社表

性の不一致、性生活

 煌きを失った夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致と なる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与し。避妊方  法とし用いても優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生 活での性の不一致を改善し、セックスレス及びセックス レス夫婦になるのを防いでくれます。黄色バラ

本表紙
初めての結婚 秋元 康&柴門 ふみ 著
ピンクバラ第五章  義務と自由 

ある日突然落ちてくる、もう一つの恋、夫以外の男性に惹かれるのはいけないことですか――文章を入力してください。

秋元― 結婚したら「つまらない女」になってしまうのか
 結婚はしたけれど、刺激のない生活に浸かってしまうのだったら、一人でいるほうがまし、と考える女性もいるでしょう。
「ただの主婦」になることが、イコール、「つまらない女」になるような、そんな気がしてしまうのかもしれません。
 でも、主婦になったから、つまらない女になるのかというと、僕は違うと思うんです。

 つまらない女は、専業主婦になっていなければ、そうじゃないと考えたときに、結婚する前も、やっぱり「つまらない女」だったのではないでしょうか。
 もう働いていないから、結婚してしまったから、だから「つまらない女」になるというのは、それこそ、つまらない言い訳です。
 専業主婦でも面白い人は面白いし、第一線でバリバリ働いているような人でも、つまらない人は、やっぱりつまらない。

 専業主婦をなめてはいけないんですね。

 つまらない女になるかどうかは。結婚してからどうだとか、しないからどういうことでなく、人生をいかに楽しく生きているか、だと思うんです。
 思いがけないような人が、いろいろなことを体験していたり、知っていたりすることがあります。そこが魅力になる

「いろいろなこと」というのは、決して特別なことでなくていいわけです。
 たとえば、夫の立場からすれば、
「このスーツにこのネクタイはおかしいと思う?」
「友達のところにお祝いを挙げたいんだけど、一万円でいいかな?」…こんなことを真っ先に聞きたくなって頼りになるのは、やっぱり妻であることが望ましい。そんな妻なら、少なくとも夫にとっては、「つまらない女」になりようがないんです。

 自分の意見がない人ほど、つまらない人はいません。魅力的な女性になりたいとか、将来、愛されたい妻になりたいと思うなら、その第一歩として、自分の意見を持つことから始めてほしい。

 女性は結婚して、とくに仕事を辞めてしまうと、家庭という策の中に追いやられて、社会から取り残されたような気持になるのかもしれません。
 でも、そんなところに追いやっているのは、誰でもない自分自身だったということもあるのではないでしょうか。

 結婚しても、いくらだって魅力的になれる。世の中には、それを証明している女性たちがたくさんいるじゃないですか。

日々の努力を怠るといつかはすべてをなくしてしまう

柴門― それでも、家庭の中だけにいる妻というのは、なんとなく世間から置いてきぼりをくうような気持になることがあるのか知れません。
 向田邦子さんの『思い出トランプ』に、「花の名前」という短編があるのですが、その中で「女の物差しは二十五年たっても変わらないが、男の目盛りは大きくなる」という言葉があります。
 ストーリーをかいつまんでお話しすると、花の名前を全部知っているということを自慢の妻は、花の名前はおろか野菜の名前も知らない夫に、これからは私がいろいろと教えてあげると約束したんです。

 結婚したころは、夫もそんなふうにして花の名前を覚えることが嬉しかった。でも、それから十何年が過ぎて、相変わらず花の名前を持ち出す妻に、ある日ポツリと、夫は言うんです。
「花の名前、それがどうした」。
 そこで初めて妻は、自分の目盛りと夫の目盛りに差がついてしまったことに気がついて愕然とするわけですが、もうそれでは遅いんです。

 ある二人の人間の間に何かの関係が生じた場合、人間関係というものはどちらかが優位で、どちらかが下位になる部分が必ずあります。もし自分が成長することがなければ、その関係は絶対的なものだと思い込みがちです。

