恋すると私はプスになる。だから私のプスは達也のせいである。なんだか分からない。なんかモードが変わるから、とかしか言えない。食べ物おいしくなって太るし、吹き出物もできる。エッチばっかりしてると寝不足で顔むくんじゃうし、なんか人相も油断してだらしなくなる。
【広告1】人間のすることで、持続し続けるものを挙げることは難しい。苦しみは必ず終わる時が来るが、喜びもやがてはかき消える。だから、人は希望を持っても単純に喜ばないことだ。
夫婦になれたことを単純に喜ぶのではなく、夫婦は苦難を背負うことだと意識し、ふたりはもともと違う種の人種であり、夫婦の有り様が親子関係に近い親密性が深まった場合、いずれ崩壊する場合が少くなくない。夫婦とは愛情とセックスという動体表現により結ばれたのであり、その動体表現は少しづつ変容していくが特にセックスそのものに飽きがこないよう新たな工夫を創造することで刺激と興奮の連鎖によって別物のに近いと感じられるようなオーガズムが得られるのが望ましい。
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恋をするときれいになるとかよく雑誌に書いてあるけと嘘だと思う。せいぜい腋毛とかニキビラインをきれいにするくらいじゃん? 角栓取りのパックとか、新しいファンデとか、そのうちどうでもよくなってくる。新しい服とか勝負パンツなんて最初のうちだけ。
もちろんほんとうにきれいになる人もいるんだろうけど私はだめ。まあいいや、達也はブスになった私と四年もつきあっている。もう別に美人でもブスでもどうでもいいって感じで、とっくの昔にお互い飽きているんだけどそこはひとつ目をつぶってって感じで。
達也だってぱっと見は悪くないんだけど、中身は酷いもんだ。最近お腹も出てきているし、手の形は醜いし、見えないところで毛深いし、元からくせ毛なのが起きぬけにはめちゃめちゃに頭になっているし、あと足も臭い。でもそのくらいは仕方ない。我慢する。諦める。
四年もつきあっているってことは達也と私は相性がいいのかも知れない。でも七割方惰性だ。二人で週末を過ごすと一日に五回くらい、あーもういーやって思う。言いたいこともあったけどいーや、わかんないんだったらいーや、どうせ伝わないしいーや。もうどうーでもいーや。
いまだに結婚の話も出ないのは、達也も悪いけど私も悪い。お互いそれだけは「ひぃ、かんにん」て思うのだ。避けまわっているのだ。確かに何かと不便だから一緒に住んだらどうだろうと思うことは時々あるけど、結婚って、家庭じゃん。家庭じゃん。達也のことは好きだし、一緒にいるのは空気みたいに自然だけれど、家族になるなんて気持ちが悪い。「私たちの家庭」だなんて、そんなの勘弁してよ。結婚した方が楽なこともいっぱいあるけれど、面倒くさいことの方が多いじゃん。苗字とか式とか親とか。どれを取っても「ひぃ、かんにん」って言いたくなるじゃん。
それになんか結婚すると仕事がしづらくなるような気がすんだよ。私の仕事というのは輸入車の広報なんだけど、一応それなりに頑張っているのだ。仕事だけが私の取柄。で、独身で頑張ってるのはしっくりくるんだけど、結婚しているのに頑張っているなんだか、痛々しいとか、ゆとりがないとか思ってしまう。偏見かもしれない。多分偏見だ。だって私は仕事を愛しているし、もし万が一結婚したとしたってやめる気なんてさらさらない。
郵便局員の達也より私の方が多分稼いでいる。でも退職金は達也の方がずっと多いんだろうな。民営化した未来は明るいぃって兄貴が言っていた。別に元から民間の私たちは明るくないけど。そもそも退職金なんて、そんな先のこと考えても仕方ない。私たちがそのころ一緒にいるかどうかなんて全然わからないし。達也の退職金なんかより、私の年金問題を兄貴に何とかしてほしいところだ。
だけど今更ほかの人と出会って付き合うなんて面倒くさいよねえ、と私たちはよく言う。達也は心底そう思っているみたいだけど、私の腹の底で、ほんとうはわからないよ? と思う。一目惚れとかって、実際あるもん、わかんないもん、女はまだまだこれからだもん。
達也を捨てて泣かれたりするのは面倒くさいけれど、ある日突然別の人が目の前に現れることが絶対ないとは言い切れない。そしたらまた恋に落ちてまたブスになるのか。これ以上ブスになるのはごめんだ。やだやだ、ブスはやだ。だったら達也と現状維持でいいや。達也と一緒にいるとき、そりゃときには、きゅわああ好きだなって思う事もあるけど、そんなの盆と正月くらいの話。別にやることが無いからエッチでもする?
