社表

性の不一致

 煌きを失った夫婦生活・性生活は倦怠感・ 性の不一致となる人が多い、新たな刺激・ 心地よさを付与し。避妊方法とし用いても 優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生活 での性の不一致を改善し、セックスレス及 びセックスレス夫婦になるのを防いでくれ ます。

赤バライッたことなくてもでも母親になれるもんねえ。 

表紙本鈴木真子 三十七歳/ソープ嬢
●27歳で結婚、家族構成は3歳年上のご主人と2歳の子供、現在も関東地方の、ある街のソープランドに勤務している。ソープ歴は15年になるというが、ご主人や家族には全く気付かれないという。私のなにを気に入ってくれたのか、とにかく、よく喋ってくれる女性だった。取材時間は、アットいう間に過ぎた。
●黒髪でストレートなセミロングというオーソドックスな髪型。白いカットソーにジャンパースカートというシンプルなスタイルは、とても風俗で働いている女性には見えない。

◆セックス、風俗入り、仕事 ソフトノーブル一覧

私ね、セックスって「ただ繋(つな)がっているだけ」としか思えないの。男の人のアレはタンポンと変わらないって感じ。だからって全然感じないって言ったらウソになるけど、のめり込めないのね。だから、罪悪感もなくソープの仕事ができると思うの。極端なことを言えば「気持ちいい」っていう感覚が解らないの。
 でも、演技だけは自分で言うのもなんだけど自信があるのね。すごく濡れるほうだし。だから、私についたお客さんは私のこと「かなりの好きもの」って思っているんじゃないかな。まぁ、こんなこと、お店の名前を出さないから言えることなんだけどね(笑)。

もし、店の名前とか出てたらこんなこと言えないよぉ。もし、そうだったら「今の仕事はすご楽しい。気持ちいいことして、お金が貰えてるんだもの!」とか言っているんじゃないかな(笑)。でも、違った意味で私にとってソープの仕事は天職だけど(笑)。
 ――ソープにはどれぐらいいて、旦那さんにはどう説明しているの?
 もうかれこれ十五年、かな。あっという間にそんなことになっちゃった。旦那にはもちろん内緒で、全然バレていない。仕事は「化粧品の販売」と「夜の託児所の事務」やっているって言っているの。

化粧品の仕事は在宅でやっているから、旦那も知っているし、託児所だって無認可の所は夜中までやっているから、その二つの仕事なら勤務時間とか全部ツジツマが合うでしょう? 月に何万も払わなくちゃいけないアリバイ会社なんかいらないよね(笑)。連絡だって今は携帯電話があるし。
 そんな感じで十五年‥‥。この間、御金返しに行った金融屋さんに「ホント、よくバレていないよねー」って感心されちゃった(笑)。そうだよねーっ、自分でも感心するもの。
 アッ、そういえばね、とっておきのバレない秘訣があった。「お金持ってるような格好をしないこと!」。みんな、風俗に入って小金持った途端に、ブランド物とかバンバン洋服買ったりするから周りにバレるんだよー。私みたいにフツーの格好でいるのが一番バレないんじゃない? 例えば、スーパーとかで売っているイチキュッウパの洋服とかね。

風俗入りしたのは二十二歳の頃だったかな。よくあるバカな話なんだけど、洋服欲しいとか、くだらない浪費のための、たかが五十万とか百万とかの返済のためだったんだけどね…・。今思うとなんであの時払えなかったのか自分でも不思議なのね。でも、その当時はその借金がすごい金額に思えたんだろうね、この世の終わりみたいに「大変!どうしよう」ってすごくあせってた。
 
最初はデートクラブだったんだ…今はもうそういう形式をとっているところなんかないんだろうけど、普通のスナックみたいなところがお店で。やることはホテトルと同じ。そこを知ったのは、地方の求人情報誌。風俗専門じゃなくって、キオスクとかで売っていたやつ。そうねぇ、「フロムエー」みたいのって言ったらいいかな。
 そこにその店の求人が載ってて。たしか“○○ギャル募集!
時給2000円“とか書いてあったの。他に載っていたのもせいぜいスナックだったし、てっきり水商売だと思って面接に行ったのね。そこが一番時給が高かったから選んだの。電話して面接に行くことになって、待ち合わせした場所がまんまソレ系のところだったの。だからお店に着く前に、最初から心は決まっていた。「もう、いいや」って感じで。お店でそういうところだって改めて接明されてもそのときは驚きもしなかった。
 
