夫婦間での些細な棘となるような男の性の欲望を一夫一妻法制の元では妻が男の性の欲望を満たすとなればそれは多分難しいことです。トップ画像

ピンクバラ夜の夫婦生活での性の不一致・不満は話し合ってもなかなか解決することができずにセックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化する。愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多いのです

その最たる要因として挙げられるのが、浮気であったり、もろもろの信頼関係を築くことに失敗したことが原因。それらのことにより信頼を失うと顔も見たくない、ましてや、身体に触れられるだけでも嫌なもの、性拒否は当然のように起きてくるんですね。
夫婦間での些細な棘となるような男の性の欲望を一夫一妻法制の元では妻が男の性の欲望を満たすとなればそれは多分難しいことです。何故かというと大多数の男性がオーガズムの定義に示されているようなパートナーを淫蕩させ大満足させるほどの大オーガズムを女体に与えられる男性器の持ち主は然程いないということから、子どもが生まれた。或いは、倦怠期を迎えたなどいう場合、タンポン似程度にしか感じらないという男性器ではセックスは面倒だから嫌という妻が多い。

 そのように心から思っているから、性の不一致、セックスレス、セックスレス夫婦となって女性側から性拒否というものが起こる理由ではと思っております。
 その大オーガズム得られ悦びをふたりで感じ合えられたときに夫婦は一体なれたと心底から思い、強く夫婦の絆は結ばれる。その心地よいセックスを疑似的にも得られる『ソフトノーブル』を用いることで、今までなかった大オーガズム得られ悦びをふたりで感じ合っときにセックスレス夫婦撲滅につながると思います。
ピンクバラ 性生活において75%の女性は長さも太さも重要であると考えており、サイズが小さいかっこいい男よりも、サイズが大きいけど平均的見た目の男の方が好ましいと81%が回答しています。
女性の性感帯は陰核、陰唇、膣口、乳首、尿道口、Gスポット、耳、首からなる約8部位からなるとWikipediaでは記している。が、それら8部位は前戯としての性感帯であって、小オーガズムとして得られる。男性との性交では、膣内は中オーガズムとして得られる。そしてセックスの中心といわれる子宮頚部(噴門)が大オーガズムとして得られる。と言われております。性感帯8部位と膣、子宮噴門が高度な心地良さを感じて最高潮となり大脳皮質においてドーパミン系機構からドーパミンが大量に躰全体に放射されることで子宮が3-15回ほどの筋収縮が起こる、これが究極のオーガズムと呼ばれるものであると「Wikipedia」提供文献からから推測される。オーガズムの定義から引用
夫婦関係が壊れていく過程は下記書に記されているように些細な性の不一致というようなことから多くの問題にとなり発生しているのです。
このケースの場合は妻が心理カウンセラーというようなプロであったので男のやきもちと暴力に対処・対応できた稀なケースであります。この方法を手本として女性は毅然とした態度で挑まれたら男の横暴・暴力から自分の身を守る、そして家族を守る手段として役立てられるのではないでしょうか。

夫婦の危機って、どんなとき?

本表紙

いい関係って、どんなもの?

よく耳にするけれど、とりたててじっくり考えてみるなんて、そういうこと、意外にしないものですよね。
 危機がきたとき「たいへんだ!」って慌てたり、関係が悪くなって初めて「いい関係」だったときの感じを「ああ、あの時はよかった」と思い返したり・・‥。日頃からこのようなことを考えたり、見つめ直すこともないでしょうね。

 ところが、「見つめ直す」――実は、これはとても大切なことなのです。危機を危機として把握してないと、それこそ本当の危機になりかねません。また、「いい関係」に気づいていないと、いつのまにか壊れてしまっているということにも‥‥。
 それは、「危機」や「いい関係」というものが、とても見えにくいからでしょう。また、それぞれが別々にあるのでなく、常に入り乱れて、ときには双方一緒に混在しているからでしょう。

 あらゆる情報が飛び交う今の社会状況のなかで、自分の気持ちさえなかなかコントロールしにくいのに、相手の生き方を知り、かつ自分らしく生きていくというような「いい関係」を築いていくのは、至難のわざなのかしれません。