ってことの方が多い。今ので満足したの? あっそう、んならよかったね、私はいまいちだったよ、みたいな。エッチの相性は悪くないけど、ただしつこいだけだなーと思って目をつぶっているときもある。まあ、いつもイキまくりって方がおかし―よね。
自分のことが好きって思わないのと一緒で、達也のこともふつう。自然。あたりまえ。日常。でも日常を奪われたら私は困る。居場所がなくなってしまう。そうだ、達也は私のオフタイムの居場所なのだ。単なる居場所。わざわざありがたがらないけど、本当はとても大事なのだ。
うーんか、ほんとかなあ。うーん。うーん。
嘘ですごめんなさい。
最近、変わってきたのは友達のあり方だ。だんだん友達と会わなくなった。会ってもちょっとお酒を飲んで、何となく話をするくらいで、面白いけどそれだけでもいい、それで十分疲れる。終電まで粘んなくても十時くらいでたくさん。
私の一番の友達は美佳とこずえなんだけど、なんというか、女の友情ってイコール共感だと思う。だよねー、思う思う、とか、えーやっぱりそう? 私もー、とか。でも女って住んでる環境でがらりと世界が変わってしまう。同僚だった美佳が子育てと家事以外なんにも興味がなくなってしまうなんて数年前には考えたこともなかった。あとダイエットとエコ? 広告代理店のこずえがマンションを買った途端に仕事以外はヒキコモリになってしまったのもショックだった。休日は家でずーっとゲームとかネットだって。信じられない。
それに比べたら男友達の方がずっと楽ではあるけど、ふとした弾みで私はあんたの浮気相手じゃないんだからね、と念を押したくなってしまう。私が過敏なのだと思うけど、全部が全部許し合えるわけじゃない。やっぱり異性だから。
昔は旅行に行ったりキャンプに行ったり、家で朝まで喋ったり、いろんなことを一緒に経験するのが友達だと思っていたけど、今はそんなことない。ていうか無理。三ヶ月か四ヶ月に一度、ご飯を食べれば十分だし、メールだって用もないのにしたりしない。よっぽど落ち込んでるとか、よっぽど暇だとか、達也にドタキャンくらったとか、そういうときだけ、友達に話さないことも増えた。例えば仕事のこととか。話したって仕方ないもん。何でも喋るのが友達なんじゃないんだって思う。ただ、一緒にいたら気分がニュートラルになるのがいいな。友達ってほんと、そんなもの。だんだん孤独になっていくものなのか。しみじみ。
車の仕事をしているくらいだから私が車を好きで、変な車を持っている。フィアット・ムルティプラの初代。初代って言っても古い車じゃない、03年製。車というよりもナポレオンフィッシュに似てる、似てるというかそのもの。英国のジャーナリストから「世界一醜い車」と認定された。そんなの勲章じゃん。言って言ってもっと言って。色はブラック。無難な色のはずなのにすごく目立つ。達也もなんか好きじゃないっぽい。まあそれもわからないではない。
私も何でこんな車買っちゃったかよくわからないもん。なんかたまたま、ピンときちゃった。世界一かわいくおもえるかもしれないって思っちゃった。達也にどうこうの言われる筋合いはない。ムルティプラも竜也もなれ初めは間違いのピンだったかもしれないのだ。もっとふつうの、VWポロとかに乗ってた方が、ウケはよかったかもしれない。
実際、同僚とかにも泣きたいほどバカにされる。でもそれが快感だったりもする。変な車に乗っている女っていいんじゃん。実際いい車だよ。三人掛けの二列シート、六人乗り。どっちみち一人か二人でしか乗らないけど。広くて快適だし、しっかり走るし、なによりも楽しい。ニューパンダなんかよりずっと楽しいんだから。もちろん荷物もドカドカいけます。
昔からドライブは好きなんだけど、最近は人に気を遣うのが面倒くさくて一人でぱっと出かける事が多い。それも、どっかに行くというより、適当に走って帰ってくる。犬を散歩させてやるみたいな。車を満足させてあげるために、高速とか走って、清水とか御殿場とかで下りてそのまま引き返してくる。観光なんて絶対にしない。下でご飯を食べたりもしない。残りものをお弁当にして持っていってパーキングエリアで食べることはある。
