森茉莉の書体は幻想的で優雅な世界を表現することに優れており、主な著作には『父の帽子』『恋人たちの森』『甘い蜜の部屋』などがある。また、独特の感性と耽美的な文体を持つエッセイストとして、晩年まで活躍した。
本表紙森茉莉 贅沢貧乏 

贅沢貧乏

森茉莉写真森 茉莉(もり まり、1903年(明治36年)1月7日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の小説家、エッセイスト。翻訳も行っている。
『贅沢貧乏」には、雑誌「新潮」に載せた「贅沢貧乏」(昭和三十五年六月號)と、「紅い空の朝から‥‥」(昭和三十七年一月號)と、「黒猫ジュリエットの話」(昭和三十八年二月號)それに今度、高橋書店から原稿を依頼されたので、その雑誌に書いた、「マリアはマリア」を入れてある。
『青い栗』は、昭和三十六年六月號の雑誌『心』に載せたもの。今のマリア以前のマリアが偶然描かれたもので、一寸、『贅沢貧乏』の前日章のやうなので、この本に入れた。
目次
1  贅沢貧乏
矢印Ⅱ 紅い空の朝から‥‥
矢印Ⅲ 黒猫ジュリエットの話
矢印Ⅳ マリアはマリア
矢印Ⅴ 青い栗

1 贅沢貧乏

 牟礼魔利(むれマリア)の部屋を掃除し始めたが、それは際限のないことである。
 牟礼魔利は、自分の部屋の中のことに関しては、細心の注意を払っていて、そうしてその結果に満足し、独り満足の笑いを浮かべているのである。魔利の部屋にある物象という物象はすべて、魔利を満足させるべき条件を完全に、具えていた。空罎(からびん)の一つ、鉛筆一本、石鹼一つの色でも、絶対にこうでならなくてはならぬという鉄惻によって選ばれているので、花をくれる人はないがたとえば貰ったり、紅茶茶碗、匙、コップの類をもし人から貰ったりすると、それは捨てるか売るより他に、なかった。

原因は魔利という人間が変わっているということの一事に尽きるが、それを幾らか解かるように分解すると、次のようになる。魔利は上に「赤」の字がつく程度に貧乏なのだが、それでいて魔利は貧乏臭さというものを、心から嫌がっている。反対に贅沢と豪華との持つ色彩が、何より好きである。そこで魔利は貧寒なアパルトマンの六畳の部屋の中から、貧乏臭さというものを根こそぎ追放し、それに代るに豪華な雰囲気を取り入れることに、熱中しているのである。

方法は全て魔利独特の遣り方であって。見たところでは、何処が豪華なのか、判断に苦しむわけである。見る人が芸術に関係する職業の人である場合は、楽しんでいる部屋なのだな、ということは解かる。だが何処が豪華なのか、ということになると、首を捻るよりない。魔利は、魔利を取り囲むもろもろの物象の中に横たわり、朝の光、睡魔を誘い出す午後の明るさ、夜の灯火の、罪悪的な澱(よど)み、それぞれの中で、花と硝子と、菫(すみれ)を浮かべて白く光る陶器。

壁の、ボッチチェリ、ルッソオの画に眼を止め、陶酔の時刻(とき)を送っているのだが、もし魔利が陶酔しているのだということを人が知ったら、その人間は(何処が陶酔?)と失笑し、而(しか)るのちおもむろに魔利の顔をみて、魔利の精神状態に懐疑を抱くに違いない。

 魔利が豪華の空気を出す――魔利の目だけに映る幻の豪華である――方法には天井は関係なかった。天井はあまり見ることはない処だし、煤が下がっていても、魔利の豪華は傷つかないからであった。四方の壁は淡黄が汚れて褐色をおびているし、畳は番茶で染めたような色をして、凹ついて居るが、これも魔利には関係がなかった。

――畳の、椅子やテーブルを置いてあるところには、イ草の色と鈍い赤との織り混ぜの上茣蓙(ゴザ)が敷いてある。――魔利の経済で畳を入れ替えるとすれば、最下等の畳であるが、安い青畳のけばだった畳の匂いなぞというものは、貧乏臭さの最たるものである。壁も同じことで、浅草の安芝居の舞台装置よろしくの、うす青色の壁なんかに塗り替えた日には、これ又貧乏の匂いで窒息すること受け合いである。

これを書いている今、硝子の壺の、薄緑の水垢を沈めた薄明かりの中から、蛇(じゃ)が立ち上がったような格好にそれぞれの形で延びている。十本程の薄緑の太い茎の上に、濃紅色、黄みを帯びた薔薇色、ミルクを入れたように甘く白い紅、レモンの黄、なぞのアネモオヌ
 ――アネモネのことである。それをアネモオヌと書くのは、何もフランス語を知っているということを見せる為ではない。魔利の頭に巣喰っている根深いヨーロッパの夢が、こういうことをさせるのである。魔利は小説を書く時にも、知っているだけのフランス語やイタリア語を総動員する癖がある。ローマ字を入れることもある。半頁に亙(わた)ってフランス語の文章を挿入することもある。
魔利が外国語を入れる精神が、暗々の内に通じると見えて、かけだしの魔利のこの癖を、今までの所では非難する人がない。魔利の父親の欧外にもこの癖があったが、彼には、魔利と同じ理由の他に、多少のペダンチズムがあったようである。ペダンチズムは文章の中にある時、場合によっては美しいもので、悪いものとは決められない。欧外をペダンチックな人間だと言うのは気の毒である。

欧外は高雅な趣味や、頭脳の中の、透き通った鑛(あらがね)で拵(こしら)えた微細な機械に似た動きが愉快がっていて、殆どそれに陶酔していた。それが彼の何ともいえない歓びであって、その歓びが美しさを極めた文体になり、維納(ウィンナ)の舞姫に扉の陰からおくる、秘密な恋の微笑のような微笑みになり、ローマ字なぞの挿入になったのである。欧外もまた、カカオの匂いや、ローマ字の美を、根深いところで抱きしめていた男であった。――