しばらくは二足の草鞋(わらじ)を履いてがんばったのね。その当時はアパレルメーカーの販売やってて。そこで今の旦那と知り合ったんだけど、旦那がしばらして異動になって‥‥。ああ、また話がそれちゃう。そのデートクラブには昼間の仕事が終わってから行ってたのね。会社が終わるのがだいたい夜の七時で、八時から十一時までバイトしてた。その仕事をやり始めて罪悪感? 抵抗? 全然。私、そういうとこ他の人より欠けているのかも。道徳観念がないっていうか。その当時から今でも「こういう仕事していても誰にも迷惑をかけていない」っていうのがある。でも、誉められるようなことではないってことぐらいはわかっているけどね。
 
でも、バイト始めて二ヶ月もしないうちにそのデートクラブが挙げられちゃったのね。バックは一人ついて一万円だったし、そんなに稼げなかったからお店がなくなっちゃっても別に何とも思わなかった。だからまたあの求人誌を買って、別な仕事でお金がよさそうなとこ、って探したの。そうしたら今度はソープだった(笑)。そのときはもう「お店構えている方が安心」という考えになってて。そこで相変わらず二足の草鞋を履いて働いてた。その当時はそういうことをしてた女の子って、店に私しかいなかったのね。だから、他のお姉さまにすごく虐められたなぁ。

◆他人の借金、重なったトラブル、生い立ち、母親との確執

この仕事がこんなに続いちゃったのは、タイミングが悪いことがいくつか重なっちゃったのね。長くいるつもりなんか最初は全然なかったのに‥‥。その一つは二十五、六歳のときだったかな。その頃勤めてた店で、ある女の子の連帯保証人になって借金背負っちゃったの。

 その子は結構仲が良かったし、当時二十一歳にしてはしっかりしている子で。指名もすごく取る子だったから、少しくらいの借金だったらすぐ返せるだろうと思ったの。彼女は彼氏とのゴタゴタで五百万が早急に必要になっちゃって、貸してくれるところはすぐ見つかったんだけど。そんな借金の保証人を親なんかに頼めなかったらしいのね。だって、普通からすればそんな大金を借りられて、すぐにどんどん返していってたら、なんの仕事しているかすぐにバレちゃうじゃない。
 
男に貢ぐための借金だったみたいってすぐに解ったけど、すごい困ってたから(保証人に)なってあげたのね。そんな子、当時は珍しくもなかったし。そういう子じゃないほうが珍しかったかな(笑)。しばらくしたら見事にドロン。見事に私に五百万の借金を押し付けられちゃって。その時はショックだったけど、私、開き直りが早いから「気長に返そう」ってなって。
 で、六、七年くらい頑張って「その借金も返し終わる」ってときに、私、子宮を悪くして入院することになっちゃって。だから、お金をまた借りるハメになって‥…。それでね、やっと退院したら、そういうときなのに、今度は子供ができちゃって。

 私、十代のときにやっぱり子宮関係で入院したときに「あなたは九九パーセント子供ができない」って言われてたから。もう、嬉しいやら、悲しいやらの予定外の事で‥‥。それで終わりじゃなくて、まだ続くんだよね!(笑)。子供が生まれたら今度は、旦那がリストラにあっちゃって‥‥。もう。ほんと厄年だよね。えっ、本当に厄年だったんだよー。本厄だか、後厄だか、なんかだった。

 そんなふうに、いろーんな事情が重なっちゃって、結局、今でも百八十万ぐらい借金が残っているかな。でも、のんびりマイペースで返している。旦那は今仕事探してる最中。でも、なかなかいい仕事ってないのよね。年も四十歳だから仕方がないんだけど。だから、今は私が家計を支えてる感じ。