一人でお弁当なんて変なの、と思うけど、思いつきで動いているのだから仕方がない。家で総菜腐らせても仕方ないしね。竜也があまりドライブ好きじゃないことは、実は最近わかった。ずっと私に合わせてくれていたのだ。そんなこと早く言ってくれたらいいのに。別に私は一人でも全然平気だし。
それで、最近私がすっごく仲良くしているのが、兄嫁なのだ。義理のお姉さん。大人の女。お姉妹って、なんか慣れなくて、すごくこそばゆいような、照れくさいような感じだ。義理の姉妹って、不思議。義理って言ってもあんまり義理ないし。家族って言っても両方とも親と離れて住んでいるから生臭い感じもないし、友達とは絶対に違うし、でも他人っていう訳でもない。
勿論つき合わなくたっていいんだけど、私と兄嫁は気が合う。合わせてもらっているのかもしれないけど、私はお義姉さんのことが大好き。よくもまあ、あんなふつつか者の兄貴なんかを拾ってくれたものだと思う。奇特な人である。
兄貴とは特に仲良くも仲悪くもない。でも子供の頃にぶん殴られた記憶がまだ消えていない。子どもの頃の七歳違いって言ったら幼稚園と中学生だもの。遊んでもらおうと思って、兄貴の部屋に入っていってごみ箱を見て、
お兄ちゃん、なんでこんなに洟かむの?
と言った。ティッシュが山盛りに入っていたのだ。それでぶん殴られた。兄貴から殴られたのはそれ一回だけど、私はそのあと十年くらい、弟のごみ箱がティッシュで一杯になるまで意味が分からなかった。今思うと笑っちゃう、でも怖さは大人になっても消えない。今でもまだ、いつわけのわからんことで発狂して暴れ出すかわからない中年男だと思っている。気を付けている。
今の兄貴は口を開けば仕事の話ばかり。参議院議員の秘書をやっているんだけどふつうに考えて秘書って秘密だらけじゃん? でも兄貴はなんでもかんでも喋る。議員のプライベート話から国会の話、法案の話、選挙の話に外交の話。全然面白くない。けど黙って聞いているとやばそうな話がいっぱいある。
こんなにぺらぺら喋る男を秘書にする議員って、ぼんくらじゃないの。達也がもしも新聞記者で、私がいちいち喋っていたらすごい面白いことになっていたかも。私は兄貴の話を聴くことはあっても、兄貴と喋ったという感じは全然しない。誰も口を挟めない。おかげで私は達也の話を実家でしなくて済むのだ。
親はほんとは私の恋バナを聴きたいんだろうけど、兄貴がトイレに行くと、父も母もほっとして、安らかな沈黙が訪れる。母はふつうの田舎のおばあちゃんだからまあそこそこ喋るけれど、父はどっちかって言えば寡黙な人だ。
大阪に住んでいる弟なんか、何も喋らない。一言も。なにゆえ兄貴だけがあんなに突出して喋るのか。とにかくわが家はそんな感じ。まあ、わりと平和ではある。私もちゃんと父の日とか母の日とか誕生日とかするし、盆暮れはみんなで福島の実家に集まる。
お喋りということ以外では、兄貴はまあ普通の人だとおもうんだけど、ずっと結婚はしなかった。彼女もいなくて、こりゃだめだ、仕事と結婚しちゃったんだ、と思ってた。そうやってみんなが諦めた頃に突然フィアンセを連れて実家に来るというので、私も興味津々で実家に帰った。
それが今のお義姉さんだった。兄貴よりずっと優秀。だってずっと外国で働いてたんだもの。NGOの職員をしていたんだって。それでナイジェリアに行ったり、バングラデシュに行ったり、エチオピアに行ったりしていたの。でも、今は帰ってきて日本のNGO本部の職員になった。なんかかっこいい。
もともと二人は、日本にいたときになんかのサークルつながりで軽く付き合っていたらしい。でも、離れ離れになってそのまんま連絡もしなかったのが、このたび彼女が戻ってきた。それでまた付き合い始めて、あっさり結婚することになった。フィアンセが兄貴に輪をかけたお喋りだったらどうしよう、と心配していたら、とても静かな人だった。兄貴がしゃべり続けているから挨拶ぐらいしか出来なかったけれど、なんか面白そうな人に見えた。だから私はフィアンセにメルアドを教えた。