 ところでアネモオヌが、硝子戸を透す薄暮の光の中に、今いったようなようすで浮き上っているのだが、その豪華な花束の左側の一部の背景になっている壁の色が、汚れた淡黄であることが、魔利の夢を壊さずにすんでいるのである。アネモオヌの色は、魔利を古い時代の西欧の家にいざなってゆき、花の向こう銀色の鍋、ヴェルモットの空壜の薄青。葡萄酒の壜の薄白い透明、白い陶器の花瓶の縁に止まってチラチラと燃えている灯火の滴、それらの色は夢よりも弱く、幻よりも薄い、色というものの影のようにさえ、思われる。魔利はうつとりとなり、文章を書くことも倦(ものう)くなってしまうのだ。

 牟礼魔利(むれマリア)はそんなわけで、天井と壁と畳は放ってある。魔利の部屋の中で第一に目立っているのは、セミダブルのベッドである。進駐軍の払い下げ品で、テーブルつきで三千五百円という安いものだが、注文通りに薄汚れた、ニスを塗った木製のベッドは、なんの装飾もなく、四角い面だけで厚めに出来ている。フランスなぞの湖水のそばの家にある、彫刻をした胡桃(くるみ)製のベッドが望めないとすれば、このベッド以上のものは、魔利にとっては無い。何百万もする、家具商、又は百貨店のベッドなぞを持ちこまれた日には、それこそ貧乏臭い新興階級の、新築した家のベッドと、読みもしない本棚、いやな時計、手品師の布のような赤い絨毯なぞが、魔利の頭に浮かんできて、そういう家の中の空虚な空間までが、流れ込んでくるに違いない。

味気ない、無色なものが魔利の舌の上に拡がって来る。そうなれば魔利の夢は完全に壊れてしまうのだ。ベッドの上の厚く重ねた蒲団は、厚地の布で包んである。白地に紅色の細い二本縞の木綿である。この敷布も、アラビアの豪族のベッドに敷かれている、――例の四隅に槍を立てたものである。――白い荒い布に、黄金色の糸で縫った星があったり、太陽の模様なぞが紅や黒で縫ってあったりする布が購入不可だとすれば、魔利にはこの布より他に採用するものはないのである。

上に掛ける蒲団は二枚あるが、下に掛ける夜具は、オリイヴ地に薄い褐色で極細(こまか)い模様のある木綿で、袖や裾に折返っている裏は淡黄である。裏地と同じ色に細い褐色の柄と、淡黄の色とでこの部屋の中に、ボッチチェリの宗教画にある色調を摂り入れているのである。枕は白いところに太い紅縞の、これも木綿である。魔利はボッチチェリの蒲団に体を埋めて花を視、硝子に視入るのである。あらゆる硝子の色、どれほど見ていても解り得ない不確かな溶暗が、魔利を誘惑し、そこに魔利の至上の天国が、誕生する。

夏になって、上の蒲団を蔵(しま)い、白に紅の縞の蔽(おお)いだけになったベッドに横たわっている魔利は、暑熱で蒸される昼も、闇に取り囲まれる夜も、そうしていながら窓の向こうに沙漠の静寂を、想っている。「ピエエル・ロチの手紙」が、魔利に感動を遺(のこ)した、夜の沙漠の冷えた砂が、空想の暗いフィルムの上に映って来て、アルジェリアの女の唄う恋の唄さえ聴えて来るのである。

ベッドの両側には一つの碗(ずつ)、対の肘掛椅子が置かれている。奥の壁際にある方は、物を載せる台になっている。人間の掛ける方の椅子には、茶の濃淡の更紗(さらさ)木綿の炬燵(こたつ)蒲団が四つ折りにして敷いてある。椅子の背には、ヴェニスの町の運河と橋を織り出した壁掛けが掛けてあるが、この壁掛けが魔利の目にはパリの豪華な部屋にあるゴブラン織に映っていて、反対側の壁に張られたボッチチェリの「春」の部分画、ルネッサンス以前の、貴族の女の横顔、なぞと呼応して、魔利の部屋の中にイタリアの色を漂わせているのである。

渋谷にある小さな店の壁に、これが張り付けられているのを発見した時、魔利は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した。誰も買わない為に、大分長い間店晒しになっていたとみえて、大体が何かの西洋の画から取ったもので、もとの色がいいのだが、それが陽に焼けていい具合に褪(あ)せている。その朧(おぼ)ろなオリーブ色や鈍い黄色の濃淡、水灰色、柔らかな煉瓦色なぞの色調は、古いゴブラン織に寸分たがわない。気に入ったものを見つけると我を忘れる魔利である。

だいぶ剝げているから値を引きなぞという駆け引きを思いつく筈はないので、喜色満面で、それを買った。何かの必要があって買うのは解かるが、又百貨店なぞにあるものは高価で手が出ないのでこれを買う、というのも解かるが、色が剥げていると自分で言っていながら喜色満面なのが解しかねる。そういった心持が定員の顔に表れるのである。そんな時一種の笑いが男の顔の上を掠(かす)める。

魔利のすることの中には、魔利以外の人間から薄ら笑いを引き出すものが、事実多々あるので、魔利は人々の笑いを視角の端に捉えることに馴れっこになっているし、平気である。若い時には腹を立てたが、どうやら大人の神経を盛って来た此頃では、笑う方に同情をしている。

 ベッドの枕元のテーブルの上にあって、不思議な豪華を照らしているスタンドは、銅だか鉄だか、もろもろの合金だか解からないが、ともかく礦(あらがね)は礦で、イタリアの美術館にある銅版画のような色をしている。翅(はね)をつけた天使の若者が、少女を抱いて踊っている彫刻がしてある。安物によくある、両面の型に流し込んで合わせたものだが、額縁屋、又は一寸気の利いた文房具店、百貨店なぞにある、ミレエの晩鐘や、阿保のようなベエトオヴェン、水車小屋、なぞの厭味はなく、魔利の夢を充分に満たしているのである。