 とくに家庭の主婦の場合、人間関係は固定され、時間だけが流れていく。一方の男の人には、会社などでいろいろなことがあって、物差しの目盛りが大きくなっていく。「花の名前」は、そんな歳月を重ねた夫婦の成長の開きを、物語の中で如実に表しています。

 つまり、人間関係というものはずっと固定されたものではなく、どちらかが優位になったり、なられたりしながら、お互いが同じように成長していくと、同じ目盛りで年が取れるのに、うっかりすると、そうはいかない。
 人間には、日々努力だと思うんです。「私きれいだし、若いし…」
なんて思って努力することを怠ってしまうと、途端にすべてを失いますね。本当にあっという間に。

 自分の仕事で思うことですが、若い人たちの作品なんか見ると。自分のスタイルが古臭いなぁというのに、ある日ハッと気づかされたりするんです。自分のスタイルというのをつくって、そこに安心していたのが、「そういえばここ三年ぐらい同じ構図だなぁ」と反省したりします。
 成長が止まってしまうと、そこから先に進めなくなってしまうんですね。

絶対に浮気しない男なんていない

 秋元― いつもいつも同じものしか出てこない店は、飽きてしまうということかもしれません。
 男にとって、妻は“馴染(なじ)みの店”。もっときれいな店、もっとおいしものを出してくれる店は、他にもいっぱいあるのに、なぜか毎日同じ店に行くのは、馴染の店だから、そこだと安心できるから、というのが大きい。隠れた優位性があるんです。

 でも、いくら馴染の店だといっても、そこに行って何も食べたい物がなければ、次第に足は遠のいていきます。
 馴染みの店はその店なりの努力があったり、成長があったりするから、「つい来てしまうよね」ということで通うわけです。それがわからないで、「どうせ今日も来るだろう」と安心してしまうと、気がついたら「誰も来なくなった」状態に陥っているということもあると思うんです。

 夫婦関係に置き換えると、いくら「馴染」の妻であっても、そこで成長が止まってしまえば、やはり、男の気持ちをつなぎ止めておくことは難しいでしょう。
 恋ということで言えば、すべての人がライバルになる。男だって女だって、夫や妻よりもいい人がいたら、気持ちはそっちに行ってしまう。

 恋の基本は、「この人のことを知りたい」と思うことだから、新しく出会った女のコのほうが知りたいことが多いようであれば、もう知り尽くされた妻というのは、そこで負けてしまうわけです。
 結婚している男たちを見ていて思うのは、絶対に浮気をしないと言い切る男は、せいぜい全体の十パーセントぐらいだと思うんです。百人いたら十人ぐらい。その中でカッコいい男となると、さらに絞れて、その十人のうちの一人ぐらいになってしまう。

 つまり女性たちが結婚相手に望む“カッコよくて奥さんのことしか愛さない男”というのは、百人のうちの、たった一人だけという計算になるんです。
 百人に一人しかいないといたら、その競争率は高くなるかというと、そうとも言えない。そういう男は本当に純粋で、正義感が強くて、モラルがある。だから好きになる相手のことを、ルックスや条件では選ばないんです。

 自分が幸せにしたいとか、人生の目指しているものが同じであるとか、ある種の琴線(きんせん)にふれればよい。だから、男のほうはすごくカッコいいのに、「何であんなコが彼女なの?」という組み合わせもできる。
 とは言っても、倍率は低いけれど偏差値は高い、望みがないとは言わないけれど、やっぱり、そんな男はほとんどいないというのが現実です。

 東大からハーバードに行って勉強して、でも外務省に入りました、というような。その上、身長は百八十センチあって、ルックスもよくって、でも、「僕は浮気しません」と言う。そんな男がいたら紹介してほしい。
 たいていの男たちは浮気願望を持っています。

 男の立場から、結婚相手に選んだら苦労するよ、という男は、全体の三十パーセント、百人いたら三十人ぐらいでしょう。彼らは、「結婚したから、もう恋愛は出来ないんじゃないか」なんてことは思いつきもしない。「もっといい人がいたら、いくらでも行くよ」という、第一章でも述べた“恋愛武闘派”と呼ばれる男たちです。