 ああ、エッチな話でしたよね。私の苦労話なんか面白くないよね、そうそう。なんで「イカない」のかってことだよね。
 でも私、自分がなんでイカないんだろうって真剣に考えたことがないんですよー。申し訳ないけど。だって「女であれば必ず、どーしてもイカなくちっちゃいけない!」なんてことなんかないだろうし。一生イケなくても全然かまわないなぁ、私の場合。イケる人を羨ましいとも思わないし。
まぁ、この先、イケたらもうけもの、とはおもうけど、多分、少なくとも旦那では一生イカないでしょう。
 でも、さすがにイカないっていうか、セックスをすればするほど冷めていく自分に、身体どっか異常じゃないか? って考えたことはありますよ。

 また話が逸(そ)れちゃうかもしれないけど、この仕事に全然抵抗を感じなくて、今も続けられるのって「自分の事が嫌い」だからだと思うの。もっと言えば自分の身体が嫌いなんだろうね。「自分」という存在自体が好きになれないっていうか――。この頃、子供を育ててる自分を客観的に見てそう思うようになったのね、だって、私は親にとって「いらない子」だったから。実際、親に愛されている、愛されたって記憶がないし。
 小さい頃、熱を出してもいつも自分一人でやっていた。保険証もって病院行って,氷とタオル用意して冷やして‥‥。親? その時すでに家庭内別居状態で。父親は小心者で反論もしないでお金で解決するような人。アルコール依存症になってて会社勤めもままならなかったから、母親が家計を支えていた。だから、仕事が忙しかったんだろうね。でも、弟のときだけは母親が仕事を休んで看病していたけど。
 私だけがしょっちゅう叩かれていたなぁ。しかも、ハンガーとか物で叩くのね。すごく痛いから、なんでそうするのかって母親に泣きながら聞いたときもあって。でも、返ってきた返事が「自分の手が痛くなるから」だって(笑)。「何、それ?」でしょ? だから、子供心にも、自分が弟たちと違って嫌われているのは解ってたから、親戚の人たちが来るたびに、
「私、お母さん大ぃっ嫌い!」って言いふらしてささやかな抵抗してた。
 母親は私に関しては、なにかと他の子と比べる人で、誉められたこともない、私は誉められたかったから、だから、学校ではいい子にしていたし、運動会とかのときには頑張って賞とったりしてたの。でも、全然だめだったぁ。

結局、勉強とかもしてたんだけど、高校二年のときに学校辞めちゃって、高校くらい出なくちゃなって思ってたから我慢して生活してたんだけど、やっぱりダメだった。そんな母親のために将来苦労するのも、グレるのも何かバカらしかったんだけど。ずーっと家を出たくて仕方なかったんだょね。

 普通に見えるし、「いい子」してたんだけど、心の中は黒々してて、人の顔色がすごく気になる。その場を離れると、皆が私の悪口を言うんじゃないかって。いまでも直らない。そういうとこ。

それが怖いから、人と接するとき、三つも四つも鎧(よろい)をつけている。本当の自分を出して人と向き合うのが怖いの。今はそれが「普通の自分」になっちゃって、本当の自分が自分で解んなくなっちゃっている。でも、そう人と接しても、ずーっと私は私なりに人に愛されよう、愛されようってしてきたんだと思うのね。

まあ、普段の私の態度じゃ、周りは信じないだろうけど(笑)。口では強がりな言葉しか出てこないけど、本当は自分から人が離れていくのがすごく怖いのね。
だから、電話ひとつするのにも人一倍緊張しちゃうし、素直に人に甘えられないし、感謝の仕方がわからない。

営業用の「ありがとうございました」は簡単に言えるんだけど、心から嬉しいときの「ありがとう」がどうしても白々しくなっちゃうの。単純に言えば感謝の仕方が解らないのよ。
甘え方から知らないのかな?