もうだいぶ古くなるので、電球を差し込む所と台との繋ぎ目のハンダが剝がれて首がぐらぐらする、そこで一杯に引っ張ったコードの上に、トリスの大瓶に水を入れたものが重しに置いてある。魔利の部屋に訪問する少女や奥さんは、この危ないコードで苦労するのである。
魔利自身も困っているが、イタリアを思い出させるようなものがたやすく見付かるとは思えないので、(五百円も出せばあるわ、買ってあげましょう)と言う人もある。

理由を説明すれば愕(おどろ)くから、魔利は妙な笑いを浮かべて、(その内買うわ、億劫(おっくう)なのよ)と言い、謝るようにして、その話を逸らそうとするのである。八百円で買って八年間保たせている。このみすぼらしいスタンドは、魔利には一つの財産なのであって、これを見ていると、「羅馬(ローマ)に行きしたことのある人は、かのピアッツァ・バルベリイニを、知りたがるべし」という、あの即興詩人の最初の言葉が浮かんでくる。

そうして羅馬やフイレンツェの街の敷石の上に轟(とどろ)いていた、馬車の轍(わだち)の音も、魔利の耳には聴こえて来るのである。花弁を上向けているアネモオヌの深い皿。咲いていることにも飽きているような、物憂い薔薇色、黄色、ミルクを含んだオレンジ、濃紅。アネモオヌの美女達は、この天使のついたスタンドの光の中でこそ、魔利に深い夜の夢を、見せるのだ。

 寝台(ベッド)の後の壁に附けて置かれた書棚の上は、魔利の部屋――実際には部屋といえないが、茉莉にとっては美しい、夢の部屋である。《現実。それは「哀しみ」の異名、である。空想の中でだけ、人々は幸福と一緒だ。私は現実の中でも幸福だ、という人があるかも知れないが、そういう人は何処かで、思い違いをしている。現実に幸福を感じる時、その幸福感は、その人間の空想の部分の中に、少なくとも空想の混ざり会ったところに、存在しているのであって、決して現実そのものの中には存在しないのである。

正確に、現実の中だけで幸福だ、と言う人もあれば、それは遠い祖先の猿から、あまり進歩していない人である》。 魔利は偉い哲学者になったような顔をして、心の中で言うのである。室生犀星(むろうさいせい)の「女ひと」の中に、「ビフテキの薔薇色と脂」という言葉が、浮かんでくる。ビフテキをナイフで切って食べるということは「現実」であり、ビフテキ自身も「現実」であるが、ビフテキを美味しいと思い、楽しいと思う心の中にあの焦げ色の艶(つや)、バターの匂いの絡みつき、幾らかの血が滲む薔薇色、なぞの交響楽があり、豪華な宴会の幻想もある。又は深い森をうしろにした西欧の別荘の、薪の爆(は)ぜる音、傍らで奏する古典の音楽の、静寂なひびき、もあるのである。

  ある男が、埴輪のような土の人形を愛する時、その愛情は生きている女への愛情より深いのかも、知れない。ある男の娘への愛情は、或る時からは、その妻への愛情より深いかも、知れない。愛情や、楽しさが、現実だけのものなら、現実のもう一つ奥に、何かが隠れていることはない筈である。

  魔利は何とかして、自分の頭の中にある夢の部屋の存在を、正当化しようとして、こんな意見を引っ張り出して来るのであるらしい。《夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石》という、魔利の卓見はしばらく置いて、本文に返ろう。だがこれは、決して馬鹿にしてはいけない意見なのである。――

 さて魔利の書棚に、還る。魔利の書棚は魔利の部屋の飾り棚である。そこには本立てがあって、欧外の「独逸日記」の白に黒の字と、灰色の模様の背表紙。ロオダンバックの「死の都ブリュウジュ」、ドオデの「jack」、ピエエル・ルイの「女の人形」、同じ作者の「ナンフの黄昏」等の黄ばんだ表紙。英国版の真似たのではないかと思われる、深い紅と白に、黒い字の「シャアロック・ホームズ」二冊。ロチの「お菊さん」と、「お梅の三度目の春」、が、魔利の注文にかなった色調で並んでいる。

ホームズの隣りに、冴えた薄緑が一冊欲しいので、目下魔利は物色中である。本立ての横には、去年の夏の枯れた花が、硝子のミルク入れに挿してある。オリーブ色の萼(がく)と茎、
黄ばんだ中に胡粉(ごふん)の細い線が浮かび上がっている、ちいさなアザミのような花である。花の色は黄ばんで脆(もろ)くなったダンテル(レエス)の色であり、萼と茎とのイタリア
の運河の色である。

黄金色の口金の、四角な、宝石のような壜、アリナミンの小壜に立てた燃え残りの蠟燭(ろ
うそく)は、暗い縁である。蠟燭のうしろには、埃を被ったDomの空罎が、薄青の資生堂の空罎の上に載り、それと蠟燭との間に立ててある、ウエスタンハットに西部の牧童のシャツと胴着のディーンの肖像は茜色の濃淡である。

濃いのと薄いのとの二つの緑色の硝子壜。その一つには、緑と礦(はがね)の色に光る虫が入
っている。灰色に塗ったペンキの枠に囲まれた写真立ての中には軍医の欧外、象牙色の枠の中には、レジョン・ドヌウル(芸術家の勲章)をつけたプルウストが、入っている。魔利の
言う真正の現実を追及した、永遠の作家のプルウストである。