 残りの六十パーセントは、浮気したい願望を持ちながら、チョロチョロするものの、離婚はしない。離婚はしないけれども、チャンスがあれば、つかの間のアバンチュールを楽しみたいという男たちです。

浮気されたことを自己否定に持っていってはいけない

柴門― それが今の日本の現実というものなのでしょうか。要するに、既婚男性のうち十パーセントぐらいが奥さんのことが大好きでたまらなくて、六十パーセントぐらいが離婚せずにチョロチョロして、残りの三十パーセントが家庭を壊してもしまうという概算なんですね。

 女性にとっては、もしかしたら他の女性が見向きもしないような男性なら、すごく尽くしてくれるかもしれないけれども、それでは妥協できないのでしょう。
 三人に一人が家庭を壊すという数値は、多いのか少ないのかは判断しかねるところですが、でも、考えようによっては、そんな夫の妻になるのも、緊張感があっていいのかもしれません。

 もちろん相手のことを好き一人きりだという大前提があってこその話ですが。浮気相手の女のコに負けないように、自分に磨きをかけることも怠らないでいられるでしょう。

 浮気をしない男は十パーセントで、その中でカッコいい男となると一パーセント。百人に一人なら、一つの学校に四人ぐらいはいる。その計算からいくと、そんな男性から自分のところに来る確率は、やはり奇跡に近いですね。

 男は所詮、浮気するもの――たとえ他の男性はそうであっても、自分の夫になる人だけはそうでない、百人のうちの一人であってほしいという気持ちを、最後まで捨てきれないのが。「まだ結婚しない女性」なのかもしれません。

 夫が浮気したかもしれないというときに、妻が「そういえばセックスの回数も減ってしまった」ということを理由に挙げていることがありますが、私は案外、恋人時代の男性というのは義務で、それをしているところもあるところもあるのではないかと思っています。

 だから、結婚して、もう僕たちの関係には揺るぎない安定期に入ったと思ったら、安心して“機会”は減っていくということもあるのではないでしょうか。

 雌として求められない自分が不安でも、本質的なところで自分に自信を持っていれば、飽きたとかどうかというのは、上澄みの部分でしかないでしょう。

 現実に浮気されてしまうと、その相手の女性に負けたということがコンプレックスのようなものを抱えてしまうのかもしれません。 女性のほうでも、セックス自体、好きじゃない人も増えてきている。
 セックスレスになってきている、という気がするんです。自分も飽きてきている、のに、相手が飽きるのは嫌だというのが、本音ではないでしょうか。

 でも、たとえ夫に浮気されて別れることになっても、男がどっちの女性を選ぶかは博打(ばくち)と同じ。女だって男を選ぶときには、そうしているはずです。だから、そのことでコンプレックスを持つことはないんです。

なにをもってセックスレスというのか

秋元― 今の時代「セックスレス」という言葉が氾濫しているけれど、でもどこからどこまでをセックスレスというのか、そのボーダーラインはすごくあいまいだと思うんです。
 広い意味では、一緒のベッドで寝ていることもセックスと思うんですね。
 それに一人の男の立場から言わせてもらえれば、もちろんその相手にもよるけれど、セックス自体が愛情の物差しにはならないんです。

 夫が愛人とのセックスに溺れて離婚されてしまった。なんて話は、所詮は娯楽漫画の世界だと思うんです。現実にあるとしたら、その男は相当頭が悪い男ですね。

 男にとって、セックスが恋愛における大きなファクターをしめるのは、たいていが十代から二十代までなんです。それ以上の年齢でセックスが大きなファンタジーをしめるとしたら、それはその程度の男なんです。