 十七歳の頃かな、家を出た時は本当に嬉しかったなぁ。なにが嬉しいって、母親と離れられるってことが。それからずーっと十何年も、そうそう、去年まで家に帰らなかった。母親は弟たちがいればいいんだから、私は家に帰らないほうがいいんだろうっ思ってたからね。

 今の旦那と同棲して、結婚したときも全部自分で済ませて、実家には電話で連絡しただけ。大人になっても母親は嫌いだったから‥‥。子供が生まれたときも、初孫だから、せめて顔くらい見せておこうって家に呼んだのね。でも、うちはすごい田舎だから、母親がいるところから遠くって「二度と来ない」とか言われた(笑)。

 その前、何年かぶりに母親に再会したのは、子供が生まれる前だから…・三年前か。その年に父親が食道ガンで亡くなったから、実家に久々に帰ったのね。その時は何も思わなかったんだけど、その後、母親が子宮ガンで入院するようになっちゃって。

お見舞いに行ったとき青白くてやせ細った顔を見て「かわいそう」って生まれて初めて母親のことを見てそう思ったの。私も意地を張らずに家に呼んで子供を見せたかったのに、そんな調子だったから。なんかねぇ。
 だから、仕事に行くときも、もし何かあっても親には絶対預けない。それだったら託児所に預ける。親よりも、他人の方を選ぶ。悲しいけどね。

◆初体験、男、旦那とのセックス

初体験は十六歳の時、相手は家の近くのスーパーの店員をしてた二歳年上のヤンキーな彼(笑)。最初あっちから声をかけて来て、いつの間にか付き合うようになって二ヶ月くらい経ってからかなぁ。

彼の実家でそういう雰囲気になったの。私は全然そんな気にならなかったから、変な気分だったなぁ。血も全然出なかったし。そのときもセックスってものがいいとは思わなかった。その後二回くらい彼とはしたんだけど、結果は最初と同じ。その後の経験?
私ね、意外に少ないんだ。今の旦那を入れて四人なの。その初めての人と、高校辞めて、住み込みのバイトを転々としてた頃にバイト先のすし屋でレイプされた男と、その間に一人いて、それで旦那。四人。

 そういえばねー。初体験のときもシチュエーションがねー、悪かった。一応、彼の部屋だったけど布団もなかったんだよー(笑)。
 三人目の人は、うーん、覚えてない。どんな人だったけなぁ? 多分十九歳のときで、少しの期間しか付き合っていなかったと思うんだけど。もしかしたら、一回限りだったかもしれない。セックスも普通だったんじゃない? 良くもなく悪くもなくって感じで。だから記憶に残っていないじゃないかなぁ?

 その後、ずーっと男関係がなくって。まぁ、もともとあんまり異性に興味がなかった方だったから。そして、二十、二十一歳のとき、いまの旦那と知り合うんだけど、それまではセックスも、ましてオナニーなんか、全然。

 旦那とのセックスかぁ‥‥うーん、もう忘れちゃったなぁ。だって子供が生まれる前からしていないから、かれこれ三年半ぐらいかねー。その前にも年に二、三回になっていたしね。え? つき合い始めの頃は別だよ! 同棲し始めた当時も、まだ性欲は二人とも人並みにあった(笑)。

若かったから「したい盛り」だったんだろうねー。その当時の旦那は、数が勝負のセックス。三こすり半という言葉の通り、テクニックもないし。でも、好きな人と結ばれる喜びみたいな感覚は最初少しだけはあった気はするなぁ。

ただ体が繋がっているというだけの満足感というか安心感っていう複雑なものだったと思う。イクまでの感覚って味わうことがなかったし。旦那とはセックスもあんまり合うほうじゃないんじゃないかな。

 ああ、旦那と知り合うきっかけね。旦那とは同じ職場だったの。服飾関係の会社にいた時、私が販売で旦那が営業で。
 その当時の私は今よりも二十キロ近く痩せてたのね。今の姿からは想像もできないと思うんだけど(笑)。だから、一応、若いし細いし色が白いし、周りからよく「お人形さんみたい」って言われてて。女としてモテ条件は持ち合わせてたわけ。おまけに生まれつきおとなしそうな顔つきだから、私はまんまんと上司のセクハラに逢っちゃって。
 
