妻の変化に夫は敏感だった。彼女が自分のことを責めなくなったのを不審に思うようになったのだ。夫は妻の携帯電話を入浴中にこっそりチェックし、ハンドバックの中身を探り、アドレス帳を見たりするようになった。そしてある日突然、暴力を振るった。自分は浮気しておきながら、妻が浮気すると許せず殴るという、実に不可思議でアンフェアな行動に及んだのだ。

本表紙 信田さよ子著引用
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第二章 夫を救おうとする妻たち

「共依存」のひとたち
勝ち誇った笑み

勝ち誇った笑み
 私たちのカウンセリングセンターには、ロマンチックラブの夢破れ、それでも別れられずにいる人たち、あるいは別れたくない人たちが大勢やって来る。その中には、「共依存」といわれる状態に陥っている人が少なくない。

 アルコール依存症の夫が、ずっと酒を止めずにいる。子どもは中学と小学高学年、学校を変わるわけにもいかず、受験も近い、実家には戻れない。なぜなら親の反対を押し切って結婚したのだから、今さらおめおめと戻るわけにはいかないからだ。

 夫は帰宅後、妻とは一切話をしない。「ああ」「うう」という音声を発するのだが、妻の目を見詰めることもなく、たえずテレビを見るか、新聞を読むか、漫画を読んでいる。
 思い切って髪を切ってみた。それもまったく気づかず、無反応のまま一日中ジャージを着て漫画を読んでいる。子どもの面倒を見るわけでもなく。休日には車を運転して一緒にスーパーに買い物に行くことはあるが、自分が関心あるもの(スニーカー)のところを離れず、生鮮食品などは見向きもしない。

 そうかと思うと、妻のすべてを把握していないと居られない夫もいる。
 結婚して十五年が経ったころ、突然深夜に無言電話がかかるようになった。夫はいたずらだ、ほっておけというのだが、どうも執拗なので、着信履歴を調べてみた。市外局番が夫の郷里の町だった。問い詰めると、一年前の同窓会で会った女性だという。そこから彼女の苦痛が始まった。

 最初は夫の持ち物をすべて調べ上げたり、尾行したり、相手の女性に電話したり、ということを繰り返したしかし彼女は考えた。私が同じようなことをしたらこの人はどうするだろうか、と。でも復讐のために他の男性と付き合うのはあまりに惨めだ、しかし‥‥、などと考えているうちに偶然の機会が訪れた。皮肉にも高校の同窓会だった。同じ方向に帰る男性とお互い身の上話を軽くかわしているうちに、個人的に親しさを増して、ホテルに行くようになった。それは一種の確信犯的行動だった。

 彼女は夫のように無用心なことはしなかったが、妻の変化に夫は敏感だった。彼女が自分のことを責めなくなったのを不審に思うようになったのだ。夫は妻の携帯電話を入浴中にこっそりチェックし、ハンドバックの中身を探り、アドレス帳を見たりするようになった。そしてある日突然、暴力を振るった。自分は浮気しておきながら、妻が浮気すると許せず殴るという、実に不可思議でアンフェアな行動に及んだのだ。

「とうてい口に出せないような汚い言葉で罵ったのです」と、妻は身震いするように言った。しかし彼女は殴られている間中、「ああ、夫はこんなに傷ついているんだわ」とどこか快感を覚えていた。夫がこっそり自分の持ち物をみることを承知で、わざわざ嫉妬をかきたてるようなメモをいれておく。「秘密なものは鍵がかかる別のバッグに入れるんです」とにっこりほほえんだ。

 彼女はときどき愛人と会うのだが、そして予想通り、それがバレて夫から殴られるのだが、そのたびに「夫がこんなに私の事を必要としているんだと思うと、殴られるのも別に悪くないんです」と言う。
 彼女の顔には「私が夫を思い通りにしている」という勝ち誇った笑みを浮かんでいる。殴られながら、奇妙なことに、殴らせているのは自分だという支配感を抱いているのだ。夫は殴りながらその罠にハマっていき、ハマったことに気づくことで、さらに妻を殴る。このような、絶望的支配関係を「共依存」と呼ぶ。