 でも、稀にいるんですね。ずっとモテなくて、四十、五十になって、多少お金が自由になってきたりすると、今の地位やお金をパワーに口説こという男が。
 でも、それは男から見ても痛々しいなと思うんです。ずっとモテていた男とは、あきらかに口説き方が違うんです。

 たとえばモテる男と、ずっとモテないできた男と、一緒に銀座のクラブに行くとします。そんなとき、ずっとモテなかった男は、一生懸命、その中の一人を口説くわけなんです。三人で食事に行って三倍費用がかかるよりは、ひとりのほうがいいと胸算用している。モテなければモテない奴ほど、費用対策効果を考えるんです。

 反対にモテる男というのは、「みんなでこの後、ご飯食べに行こうか」なんて言ったりする。別に焦っていないから、その場の雰囲気が楽しければいいやという感じで、誰か一人だけ狙うということはしないんですね。

 所詮、男はみんな浮気者だと思うんです。これは生まれ持った本能のようなものだから、変えることはできない、というのが男の身勝手かな。

 男は、その瞬間、その瞬間で、目の前にいる人を守ろうとする生き物なんです。
 たとえば地震が起きたと仮定します。そのとき、どうするかというと、もちろん目の前に奥さんがいたら守ろうとするけれど、たまたま違う女性がいたとしたら、その人のことを守ろうと思うんです。

 カミさんどうしているかな?と考えるけれども、それより先に、目の前にいる人をまず守ろうとするのが、男の本能なんです。
 だから一人の女性をずっと守り続けていくためには、ずっと、その人の側にいないといけない。

 でも、それは人が生きていく限り、残念ながら不可能に近いことなんですね。
 だとすれば、結婚した時から不倫や離婚という可能性は孕んでいる。永遠の恋なんてきっとないのかもしれないけれど、それにかけてみたいのが女心なのでしょう。

夫の外でのつき合いをどこまで許せるか

柴門― 結局、モテる男と結婚しても、モテない男と結婚しても、どちらにしろほとんどの男は、浮気や不倫をする生き物だと思っていた方がよさそうですね。
 ところで、男性にとっては、どこからが浮気になるのでしょうか。「デート」というときに、どうすればデートになるのか

 今の時代、結婚しても、異性との付き合いというのは多かれ少なかれ、あると思うんです。例えば、一緒にご飯を食べるのはデートか。お茶だけならデートじゃなくて、お酒を飲んだらデートになるのか。
 それについて脚本家の北川ス史子さんと話したときに、二人っきりでお酒を飲むところからデートかなぁ…ということで、とりあえず収まりました。
 バーに行ったらデートだけど、食事だけならデートじゃない。

 でも、たとえ二人だけでお酒を飲むような場合にも、まったく下心のない男女間のおつき合いというのもあります。
 また、どちらか一方では“その気”でも、もう一方は何とも思っていない。男女間の意識のずれというのもあるでしょう。

 そこで、結婚したら、夫の外でのおつき合いはどこまで許せるかということを考えると、その線引きはとても難しいと思うんです。
 恋人時代なら許せても、結婚したら許せないという、そんな線はあるのか。私との場合は、恋人でも、夫でも、してほしくないことは同じで、そこに違いは出ないんです。

ごはんぐらい、他のコと食べてもいいじゃない

秋元― 絶対に浮気しないのは、百人に十人だけだと言ったけど、実はこの世の中の九十五パーセントの男たちは、たとえ自分で目くるめくようなときめきを望んでいても、何も起こらないのが現実です。
 残りの五パーセントだけが、本人は何も望んでいないのに、女が群がってくる。いわゆるモテる部類に属する男たちです。いきなり、会社の部下の女のコから、「今日、七時にマリオンの前で待っています」なんて手紙が来たりする。「課長、島耕作」みたいにね。

 そういう男性が稀にいることは否定しないけれど、残りの九十五パーセントの、大多数の男たちというのは、黙っていたら、絶対というぐらいに何もありえないんです。
 いくら今は女性からも告白する時代だと言われても、やはり自分からアプローチしなかったら、普通の男には、妻以外の女性と二人で、ご飯を食べるというシチュエーションは一生回ってこない。

