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事務所で教えられたように、軽くノックしてドアを押してみるとすっと開いた。
 ツインの窓際の方のベッドに背を持たせかけて、男は床にあぐらをかいて坐りこんでいた。
「そこの冷蔵庫に飲み物があるから、好きなのを飲みなさい」
 と言う。中年の男は五分刈りの頭髪が相当のび、顎(あご)や鼻の下に無精ひげがのびて、いかにも旅疲れがしているように見えた。父より年上かも知れない。

本表紙 瀬戸内寂聴

求愛 瀬戸内寂聴

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〆サンパ・ギータ

 ホテルの指定された部屋には鍵がかかっていなかった。
 事務所で教えられたように、軽くノックしてドアを押してみるとすっと開いた。
 ツインの窓際の方のベッドに背を持たせかけて、男は床にあぐらをかいて坐りこんでいた。
「そこの冷蔵庫に飲み物があるから、好きなのを飲みなさい」
 と言う。中年の男は五分刈りの頭髪が相当のび、顎(あご)や鼻の下に無精ひげがのびて、いかにも旅疲れがしているように見えた。父より年上かも知れない。

 空港に近いこの町は、昔は一面の畑だったそうだ。空港と一緒に生まれた町は、いつまでたっても垢抜けせず野暮ったい。こんな町で女を買うような男に幸福な男なんていやしない。

 コカ・コーラを飲んでいるわたしを振り向きもせず、男は膝の上に抱え込んだファイルの上にうつむき込んで指を動かしている。ファイルの開いた隙間から、指につけたコップの水を注ぎこんでいる。宝物でも扱うようにそっと中に挟んだ物を労わっている。

 さあ終わったというように、ファイルを卓上に置くと、はじめてわたしに笑いかけ、背だけ伸ばして、自分の膝の上に来るように目で促した。
 ファイルの中味を丁寧に扱ったように、男の扱いは優しかった。もの足りないほどの優しさだった。苛立ってわたしが積極的に動くと、それを厭(いや)がるでもなく、巧緻(こうち)にわたしを扱った。

 旅のスケージュールが酷かったので、疲れてきっていると言いながら、男の動きは時間と共に活き活きしてきた。
 他の客のように、なぜこんなことをしているのかとか、もっと大きな町の方が稼ぎはいいのになどといっさい言わない。どうせ、家が貧しいとか、早くから不良仲間に誘われて、心も軀(からだ)も壊れてしまっているのだろう。
「こんなの初めて」
 と鼻声ですり寄っても、どうせ演技だろうと思うのか、表情も変えない。男の長い脚がファイルのようになり、わたしが軀を挟まれて休んでいた時、ファイルの中味は何だったかと、はじめてそれを訊いてみた。

「ああ、あれはフィリッピンの町で、小さい子供たちが、自分で作って売り歩いている花のレイだよ。みんなとても貧しいから、そんなものを日本の金で二十円くらいで売っている。買ってやらずにはいられないだろう?」
「いくつ買ったんですか」
「姉弟から五つずつ」
 「それ、おうちの奥様にあげるんですか」
「奥様がいれば、旅の帰りにこんなことはしないさ」
「ふうん、じゃ恋人?」
 男は黙って、わたしの軀をこわれもののようにそっと扱って離れ、卓上に置いたファイルを取り上げてベッドに置いた。花が乾かないように水を与えていたのだ。
 ファイルから取り出されたレイは、ハワイのレイのような豪華なものではなく、麻糸をより合わせたような紐(ひも)に小さな白い花を丁寧に一つずつ植え付けたもので、その紐を集めると、花束ができる。壁などに掛けて鑑賞するのだろうか。
 ファイルから出されると、上品な甘い香りがベッドにしめやかにひろがった。
 白い小粒の花は星を拾い集めたように可憐(かれん)だった。
「この花はね、フィリッピンの国花なんだよ」
「なんて言う花?」
「サンパ・ギータ・・・・この花のレイを向うの若者は恋人に贈って、永遠の愛を誓うだってさ。そういう意味のサンパ・ギータ。茉莉花(まりか)と我々は言っている花だよ。ジャスミンと言うのもこの花ことらしい」

 男は花のレイの固まりの中から二本抜き出して、わたしの髪に飾ってくれた。
 他の花は誰かが貰うのかしら。わたしは嫉(や)いているのかな。

〆許婚者(いいなずけ)

 突然まわりの席から人々がいっせいに立ち上がったので、私もあわてて椅子から腰を上げた。妻が死んで以来睡眠不足の夜がつづいているので。うっかり居眠っていたのかもしれない。それなら、あの絵も夢を見ていたのかもしれない。古めかしいオルガンの音があたりに充ちてきた。オルガンの向こう側の参列者の席から歌声があふれた。遠い歳月の彼方から寄せて来る冬の風のような歌声だった。記憶の底によどんでいたメロディーだが、歌詞はすっかり忘れきった讃美歌だった。

 白い花で飾られた部屋の正面の壁際の祭壇には銀色の大きな十字架が掛けられ、その下に真正面を向いた妻の遺影が置かれている。見馴れない髪型にセットしているせいか、似合わない鬘(かつら)を無理にかぶせられたようなぎこちない表情をしている。娘の麻美(まみ)が、
「葬式用の写真はこれと、お母さんが前から用意しておいたものだから」

 と、そこに据えた。写真の女が馴染のない他人に見えるように、今日の葬儀のすべてが、私には身にそぐわない。

 町に一つしかない斎場でこんな式をすることも妻の遺言だった。しかもキリスト教の葬礼にするとは、協会ですれば、集まってくれる親戚の殆どが仏教徒なので、落ち着かないだろうからという説明までついていた。

 直腸がんの発見が遅れ、余命三ヶ月と私と麻美に医者が宣告してから、きっかり三ヶ月で妻は逝った。手術してみたら肺にも移転していた。最後の一ヶ月は自宅療養にして、私がつきっきりで介護した。全身だるがるので、何時間でもさすってやることだけが、私に出来る唯一の介護だった。麻美が見かねて変わろうとすると、
「お父さんのさすり方が一番上手だから変わらんといて」
 と言う。恥し気もなくいう言葉の素直さは子供返りしたようにあどけなく、麻美がふきだしながら、
「はい、はい、何しろ、許婚やものね」
 と返す。病人はさも嬉しそうに笑み崩れて照れもしない。

 私は小学校三年の冬の雪の夜、先祖の位牌一つを背中にくくりつけられて、ひとりで妻の生家にたどりついた。父の姉の嫁ぎ先で大きな米問屋だった。凍えきって口もきけない私を抱え上げて暖いこたつに入れてくれた伯母は、
「こんな小さな子を捨ててお前の親はふたりながら人間やないわ、畜生や」
 と泣いてくれた。父が先に放蕩(ほうとう)で軀と財産を持ち崩した、行方をくらました。母はそれから一年もたたず男を作って、私を雪の中に追い出した。

 その日から私は二つ年下の艶(つや)と兄妹のように育てられた。ひとりっ子の艶は私になつき、学校の行き帰りも手をつなぎたかった。
 それをからかわれ、はやされると、私の背にはりついて、
「うちと兄ちゃん、いいなずけやもん、ほっといて!」
 と声をはりあげた。どこで覚えたか、「いいなずけ」という艶のことばがたちまち学校中に流行(はや)った。相合傘に二人の名が書かれ、「いいなずけ」と傘に記されていた。そんな落書きが下駄箱の横や、便所の壁に見られた。

 大人になった二人は夫婦になった。私は伯母の家を継ぎ、艶は、おとなしく控え目な妻で、波風の立つことも無かった。家庭運に恵まれなかった私は、家族を大切に守ることだけに心を砕いて来た。

 四十三年の夫婦生活の中で、私は妻に二度驚かされた。一度は麻美が生まれた時、占い師の言うままに、自分の名前を和子と改名したことだった。その上、私の名前まで変えようとしたが、私は受け付けなかった。艶の方がずっといいと私が主張しても、これだけは頑として、和子で押し通した。艶は夫を短命にすると言われたという。

 もう一つは、いつの間にかクリスチャンになって、日曜毎に教会に通っていたことだった。日曜は殆どゴルフと釣りに通っていた私はそれに気づかなかった。
 死ぬ半月前ほど前、葬式はキリスト教でしてくれと言われて呆気(あっけ)にとられた。
 教会の葬式で、昨夜はじめて逢った牧師が、故人の人徳と信仰の深さを讃えた、つづいて、次々、教会の友人が立って、故人の並々でない献身や、慈悲深さの陰徳を語っている。私は今になって自分が妻という人間を、全く理解していなかったことに呆気としている。
 さっき夢に出てきた絵は、相合傘の幼いいなずけの図柄だったと、突然はっきり思い出されてきた。