そのキッカケっていうのが、私、運転免許証持っていなかったから家が近いっていう理由でその上司に店から家まで送ってもらっていたの。しばらくして、会社の飲み会があったのね。そうしたら、その上司酒癖がメチャメチャ悪い人で。

もう少しで、危なかったのね。それでも懲りずに毎日のように職場でも車の中でも触ってくるようになっていって。送ってもらっているという弱い立場を逆手に取られて、格好の餌状態だったの。でも、送ってもらうってだけでセクハラされ放題じゃたまらないじゃない?それで、今の旦那に「毎日お弁当作ってきてあげるから」ということで相談してね。釣ったの(笑)。

 その当時、旦那も一人暮らししてたから、まんまんとその話に乗って来て。それから二人で帰るようになって、だんだんお互いの家に行き来するようになって、いつのまにか一緒にいるようになっていったの。最初はそんな気全然なかったんだけどねー。

知り合ったのは早かったけど、結婚したのは二十七歳の時だから。結婚? 旦那の親に無理矢理結婚にこぎつけられたって感じ…・。でも、いまは一緒になったのが自然だったかな、って少し思うときはある。私がすることには全然干渉してこないし、家計も私に預けっぱなしだしね。ウチの旦那って家庭の貯金通帳も見たことのない人なの。お陰で今、私は自分の趣味の時間も確保できてると思うのね、

 旦那とエッチすると、確かにお客ほど気は使わないし気は許せるけど、最初はもう、かったるいんだよね、そんなことするのが。五、六年前の、まだ普通にしてたときでも自分が気持ちいいとかなんかよりも、少しでも早く旦那をイカそうって、手と口を駆使してたし。

疲れるだけで面倒くさくって、面倒くって。さっさとイッてくれたほうが嬉しいし、楽だった。「セックスをしないですむんだったら、なお嬉しい」、そんな感じ。自分がイクとかそんなこと考えたこともないし、努力したこともない。ただでさえ面倒くさいのに…。

 今はセックスどころか、恋愛感情も全くないかなあ。このままずーっとセックスレスかもしれないしね。一緒にいてイライラすることが多くなったしさぁ。イクとか以前の問題になって来てる。まぁ、旦那とはもう長いからなぁー。

結婚して九年だけど、知り合ってからはかれこれもう十七年だもん。もう、そうなると「子供のお父さん」ってだけだよね、彼の存在は。

◆女としての人生、私にとってのセックス、そして再び母親について

まあ、確かに考えてみれば不思議だよねー。イッたとのない女でも、ちゃんと妊娠して、出産して、母親になれるんだもねぇ。でも、私の場合イカないことより何より、子供ができた自体が嬉しいだけだけど。生き物としては、イクことよりそのことの方が大事だと思うし、本来、生き物としてあるべき姿だと思うの。
 仕事のときにイクなんて考えるだけ無駄よお! 試そうと思ったこともないし。

 最初にも話したけど、私にとってセックスは「ただ繋がってるだけ」としか思えないんだぁ…。だから、お客さん相手にイッてみようとか、したこともないし。演技、演技してよがったりしているけど、頭の中は「今日の夕ご飯何にしようかなぁ」とかだし。


 仕事でも旦那でもそうだと不満足じゃないかって? んー、だから、私にはセックスって生きていく上であんまり意味を持たないんだよね。多分。それがどんなに好きな男の人であっても、旦那でも、お客さんでも同じなんだと思う‥‥。男の人にとっては排泄行為だから必要だとは思うけどさ。

 今は子供が可愛くて仕方がない。子供がいるからやっていけてるのかもしれない…。どっぷり母親モードでいる、そんな自分に満足しているな。でも、子供がいるから悲しくなる時もあるのよね。何でこの年になってまで風俗で働いてなくっちゃいけなのかなぁって。どうせだったら、もっと若い時からやってバンバン稼いで少しでも貯金したかったわよ。