 だから、男たちはそんな棚ぼたの機会をただ待つだけでなく、ささやかなアバンチュールをどこかで求めて、「今度、ご飯でも食べに行こうか」なんて、の部下を誘ってみたりするんです。
 その時に、男はたいてい心の中で、こんないい訳を自分にしています。
「ご飯ぐらい食べに行っても、いいんじゃないか」
 でも、そのうちにそれは、
「お酒ぐらい、いいんじゃないか」
「女のコの家に寄ってみるぐらい、いいんじゃないか」
…・という具合にどんどんエスカレートしてくる。
 ごはんを二人っきりで食べる行為は、男にとってはもうデートなんですよ。

 たとえ仕事の打ち合わせだったとしても、食事の時にフグを食べて、ひれ酒を飲んだら、もうその時点でカチャンとデートに切り替わる。
 誘った方が下心を持っていれば、相手がどう思おうと、それはもうデートなんです。そして、男はいつも確信犯なんです。
 もちろん相手が女性であっても、自分の「男」の部分を持っていかない、絶対にデートにならないという場合もあります。
 たとえば男女を超えた仲である親しい女友達と食事をするときは、お互いに「男」も「女」も持って行かず、「食欲」だけ持っていくんですね。

 定年になって、これからは夫婦でのんびり暮らそうかという夫に対して、
「とんでもないわ、私はPTAもやっているし、町内会もやっている。趣味の会もあるし、スケージュールがいっぱいで忙しいから、まとわりつかないで」
 と言う妻も少なくありません。

 まだほんの一部かもしれませんが、男性より少し前を歩く女性が、今の時代増えてきているように思うんです。
 だから女性の方から積極的に、不倫をすることだって珍しくなってきている。
 生きるエネルギーを持て余している人は、恋するエネルギーの総量も多いという傾向にあります。

予測がついてしまう女性はつまらない

秋元― 結婚した女性が不倫に走るときに、「花の名前」の妻とは逆に、自分のほうが成長してしまったから、ということもあると思います。
 結婚したときには、まだまだ女性のほうが子どもだったけれど、結婚生活を続けていく中で、いろんなことがわかってきて、夫という人間の器の小ささに気づいてしまったというようなことがあると思うんです。

 お互いの成長がいい形で、等間隔で広がっていけばいいのですが、どちらか一方の成長が大きいときに、残された一方が成長するどころか、つまらなくなっていくというのはよくあることなんです。

 アイドルが昔から付き合っている恋人と、スターになったら別れてしまうのは、必ずしも芸能プロダクションが圧力をかけたというようなことはなく、一流の人たちと知り合ったり、大人の世界に入ることで、尊敬していたはずの相手が、だんだんと自分よりも小さく見えるようになってしまうからなんです。

 芸能界というのは、一般社会に比べて、特に成長するスピードが速いんです。たとえば、アイドルとマネージャーの関係でいえば、同じ時間が過ぎても、アイドルのほうの収入がいいと、何年かしたときには立場が逆転していることがあります。

 夫婦の場合でも、母親になったり、隣近所との付き合い、あるいは仕事を続けて、その経験を積む中で、若かった妻も「成長」していく。それに気づかない夫は、ある日突然捨てられることもあるかもしれません。
 妻の側からすれば、自分が成長した時点で、頼りにしていた夫が実はつまらない、たいしたことのない男だということが、わかってしまうんですね。

 だから、そこで、恋愛なり、人生なりのステップアップをしてしまうことはあると思う。
 知らなければ何事もなく平穏に過ぎたことが、知ってしまったことで、もう元には戻れなくなるんです。
 自分が成長することに加えて、相手の成長に気づくことも大事ですね。

結婚したら「女」を磨くよりね「人間」を磨く方がいい

柴門― 私も思うに、結婚がもたらす安心感、安定感の上にあまりじっとしていて、慢心して努力しないでいると、男であろうと、女であろうと、いずれは置いてきぼりになってしまうということかもしれませんね。