彼の肖像の二つの目は、真実(ほんとう)の現実であるところの心象に映るものを、今も見
詰めている。レジョン・ドヌウルは、白い蜥蜴(とかげ)か、天(そら)の鳩のように、黒い
礼服の上に止まっている。白い折り襟。襟の下までを庇うようにしている白絹らしい襟
巻。魔利は、プルウストを見ることが出来なかったことを、欺いている。

フランスの、高い智能を表している。そういう人物というものは、今の東京では、ジャ
ン・ルイ・パロオを見に行くよりない。フランスの智能的なもの、心象をみる目、優雅、
謎は、現代のヌウヴェル・ヴァアグの中にも息づいていて、パリの若者達の製作する新らしい映画には(例、「恋人たち」、「二重の鍵」、「ひと夏の情事」)、人物達の複雑な絡み合いの中の心像風景、智能的なもの、古典を呼吸している高雅があり、「勝手にしやがれ」なぞの恋愛場面にも、「赤と黒」の中にある重さは、生命を保っている。

「狂った夜」の、裸で寝ている女の掛け布を剥ぐ場面、枕元にある、蠟燭を三本立てた上に蓋(かさ)のあるスタンド、うしろの壁に、額縁だけが鈍く光っている暗い画。現代的なもの、即ちドライだという考え、古典的なもの、優雅なものは「昔の遺物」そういう考えは、一寸変である。

ミレエヌ・ドモンジョの水着を着たようすの中に、ルイ王朝の優雅が生きているし、ジャン・ポオル・ベルモンド、ロオラン・テルズィエフ、ジャン・クロオド・ブリアリ、ジェラアル・ブラン、謎の若者達は、どこかに、椿姫の時代の甘美を保ち、その中に苦い香辛料を含んで青み走っている。乾燥がいいものは洗濯ものと焼塩と、ある種の文学における文体である。

 ――小学校と女学校で習得した日本語と、欧外なぞの文章からうけた、漠然とした影響、それからフランス語を少しかじったこと、それと西欧の文字、美術を、匂いだけ嗅いだだけの、みすぼらしい教養と。そんなものの寄せ集めの頭脳で、ごたくを並べるのは止めた方がいい、という声がして来た。――

 本立ての横に重ねてある欧外全集の上には、紅いブリキを張った山で使う蠟燭入れ、聖母母子の絵はがき、寺院のステンドグラスを写したものらしい極彩色の、これも聖母子の像。思い出の、プラスチックのトリスの蓋、マッチ箱。その前には、分厚なコップが二つ並んでいる、一つは葡萄酒を薄めたような色、片方は水に溶かしたような緑が気に入って買ったものである。

魔利の好きな豪華な夢は、寝台の足元のテーブルの上にひっそりと置かれ、又重ねられている洋皿、紅茶茶碗、洋杯なぞの中にも、あった。黄金色の文字とマアクの、薄青の紅茶の雚(かん)、暗い紅色に透る、ラズベリイ・ジャムの壜。白い皿の上に散っているボッチチェリの薔薇、菫(すみれ)の花弁の柔らか紫は、その上に伏せられた洋杯の透明の下に匂いを散らし、洋杯のうしろには鳥の模様を置いたロオズ色の陶器が、映っている。

薄いブルウの縁取りのもの、オリーブ色とロオズの模様のなぞの深皿が幾重ねも積まれている上には、紅茶色のトマト、銀色の匙、栓抜き、胡椒、ガアリックの小瓶、鈍い黄金色のアルマイトの小皿なぞが置かれていて、淡い綺麗な色彩と、黄金色、硝子の透明なぞが交錯した。

魔利の夢を形作っている。それらのものの後にある棚の上には、マヨネエズの淡黄、西洋酢の透明、バターの黄、ラアドの白、が並び、薄緑のキャベツは濃紅の果物入れからこぼれている。濃度のある牛乳の白と、トマト・ジュースの薄紅、苺ジャム雚の濃く暗い緑。それらの陶器、雚、野菜、硝子の群は、ところどころに、昼の陽光や夜の電灯の光を浮べて、夜はその一つ一つが、細かな星の形に、光っている。

 これらの淡く綺麗なものたちは、魔利を終日取り巻いて、静かに輝いていたが、魔利が眠る夜の間も、それは同じことで、あった。何故なら魔利の部屋の電灯は、朝陽の差し込む三十分を除いて、夜昼輝いているからである。夜中や明け方、魔利の部屋の前を通る人々は、煌々として輝く七十ワットの光に、愕くのである。

電灯を消し忘れるのは、書き物をしたり、推理小説を読んで夜更かしする為でもあるが、気がついても、電灯の捩子を捩るという、それだけのことがひどく億劫でもある。夜の電灯代を倹約したところで、イギリスチョコレートが何枚買える訳でもあるまいと、魔利は放縦な頭で考えていた。

自分の好きな食事を造ること、自分の体につけるものを清潔にしておくこと、下手なお洒落をすること、自分のいる部屋を、厳密に選んだもので飾ること、楽しい空想の為に歩くこと、何かを観ること、これらのこと以外では魔利は動かない。夜明けに人の居ない空地に立っていれば、毎日千円ずつ空から降って来ると、いうのだったら、魔利は原稿なぞは一枚も書かないかもしれない。

書きたいと思うのだろうが、ペンを動かすのがひどく億劫だからだ。千円は望みが小さいと言う人があったら、魔利は答えるだろう。それ以上の、本当に金を使ってやる贅沢には、空想と創造の歓びがない。と、魔利は雨戸というものを締めない。原因は面倒だからだが、もう一つの理由は雨戸を触ることが厭なのだ。

そのことは、魔利の戦前の生活に遠因がある。物置や便所なぞの掃除は勿論、表面を掃くだけでない徹底した掃除は、出入りの植木屋に月に二回来てやる。植木屋が客間をやっている時は茶の間に、というように人々は逃避し、年に一度の、更に徹底した掃除の日になると、母屋をやる間は離れの画室に人々は片違(かたたが)えをやる。そういう、手を汚さぬ生活をして来た魔利である。白い手の貴族である。