 営業年齢はもちろんサバよみまくっているけど、どうしても体力的に限界があるし。男の人は若くて新人を選ぶのが普通でしょう。お金払って遊ぶんだから、自分家のカミさんと同じょうな歳の、生活臭がする女と遊ぶのは避けるのが普通。私が男だったらそうしているはず(笑)。

 前はそういう固定観念が強かったから、ピリピリしてたとこあったんだけど、今はちょっと状況が違うかな。
 ちょっと前の話なんだけど、産休で一、二ヶ月休んでたら、店の女の子がいきなり増えてて。

新人優先なんだから、そんなの稼げないに決まっているじゃん。そういう時、余裕で十年在籍している古株の私は指名のお客で食いつなぐしかない。でも、当時の私の指名なんかたかが知れてて、結構長い間休んでいたから、とっくに指名の客なんかどっか行っちゃってたのね。

 しょうがないから、今の店に移ったの。今の店はすんごく楽で。なんでかっていうと、今の店は「マグロ」が大量に泳いでいる店だったの。つまり、働いている女の子が皆、お客について「マグロ」なのね。

若い子ばっかりだから楽して足開いていればお金が稼げるって頭の子しかいないんだよ。だから、私にとっては指名取るのも楽でしかたがない。普通にサービスしてあげるだけでみんな通ってくれるのね。
 だって、マットやってあげるだけで感激されちゃうんだよぉ。普通、ソープっていったらマットが売りじゃない? でも若い子て、きっとみんなやってあげてないだねー。

だから、店入って六ヶ月で早々と「部屋もち」になれちゃった。前の店とヤルことは同じだし、本当は指名も月に三十本以上ないと部屋貰えないんだけどね。

 今の若い子は目先のお金のことばかりで、基本を忘れてるっていうか、知らないんだろうね。お客がそもそも「風俗」っていう場所に何て来るのかってことを把握していないよね。排泄行為のためもあるんだけれど、今の男の人ってそれだけじゃないから、心が疲れているよね。

今の男の人って‥‥。風俗のお店でしか心を癒されない人も中にはいて、私は仕事なのにかわいそうだなって同情するようになっちゃって。もう、仕事っていうよりボランティアに値かいね(笑)。


 今の仕事をしたことはあんまり後悔していないだけど…・思い出すと悲しくなってくることがあるんだ―。友達に「あんたはただヤルだけの女だもんね」って言われたことがあったの。イケないとかそういうことよりも、それのほうがショックだったなぁ。

それって子供が生まれる前の話になるんだけど、私がソープの仕事をしているって知っている。
 この業界じゃない普通の友達にいわれたのね。彼女は冗談のつもりだったみたいだけど、私にはその言葉が今でも痛いくらいはっきり残っている。

確かに言葉通り、そうなんだけどさぁ、冗談でもそんな言い方はないんじゃないかなって。
 
そのことに気づいたこともあるのね。私がセックスを否定的に見ているのって「母親の影響があるのかなぁって。私の母親って、「母」であるよりも「女」を選んだ人だったのね。

私が中学校のときから、いろんな男と駆け落ちしてて。そんな母親だったから、女の子供である私は当然満たされなくて。だから、私は「女」というものを選ばないで、むしろ、ずーっと避けてきたのかもしれない。女、女、しているものに嫌悪感を覚えるっていうか‥‥。

だから、自分が満たされなかったものを子供に対して与えたいと思っているんだろうね。
 でも、なんか、自分が生きてきたこと、生まれてきたことを「不幸」ってものにしたくないのね。子供を産んで育てて、特にそう思うようになった。自分は全然、歓迎されないでこの世の中に生まれ子供だってずっと思ってた。でも、そう思うということが「甘え」てるだけなんだって、この歳になってやっとわかった気がするの。

 もしかして、私自身が自分をイカなくしているのかもしれないね。理性が体を感じなくしているっていうか「女」であることが嫌いとうか…。「女」が汚い生き物だと思っているのかもしれないね。おかしいね。自分は間違いなく「女」なのに、ね。
つづく 23歳で「性の不一致」を原因に離婚
 大橋千津子 27歳/AV女優