フィアンセは麻子さんと言った。兄貴と同い年で、もう今更結婚式でもなかろうってことで、両家族だけでフレンチを食べることになった。ああほんとだったら達也も招かれるのにかわいそう、なんてちょっと思ったけれど公認を取りつけていないから仕方ない。とにかく行ったわけです。わざわざ会津のホテルに。私はせっかちだからいつも早く着いてしまう。でもまあホテルだしいいやと思って、二十分前にレストランに行った。
そしたらウェイターが、申し訳ありませんが津山様ではご予約が入っておりませんが、なんて言うの。ええーおかしいよ、そんなはずないって予約帳を無理やり見せてもらった、あった。嫁の旧姓。飲み会の幹事じゃないんだからさ、別に津山だけで入れる必要はないけど、せめて連名にしてよと思った。それも、旧姓が鴨志田という珍しい苗字だったからわかったけど、あれが佐藤とか鈴木だったら私はわかんなくてとぼとぼ帰ってたよ。
大体、そんな来るのが遅すぎだし。ウチの親と弟が五分遅れ、兄貴が十分遅れ、向こうの親兄弟が二十分遅れ、一番遅かったの兄嫁、二十五分遅れ。しかもみんな全然普段着。ドレス着てきたの私だけ。麻子さんもさっぱりしたアンサンブルニットと細身のパンツ。兄貴ジーンズ。私って何者? って雰囲気。
だらしない兄貴は新居に引っ越したはずなのに、独身時代のマンションの方にぐずぐずと居座っていたので、中途半端に身の回りのものとかゴミとかが残ってしまった。それを私に運んでくれと言う。しょうがないなあって車を出した。兄貴はペーパードライバーなのだ。運転もできなくてよくもまあ秘書が務まるものだ。
よくもまあこの私の兄が務まるものだ。嘆かわしいと思いながらムルティプラを兄貴のマンションの前につけたら、なんだこのふざけた車は、と言われた。むっとしたけどどうせ兄貴にモノの価値なんかわかりゃしない。
麻子さんは免許ないの? と聞いたら、
あるよ、と言う。砂漠でジープとかに乗っていたんだから当たり前だろ。
じゃなんで私が車出すのよ。
だってあいつ今ハワイだからさ。
ええっ、なんで新婚早々ハワイ?
家族旅行だよ。毎年恒例で、家族全員揃って行くらしい。おまえもうちょっとスピード落とせよ。
まじで? だって新婚旅行は行ったの?
行かないよ、ハワイ行ってその上どこかに行く余裕なんてないだろ。俺だって予算審議控えてそんな遊んでる暇はないよ。
新婚旅行すっぽかして家族旅行って非常識っぽくないか、と思ったが小姑みたいでみっともないので黙った。私が黙った途端、兄貴はいつも通り、国会について熱く語り出した。あーうざい。兄貴も変だけど、嫁もおかしい。変なカップル。
それ以来、兄嫁がどんなに変かを注意深く観察しようと思ったのだが、変だったのはそれだった。というか、兄貴と兄嫁は実にさらさらと、お互い勝手に海外旅行に行ったりして快適そうに暮らしていたのだ。正月とかに実家であってもいい感じで、兄貴の飲みすぎを麻子さんがやんわりとたしなめたりするのも、ああ妻ってこんな感じって感じだったのだ、と納得してしまう。最初のあの変な印象は私の思い込みだったみたい。
麻子さんは車を欲しがっていた。アルファのワゴンなんか勧めてみたいなと思ったけど、あんまりお金や手間をかけたくないって言うから下取り車の極上インプレッサを世話してあげた。それ以来、私と麻子さんはメールでいろんな話をするようになった。私はじきに甘えるようになって、愚痴ったり、達也のことも話したりするようになった。
そう、達也の話だ。私は今、猛烈に腹を立てている。くだらないことだ。くだらないから誰にも言えなくて、もう友達なんかみんなに達也を紹介しちゃっているから、それって一種の惚気(のろけ)だよね、みたいなことを言われるのは明白で、全然違うんだけど言えない。
昨日今日の話じゃないのだ、達也がメールの返事をしないのは、ずうっと、ずうっとそうなのだ。いや、最初の一年くらいは違ったかもしれない、自分から今日あった事ととか、別になんの用事もなくても電話くれたこともあったと思う。でももうそんなの遠い昔だ。いつも、私がメールして、メールの返事をもらう代わりに自分から電話して、要するに二度手間なのだ。