引っ越して来てから二三週間の間、魔利は雨戸の存在に気づかなかった。気が付いた時にはもう、時期が遅かったのである。埃と雨風の泥位はとも角として、蜥蜴(とかげ)、ヤモリ、サソリ、桐の虫、蜘蛛、なぞが手に触れるかも知れぬという恐怖があるので、そのまま雨戸は戸袋に入った蓋である。

魔利のアパルトマンのある辺りは湿地帯で、雨が続くと畳にカビが生えるそれでトカゲ、ヤモリ、かみきり、蜘蛛、なぞ、訪れる昆虫類は多士済々(せいせい)である。虫の嫌いな魔利は、その度に水を浴びたようになって立ちすくみ、今度は誰に頼もうかと、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れる人々の心を忖度して、十数分間は考え悩むのである。罐詰は開けられぬし、重いものは持ち上らない。

既に美しくない中老の、スウェータア姿の魔利の生活が、見かけは何処かのおばあちゃん――勿論よくよく見れば、争えぬ品位というよりはのろまな感じが、用をしたことのない人間を、表明しているが――のようであるにも係わらず、王朝時代のお姫様の手のろさで、行われているのである。少し大げさに、机なぞ動かして掃除をする魔利の様子は、紫式部が和泉式部の掃除、といった見栄である。

戦争中疎開していて、藁(わら)の雪靴の紐(ひも)が切れた時のことである。雪の中に茫然と立ち尽くしたあと、魔利はのろのろと腰をかがめた。足元に藁しべが二三本の藁しべを束ねて、藁靴の紐の切れ目に結びつけようと、空しい努力を続けながら、心の中で、言った《朕(ちん)には藁靴の紐は結べないのだ》と。その頃の魔利の生活は、すべてが笠置(かさぎ)の山を出て山道をさまよった。

後醍醐(ごだいご)天皇に、似ていた。薪は燃えつかない。川で洗濯すれば下着を流れに取られる。首の方から川にのめりそうになる。薪は直ぐに燻るので、何度も最初の新聞紙を捩(ね)じるところから遣り直しである。魔利は涙と煤煙(すす)とで汚れた顔をし、自分の二本の無能な手を呪った。

第一道が歩けないのである。滑らぬ為に工夫された雪靴を履いても駄目で、道路から家の入口まで下りる段々を、魔利はいちいち、腰をかけては、下りた。親類の家に湯を貰いに行くのが、仕度が遅いので後から一人で、ということになる。どこが曲がり角かわからぬ雪の小山の中を、魔利は闇を透かし透かし、恐怖しながら、歩いた。畑仕事が遣れないので、弟の家内の遣るのを冷然と傍観している結果になる。

その為に、別居してからは、野菜を貰えぬことになり、二階を借りている下の家にキュウリの皮を特約した。金があったのだから分けて貰えばよかったのだが、そこへ気がつかない。塩はあったから、魔利は瑞瑞したキュウリの皮に極上のサラドを、空想した。弟の家内と魔利と同様お嬢さん育ちであるということに、人々の非難する点があったのだが、弟の家内と魔利とでは、お嬢さんが少し、違った。弟の家内になった娘は八人の家族の家で、母親の代理をやっていた娘である。

家族は八人だが、三日空けず客があるから、食事は大抵十五六人前である。母親の方は専ら社交の方面を受け持っていた。娘の方も社交に敏腕で、彼女は客があると、台所と客間とを往復し、台所では料理の腕を振い、客間に客がいると、社交の言葉と笑いの花を、ふりこぼした。これは弟の家内に対する犬糞(けんぷん)的な復讐なぞというもので、書いたものではない。

弟の家内という人は自由学園の羽仁もと小式で薫育された、才媛(さいえん)である。ひとたび戦争が起こるや、百姓が舌を巻く位の畑仕事の腕を見せ、薄く柔らかな眉のある眉宇(びう)の間に、負けず嫌いの気性を青み走らせながら、遣ったことのない和服の裁縫も、数字の計算のように割り出して遣りおおせた。

月が空の中でかちかちに凍っている夜、一人で何百個かの馬鈴薯を土に埋めた。通りがかった知り合いの工員が涙も催して手を貸したという、逸話の持主である。金槌(かなづち)で叩いても欠片も滾(音=コン。意=煮えたぎるさま。水の盛んに流れるさま)れないような硬い心を、持っているが、それは外からは見えない境遇から出来た面があるし、別段に悪意や意地悪で固まっているのではない。

又見かけの涙や温情のオブラアトで包んでいる厭味もない。野菜事件にしても、他のもろもろの出来事にしても、厳密にいえば魔利の方に、非があった。大体あの恐ろしい戦時下で、魔利を連れて疎開するということは、部屋着の裾を引き摺ったブリヤ・サヴァラン、か、エドワード八世、又は後醍醐天皇を背中に背負って疎開するのと同様で、あったのだ。それも本人の魔利は浅草にしがみついていたのを伴われて来たので、お願いされた訳ではないのである。さて、閑話休題。

 そういう訳なので、虫退治をはじめとして、魔利には不可能事が多い。それが又いやが上にも続々と、奇妙な贅沢生活を生み出し、魔利の「贅沢貧乏」を、絢爛(けんらん)たる城にまで高めていくのである。植木屋の掃除の事と同断で、すべてのことを女中が何人もいて遣ってくれていたので、魔利には炭火を扱う事も、石油焜炉を操作することも、出来ない。それでプロパンガスを使っているが、プロパンガスには暖炉が取付られない。そうかといって魔利の経済では電気ストーヴは、買えない。そこで、昼夜絶え間なく湯たんぽを熱くして、ベッドに埋まり、マルセル・プルウエトを、気取っている。