〆露見

 ズボンのポケットでマナーモードの携帯が身震いを伝えた。
 てっきり女からだと思い込み、耳を当てた。
「お願いです」
 思いかけず、妙に甲高くなった妻の声だった。
「別れてください。よく考えた末です」
 呆気にとられて、とっさの声も出なかったのにお構いなしに、
「明日、家を出ます」
 と、妙に落ち着いてきた声が続く。
「今日は何日だと思っているのか」
「元旦です」
「そんなこと、元旦に電話で言うことか」
「え? あなたに元旦のけじめがあったかのか」
 妻の声に更に余裕が見えてきた。言われるまでもなく。暮れから正月は仕事だと称して情を通じてきた女と、ここ数年旅ばかり出ていた。同じ女ではないが、どの女も正月を共に過ごすと、家族より自分が愛されていると思うのか、常より情熱的になった。一番新しい今の女は、これまでのどの女より若く、三歳の女の子の母親で、名をなしかけた新進の建築家の妻だった。

 俺は建築の写真専門のカメラマンで、旅行記や建築史の随筆もこなすせいか、不景気の今も仕事に事は欠かない。
 高校時代のクラスメートの妻とは、大学に入ってから縁を結び結婚した。高校時代は、背が高すぎるとコンプレックスを持ち、妙に引っ込み思案で目立たなかったのに、俺と愛し合うようになって以来、玉ねぎの皮をむくように日増しに闊達(かったつ)になり、魅力を増し、町を歩いたら、モデルにならないかと声をかけられたなど言い出すのが、俺の自尊心をくすぐった。

 娘と息子が立てつづけに生まれた頃から、妻以外の女が次々に現れはじめた。女たちはそれぞれ自分の才能で身を立てているキャリアウーマンが多く、情事と家庭を割り切っている俺に、後腐れなく安心だという者もあれば、強引に結婚を要求して、妻に不穏な電話をよこす面倒な女もいた。

 不思議なほど、妻は泰然と構えていた。子供好きの俺が、家庭を壊すようなことはする筈がないと信じていたのか。
 情事の相手は、インテリ女ほどプライドが高いから別れ易い、という女たらしの先輩たちもいた。そのどの男も、妻から堂々と別れ話を持ち出されたとは言わなかった。漸(ようや)く声がでた。

「男ができたのか」
「・・・・・はい・・・・」
「どこのどいつだ」
「言う必要はないでしょう。あなたの今の女の人のこと、あなたの携帯で私がすっかり知ったように、私のことを、彼の奥さんも彼の携帯で、みんな知ったのです。不便ね携帯も。彼は身着のままで家を追い出されて、この正月、行き場がなく安ホテルにいます。私、責任を取ります」

 思わず、怒鳴りかけた俺の声より先に、妻が言った。
「それからあなたが暮れ発ってすぐ、彼女の弁護士から電話がありましたよ。あちらも携帯で、あなたたちのことがばれたらしく、不倫の慰謝料の請求がありそうよ」
 突然、ぷつりと携帯が向こうから切れた。

 今度の正月ばかりは、俺は大学時代の親友の癌が進み、生きているうちに会いたいというのを見舞いに、佐渡へ来ているのだった。
 友人の妻が、家族と一緒に祝い膳についてくれと、呼びに来た。

〆夫を買った女

 瑠香(るか)から丸二日メールが途絶えた。一日に幾度もメールのやりとりを交す仲になって、はや二年近くになっている。こちらからのメールに全く返信がない。ケータイが壊れたか、落としたか、あるいはついに、夫の雅人に発覚してしまったか。異変の憶測に、動揺が極まった時、北九州のK新聞社の高木から電話が入った。

「野崎! 仰天ニュースだ。ほら、お前の御贔屓(ごひいき)の、『夫を買った女』ね、交通事故で即死した。一昨日の夜だ」
 衝撃の余り思考力が凍り付き、居眠り運転のトラックの玉突き事故で、頸椎が折れたという高木の声は、ほとんど野崎純介の頭を素通りしていた。

「夫を買った女」とは、純介も五年程籍を置いたK新聞社が設けた、自分の生きてきた歴史を綴った自分史の懸賞募集に、応募してきた和泉瑠香の作品の題名だった。純介は当時文芸部の記者として、懸賞係りを命ぜられ、選者の依頼や選考の事務一切の処理に当たり、新聞社側の選者もさせられていた。

 目立って達筆の原稿の美しさと、題名への興味から、応募作の中から引き抜いて最初に読んだ純介は、読後の興奮を抑えかね、社で唯一気を許している高木を誘い、行きつけの呑み屋で盃をあげた。受賞は「夫を買った女」だと、純介はくどく言い立て、高木と盃を重ねた。

 作品は、未婚の若い女が、勤め先の既婚の大学助教授に一方的に惚れこみ、体当たりで恋を仕掛け、ついに男の心を捕らえる。不倫はたちまち男の妻に露見し、町の有力者だった妻の父の激怒を買い、男は離婚され、不倫の二人には莫大な慰謝料が降りかかった。

 大学を掛け持ちして古代史の講義をしているような男に、払える金額ではなかった。男をたまたま声のかかったシカゴの大学へ逃れさせ、女は隣県のヘルスに籍を置き、たちまち指名ナンバーワンの売れっ子になった。

 純情可憐な風姿だけでなく、会話にウイットがあり、扱いも巧妙だと噂され、はては稀なる名器だとか、噂が勝手にエスカレートしてゆく。女は素顔とは似ても似つかぬ妖艶なメイクに念を入れ、別人格になりすましていた。ふと気がついたら素顔の自分がそういう化粧をした顔で、化粧しない顔は、本物の自分では無いような気さえした。その時、早くも慰謝料の全額が貯まり、女はついに男を名実ともに自分の夫とした。それにしても夫を買った五百万円という値段は高かった。
 という内容だった。

 純介は、題材の奇抜さと、文章の読みやすさと、何よりヘルスの女の言動に強烈なエロスとリアリティが溢れているのに魅入られてしまった。
 ところが選考会での結果は受賞には至らず、辛うじて佳作の上位に残された。
 選者の中で猛烈に反対したのは、文壇で権威を持つ初老の女流作家で、
「こんな俗っぽい底の浅い作り話は、頭から自分史賞を馬鹿にしています。エロに媚(こ)びた精神の低さが見苦しい」
 と、声を震わせて断罪した。

 落選を慰める名目で、はじめて作者の和泉瑠香を呼び出したその日から、純介は抗しがたい恋に捕らわれてしまった。瑠香自身もありえないほど早く身を投げかけてきた。高くついた夫との間には、三歳になる双子の女児が生まれていたが、保育所に預けて自分の時間を確保していた。一廻りも年少の瑠香の大胆さに馴らされて、純介も次第に無軌道と無頼に無神経になっていった。

 瑠香が用意したK市の郊外のマンションの一室に、夫が定期的に他県の大学へ集中講義に赴く留守を狙って、東京から通うというような横道なことさえつづけた。行く手には滅びしかないと、長い道中で思い描くことさえ、密会の前戯のように快楽につづいていた。

 純介の好みで、逢う時は化粧を落した素顔の頬が、幼児のように柔らかく、抱きしめれば壊れそうな華奢ないじらしい軀が、性愛の場では爛熟(らんじゅく)さを醸し純介を圧倒した。問い詰めると、二十歳から二十五歳まで、父の友人の三十も年上の工藤勝造と不倫をつづけていたという。敏腕の貿易商のその男が、どれほど心を込めて瑠香をここまで女として磨き上げ、育ててきたかと思うと、純介は嫉妬より奇怪な感嘆の想いに胸が熱くなった。

 葬儀場の外だけでも掌を合わそうと純介はK市へ出かけた。密会で通い馴れたはるかな土地を上空から見下ろしながら、K市の外れの空港に辿り着き、タクシー乗場へ向かった時、背後から声をかけられた。

「失礼ですが、野崎純介さんでは」
 振り返ると、写真で見せられた、かの海運王オナシスに似た堂々とした老紳士が、すぐ背後に立っていた。隙のない喪服のスーツで身を固めている。
「はい、野崎ですが…」
「工藤勝造です。私も瑠香の葬式に参りました。同じ機内に乗り合わせたのも御縁でしょう」
 待たせてあった工藤のベンツに同乗させられ、斎場まで走る間、工藤の手放しで流す涙のおびただしさに胸をつかれた。