氷の微笑に涙

 このような妻たちが、私たちのところにどんな表情でどんなふうに登場してくるかというと、大きく二つのタイプに分かれるように思う。

 一つは、まるで能面のような表情をしている人たちだ。能の小面のように、真っ白なメイクをして隙のない服装をしている。微笑んでいるのだが、『氷の微笑』という映画の題名のように、それはまるで凍り付いているようだ。口角は持ち上げられているが、目は笑っていない、顔の筋肉が一部しか動かないため、いったい何を感じているのかがよくつかめない。それが美人だったりすると、すごみが出てくる。

 その人たちは決して泣かないというわけではない。しかし泣くときも、見開いた目から涙だけがこぼれ落ちるという泣き方をする。表情としては泣いていないのに、目からひたすら涙だけがこぼれ落ちる、そんな奇妙な泣き方こそが、私にはこの上ない悲しいものに映るのだ。

 Eさんの夫は、毎晩酒を飲み歩き、夜はほとんど家にいない。大きな自営業の家業はほとんど従業員とEさんによって維持されてきた。夫の両親、舅、姑はすでに亡くなっているが、十年以上にわたってその介護も彼女が背負ってきた。入院の手配も彼女がやった。夫の兄弟はときどきやってきて口先では礼を言うが、決して手を貸そうとはせず、陰で彼女の悪口を言った。それらに対して、夫は一切かばってくれたことはない。子ども二人は夫婦の不和を見ながら育ったのだが、さいわい成績もよく、進学、就職をして家を出た。彼女はもう子どもに跡を継いでもらおうとは考えてもいない。

 そんな彼女が思い切ってカウンセリングにやってきたのは、夫の一言がきっかけだった。
 八十九歳で亡くなった姑の葬儀が終わり、もうこれで介護も終わりだ、二人を看取った。という思いでいっぱいだった。夫も長男としての勤めを親類縁者の前でつつがなくこなしたかのように見えた、それも実は、妻である彼女が、夫のほころびが見えないように細心の注意を払った結果だったのだが。

 葬式の後始末も終わり、久しぶりに夫婦で食卓を囲んだ。夫はいつものように日本酒を冷のままコップであおったのた。
「お袋も死んだし、親父も死んだ。もうこれでおまえも楽になっただろう。次はおれの面倒を見てくれる番だな!」

 その声は朗らかだった。晴れ晴れとした一点の曇りもない表情でそう言われた時、彼女の中で何かが音を立てて崩れるのが分かった。
「もう何も言い返す事も出来ませんでした。言葉にならないのです」
 能面のような顔を私にまっすぐ向けながら、ひたすらその頬を涙が伝わっていた。

いかにしあわせかを語る妻たち

 もう一つのタイプは、自分は決して不幸ではない。そんなはずは絶対ないと声高に主張する女性たちだ。「夫はいい人です。やさしくて、文句ない人です」などと繰り返す。

 私は「しあわせです」と言っている人達を不幸のどん底に落とすことを喜ぶ趣味はない。だからこのような女性たちに会えば、かつての私はいつも素朴に信じていた。「そうなんだ、幸せな女性ってこういう人たちをいうのだ」と。

 ところが、カウンセラーという仕事を通じて何人もの女性たちと会っているうちに、単純には信じられないということが分かってきた。この人達の言う「しあわせ」というものがいかに脆弱(ぜいじゃく)であるか、それはまるでガラスの城のようだ。
「ママはどうしてそんなに我慢するの」
「ママのような人生だけは送りたくないわ」
Fさんは、摂食障害の娘からいつもこう言われてきたという。
 そのたびに彼女は、「ううん、そうじゃないの。ママはしあわせなんだから、これで」と応答してきた。だって、夫は大企業に勤めていて仕事熱心だし、順調に昇進している。もちろん生活費もきちんと渡してくれるし、ギャンブルに走ることもない。友人や実家の母に愚痴をこぼせば、「ぜいたくだ」と言われてきたではないか。「これを幸せと言わずにして何を言うのか」「私は幸せ」と、心の中でいつも反芻(はんすう)してきた。