通信費だって二倍。達也は電話を嫌がっているわけではない、メールがうっとうしいわけでもない。ただ単に元からどうしようもなく無精で、その上手抜きをしているのだ。それがむかつく。何を今さらって感じだけど、努力ゼロってやっぱりどうよ、問題じゃない。あと、最初の頃とかは、ご飯を作ってあげたら喜んだり、一緒に飲みに行ってもにこにこしていたんだけど、今は何食べたいってきいても、なんでもいいって。
おいしい? って聞けば、ああ、とか、おいしい、とか言うけど全然表情で報いてくれないの。いつも私が全部決めて、私が後かたずけも全部して。養ってくれるわけでもないのに達也はなんにもしない。ずっと耐えてきたけど今や不満も積もり積もって私は怒りの雪だるまなのだ。こんなの、オトコだからまだちょっとだけは許しているんであって、友達だったら絶対に縁切ってる。まじで。
しかも、ここんとこほんとうに仕事で嫌な思い連発で、なんか自動車雑誌の若造とか超生意気だったり、すごいがんばって売り込んでた車があっという間にフルモデルチェンジになったり、もう最低なのだ。それを、達也に電話で言ったのだ。ねえちょっと聞いてよひどいんだからって。
そんなの別に大したことないんじゃん。
と達也は言った。なにそれ。くそむかつく。
あるよそういうことってどんな仕事でも、あのさ、俺、風呂入るから、また、明日か明後日ね。
風呂から出てから折り返せばいいんじゃん。明日か明後日だって自分から電話なんて絶対に、絶対にしてこないくせに。
くだらないことはわかっているんだけど私は切れた。すると達也は、
今ひょっとして生理だろ。
といった。確かに整理だけど、そんなの関係ないし、言ってないし、勝手に人の周期勘定しないでよ。そういうことを言われるのはすごく、やだ。生理なんて自分でも気持ち悪いのに人から言われるなんて最低。男に言われると不浄って感じが強くする。達也には私のことなんてわかっていてほしいと思ったこともあったけど、そんなことまでわからなくてもよろしい。
もういいよ、来週会わないから。
私は言い放った。心が弱くてつい、「来週」とつけてしまった。達也は、
あっそう。じゃまた機嫌がよくなったら電話して。
と言った。あんたが手抜きしているからむかついてんじゃん。もういい、来週も再来週も会ってやらない。悔い改めよ、達也。
でも、会わないと暇だなあ。一日はドライブしたけど、あとの一日は掃除洗濯して洗車して、買い物に行ってご飯作って紅茶を呑みながらDVD見て、それでもめちゃくちゃ時間が余っててなんかさびしい主婦みたいになってしまう。達也とは関係なく淋しかった。自分に何もないことが。もっと面白いことが。もっと情熱が。何もかも忘れて夢中になれる趣味とかが。
でも、来週も絶対会ってやらない。達也が、ごめんなさいを言うまで会ってやらない。いうかなあ。達也にはちょっと鈍いところがある。こんこんと接明してやらないとわからないところがある。黙ってたって女の気持ちなんてわからないのだ。まあ、男だから全部わかる方が気持ち悪いけど。とりあえず放置。自分だけが淋しいのは絶対いや。達也が淋しいって言ったら勘弁してやる。
一週間過ぎた。私はメールも電話もしなかった。だって悪いのは私じゃないもの。でもきっと達也は、あー忙しいのかなあ、くらいにしか思っていない。俺ってこのままじゃひょっとして捨てられるのか? なんて絶対思わない。でもそう思わせたいのだ。やばいと思って焦って電話してきてほしいのだ。
別れようなんて思っていない。ただ謝ってほしいだけ、これからは手抜きしませんと言ってほしいだけ。たとえ、その努力が一ヶ月しか続かないものであっても許すよ。
次の週末も淡々と、何もかもが昼の三時くらいに終わってしまって、私は夜を待つだけ。夜になってひとり酒なろくでなしの週末になってしまった。来週、ペットショップに行って犬でも買おうかなとまじで思ったり。でもちゃんと面倒見れるのかな、達也んちに行くときにわんこが淋しい思いをしたらかわいそう、とか。でもこれが原因で別れたら飼おう。うん。別れるかも。
日曜の夜、吟醸酒がちょっと回った頃に麻子さんに電話をした。
どうしたの?