「あんなに若いのに・・・・私が代わってやりたかった・・・・瑠香があれほど自分の欲望に忠実に、自由に生きたのは、すべて私の丹精とそそのかしのせいだ・・・・・罰が当たるなら、この私なのに・・・・」

 工藤の憑(つ)かれようにつぶやく言葉は、純介の頭に霰(あられ)のように落ちつづけた。
 夫を買った金も工藤から出ていたし、瑠香は結婚後も工藤と分かれようとはしなかった。

「夜の仕事になぜ?」
「自分の根踏みがしたかったのでしょう。実は私にも内緒でした。気がついて即座に辞めさせましたが」
「・・・・・ぼくらが密会の部屋も、もしかしたら」
「はい、あのマンションは私の持ち物です」
 純介は車から飛び降りたくなった。その瞬間、車はすっと停まった。葬儀場の入り口だった。
 工藤の掌が、立ち上がろうとする純介の膝を優しく押さえた。
「やはり、我々は中へ入るのは遠慮しましょう。こうしてふたりでめぐりあい、瑠香のことばかりとっくりと話し合って。もう充分瑠香の供養になりまたよ」

〆サロンコンサート

 タクシーが停まったら、待ちかねいた祥平が走り寄ってくるなり、私の掌を掴んで館内へ連れ込んだ。サロンコンサートの開演直前だった。
「ごめんなさい。社長の客がなかなか帰ってくれなくて」
「大丈夫、八分前だ」
 祥平が初めて私の目を見て笑った。
 京都の貿易商が、大正年間に建てたという洋館は、九十年の歳月に、何度も代替わりして、今では大正ロマンのレトロな雰囲気が売物の、貸会場となって、結構利用されている。

 煉瓦造りで色ガラスの窓の多いこの建物の一階で、二年前開かれたアットホームな結婚披露宴パーティで、私たちは出会った。祥平が新郎の、私が新婦の友人代表としてスピーチをさせられた。

 新郎は再婚で、三歳になる前夫との女の子をつれていたし、お腹には、新郎の子を宿していた。客はすべてそうした事情を承知の友人ばかりだったので、会食のワインが進む頃には、双方の客たちもすっかり打ち解け合っていた。

 客の中で最高にノッポの祥平と、一番チビの私の背丈が話題になった時、酔った祥平がいきなり私をすくい上げ、新夫婦がベッドインする真似を見せた。大きな拍手の中で、「今夜の花嫁は重いぞう」野次が飛び、また拍手と爆笑が湧いた。私は新婦と同年なので祥平より五歳年長だった。

 その後一か月も経たないうちに祥平からの誘いがあり、二人だけの交際が始まった。
「男って、無意識のうちに母親と同じくらいの背丈の女を妻に選ぶんだって‥‥」
 というのが祥平のプロポーズの言葉だった。
「香織さんは母と同じくらい小ちゃくて可愛い」
 という祥平を、逢うごとに好きになったが、求婚に応じられなかったのは、かつての失恋の痛手がまだ、私の心に澱んでいたからだった。

 その男は私が十代からヴァイオリンを習っていた女師匠の一人息子で、女親一人に育てられていた。師匠はどの女弟子にもその家族にも息子の優秀さを自慢気に語り、女弟子と彼との結婚を期待させるような言動をしていた。弟子の幾人かは、彼と親しくなって捨てられて稽古に来なくなった。

 十八歳だった私もその一人だった。初めての恋に、たちまち心にも軀にも踏み込まれていた。生理が止まったことを告げた直後から、母子そろって冷淡になり私を寄せ付けなくなってしまった。

 二カ月過ぎて生理が戻った時は。もう女師匠のように自分一人で子供を育てあげようと決心した私は、かえって強烈なショックを受け、神経のバランスを狂わせ、半年ほど寝込んでしまった。

 今夜のコンサートは、祥平の親友がチェロ弾くというので誘われた。またその後で、今夜こそ祥平の部屋で愛に応えてほしいと望まれていた。
 マルティヌーのヴァイオリンとチェロの二重演奏の第二番が始まる直前、祥平の押さえていた席に着いた私は、すぐ斜め前の席に女と並んでいる男の横顔が目に入った。間違いなく、もう十年ばかりも逢わなかったあの男が、そこにいた。左の耳の後ろにあったほくろが、前より二倍ほど大きく黒くなり、自慢の髪が目立って薄くなっている。

 男は隣の若い女の手を、自分の膝に引き寄せ、執拗にもてあそんでいる。
 チェロとヴァイオリンの巧妙な掛け合いや、哀愁の滲み出る旋律が、私の肉体の芯に沁み込んできた。
 私はぱっと祥平の手を引き寄せ、心を込めて指を絡みあわせた。
――今夜、いいわ――
 私の掌の語ることばをしっかり受け止めたと、祥平の掌が喜びをこめて握り返してきた。

〆妻の告白

 初めてお便り差し上げます。私とあなたの間柄つまり八年にわたって一人の男を共有しあっていた妻と愛人の関係の場合、妻の私から夫の愛人だったあなたへの初めての手紙の冒頭に何という挨拶をするものか、戸惑ってしまいます。

 昨日、寺島周平の三回忌の法要を、娘と二人ですませました。もうあなたとは周平の命日など思い出されることもないのかも知れませんが、一応のけじめとしてご報告させていただきます。

 あなたが、周平が舌癌で入院中の時も、せまいアパートの部屋での通夜にも、お寺での葬式にもお姿を見せられなかったことに、改めてお礼を申し上げます。

 終に死ぬまで男の生涯を文学一つに賭けた割に報われず、前衛派の旗手というカビの生えた名称だけが薄い背中にはりつけられ、それさえ今にも剥げ落ちそうに色褪せ、辛うじてそのレッテルに、しがみついているという状態でした。癌の宣告をうけてから、家族の私と娘の知らない間に、周平はわずかばかりの著書も、資料も、手紙、写真もすべてを焼き捨ててしまいました。生きていた証しの一切合切抹殺して死にたかったのでしょう。

 ある時期、私は月の半分ずつを、彼が私たち家族の棲む茅ヶ崎(ちがさき)の家と、あなたの東京の下町のお部屋を律儀に往来して暮す変則な生活が、彼が死ぬまでつづくのだろうと覚悟、いえ、そんな大袈裟な感じではなく、ごく自然に季節のめぐりが変わらずくり返されるように、つづくものだと思い込んでいたのです。

 ところが思いがけず、あなたに新しい愛人が現れ、周平はものの見事に捨てられました。予定より早く、突然あなたの部屋から帰った周平は、足許が危ないほど酔っていて、びっくりして玄関に突っ立っている私を見るなり。私の脚にしがみつき、子供のように泣きながら、あなたに捨てられたと繰り返していました。
 あんな変則な暮らしが八年もつづいたことがむしろ奇蹟だったんです。

 周平と別れて以来のあなたの小説家としての御成功を、私たちはニュースですべて存じ上げておりましたけれど、どちらもそれを話題にしたことはありませんでした。あなたの名を口にしないことが、私たち夫婦の間では、互いへの労わりであり、礼儀でもあったのです。

 あなたが周平の通夜にも葬式にもお見えにならなかったことを、あなたの私への思いやりと、武士の情けみたいな礼節と受け取って感謝します。それなのに三周忌まで何の御挨拶もせず打ちすぎた御無礼をお許しください。
 今日はどうしてもあなたにお詫びしたいことを告白するため、この手紙を書いています。
 周平は病院で死ぬ三日前、突然、紙と鉛筆を要求し、それに、「逢いたい、約束した。呼んでくれ」と書きました。舌癌の手術の後、話せなくなっていたのです。

 私はとっさに病人に向かって、
「いやっ! どうしてもいやっ!」
 と言うなり、病室を飛び出し、洗面所へ駆け込んで声を忍んで泣き悶えました。
“もし周があちらで死んだら、あたしはどうすればいいの?”
“死ぬ前に必ず知らせるから、逢いにくればいい。うちのあれは、きっと呼んでくれる。そういう女なんだ”
 あなたの小説のこんな会話を覚えています。
“女房の心には鬼が棲むか蛇か棲むか”
 私は鬼です、蛇です。そのことをどうして死ぬ前にあなたにお詫びしたかったのです。
 周平は、あなたとの約束を決して忘れていませんでした。私も肝臓癌が肺に転移していて、程なく周平に逢えるのだそうです。
 お軀だけはくれぐれも御大切に、周平の分まで書きに書いてやってください。
 あちらで再開する日まで、さようなら。おわびをこめて。
かしこ