 成長できない人というのは、たとえ離婚されたり捨てられはしなくても、精神的に見捨てられるような気がします。
 たとえば、それが女性の場合だと、不機嫌にしていれば、夫は適当におだててくれたりするかもしれないけれど、あまり本気で心配するというようなことは、してくれなくなると思うんです。

 そうなってしまうと、もう夫婦としてつまらない。
 結婚したら、「女」をというよりも、人間的に自分を磨いていくことが必要になって来るのかもしれません。

 女性の中には、いつまでも少女でありたいと思うのか、いくつになってもメルヘンチックな服を着て、「お花さん、おはよう」なんて言っているような人がいるそうですが、それは端から見ていて、残念ながら、「かわいい女性」ということにはならないんですね。その年齢で、その年齢なりの、成熟した精神年齢になっていかないといけないような気がします。

 安心感はあくまでも、生活のペースということなんです。安心しつつも、常に自分の意見だけは持ち続けていないと、あっという間に退屈な関係に変わってしまいます。

 同じくらいに降りてしまった夫婦なら楽なのかもしれないけれど、片方だけ降りてしまうと、かなりつらい。専業主婦になると社会から切り離されて、それだけで置いてきぼりをくったような感じがするものです。
 大変なんですよ。人間努力をやめたら、そこに置いて行かれるんです。

聞きたいことがなくなれば、二人の関係は終わる

秋元― よく「感性を磨く」という言葉が使われますが、「どうやったら感性は磨けるんですか?」という質問をするような女性は、その時点でダメだと思うんです。
 女性誌にしても、それを凄く追いかけていますが、そもそも、「これをやったら感性が磨けます」なんてものはあるわけがないんです。それを自分が考えることが、「感性を磨く」ということですから。


 感性をどう磨いたらいいのかわからないというのは、僕らの意識の中では、ある時期にいろいろな情報誌が次々と創刊されたことによって、あらゆるもののマニュアルができてしまったからではないかと思うんです。
 
それ以前には、たとえばスニーカーはこうやって干すんだという試行錯誤を繰り返したり、あるいはオヤジや兄貴に教わっていたのが、情報誌を見れば、どうすればいいのかが乗るようになった。そうなると、考えたり頭を使うというプロセスを省かれて、近道をしすぎてしまうんです。


 感性を磨きたいなら、本にしても、映画にしても、自分にとって必要だと思えるものは、自分の手で見つけなければならないんです。誰かに選んでもらうだけでは、いつまでたっても子どものままでしょう。


 自分が成長するには、要するに、毎日、どれだけものを見ているかということだと思うんです。
 銀行で順番待ちをしている時でも、人によって、その時間の流れ方は違う。何の意識も持っていなければ、ただ時間が過ぎていくだけで、金融情勢だとか、世の中の流れだとかには一向に気づかないんです。


 日々その積み重ねがあって、意識を持っている人と持っていない人というのは、後でずいぶん差がついてくると思うんです。
 今の若い女性たちというのは、少し理屈っぽすぎるのかもしれませんね。難しく感が過ぎてしまうのではないでしょうか。


 どうすれば魅力的な女性でいられるのかと言われて、僕が考える、“男が離したくないいい女の条件”というのは、「これについてどう思う?」と、聞きたくなるかどうかなんです。
 結婚してお互いの付き合いが長くなってくると、もう聞きたいことも無くなってくる。聞かなくとも全部知っているんだから。


 でも、これはどう思う? と聞いたとき、自分なりの新鮮な意見がある女性というのは、やっぱり魅力的だと思うし、そうであれば男は飽きないんです。つき合うほどに、もっと知りたいことが増えていくわけで、これほど強いものはない。