麻子さん、土日で暇なときってありますか?
今まで麻子さんとどこか行ったことはない。二人きりで会ったことだってないのだ。だって、義理の姉妹がそんなことをするのも変じゃん。兄貴そっちのけっていうのも。でも私は兄貴と仲がいいわけじゃないから、三人でなんて考えられない。
でも、麻子さんはすぐわかってくれた。
いいねえ、二人でどっかいこうか。
もうその一言だけで、私は麻子さんにしがみつきたいくらいだった。麻子さん大好きだと思った。
行きたいですう。
行こう行こう。貴子ちゃん温泉好き?
歌うように麻子さんは言った。
好き好き。温泉行きましょう。
来週? その次がいい? いつでもいいよー。
えー嬉しい、ほんとにいいんですか。
貴子ちゃんの変な車で行こうよ。政男さんから聞いて、乗ってみたいと思ってたの。
兄貴ほっといて大丈夫ですか?
いつものことだから。
麻子さんは笑った。
でも日帰りがいいですよね。
えーなんで、泊まりましょうよ。私もそうしたらご飯作らなくても済むもん。
兄貴怒りません?
あの人、けっこう一人で器用にご飯作って食べるのよ。
えええ、知らなかった。なんかやだ。兄貴の作ったものなんて、なんかくさそう。
かわいい車じゃない。
麻子さんは言った。ほらみろ兄貴、わかる人にはわかるのだ。
カエル見たい。
うっ。そう来たか。
麻子さんはシンプルな白シャツを着ていた。兄貴はチビだけれど麻子さんは背が高くてスリムで脚がすごく長い。ブーツがめちゃくちゃ決まる。顔は、最初は地味だなーと思ったけど、たまになんていうの? 謎めいた微笑? みたいなことをすることに気づいてから。ああ兄貴はこの微笑に惚れちゃったのだ、と思った。でも兄貴と麻子さんがエッチしているところなんてちょっと思い浮かばない。ていうか考えたくない。できたらあんまりしないでほしい。そんなの私の我儘だけど考えるだけなら勝手だ。
私は車の中で愚痴ったりはしなかった。「Love Yon Livr」私が洋楽を聴くようになったのは兄の影響もあるから麻子さんもこういうのが好きかなと思ったのだ。
最近おもしろい本を、読んだ?
麻子さんが言った。
えーと。
ほんとは舞城玉太郎だったけど、
中上健次。
と言った。へえ。何読んだの?
『枯木灘』です。
読んだは読んだけど、突っ込まれると厳しくなりそうだったので慌てて、麻子さんは?と聞くと、言った。
『超ひも理論とはなにか』。
え? 超ひも? ひもって何ですか?
すると、麻子さんは楽しそうに言った。
物質とか宇宙とかの関係の本。だけど優しく書いてあるの。26次元と10次元にひもがあってね。Dブレーンっていう熱くてネバネバした面にくっついたり離れたりしてるの。これでアイシュタイン以降の相対論と量子論が全部説明できるんだって。私もちょっとしかわからない。でもすごいことよね。
私には何が何だかさっぱりわからない。そんなものを面白がる麻子さんが私には面白い。
牛遊びしない?