〆夜の電話

 もし、もし、今晩は・・・・・あっ、うちの声、覚えていてくれた? だってもう長いこと電話しとらんでしょ、娘がね、電話するなって、きつう怒るんよ。あちらは超多忙のお人やから、用もない電話でれでれかけたら迷惑されるって・・・・ほんま? 迷惑? 迷惑やないって? ほうらね、そうよね、ハアちゃんは小説家になっても尼さんになっても昔のまんまのハアちゃんよね、今夜は娘が仕事仲間との会食があって出かけたから、内緒でちょっと電話してみたの、ええ、そう。主人は一昨年の十二月にぽっくり逝ってしもうて。肺炎で三日寝ただけの安楽往生ですよ。宇野千代さんの言った言葉って、ハアちゃんが前に教えてくれたでしょ。
 長生きすれば、秋の木の葉が、はらりと散るように、命も何の抵抗もせずに自然に散って、苦痛なしだって。だから宇野さんは長生きしたがってタワシで全身マッサージしてたって・・・・あ、そう、あの人、九十八で亡くなったの? 
私たちだってもう九十やもんね。百ももうすぐよ。ええ主人は八十八でした。死因は老衰って医者に言われましたよ。肺炎は死の引き金だって。うちら死ねばみんな老衰死ですよ。いやあね、つくづく生き過ぎだわね、そうそう、もうほんまに生きるの飽いてきたよね。主人が死んでから呆け婆さんひとり置いとけないと子供たちが言い出して、ひとり暮らしの娘のマンションに一緒に住むことになったんよ。


 中学の数学の教師を勤め上げて結婚しないまま、停年退職した娘は、なま半可の母親なんかよりずっとしっかりしていて頼もしいけんど、小姑(こじゅうと)みたいに口うるそうてかなわんわ。・・・・はい、はい、そうです。所帯持ってる長男もよう見舞うてくれます。おっしゃる通り、有難いと思わない罰が当たります。

それにしても長生きも難儀やねえ。何事にも程ってことがあるわね。まあ、七十代に死ぬのはちょっと惜しいかな、八十代で、木の葉ヒラヒラで死ぬのが理想的かな、女学校の同級生が、徳島から近畿にお嫁に来てて、時々集まってお食事会してたでしょ。ハアちゃんにも一度出席してもろたじゃない。あの連中がここ数年で、バッタバッタ亡くなったり、歩けなくなったり、亭主の介護で出られなくなったり、今ではもう三人しか来られなくなったんよ。その三人の一人の佐藤千也さんが、この間の台風の日に、橋の上で吹き飛ばされて、欄干んに軀打ち付けられて股関節を骨折して入院して、手術したばかりよ。日舞の名取で、八十五まで弟子とって教えていたのに、強風には脚の踏ん張りも効かなかったのね。

見舞いに行ったら、気は確か元気でしたよ。でも耳がうちよりずっと聞こえなくて、手術のあと補聴器を入れていないので、会話はチンプンカンプンで、ほとんど通じない。目もみんな揃って悪くなっているし、せっかくいつも送っていただくあなたの新刊書も、昔のようにすらすらと読めないの。ああ、ああ、もっと若いうちに死にたかったと、つくづく思うわね。え? ハアちゃんもそう思うって? 嘘でしょ、だってあなたは人生を思う存分つかい切ったって感じじゃないですか。

え? ちがう? 後悔はないけど、ふっと虚しい・・・・か。そうかもね。そうそうハアちゃんと仲良しだった新条幸子さんね、八十六の時フラダンスの舞台に立って、最高齢賞もらって話題になったでしょ、あの元気なさっちゃんが、圧迫骨折で、もう三ヶ月寝たきりになっているのよ。食事会でも一番陽気だったので、淋しいわ。もうこの年になると、私たちは今夜死んでもおかしくないのよね、こんな電話も、これが最後かもね。そうそう、私たち陸上部に、若い青木先生が顧問になって、東京からこられたでしょ、そして半年で、出征して行かれたでしょ。あの先生が出征する前の夜、うちは公園の林の中で、熱烈なお別れ式をしてしまったのよ。
私は何もかもあげるつもりだったけど、先生は戦死する覚悟だからって、処女は残してくれたの。口いっぱいに溢れた先生の精液の苦い味を私は今でも思い出せるのよ。夫は初夜の時、私の鮮やかな処女の証しを見て、いたく感激していた。青木先生は葉書一枚来ないまま、南支で戦死されたって・・・・・あ、娘が帰ったみたい。また怒られるから電話切るね、ごめんなさい、お休み・・・・。

〆恋文の値段

 その日、エッセイストの吉川早苗の家に届いた郵便物の中に、まざっていた一通の封書は、白地の何の変哲もない角封筒だった。表書の宛名のペン字にも見覚えがなかった。

 世間には恋多き女と伝えられている割に、早苗の実際の恋愛経験は、片手で数える程もなく、その都度、身も世もなく相手に熱中しては尽す性(たち)なので、自分ではむしろ恋下手だと自認しているのに、書けば筆が弾み、男なんか、という活発な気焔(きえん)をあげてしまう。それが性的欲求不満に不機嫌な、中年の同性たちから望外の共感と支持を得て、最近とみに人気が上がっている。六十過ぎて思いがけず訪れたおそい文運だった。

 白い封筒を裏返して、早苗はおもわず息をのんだ。差出人の住所も無くただ名前だけが表書の手で記されている。米山哲。なつかしさより不気味さが胸にこみあげてきた。米山哲は二十年前に死んでいた。

 平凡な一介の雑誌記者の山の遭難死など、マスコミでも通り一遍にしか報じられなかった。いつものように一人で登ったものと思い込んでいた早苗は、マスコミの報道で女のつれがあり、二人は抱き合ったまま凍死していたとあったのを見て、五日ほど泣き暮らした。

 哲には家庭があり、翔という男の子の子が一人いた。早苗の前では、家庭と妻の話は一切しなかったが、日ごとに育つ可愛い盛りの翔については、つい洩らすという感じで、その言動のあどけなさを早苗に伝えていた。早苗はいつの間にか翔が自分と哲の愛によって生まれた子のように錯覚して、夢に背の高い哲に肩車してもらって、早苗に手を振っている翔や、風呂の中で裸でたわむれている父子の姿を、ありありと見る事があった。

 ふたりの情事は要心深く世間に秘し隠しとおしていた。極力それをすすめたのは哲だった。どんなに激しい愛戯に溺れた夜でも、哲は午前一時には早苗のベッドから抜け出し帰って行った。早苗はれを一度も止めたことはなく、眠りこけている哲を揺り起こして、身支度を急がせた。

「あんまり物分かりが好すぎるのもね、男って、たまには、帰らないで、って泣いてもらいたいものなんだよ」
「本気で止めたら哲が困るくせに・・・・」
 哲の死後も、彼の遺族への礼儀として、早苗は通夜や葬式には姿を見せず、哲のことを一字たりとも活字にしたことはなかった。

 封書の中から色の変わった旧い葉書が一枚あらわれた。太いペンのなつかしい哲の筆跡があった。
「風邪をこじらせ高熱。今週は行けない。ごめん」
 携帯などなかった時代で、哲は毎日、葉書をこまめに送ってきた。この葉書は投函されなかったと見え、郵便局の消印がなかった。ポストに行けないほど高熱だったのか。

 幽界からの便りのような葉書の届いた意味が分からないまま、その夜の十時過ぎ早苗の居間の電話が鳴った。受話器から哲とそっくりの声が流れてきた。
「もし、もし、ぼくは米山哲の息子の翔です。実は先月、五年ほど認知症だった母が死亡しまして‥‥暫く母の遺品の整理に手を付けたところ、その中にあなたのお手紙が、つまり父へのラブレターが風呂敷包みに一杯あるのです」
「・・・・・・」
「素直に言います。つまり、その手紙を買い取って頂きたいのです。・・・・・一応古書店に相談したら、三百万円で買うと言っているのですが・・・・」
「・・・・・どうぞ、古書店へ売り払って下さい。私は不要です。え? 世間に発表さても結構です」
 早苗は言い放ったその瞬間、後頭部を金属バットで殴られたような激痛に襲われ、どさっとその場に倒れ込んでいた。再度クモ膜下出血に襲われたら、助からないと言った医者の声が、どこからか走り寄って来る。

〆スーツ

 突然、電車が大きく揺れ、淳一郎の席の前に立っていた女が、淳一郎の軀の上に倒れ込みそうになった。辛うじて淳一郎の肩越しに窓に延ばした両腕で自分の軀を支えた女が、
「すみません」
 と、小さな声であやまって、姿勢を素早く整えた。満員の電車に始発駅から乗り込み、席に座るなり、次の仕事に必要な新刊本に読みふけっていた淳一郎は、いつからか自分の膝すれすれに立っていた女の、存在にも気づかなかった。