繕ったり、綴(つづ)くったりしたものは着たことがなく、衣服の類は欧米式のものも、純日本式のものも、一切縫えないので、仕立屋の払いが大変である。不断着から半幅帯まで仕立てに出すのである。戦後は人が洋服の下着を和服に流用するようになり、肌襦袢(はだじゅばん)は売っているので、肌襦袢まで仕立てに出して人々を愕かすことは、無くなった。毛糸を編んでくれる店はあるが、穴を綴くってくれる店はない。

ところがタイユウル(スウツ)もロオブ(ワンピイス)も買えないのにお洒落と来ているから、英吉利風の渋い茶に胡椒色、ココアの茶に、濃紺、白、灰色、水灰色と、カアディガンやスウェータアばかり買って来る。スカアトが傷んで大穴があくと、愕いて二枚こしらえる。一枚は消炭色。もう一枚はピンクがかった小豆色と、小豆色を帯びた灰色との、細かい格子(チエック)のぼやぼやした布地である。このスカアトに白いブラウスと、濃紺の襟付きカアディガンを取合せて、谷内六郎の描く表紙の女の子、といった感じである。中老のご婦人には違いないが、中身は少女で、十三四歳の心境だから、そういうなりがぴったりしている。

消炭色の方には水灰色のカアディガンと白のブラウスを取合せて、得意で散歩に出かける。淡黄(クリイム)と薄青のソックスがそれぞれに取り合わされる。それらの多くのカアディガンは、ハンガアに何枚でも重ねて引っ掛けて、吊しておく。だからだんだん重くなって、一寸ものが触わると猫の飯の上に墜落する。

一部は箪笥(タンス)の上のボール箱に重なっている。冬が春になり、やがて春は夏になる。秋になって出してみると、梅雨時分に付着したらしい虫の卵が成虫になって繫殖し、無残な穴だらけなっているのも何枚か出てくるのである。花と硝子に取り囲まれている空想に我を忘れて、日も夜もないのだから、ハンガアにぶら下がっているスウェータアや、カアディガンは永遠に首吊りの姿勢だし、箪笥の上に載ったのは虫に喰われ放題になる。

魔利にもそれらを箪笥に蔵(しま)わなくては、という気は起こるが、魔利の場合、実行と思考との間には雲煙万里の隔たりがある。穴が開くと綴くれないから、そっと捨てる。夜更けの十一時四十分頃に魔利の住むアパルトマンの近くを通る人は、かさばった新聞紙の包みを抱えて川辺りの方へ歩いて行く、怪しげな女の影を見るのだ。屑屋が、成程これだけ着たものだ、払うのが当然だ、と、認める品物でもないものを払ったところで、何も構わないようなものの、ものには程度があるからである。

魔利のアパルトマンの近くにある川の中には、上等のスウェータア類の、穴の開いたのが、相当量沈んでいる。テムズの底に沈んでいるという、髑髏(どくろ)の眼窩(がんか)に嵌った、女王の宝石、とまでは行かないが、ものがいいから、バタ屋の人々は年に一回ぐらいは浚(さら)ってみる位の価値はあるだろう。

 洗濯も、戦後一人住まいになってから始めて、もう大分になるが。馬鹿丁寧なので時間はかかるし、資生堂のオリイヴ石鹼の泡を山に盛り上げ、真っ白になるまで遣るので、大変な手間である。余り泡を盛り上げるので洗濯ものの地がよく見えない為に、前の日にバケツに落とした紅茶の滓(かす)によって出来た茶色の滲(し)みを落とすことも度々で、その時には又遣り直しである。

電気飴のような泡を子供が競って貰いに来る。洗うのはいいが、絞るのが難事業である。冬の長い下着を絞る時の魔利の恰好は、ラオコオンの彫像よろしくで――蛇に巻きつかれて腕、腰、胴をよじり、空を仰いで苦悶(くもん)している三人の男の彫刻である――肘に引っ掛けてまだ余ったのは肩に乗せて、異様な形で渾身(こんしん)の力を振り絞るのである。バレ・リュッスのマッシンといえども、考えつかぬ、芸術的な型である。時によると自分で吹き出しそうになるが、側に人が居なくても、聴える所に部屋があるから、懸命に笑いを嚙み殺すのである。

そういう恰好をするのは馴れないせいでもあるが、力というものが皆無だからで、一般の主婦なみの力があれば、二重に折って絞ればいいわけである。さて洗って絞るという難事業を経て、真っ白になっていい匂いがしている下着類やタオルの類――下着と小物以外は西洋洗濯ゆきである。この上敷布なぞを絞り始めるものなら両隣の奥さんの背中にまで引っ掛けなくては出来ない――は、窓際のハンガアの行列に下げられ、乾くとベッドの背に、白い滝のように掛けられる。

余ったのは肘掛け椅子にかける。洗濯ものを部屋に干すのも、やはり主婦的技術を持っていないためで、戸外の物干しへ干すのには竿を上の段に押し上げるための、頭に木の枝のついた竿を自由自在に操作しなくてはならない。時には親しい奥さんが、自分の所へ干させてくれるが、結果としてその竿の操作を遣って貰うことになるので、度々ではうんざりものだろうと、逃げるようにして自分の部屋へ持って入る。

雪の日なぞで乾き切らない時には熱くした湯たんぽに巻き付ける。すっかり乾いて熱くなっている。一挙両得である。魔利はタオルの色にも難しい注文があって、夢のような色が揃えてあるので、ベッドの背に掛ける時も一定の順序で、少しずつずらせて掛け、そのわきに白い洗濯物が掛けられる。

石鹸は菫(すみれ)の匂い入りのヴィオレが理想だが、買えないのでアイデアル・オリイヴの菫色、資生堂の白、薔薇色、薄緑等である。化粧道具の箱と髪道具の箱も、これらの石鹸の黄薔薇色や、淡黄のものを使っている。大きな罐詰の空箱の上にそれらの箱と、リグロインの壜、髪洗い用の液と、無色で匂いの無い髪油が、場所が定って置いてある。