 しかし、いま二人のあいだに何が起きているのか、少なくともそれを把握できれば、納得いくのではないでしょうか。
 ところが、なかなか当事者にはそれが見えないし、見たくもないということだってありますよね。
 もし、それを知ることができたなら‥‥。そのときから、新たな関係の第一歩がはじまるのではないだろうか、と思います。

 私も初めは見たくなかった、見えなかった。
 ですが、二十五年間の妻との生活のなかで、妻が実践した「女と男が対等な関係」によって、私のなかで意識の改革がおこり、やがては出てくる感情まで変わっていきました。その体験をなんとか人に伝えようと、数年前から書きつづけています。
 宮本由起子さん(妻)が、仲間とともに運営しているフェミニストカウンセリングルーム「大阪心のサポートセンター」の機関誌「グリン―レター」に掲載された私の文章(1997年1月冬号…)を、一部改訂してまとめました。
ピンクバラ

第一部出会った相手が悪かった!?

男からすれば、まったく奇妙な人生が始まったのは。
 それは、格好悪くて、恥ずかしくて、惨めで、なおかつ心の底から突き上げてくる不思議な拒否反応。そして、自分自身への不安がとめどとなく溢れてくるものだった。
 それらに悩まされつつ、フェミニズムと仲良く生きている男、どうにかこうにかたどりついた。
 そこには、「自分らしさ」という個性を活かした、他者との共存の世界があった。


ピンクバラ 2 妻は午前さま ―浮気だけは許さん

従来もっていた家族観は、夫が家族を養い、安定とやすらぎをもたらし、妻は家にいて家族の太陽のような存在になる――そんなものでした。そしてそれは見直す必要のない普遍的なもので、それで家族は幸せになれると信じていました。 しかし意外なことに、妻はそれがしんどいというのです。

ピンクバラ3、 なぜかイライラ

―フェミニストカウンセラーのとぼけた生活
 あぜん。開いた口がふさがらない。瞬時、時が止まった…。とそんな思いにかられたのがもう五、六年も前のこと、それは今も鮮明に脳裏に焼き付いています。これまで書いてきたように、私はままならぬ妻に悩まされ、フェミニズムはこりごりだったのですが、それにもまして、とぼけた話がありました。
 世の中にはこんなことがあってもいいのか、俺はもう知らん、と叫びたくなったものです。

ピンクバラ理解しているつもりでも――女と男は根本的に違う

このぐらいフェミニズムを理解していたら、もう驚かされることもあるまい、と自負していた。そうです、なんだかんだと言っても、私もけっこう妻やフェミニズムには理解も示していたのです。

ピンクバラ5メンツまるつぶれ

 ――俺はあんたの亭主
「わたしはそんなこと言われたくないよ」
 彼女の口からこんな言葉が飛び出した。それはかなり以前のこと、家庭崩壊の危機にふんしていたカレー事件の頃(もっとも今も真剣勝負そのものなのだが)だった。
 言われた時は心臓にグサリと突き刺さり、かなりショツクを受けた。
 
ピンクバラ6夫のセックスが「拷問」だって! 
こう言われて、なんとも後味の悪い思いをし、以後、胸の中で長く尾をひくことになった。
体の中をこねくり回されるのよ、したくないのに、それって拷問よ、心も擦り減っていくわ。

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7「こんなセックスあったんや!」

 「こんなセックスあったんや―」
 深いため息がでた。なんの刺激もない、なのに心地よさで溢れていた。

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8 天国から地獄、そして天国へ

――とうとうポルノを処分
もともと、頻繁に彼女は応じてくれない。だからといって性欲を抑えられるものでもない。彼女のペースで行けば半年に一度か二度になる。強要する気にもならない。必然的にマスターベーションすることになる。他に相手を求めれば、事は簡単、だがセックスだけで彼女との関係を失う気になれない。だからどうしてもポルノが恋しくなってしまう。