 声の子供っぽいのに似合わず、女は成熟した感じで、人目を惹くほどすっきりしていた。若草色のスーツが形のいい胸や腰にぴったりとまといついていた。

 すぐ席を譲ってやりたいと思ったが、廻りの客にも気が引けて、本の続きを読みふける振りをしていた。もう活字は目に入らず、女の軀から匂って来る香水の香だけに神経を集中していた。別れた女の誰かがつけていた香水の匂いと同じような感じがするのも悪くなかった。

 次の四ツ谷で淳一郎は降りるので、早めに席を立ち女に坐るように目で合図した。女は、
「ありがとう、私も次でおりますから」
 と囁くように礼を言った。
 電車が停まって、女の背後について扉口に向かった時、淳一郎は声をあげそうになった。ぴったり腰に張り付いたタイトスカートの尻の真中から十五センチほど鋭利な刃物で斬られていた。女の連れのようにぴったりその背に身を寄せて、女をかばいながら人波に泳ぎこみ、淳一郎は女の耳に囁いた。
「スカートの後ろが斬られていますよ」

 女はギョッとした顔で淳一郎の顔を見上げ、自分の掌でスカートの傷を確かめた。
 それが乃利子とのなれそめだった。駅前のタクシーを拾い、乃利子のマンションに送っていく間に、淳一郎はすっかり乃利子の魅力に捕らわれていた。

 いつもは仕事着のジーンズスタイルなのに、その日は高校の同級生の結婚式に出て新調のスーツを着ていたのだという。こんなことははじめてかと淳一郎が訊くと、乃利子はちろっと舌を出して、
「三度め」

 と笑った。その日はマンションの入り口から引き返した淳一郎が、乃利子の部屋に通うようになるのには一月とかからなかった。
三人目の子を産んだばかりの妻の由香は、また朝帰りの多くなった夫に厭味も文句も言わなかった。三十を過ぎたばかりの乃利子は、それまで付き合っていた文芸雑誌の編集長と別れ、仕事部屋のついた広い部屋に引っ越し、淳一郎と会社を造り、PR会社の下請けの仕事を始めた。てきぱきした乃利子の積極性と淳一郎の文才で面白いほど仕事の輪が広がった。二人は浴びるほど酒を呑み、共同の仕事をこなし、毎日のように寝た。

「淳の瞳が馬みたいに茶色いのが好き! セックスが上手なのがそれよりもっと好き!」
 うわ語のように言ってはしがみついてくる。そのうち、どの女もそうだったように、妻と離婚してくれと言い出した。淳一郎は妻も子供も愛していたし、家庭を壊す気にはなれなかった。板挟みになってストレスから事故を起こしたりした。ついに乃利子から「最後の晩餐をしよう」とメールが入った。

 行きつけの新宿の小さな呑み屋で、二人はいつものようにカウンターに並んで坐った。乃利子から事情を聞いていると見え、わけ知りの女将が、その夜は貸切にしてくれていた。

淳一郎は乃利子の部屋の鍵をカウンターに置き、低い声で乃利子に囁いた。
「この一年間、オレたちは一〇四二時間、一緒にいた。六三〇時間電話で話し、一二七回セックスし、きみが一三八回イき、オレが八七回イッた。呑んだ酒の量は計算出来なかった」
「数えたんだ」
 乃利子が淳一郎の茶色の目を覗きこみ。にっと笑った。その目にみるみる涙が溢れてきた。腰を抱き寄せてやろうと腕を伸ばした淳一郎は、乃利子が今夜あのスーツの仕立て直しを着てきたのにようやく気がついた。

〆ふらここ

 突然のお手紙失礼をお許しください。
 昨夜あなたの小説「ふらここ」を読んだのです。何度も息がつまりそうになりました。あの小説の中の「男」は、K・Iさんです。そうでしょう? だって、姿、表情、声が、活字のすべてから、行間からも吹き寄せてくるもの。あの方はあのように喋り、沈黙し、あんなふうな手や指の動きをしました。あのように人の目を見つめました。まるで七年前に死んだあの人が、生き返ったような感じで、肌がぞくぞくして心がしぼられました。お察しのように私はK・Iさんの出前文学塾の塾生でした。でも塾には一度しか出ていません。もともと私は文学になんか興味を持たない人間でした。ただ私の住むような田舎の町まで、わざわざ文学の出前に来てくれるという粋狂な人に、好奇心が動いただけでした。いえ、そのチラシに出ていたK・Iさんの写真の顔にイカれただけかもしれません。それは小説家というより、ハーフの神父さまのような顔でした。

 眼鏡の奥の眼が何かに耐えているように哀しそうでした。それに掌。写真は机に肘をつき、その片掌で方頬を支えていました。よくあるキザなポーズ。その指の白く細く美しいのをどうしてもじかに自分の目で確かめたくなったのです。早速申し込み、最初の出前の日に行ってみました。二歳三か月の女の子をつれていきました。私が十七の時に産んだ子です。父なし子です。その頃三人つきあっていた男がいたのですが、誰も父親ではないと言うのです。私も分かりません。

 よく父親は自分の子か分からないけれど、母親には相手の男がわかるとか、世間では言いふらしていますが、あれは怪しい説です。だって私だってほんとに分からないのです。子供は男の誰にも似ていません。とんでもない放蕩者で、小さな山国の町では一、二といわれていた家の財産を、ひとりで使い果たしたという祖父に似てきたとまわりでは言っています。

 おとなしい子なのでつれていきました。入り口で、子供はちょっと、と迷惑がられましたが、誰かが控室に来たK・Iさんに相談したら、「子供歓迎!」と言ってくれたそうで、教室に入れました。子供はおとなしい子で、私の足元に坐ってひとり遊びして邪魔になりません。

 現実を見るK・Iさんは、小柄で、あの美しい指に相応しい繊細な全身でした。声が軀つきに似合わない異常な大きさだったのでびっくりしました。授業の間じゅうK・Iさんの視線は私たち母子の方に注がれがちでした。気づかわしそうな、優しさに満ちた眼差しを受けてとめているうち、私はK・Iさんに愛されているような気分に引き込まれました。私も負けずにK・Iさんの顔ばかり見つめていました。講義など聞いても分からない難しいもので、しきりに差異という言葉が出てきました。

 黒板には、「鞦韆」「ぶらんこ」「ふらここ」という字が書きなぐられていました。三つともブランコのことだと教えられました。

 私はそれはてっきり出前塾には出席しなかったけれど、K・Iさんが私を電話で呼び出し、子供を連れて町よりもっと山奥の温泉に行きました。もちろん寝ました。K・Iさんの扱いは、子供の父親になるとことを拒んだ三人の若造とは全く違っていました。K・Iさんは子供を連れて東京で暮らさないかと誘いました。

 K・Iさんとはそれっきりです。御承知のように彼はその後肺がんで倒れ、三ヶ月も経たないうちに死んでしまったのです。
「ふらここ」、今思い出しました。たった一度聞いた出前塾の講義は、あなたの小説の変遷(へんせん)についていたのです。その時例に取り上げたあなたの小説の題が「ふらここ」だったのでした。
 さようなら。ごきげんよう。

〆移り香

 半年前から渡されている鍵で、瞬が由佳の部屋に入った時、まだ由佳は眠っていた。着ている物を脱ぎ捨てて向こう向きの由佳の背の横に軀を差し入れると、背を向けたまま、由佳が、
「何の匂い? 香水じゃないけど、何かふんわかとてもいい匂い」
 とつぶやいた。あっと思い、瞬は反射的に両腕で自分の軀をかばっていた。くるっと向き直った由佳が、脚をからめてきて、瞬の顔や首のあたりを執拗に嗅いだ。

「白状しろ・・・・・・どんな女としてきたの」
「していない」
 自分の声の強さに瞬自身がたじろいだ。
「匂うなら、お香だよ、今はやっているじゃん」
「ああ、あのお香? でもそれが何で瞬から匂うのよ」
「それは・・・・」
 言いかけて言葉に詰まってしまった。劇団の仕事だけでは食えないので、団員の若い者は、アルバイトを持つのが当然になっている。瞬が半年前から週三回通い始めたのは、茶道と香道の師匠をしていた草凪(くさなぎ)家の御隠居だった。御隠居の号は秦葉(しんよう)なので、瞬はてっきり男だとばかり思い込んでいた。指定の番号に電話をいれると、答えを返してきたのは秦葉の娘婿で、
「世話のかからない老人です」
 という。
 丈夫な人だったが、三年前から脚腰が老いて歩き難くなり、正座が不可能になったので、隠居して悠々自適の生活をしている。気が強くて、そうなっても独り暮らしを望み、娘の家族とは住みたがらないので、夜、泊まって介護してほしいというのであった。その場で話がまとまり、瞬は誠実に通い続けている。実際には女だった秦葉は、八十八歳という年齢が信じられないほど若々しく気力も高かった。ショートカットにした髪は真っ白で清潔だったし、皮膚の張りも落ちていず、化粧も忘れなかった。