 とに角牛乳育ちで、見かけの大きい割に芯がひ弱であるのに加えて、少女の頃力というものを使わずに暮した。魔利は、左手に茶碗を持ち、右手に箸を持って飯を喰うのと、湯殿で体を洗うこと、着物を着ること位より、独りではせずに育った。髪はフランス語の暗誦(あんしょう)をしている間に女中が結うし、髪洗いは座敷に盥(たらい)を据え、八岐大蛇(やまたのおろち)に供えた酒盥よろしく湯を湛(たた)えたバケツを並べて、女中が洗うので、首を前に出していればいいのである。

女学校から帰ると水道のある座敷に入り、小走りに来る女中に(かおをあらうおゆ)とのたもうのが、魔利の毎日の風習で、あった。学校の往き帰りは俥(くるま)で、遠足は大抵休んでいたから、足の方も余り動かしたことがない。そんな体だから日々の買物も、楽ではない。

一寸大きな大根と、古本二三冊、それに玉葱(たまねぎ)の五つ六つも籠に入ると腕が抜けそうになり、一丁おきに買い物かごを持ち代える。力もやわだが、皮膚もまだよく厚く出来ていないらしく、洗濯も少し多く遣ると指の甲が摺り剥けて、血が出るし、跣(はだし)で下駄を履いて歩くと、一丁も行かない内に摺れて皮が剥け、紅いところが出て来る。極上の丸本天をすげた下駄を履く以外には、素足の散歩も楽しめない。

 買物籠を持ち代えるのは別におかしくないし、自分では優に柔しい平家の官女と自惚(うぬぼ)れているが、ラオコオンの型だけはせずに済めば、やりたくない。何故なら、魔利は、顔も姿も駄目だが、心とようすだけは美人だと、自惚れているからで、ラオコオンさえやらなければと、思うのである。

この頃は顔の他に体もよくなくては、ということになって、所謂(いわゆる)美人は殖えたが、美人の心を持っている人、美人の態度を持っている人は多い。含羞(がんしゅう)と、優しさがある人である。「美人」というものは車道を突っ切る時でも、醜い横目を使い、泡を喰った恰好で駆け出すものではないし、銭湯では同性にも羞恥(しゅうち)を抱くものである。

  ――見ていると、銭湯の中の女友達のようすたるや、驚くべきものである。真黒でちりちりの頭と太くて紅い腕とが魔利の目の下に、にゅっと突き出て来る。蛇口の前に席をとっていても、隣の女のお情けで汲ませて戴くようなものだ。蛇口が空いていないなと見ると、魔利は直ぐに帰ることにしている。

人にかからないように湯をかぶる女は稀(まれ)で、顔を洗っているかと思うとうがいをする。手鼻をかむ。自分一人の湯殿でも出来ない恰好をする。男女混浴になったら、少しは違うかとも思うが、やっぱり同じ事だろう。結婚して五六年も経った女は大半がばらがきである。

見惚れるような若い女もいるが――この頃の若い裸の女のいい所は、羞恥が淡(あ)っさりしていて、堂々と少年のようにふるまう所である――、恥知らずになり切っていて、湯船の中から他の女の体を見ている婆もある。もっともそこまで行けば歌舞伎芝居の遣り手婆や、ロダンの娼婦なりし女のような、別種の美になる。

魔利は気に入りのタオルと石鹸、黄金色の洗い桶を並べ、鏡を遠く望む場所に座って、楽しく入浴をする。遠くからだと顔が小型に見えるからである。ところがこの習慣はこの頃破れた。乳癌の詳しい判別法が写真入りで載っている雑誌を立ち読みしたからである。胃癌の恐怖はこの六七年断続して続いているが、体の微(かす)かな異常にも、胃癌を大将として、喉頭がん、食道がん、直腸がん、舌がん、皮膚がん、等々になったと思い込む。

思い込むと食事の味もしなくなって、人生が虚無になるので、そういう日には花も硝子も恐ろしい悲哀と寂寥(せきりょう)の夢魔と変る――

 大体美人というものは、人を憎んだり、意地の悪いことはしたりしないものである。世を挙げて恋愛時代で、若い女はすべて愛されたい欲望を持っているが、愛されたいと思ったら、ブリーチより、アイラインより、人を羨(うらや)んだり憎んだりすることを止めた方がよさそうである。そういうものが出ると女の顔に、ぞっとするような悪相が生まれる。氷屋の女中に至るまで流行病に罹(かか)っているから、街には悪相の女が氾濫(はんらん)している。

 再び、閑話休題。そういう育ち方で、家事には無能、その上に加えて贅沢病であるから、生活方法には魔法が必要である。魔利の生活は、朝、昼、夜、燦(さん)として耀く膨大な電灯料を含めて二千八百円の部屋代と、米、と三種の新聞にプロパン瓦斯を入れて月に一万円である。

その中でビスケットと本物バダア、グレエト・ブリテン産のラズベリイ・ジャムに、とも角にもいい匂いのする紅茶、という、魔利の所謂(いわゆる)、英国貴族の朝食を摂り、パンの夕食にも日によっては、アスパラガスと薄薔薇色のトマトを並べ、刻みパセリと玉葱の輪を浮かせた牛肉の肉汁の冷やしたものを摂ることもある。

ヴェルモットやグラフヴ・ド・セックも稀には買うというのは、大変なことである。年に一回出す本が、一万円の生活を支えているだけだから、贅沢代はあの手この手で捻り出すのである。枕元のテーブルの下には、赤鉛筆と青鉛筆と黒とで書き込んだ、顕微鏡で見なくては見えないような、足し算と引き算の数字がぴっしり詰まっていて、カスバの迷路のように、あっちこっちに線が引っ張ってある。

