑な問題がある。様々な要素を、レイプを行った者が育った家庭環境を含めて、考えに入れなければならない。どういう遺伝子を持って生まれたのか。育った社会が女性やレイプに対してどのような考え方をしていたか。
こうした要素に加え、神経医学や精神医学の様々な可能性を検証してみる必要もある。
だが、考えてみてほしい男性の性的衝動の根底にレイプ願望があるとしても、ではなぜすべての男性がレイプ犯でないのだろう?
この問いに答えるためには、人間の脳についても少し深い理解が必要になってくる。
つづく
6、人間の知性と動物の野生
三世紀に書かれたインドのセックス・マニュアル『カーマ・スートラ』は、パートナーを昂らせるテクニックとして噛むことを勧め、その五つの方法について詳しく書いている。