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 9 車の中での離婚宣言

―― そこまで言うか
「離婚や離婚―」
 なんと、車の中での離婚宣言。それだけでも驚きなのに、とんでもない状況下でやってくれました。こんな時に、そんなこと言わんでもいいやろ、と彼女にそら恐ろしさえ感じました。私がフェミニズムになじむ前のことです。

ピンクバラ

 10 男の暴力とやきもちと

――ホレた女の過去を知りたくなるわけ
新婚といえば、男が一度は通る道、そう、ヤキモチです。強弱の差こそあれ、新妻の過去を知りたいと、勝手に想像してしまうのは、たぶん私一人ではないでしょう。このヤキモチという厄介なシロモノに取りつかれてしまったのです。そして、もう少しの所で彼女に逃げられるところでした。

ピンクバラ 11 愛もいろいろ――結婚して20年
「オレ、フェミニズムにかぶれてたってこと?」

のぼせ上がっていた自分の姿、それが見えた瞬間でした。
 四年ほど前のこと。フェミニズムはすごい、と知れば知るほどそう思えた私は、それまでの「男らしさ」を極力取り払おうとしていた。それが自分のできることの最たるものだと。

ピンクバラ12俺はフェミニストではない

ピンクバラ第二部 私が妻を理解できるようになるまで
●恋愛結婚の数年後――学びはじめた妻の変化を受け入れられず

恋愛の末の結婚、先ずはめでたし、めでたし。ところが数年も経たないうちに妻の様子が違ってきました。家事と育児だけでは満たされないという――なるほどと思いました。将来がきまりきっていれば誰しも一抹の寂しさを感じるでしょう。それである程度の理解を示したのです。それで満足とまではいかないまでも平穏な生活は保たれるだろうと。

ピンクバラ2●男とフェミニズム――夫婦関係、その従来型と対等型

その頃には、フェミニストというのは、生きている基盤そのものが違う、とおぼろげながら感じていました。それは私の住んでいる社会では理解できない何かのような、不思議な感覚のもの。当時は何なのか、はっきりしなかったのですが、やがて私の意識の中に形となって具現化しました。それからは彼女のことも、彼女との関係性も非常によく理解できるようになりました。

ピンクバラ第三部 ドメスティック・バイオレンス――私の経験
 1●「男の暴力」をどう考える

最近、話題になっているドメスティックバイオレンス(略してDV)、これは「夫、恋人からの暴力」という意味で、親密な関係のある人からの暴力の事です。新しい言葉ですが、今に始まったことでなく、また特に増えてきたものでもありません。昔から一杯あったものだと思います。それまで、陰湿に家庭内で繰り返されていた暴力を、被害者である女性たちが「もう許せない」と語り始めたのです。それは、暴力に苦しんでいる女性たちの「苦しみ、恐怖、そして怒りの入り混じった悲痛な叫び」です。

ピンクバラ2●私が暴力をふるったと

じゃあ、まだ私のなかにフェミニズムへの認識がほとんどないといってもおかしくない頃に、どうしてもあったDVを生み出す感情が消えていったのか、それを振り返って見たいと思います。
 結婚から約一年後、あの頃はどうしても自分の心が納まりませんでした。彼女が「一人の女性」から「私の妻」という存在に変わったのが大きな理由です。妻という存在になった途端に彼女への認識が一変しました。それが「妻の過去まで私のものだ」という思いを呼び込んでしまった理由です。そして後は想像の世界を駆けめぐっていました。〈もしかして、俺のユキが誰かとセックスを‥‥〉云々です。許せなかったのです。私が全身全霊をかけて愛する女が‥‥。頭ではそんな無茶なこと、と分かってはいたのですが、私のイメージする妻像とは違っていたことが大きな要因となったのだと思います。

ピンクバラ3●暴力を生み出す基盤にきづく

もうかなり昔になりますが、妻とこのことで話し合ったことはが何度かあります。そう、妻がカウンセリングを始めた(1987年頃)のこと、つまり私がフェミニズムと向き合って生きるようになった頃ですが、再現してみますと・・‥。
「わたしは自分の行動や言動を正当化しようつていう気持ち、ないよあんまり」
「ああそう――でも、そういうもんちゃうの? 人間て」