 例えばその女性の情報を、百、あるいは一万並べたとします。
 好きな食べ物は?
 嫌いな食べ物は?
 好きな本は?
 今までで一番感動した映画は?
…・というふうに。それを全部質問していけば、その女性のだいたいのことは分かってしまうし、いつか、その質問自体が尽きてしまうんです。
 でも、「これについてどう思う?」という会話は、無限大なんです。


 夫婦関係という、もうすべてを分かっている関係なのに、それでも聞きたくなるものがあるかどうか。
 それがなくなったら夫婦は、もう終わる。逆に言えばそれがある限りは、一緒にいても飽きない、いい夫婦だって言えるんじゃないかな。

「わかりあえる瞬間」を楽しみたい

柴門― でも、結婚生活が長くなると、こう聞いたら、相手はこう答えるだろうという予感がつくようになりますね。それで、自分が思う通りの答えが返ってくると、気持ちがいい。女には、そんなところがあります。
 わかっているけれどつい聞いてしまう。だから、気が楽には楽なんですけれどね。


 ただ、ここで気をつけたいのは、「すべてが分かっている」ような気持ちになってしまうことです。
 結婚生活が長くなっていくと、「自分の夫」を基準にして、男なんてこんなものだと軽く見てしまう。そこから、人生なんてこんなものだ、世の中なんてこんなものだというふうに勘違いして、自分自身の可能性さえ捨ててしまう。結婚した女性には、そんな人も少なくないように思いまする。


 結婚して十何年たった夫婦でも、「男ってこうだったのか」とあらためて思うようなことがあるものです。気がつかないのは、自分でそれを見ようとしていないだけ。


 いいところも悪いところも含めてですが、それだけ人間は深くて、侮れないものだと思うんです。だから人間関係で言えば、どんな関係も固定化されてしまうことはない。


 私は、人間にはどうしょうもないというか悲しい部分があって、本でも映画でもそのことをきちんと描いた作品が好きで、自分の描くものもそうでありたいと思っています。


 なぜかは分からないけれど、気楽なものには、どうも私の心は打たれることはなく、どうしょうもない感情。やりきれない感じがあっても、なおかつあきらめないで生きていく、というのが好きなんです。


 一人で生きられないけど、なかなか人と分かり合えることかも少ない人間関係の中で、だからこそ、たまにある「わかりあえる瞬間」を、夫婦の間でも取り逃がさない。それが楽しめたらいいなと思うんです。

 後書き…なんとかなるだろう   秋元 康
 知り合いの女性が、「結婚したい」という言葉を口にする度に。「一回してみれば?」と僕は答えることにしている。
 無責任な発言のようだが、結婚について深く考えてしまうと、なかなか、思いきれないような気がするのだ。
 もっと乱暴に言えば、「一度、結婚してみて、だめだったら、離婚すればいい」ということなどである。
 もちろん、結婚という人生の選択を軽視しているわけじゃない。
 誰だって、生涯一人の人を愛し、添い遂げたいと思うだろう。
 しかし、そのために、いろいろ考えすぎてしまうと、頭の中でイメージする結婚像が独り歩きしてしまうことがあるのだ。
 先のことは分からない。
 今、確かにその人と結婚したいと思うなら、それで充分なのだ。
 なんとかなるものである。
 いや、何とかならない場合もあるだろう。
 結婚してみなければわからないことが沢山あるから。
 しかし、未来の幸せを考えるあまり、今の幸せを見失うこともあるのである。
 100%幸せを保証された結婚なんて存在しないのだ。
 仮に、結婚歴10回という人が結婚生活の理想と現実を知り尽くしていたとしても、次の結婚には、何の参考にもならない。
 相手が違えば、今までの経験なんて役には立たない。
 いゃ、もしも、一度結婚した人と別れてもう一度、同じ人と結婚することになっても、それも、「はじめての結婚」である。
 結婚の達人なんて存在しないのだ。
 正直言って、その扉の向こうにどんな未来が待っているか、誰にもわからない。
 結婚とは、いつも、幸せになれそうな気がする思い込みの強さのことかもしれない。