なんですか、それ。
形容詞プラス牛。
えー、楽しい牛とかですか。
そうそう、いかがわしい牛。
悩ましい牛。
おびただしい牛。
小汚い牛。
おどろおどろしい牛。
輝かしい牛。
せちがらい牛。
思ったよりずっとその遊びは楽しくて、長く続いた。単調だけど、シーソーをしているみたい。いろんな牛が私の心に遊びに来て、いろんな顔をして去っていく。想像できない顔の牛が面白い。
やがて私たちは熱海の、小さな旅館に着いた。古びているけれど木の廊下とかがぴかぴかに磨き上げられた旅館は、女の二人の隠れ家としてはいい線いってると思った。
部屋でお茶飲んでお煎餅を食べたら早速風呂だ。浴衣とタオルと洗顔料とシャンプーと化粧水をいそいそと用意する。
お風呂は小さいけれど、黒い石造りでいい感じ。天井と壁は木でできている。なにより、温泉ってお湯と桶の音がいいよね。
ひとつおいて隣りで麻子さんが体を洗っている。他人だったら平気だけど、身内ってちょっと恥ずかしい。もう裸が恥ずかしい年でもないのに。
お湯を浴びながらちらっと麻子さんの体を見ると左の脇腹から背中にかけて、刺青があったのでびっくりした。最初コウモリかなと思ったら悪魔だった。うわー。私たちの年だったらともかく七つ上でタトゥーって半端じゃない。しかもこの大きさ、痛かっただろうーなあ。見ただけで痛そう。麻子さんて元ヤンキー? それとも元チンピラの情婦? なんか、兄貴の奥さんなんかに納まる器じゃないじゃん。兄貴も最初は、びびったんだろうなあ。意外過ぎる。
私の視線に気づいた麻子さんは、あの、謎めいた「にやり」を浮かべて、
若気の至り。
と一言だけ言った。
お風呂のせいでその声はいつもの声と違って響いた。
部屋でお刺身とか、魚介がちなご飯を食べて、浴衣の裾崩してちょっとお酒なんか飲んで、さああとは寝るだけってときに麻子さんが、
彼氏と上手くいっている? と言った。
んー、別にケンカとかしたわけじゃないんですけど、私が勝手にイライラしちゃってる感じなんです。
どうしてイライラするのかなあ?
いやすごく下らないことなんです。無精なんですよ。なんか、メールの返事とかくれないし、私が電話しなかったら全然電話とくれないし。なんで私ばっかとか思っちゃって。でもこんなこと人に言う事じゃないですよね。すみません。
ああ、麻子さんにはこんなに素直になれる私なのだ。麻子さんは、
言ってすっきりするならなんで言ったらいいよ―。
と言った。
なんかそんな役割きめたわけでもないのに、なんで手抜きされるんだろうって。付き合いはじめのすごく好きなときだったら我慢できるけど、なんかいつも私が尽くしてばっかって辛いです。もうそんな好きって感じでもないのに。
違うと思うな―。それって彼のことすごく好きなんだよ。だって、そんなに好きじゃなかったら連絡とかも待たないもの。
うーん、そうなんですか。なんか負けてる感じがくやしいんです。いつからそんな役割分担になったのーって。なんかすごく不公平じゃないですか。あー、こんなこと全部人に言ったのは初めてです。
役割かあ、と麻子さんは言った。
あのね、変な話だけどいい?
と言ってくすっと笑った。
私の知っている子で、SMのMの男の子がいるの。それで話聞いたことあるんだけど。
うわ面白そう。知らない世界だ―。
SMって完全に分業じゃない。SがいじめてMが喜んでって。でも、Sって頭使って大変らしのね。どうしたらMが飽きないでずっと感じてられるのかとか、叩いたり踏んだりしながらすっごい考えているらしいのよ。私の知り合いのM男君は頭のいい子だから、いじめられながら、それが見えちゃんだって。
ああ今日はつらそうだなあ、女王様は本当はだらだらしたいのに、一生懸命ボクのことをいじめてくれているんだなあって思うんだって、そうすると余計女王様のことが好きなって尊敬しちゃんだって。ほんとうだったらボク今日は何もなしでいいよっていって抱きしめてあげたいところなんだけど、そんなことをしたら二人の関係が訳が分かんなくなるじゃない。
だからM男君は絶対に言わなくて、そのかわり、いつもより余計に感じてあげるんだって。感じるのがMの役割で、自分ばっかいい思いしてごめんなさいっていつも思っているだって。面白いよね。
そんなに相手のことわかっててもSMなんてできるもんですねえ?
みたいよ。だからきっと女王様の方も、ああ疲れている私が見抜かれている、とか思いながらケツムチくれるんじゃないの?
それって。
確信がカツン、ときた。
目に浮かんだのは麻子さんの女王様姿だった。黒の革のブラとパンツ、ガーターストッキングにピンヒール。左の脇腹に悪魔。似合い過ぎる。素敵すぎる。
つてことは暴力中年の兄貴がM男君? M男って政男? それっておかしすぎる。バカすぎる。目の前で笑うと失礼だと思ったから。もう一度ひとりで風呂に行って誰もいない浴槽の中でげらげら笑った。
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