魔利の頭の中も、細かな数字で一杯になっている時間があって、零細な算術は小学校の時、賞を貰ったことのある人とは思えない程速くなっている。臨時収入と、何かしらを売り飛ばすことで余裕をつけるのだが、収入に半端だけ贅沢費に廻すことにしているので、小切手に何百円、或は何千円の半端があった時には歓喜である。四百円の贅沢費が出ると、百九十円が平目の刺身二回分か、サンヨウのハンバァグ・ステエキ、ビイフ・シチュウ、なぞの罐詰の西洋料理になり、あとの二百十円に日常費から二十円を足して、イングランド製の、うずらの卵大のアルモンド入りネスレエ・チョコレエトに、この頃は臨時収入が多くなって、どういう訳か原稿紙一枚分の値段も門並み相談したように多くなったのは当分の間我が世の春である。

昼食の副食物は白魚、平目、鯛の子なぞを清酒に入れて淡味に煮たもの。平目か、夏なら鱸(すずき)の刺身。下し際に木の芽を絡ませ筍。ロースのバター焼きにさやインゲン、独逸サラダ、特大のオムレットのトマトソース等、又はスコット、バンガロオル、砂場等の外食である。売り飛ばす品物は、買ったけれども似合わないブラウス、マフラアの類。

書店の寄贈による、欧外、芥川、漱石が入っている小説集の類。貰いものの白檀の扇子、茶器、罐詰。二本ある丸帯、二枚ある長襦袢。等である。似合わなくなる原因は、自分の顔より一オクタアヴ上の顔の着るようなものを買って来るからである。貯金が充分ある頃に買った、ヤール六千円のパリの布地を渋谷で縫わせたジャケットも、この頃売り飛ばした。酷い形に出来上がって、魔利の夢を粉砕したからである。幸、阿佐ヶ谷に、魔利がもののいいのを持っていくし、買った値段も瑕(きず)も正直に言うせいか、高く買って呉れる店があって、まだ在庫品の多かった頃には、五六枚持ち込めば二万円位には直ぐなったものである。

よくよく売るものがない日には、魔利はベッドに腰掛けて、部屋の中を見廻す。そうして畳を剝がして売りたいなあ、と思うのである。魔利は腰かけたままで、花が吐き出す香気と、硝子の透明の中にある誘惑的な、それは多分自分自身の中にあって、探りあてたいという心持を、何処かで魔利に起こさせているところの、なにものかでもある、その誘惑的なものに取り巻かれながら、贅沢費の払底を欺くのだが、そんな日が幾日か続いたのちには、再び歓喜の日が訪れる。

人間万事塞翁(さいおう)の馬。というのは真実らしい。(神様はよいようにして下される)。あのキリスト教の牧師の言うことも、まるまる嘘でもないらしい。と、魔利は心の中で笑い、新しいスカウトをはいて嬉々として街へ出る。

 空は魔利の頭の上に、無限に青く透ってつづき、魔利はボサボサの髪の下に、十三歳の少女の顔がそのまま中老になったという、不思議な顔を輝かせて、歩いて行く。淡黄の顔の高頬の辺りにはよく見ると、紅い細かいぶつぶつがあって、頬紅をつけたような紅みが差している。上唇の縁には面疔(めんちょう)の痕が、小さな紅い痣(あざ)のようになっている。

象牙色のスウェータアの上に紺の襟付きカアディガンを着、会わせた襟元を木製のブロオチで止めている。ご自慢の小豆色と灰色のチェックのスカウトをはき、畝編(うねあ)みの薄茶の長靴下に、淡黄の皮のサンダルを履いた足は、中老の女にしては元気な、妙に稚(おさな)い足つきで、楽しそうに歩いて行く。そうして小声で。モツァルトのオペラの一節を、歌うのである。

《綺麗な、恋をする、子供たち》
 魔利が殆ど毎日のように歩く、淡島から下北沢の駅の先の北沢二丁目の通りまでの繁華な街すじでは、魔利の素性を知っている人がかなり殖えて散在している。稀に雑誌なぞに短い文章が載るのからでも、それがうまいからでもない。毎日行く風月堂で五六年前に兄の手紙を落して帰った。そこでそこのボオイ頭が素性を知った。

彼の長男が兄の出ている東邦大学の学生であったのである。同じく喫茶店であるミネルヴァに行っていた時代からの知り合いが風月にも来る。そこで風月堂の常連が皆知るように、なった。風月堂のボオイ、ウエトレスも従って知ることになる。

淡島にあるアパルトマンでは無論知っている。他に書店が二軒と、原稿を落した事件で魔利を知るようになった薬局が一軒ある。それらの店の店員息子。等、綿密に数え上げれば二十五六人、或はそれ以上の人々が隣りの人間、知人に話す。風月堂の常連は皆、北沢から淡島にかけて散在している。

そこからも話が近辺に拡がる。魔利が妙に目立つところへ雨の日も風の日も歩いて通る。そこへ魔利の父親の欧外という人間が、小学校へ行ったものには全部名を知られていて、誰も一度聞いたら(へええ‥‥)と驚いて、忘れることが無い、馬鹿馬鹿しく有名な、肩書きの多い文学者と来ている。

いやが上にも人に覚えられるように、有名な悪妻の欧外の娘というお景物も、付いている。かくして魔利は、毎日の道筋の多くの商人、二側も、三側も裏通りに住む人々に至るまでに顔と名とも覚え込まれた。

 今日も牟礼魔利はお気に入りの洋服で緑と藺草色の籠を下げ、下北沢へお出かけである。道すじにある貸本屋、鳩書房の女の子は、硝子扉の中から魔利の通るのをみとめた。そうして、こう呟いたのである。
《あら、牟礼さんが通るよ。この前持って行ったクリスティは、そうだ今日で二百円になっているわ。どうするのかしら。暢気(のんき)な顔して、もう行ってしまった。お婆さんの割に足が速いわね》

つづくⅡ 紅い空の朝から…‥

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