 瞬を気に入ったと娘夫婦には伝えたというが、面と向かっては、左程愛想好くもなく、至って自然体で、まるで十年も前からずっと一緒にいたような雰囲気だった。劇団の話や、瞬の女友達の話を聞きたがり。何が面白いのか、聞きながらよく声を出して笑った。

「坐れなくなってから、早く死なないかと毎日思っているのだけれど、この頃、瞬さんが主役をする舞台を一目観てから死んでもいいかなと思い始めた」
 ふっとそんな言葉を洩らすようになった。

 たまに見舞いに訪れる弟子たちに倣って、瞬も秦葉を先生と呼んでいた。百歳以上の老人が五万人を超えるというニュースで話題になった時、珍しく先生が興奮気味で瞬に喋りかけた。
「私は、定命(じょうみょう)が長くてどうしてだか死ねない。もし、百まで生きたらどうしよう。八十八といっても数え年ならもう九十歳ですよ。百歳なんて、すぐそこ」
「いいじゃないですか。もし、先生が歩けなくなったら。ぼく背負います。目が見えなくなったらぼくが先生の目になります」
「仕事は?」
「対して才能ないですよ。捨てていい」
――でも、あれはぼくの一世一代の上出来の芝居だったのかも・・・・・昨夜、いつものように先生の寝室の隣の小部屋のベッドに眠っていたら、真夜中、先生がコツコツと杖の音をさせてぼくの部屋に入ってきて、ベッドの横にしばらく立ち止り、ふっと小さな嘆息を洩らすと、すんなりぼくのベッドに身を入れてきた。夢かと思ったけれど、いつもほのかに感じている先生の調合した、この世に一つしかないというお香の匂いが、ふんわりとぼくを包み込んでいた。

 どうすればいいのか、胸が高鳴ってくるのを聞かれまいとして、寝返りをうつふりをして、先生に背を向けた。先生は息をつめたまま、全身はリラックスしているふうで、眠っているのかと思ったら、しばらくして、すっとベッドを出て、また杖の音をさせ、自分の部屋へ帰っていった。

 コツコツという杖の音が耳にはっきり残っているから、あれは夢ではない。
 瞬の白状を聴き終わった由佳が、目に一杯涙をためて言った。
「瞬のバカ! そうっと壊れないようにハグしてあげればよかったのに・・・・。それだけでよかったのに・・・・」

 〆心中未遂

 夢の中に、携帯のベルが忍び込んできた。目を閉じたまま、私は暗闇の中でサイドテーブルの携帯を素早くつかみ取っていた。時刻は午前〇時を示している。昨日から絶えている竹井朗のメールに決まっている。
――まさかまだ起きていらっしゃらないでしょうね。昨日は恐山を予定通り取材、恐山は死の匂いがするアミューズメントパークみたいなライトな感じで拍子抜けしました。仔細はお逢いして。おやすみなさい――
――夢で朗さんに逢い、どこかの明るい原っぱをふたりで駆け抜けていた時、メールが届きました。お疲れさま――
――原っぱ駆けるなんて、まるで十四歳の夢ですね。膝がよくなられたのでしょう。でも杖はまだ要心のためにお忘れなきよう――

 何年たっても朗のメールは、私を奥さんと呼び、敬語を使いつづけている。
 本当の夢は、明るい原っぱなど走ってはいなかった。どこかの雪原で、収容所らしい場所から脱走して、私は死に物狂いで走っていた。逞しい男の手が、私の掌を掴んでいる。「もっと早く! 早く!」声は夫の浜田庸介の、肚にひびくようなバスだ。夫は三回忌もすませたのに・・・・「背負いましょうか、奥さん」テノール変った声。朗だ。私は繋いだ掌にいっそう力をこめて走りつづける――
 夫はふたりの郷里の長野の田舎で、高校の社会科の教師をしていた。同じ学校の音楽の教師だった私の妊娠が隠しようもなくなって、二人は退職し上京した。

 庸介の文才が認められるまで私が子供たちにピアノを教えたりしていたが、その期間は案外短く、庸介に運がつき、たてつづけに文学賞を獲り、いつの間にか夜も眠られないほどの流行作家になっていた。表向きは陽気で人当たりがいい庸介は、編集者にも慕われ、二階の仕事場以外のわが家のどの部屋も原稿待ちの編集者でいつもあふれていた。私は彼等の接待に明け暮れ、夫に仕込まれたマージャンや碁で彼らの相手をしたり、時にはカラオケに繰り出したりしていた。

 竹井朗は、夫の最初の受賞作からの 担当の編集者で、夫の最も信頼を寄せていた。無口で無愛想な感じの竹井朗が、結婚は三度目だと聞いた時、私は呆気にとられた。それを告げた男が、
「その点、こちらの先生といい勝負ですよ」

 と、口をすべらすまで、私はこれほど忙しい夫の情事など、想像したこともなかった。逆上した私は、ある夜、いつものように最後の原稿待ちの一人になり、茶の間のこたつで、私と呑んでいた竹井朗に、噂の真偽を確めてみた。
 朗は上目で二階を見上げながら平然と、
「ぼくはその人たち、みんな面識があります。奥さんほど美形で魅力のある女なんて一人もいませんよ。最近最も向こうで熱を挙げているのが、女流作家の園井浪江ですからね」

 あのブス! 私は心の中ではしたなく毒づいた。
「先生は最近、軀も神経も相当疲れていらっしゃいます。この間、万一、自分が居なくなったら、奥さんの面倒を見つづけてほしいなんて・・・・」
 それから二カ月もたたない時、庸介と浪江はゴルフ場で落雷に打たれ、死んでしまった。雷心中などと、しばらくはマスコミを賑わした。

 夫の忌明けの日に、朗は携帯をプレゼントしてくれ、根気よく使い方を教えてからは、ずっと毎日、メールが律儀に届くようになった。これは愛ではない、義務なのだ、と私は自分に言い聞かせていた。

 久々に訪れた朗に、酔ったフリして唐突に言って見た。
「ねえ、心中してくれない?」
「厭ですよ」
 言下に真顔で断りながらも、こたつの中の朗の脚は、しっかり私の脚を絡め寄せていた。

〆赤い靴

 本土の最果てに近い村にその古刹(こさつ)はあった。
 南朝の王子が幕府に追われて流浪の果てに、その寺に崩御されたとかで、寺のある山を村人たちは御山と呼び崇めていた。俺は御山の発掘を、属している学会から命ぜられ、ひとりその村に棲みつくことになった。

 人口四千人足らずの寒村で、男たちは大方都会に出稼ぎに出て、盆と正月にしか帰ってこなかった。古い家には老人と息子と嫁と孫だけが寒々と暮らしている。空閨(くうけい)を強いられている女たちは色白の顎の細い淋しい顔立ちが多い。盆踊りは半島の歌の哀調を帯びた節に、たおやかな艶っぽい手足のふりを繰り返す。

 まるで未亡人のように慎ましい地味な姿や行動の女たちの中で、ひとりだけ派手な化粧で異様に目立つ女がいた。村の唯一の大通りから寺へ入る道の角に立っている雑貨屋の長男の嫁であった。その店は、米も酒も肉や野菜も日用の食材は一通り扱っていて、そこだけで、台所に必要なものは間に合った。

 夜になると、壁際と卓と腰掛けが設けられ、一杯飲み屋の用もする。その時、長男の嫁が目の化粧を一段と濃くして、客の相手をする。カラオケも鳴り出す。

 長男は結婚前オートバイで事故を起こし、左腕を肘から先、なくしている。誰もがそのことを忘れてしまっているほど、義手をうまく馴らして自然に立ち振る舞っていた。妻に負けないくらい今風のおしゃれでファッションに凝っていた。

 彼の妻はいつも赤い靴をはいていた。自転車で注文の酒や食材を運ぶときのスニーカーも赤なら、ドレスアップして隣村のホテルにコンパニオンとして出かける時のピンヒールもエナメルの真赤だった。足首の細い形のいい女の脚に赤い靴はよく似合っていた。

 村の女たちは、女の名前を呼ばず「赤い靴」という名で話題にしていた。女たちの話題はいつも、「赤い靴」の悪評だった。隣町の高利貸しの資産家の若主人と不倫の仲になっていて、男の妻が子供を連れていよいよ里に帰ったそうだとか、いや、北海道のもと勤めていたバーのバーテンダーが追いかけてきて、女と夫とひと悶着あったとか、見てきたような口吻(こうふん)の話ばかりであった。

 いつでも胸を大きくくり開けて、うつむいた巨乳の谷間が覗けるような服しか着ないことも、赤い靴を蹴り上げるようにして、尻を振りたててモンローウォークで歩く様も、ことごとくが、空閨(くうけい)の主婦たちの癇(かん)に障るのだった。俺の下宿の七十二歳の女隠居がある日、いきなり訊いた。

「赤い靴に誘われたことはないけ?」
「いいえ、どうしてですか」
「あんさんのこと、独身か、いつまでこの村に居るのかと、そう訊かれたからな・・・・・気にするということは気があるということじゃろう。気つけさんせや、あの女は男殺しの相じゃぞい」
「赤い靴」が俺を気にするのには訳があった。忘れもしない。ひとりで発掘に行くようになって三日目の朝だった。新しい境遇に興奮していた俺は、その朝もまだ家々の雨戸が閉まっている村道を通り抜け、ひとり御山に入った。

 もう少しで掘りかけの場所に着く小路の途中で、背丈まである雑木の間から、いきなり赤いものが飛んできた方を見ると、雑木の彼方に雑草の密な場所があり、その蔭から目の大きな女の顔がこちらを見ていた。目が合うなり、女が身をかがめた。俺の視線に雑草の中に沈んでいる男の姿が映った。女は男にまたがり、ひたとその軀に自分の軀を押し付け、俺の視線から隠れたつもりでいるようだった。

 すぐさまその場から俺は下山した。雑貨屋の前を通ると、片腕の男が眠そうな顔つきで、雨戸を開けていた。
 それから半年後、片腕の男が父親を刺そうとして果たせず、自分がそのナイフで首を突いて死んだ。
 赤い靴の女は、村から姿を消し、妻たちの話題にも上らくなっていた。

〆その朝

 ママがぼくとパパを捨てて、家を出て行ったのは、ぼくの五歳の誕生日の翌日だった。
 その朝、ママはいつもの甘い優しい声で、
「潤、おいで」
 とぼくを呼んだ。昨日、パパに誕生日祝いに買ってもらった仮面ライダーゲームに夢中になっていたので、ママの呼び声を無視していた。
「潤! 聞こえないの?」
 ママのがまん切れの甲高い声が、尖ったナイフのように飛んできた。いつ頃からだろう。ママがこんな嫌な声を出すようになったのは。

 ぼくはよその小母さんたちより、ずっときれいなママが大好きだった。ぎゅっと抱きしめられると、あまい匂いがするママを大きな果物ようだと思っていた。ママの一番好きなところは声だった。誰にも甘い声で話したが、パパとぼくに話す声はそれよりもっと、とろんとしていた。

  パパはテレビの仕事をしているとかで、年中忙しがっていた。泊まり込みいって帰らない日もあった。夜、帰らない日が、いつの間にか帰る日より多くなっていた。たまに帰ってうちで寝る夜は、よくふたりでケンカして、その声や物音で、ぼくはよく目を覚ますことがあった。いつかなんか、ママの「ひいーっ」という泣き声で目を覚ますと、二人のベッドの上で、パパがママの上に馬乗りになり、ママがパパの軀の下で逃げようと身悶えて泣いていた。

「かんにんして・・・・もう‥‥だめ・・・・・」
 ママが髪を振り乱し、首をむちゃくちゃに左右に振って泣いて頼んでいるのに、パパはママの両手までママの頭の上で押さえつけたまま離さない。

「やめて! ママをいじめないで! パパのばか!」
 ぼくは自分が何を叫び、何をしているか分からないで、子供ベットから飛び降りると、大人ベッドに乗り移り。パパの背中にしがみついて、ママから離そうとしていた。その後ようやくパパもママも裸なのに気がついた。

 そんなこともすっかり忘れるほど日が過ぎて、とうとうママは出て行った。
 家の外には大きなトラックが待っていて、運転手のタカギさんがトラックから降りてきて、ママの手伝いをして、トランクやダンボール箱をせっせとトラックに積み込んでいた。

 タカギさんは最近ママのお友だちになったんだ。軀が大きく、笑うと目が下が目になって子どもみたいな顔になるが、ママが時々、パパと呼んでいるほど年は上みたい。パチンコの名人だとママが言っていた。ぼくを寝かしつけてからママはパチンコに通うようになっていたのだ。タカギさんはぼくのことを「ジュンボー」と呼んで、すぐ肩車してくれる。背の高いタカギさんに肩車され、
「ほうら、むこうにアメリカが見えるだろう?」

 と言われると、ほんとに空の向こうにアメリカが浮かび上がってくるように思う。
 荷物を積み終わると、間先ず助手席に乗り込んで、ぼくを膝に乗せた。
 タカギさんのトラックは、西荻(にしおぎ)のパパの妹のユミおばさんちの前で、ぼくだけを降ろした。ママは手紙を二通握らせ、ぎゅっとぼくを抱きしめてから、ひとり助手席に飛び乗ると、すごいスピードでトラックは去って行った。
「潤ちゃん! 何てことなの、ママったら」
 ユミおばさんがぼくの後ろに立って声と軀を震わせていた。

〆歯ブラシ

 天気予報が珍しく当たって、午後になるとしっかり雪が降りだした。霏々(ひひ)として降りしきる牡丹雪は、片目しか見えない男の視界を遮って足許を危なっかしくよろめかせる。左の目を失明した怪我の時、左脚も折った。

 大学のラグビー部目立って華やかに活躍していた選手時代のこと。
 遠い遠い昔――視界を遮る雪の彼方に茫々と消えてしまった青春の日々。
 試合をする度、女たちが応援に来た。勝っても負けても女たちは興奮し、酔っ払い、熱い柔らかなからだ投げ出した。

 どの女も、男に生まれ育った日本列島の最端の小さな島の話を聴きたがった。漁師しかいない島に、今も伝わっている隠れキリシタンの秘密の祈りや、不思議なバテレンの祈りの唄を聴きたがった。
 女たちはうっとりと瞳を潤ませ、
―ああ、だからきみには、バテレンの血が流れてるのよ、顔や髪のエキゾチックなのはそのせいなのね―
 勝手に抱く夢物語に女たちは自分に酔い、恋情をつのらせた。
 男の故郷の南の島では、雪はめったに降らなかった。それでも数年に、一度か二度、雪が舞い落ちてこようものなら、子供たちは家にいようが、船にいようが、幼稚園や学校にいようが、そこから飛び出して踊り廻った。

 雪やこんこ
  あられやこんこ
 降っても、降っても
  まだ、降りやまぬ
 ふがふが鳴るオルガンを弾きながらそんな童謡を教えてくれたのは、栗のようなつるつるの小さな顔をした、幼稚園の女の先生だった。
 十代の終わりのその先生に可愛がられて、はじめてキスをされたという作り話も、女たちに受けた。
 男の話を信じなかった女が一人いた。ルナは大学でダニの研究をしているという変わり者だった。
「ウソ話を作る卓(たく)の才能が好き」

 といいながら、男の話を遮るように唇を吸いに来る。どの女よりも淫蕩で、どの女よりも情熱的だった。自分以外の女のことなど話題にもしなかった。

 その日、激しい愛戯の後で、空腹になったふたりは、駅前に餃子を食べにゆき、その足で女は化粧品店により、ピン色の柄の歯ブラシとチューブに入った歯磨きを買った。店の外で待っていた男の腕に、自分の腕を巻き付け、スキップするような足取りで男の部屋に戻った。

 洗面所のコップの中に投げ入れてある男の歯ブラシの横に、ピンクの歯ブラシが当然のように差し込まれた。
「そんなこと、やめようよ」
 無意識で反射的に出た男の言葉を聞いた途端、ルナは身をひるがえして男の前から走り去った。

 その夜、中央線の三鷹の踏切で女が電車にひかれたことを、男は三日過ぎるまで知らなかった。
 結婚は二度し、同棲は三人したが、六十五歳の今、すべてに去られ、すべてを失った男は、一度も使われなかったピンクの柄の歯ブラシを、なぜか捨てられないでいる。

〆髪の毛

 両親は、私が中学一年、姉が高校一年の時、離婚していた。二人の仲は冷たくなり、口も利かない不穏な月日がつづいていたので、姉も私もその結果に、かえってほっとした。母は神戸の家を出て、京都のマンションに独り暮らしを始めた。保険の勧誘員になって、思いがけない腕利きになっていると言われても、主婦の模範生のように家事に有能な母しか知らない私たちは、そんな母を想像出来なかった。

 二年もしないうちに、私たち姉妹は父の家から母の狭いマンションに押しかけて同居していた。母は拒みもしなかったが、嬉しそうでもなかった。
 姉は受験勉強に一途だったが、私は月に一度か二度、父に逢わずにはいられなかった。私たちの養育費は父から入っていると、母は淡々と話していた。頭がよく、公立の医大に入り医者になり、同窓の男と結婚した姉の結婚式には、父と母は離婚していない風を装い、親として並んで出席した。盛装した母の美しさに列席者たちは目を見張ったが、それよりもモーニング姿の父の魅力ぶりが女客を圧倒したと評判になっていた。

 私は気真面目な母より暢気(のんき)で陽気な父と気があった。母と暮らしていても、月に一、二度の父とのデートを欠かしたことはなかった。
 好きな英語を身に着けようと外国語大学に入った頃から、父と私は、カフェなでよく恋人どうしと間違えられて、笑うようになっていた。

 手際の悪い男関係や、就職試験の度重なる失敗談を、父が聞いてくれるだけで、私の心の傷みは癒されていた。
 一番近い父とのデートの日であった。
 いつものカフェの窓際のテーブルで、父は携帯をいじっていた。
「待たせてごめん」
「毎度のことや・・・・」
 私も気ぜわしく自分の携帯を出し、父に最近出産したばかりの姉のその日のスナップの数々を見せた。母は骨盤が狭く、姉も私も帝王切開で産んでいる。三人目の子を同じ方法で産むには母の体力では無理だと医者に宣告されたらしい。

 姉の出産の場には、母と私と姉の夫が付き添っていた。
「すごいのね、お産って! あれほんと、女の命がけね、つくづく男って得だと思った。お父さん、私たちのお産の時、どうしてた?」
「二人とも、出産に立ち会ったよ。お母さんはつわりは重かったけど帝王切開だから、産む時は楽みたいだった」
「私はお姉ちゃんの赤ん坊が頭から、あそこから出てくる一部始終をしっかり見てしまった。ひどく動物的なのよね。とても怖かった。頭がでかくて、なかなか出られないんだもの、お姉ちゃんはひいひい泣くし、わめくし・・・・見てて私自分のあそこが痛くなってしまった。お義兄さんは姉ちゃんの頭の方に立たされてたから、出て来るところは見てないのよ。あれは男には絶対に見せない方がいい。・・・・でも、私、子供はやっぱり自然分娩にする。そして五人は欲しいわ、もう二十四だから、まず結婚を急がないとね」

 父は写真の赤ん坊を観て、私に見せたことのない優しい殊勝な笑顔になっていた。
「その子、目がお父さんそっくりだって、みんなの評判よ」
「まだよくわからないよ」
「ね・・・・・もしお母さんが、あんなに痛い目をして自然分娩していた、あんなにあっさり離婚できたかしら・・・・」
 父は答えなかった。
 その夜、父は初孫のための乾杯もせず、すきなお酒を一滴も呑まず、買い替えたばかりという外車で送ってくれた。坐ろうとした父の右隣のふかふかの白いシートに、金色の女の長い髪の毛が一本、くねくねとついていて、なかなかとれなかった。

 それを見たことは、生涯父にも誰にも話すまいと思いながら、私は取れない髪の毛の上に、スカーフを素早くひろげ、さり気なくその席に収まった。

〆誘惑者

 行き先は決まっていなかった。ただもう帰れないほど遠くへ行ってしまいたい・・・・死ねばもう帰れない。そう、私は死ぬ旅にでかけたのだ。姉のように死にたい。
更年期の鬱衝動ではない。死出の旅とは誰が言い出したのだろう。でも地図のないあの世への旅は、思ってもいたより心細すぎる。死にたがってる人間が、地図のない土地への旅は心細いなんて、今更・・・・自嘲い゛口許が歪むのを感じながら、殊更に奥歯をぎゅっと嚙みしめた。

 癖になってしまったその表情を、夫の慎介は露骨に嫌がった。唇と唇の両端が下がって如何にも恨めしそうな、意地の悪い表情になるという。「お前は、のんびりして、穏やかなのが取り柄だったのに」とか。

 結婚以来、慎介が幾人女を作っても、泣きわめいたり、別れたいなどと騒いだことは一度だってない。初めて慎介が受付の若い娘に孕(はら)ませた時、私は怒りより恐れで軀じゆうが石のように硬くなった。気がついたら、ぎゅっと奥歯を嚙みしめて全身を硬直させていた。姉の亡霊が、笑ってそんな私を見下ろしているような気がした。罰が当たったと思った。

 慎介の頭のいいのを見込んだ父が、貧しかった苦学生の慎介を引き取り、医師に仕立て、姉と婚約させて、代々町で続いてきた産婦人科の病院を任せようとした。背が高く、人気歌手に似た慎介に姉は心底惚れこんでいた。抑えきれない恋情を四つ年下の私に洩らすことが、姉の唯一の心の安らぎだった。そんな慎介に犯されている最中も、おく手の私は、まさか自分が姉を裏切っているとは思わなかった。一度の交渉で私が妊娠した時、父と慎介はすぐに堕胎手術をしようとした。うちの病院が父の代で大きくなったのはその手術のおかげだった。

 姉が泣き叫んで、それをさせなかった。産まれた瞬一が一歳の誕生日に、姉は薬局の薬で自殺した。遺書はなかった。瞬一が産まれて以来、姉は私とは口を利かなくなっていた。

 姉の一周忌が来ない間に、慎介の女遊びは始まっていた。美貌と利発で患者にも人気のあった看護婦長をはじめ、通い所として部屋を持たせている女も何人かいた。
 抱き寄せられる度、姉の亡霊に見張られているような恐怖で、奥歯を嚙みしめる私を鬱陶しがり、夫婦の性交は遠のいていた。息子の瞬一までが、暗く陰気な私より、陽気な乳母になっいていた。春でも夏でも私の胸のなかには木枯らしが吹き荒れている。

 一度も行ったことのない東北の町まで、キップを買ってしまった。婦人雑誌でただ一度読んだ芥川賞作家が、故郷のその町で病死したということしか知識がなかった。まだ未婚の時読んだその小説の、若い夫婦の初夜の性愛の清らかな描写が、処女だった私の心をどきどきさせた記憶があった。

 何人もの人に聞きながら、ようやく列車に乗り込んで窓際の席に着いた時、すぐ隣の席に男が座った。伏せた視線に映る男の腰から下の靴先までが、慎介に劣らない上質のしゃれたものだった。私は思わず身を縮め、出来るだけ窓際に寄り、男との距離を取りたかった。列車が走り出し、キップを切りの車掌が通りすぎた。昨夜、家を出たときから一睡もしていない私に突如、睡魔が襲ってきた。

 どすんと列車が揺れたとたん、目を覚ました私は驚きと恥ずかしさで声を上げそうになった。どうやら私はずっと隣席の男の肩に頭をもたせかけ眠りつづけていたらしい。膝には男のレインコートがかけられていた。
 あまりの厚かましさに声も出ない私は、男はさっぱりした笑顔をむけ、
「お疲れのようですね、どちらまで?」
 と訊く。二戸までと震える声で答える。

「ああ、私も二戸で降りて、あと車で浄法寺という漆の町へ行くんです。二戸は初めてなんでしょう。お宿まで案内しますよ」
「は、はい、まだ宿もとっていなくて・・・・」
 男はちょっと口をつぐんだが、すぐ、
「じゃ、ぼくの常宿にご案内しましょう。古くて殺風景だけれど、温泉がいいですよ」

 私が言葉も出せず全身を固くしていると、男は目で笑って、どこからか携帯を取り出し、私に見えるように自分の大きな掌にのせ、文字で囁きかけてきた。
「家出してきましたね。ぼくは探偵でも刑事でもない。建築の設計屋です。その温泉の立て直しを依頼され通っています。あなたはぼくの肩の上で、今夜、死んでやると寝言をつぶやかれた・・・・」

 全身が恥ずかしさで震えた。私は携帯ごと男の大きな掌を自分の膝に引きつけて、言葉をしっかり携帯に打ち込んでいた。
「お供させてください。死ぬのはやめます」

 二〇一六年瀬戸内寂聴

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