 しかし、娘の摂食障害に悩む女性に、夫はほとんど協力してくれなかった。海外に単身赴任中に赴任先で愛人をつくり、子どもの事はすべて任せたとばかりに実母の葬式以外は帰国せず、彼女や子どもはその国に呼び寄せることもしなかった。三年もの間である。

 そのようなことを語りながら、「でも私は決して不幸などと思っていません」と主張する。「不幸」と思った途端に、ガラスの城に亀裂が入ってしまうことを恐れているかのようだった。
 彼女たちの主張は、実は自分自身に対する説得でもある。
 カウンセリングの一時間中、ずっと「私がなぜしあわせか」と語り続けるひともいる。「ではなぜお金を払ってまでカウンセリングにやってきたの?」と、聞いてしまうこともある。するとその女性はこう言った。

「ここに辿り着くまでに、ずいぶん大変でした。そりゃもう、大変でしたよ。でもね、今は私は幸せなんです、そのことを聞いて欲しくて‥‥」
 夫と別れず、そして老後をその夫と暮らつづけるために、彼女なりに一所懸命につくった「幸せ物語」、その完成を私という他者に聞いてもらうこと、そしてそれを「そうですね」と承認されることを求めてここまでやって来たのだろうか。

 どのような葛藤やためらいがあったのはわからない。でも彼女たちに「離婚」という二文字がちらつかなかったはずはないだろう。そして包み隠さず相談できる人もいないような閉塞的状況のもとで、心の中で何度もシミュレーションを繰り返したに違いない。もし離婚したら、もし仕事が見つからなかったら、と。そしてどう考えても、やっぱりこのままやっていくしかない、という結論に至ったのだろう。そうであれば、どうせ一緒にやっていくのなら、しあわせだと考えるしかない。これまでの人生をもう一度ひっくり返して「しあわせ物語」につくりなおしてみよう。たとえそれがガラスの城を築くことであったとしても、その中で生きていこう、ということなのだろう。

 私はそのような女性に何人も会ってきた。自分たちが作り上げた物語の中でこれからも生きようとする人に、私が何を言えるだろう。そうやって自分を納得させてここまで必死に生きてきたのだ。私はそのことに対して、「よくわかりました」とはっきり言う。そして「何かあったら、また来てくださいね」と付け加える。

「不幸」と思える潔さ

 自分が我慢しているとか、不幸だとか、夫に抑圧されているなどとは考えもしない。そんなに惨めな自分であることの自覚もない。「そんなものよ」「結婚なんて忍耐じゃない?」「どこに自分の思いどおりになる人がいるの」と自分を納得させ、我慢しない同性を「わがままよ、いずれバチがあたるんじゃないの」と言って非難することでまた自分を納得させる。

 これらはまぎれもなく、二十一世紀の現在、女性たちが日々交わしている会話の中で語られ続けている言葉だ。「語り継ぐ戦後」という言葉があるが、「語り継ぐ処世術」「語り継ぐ恨み」とでも言おうか。その人達は、惨め、不幸といった言葉を自分の辞書から抹消している。そうして、自分と同じ匂いのする女性たちとつるみ、不幸同盟と私が勝手に名づけた集団を形成する。
 しかしそんな世界が、何かの拍子に壊れることがある。そんな人たちにも会ってきた。
 壊れるきっかけは、子どもに問題が生じた(摂食障害、引きこもり…)、夫がアルコール依存だ、夫の秘密(浮気、秘密の預金、夫が自分を受取人にして妻に生命保険をかけていた…)が露呈したなど、いろいろだ。

 そんな崩壊の混乱を経て、彼女たちは果たして、「やっぱり私は我慢していたんです」「夫に反論しなければ、平和は保てたんですが」「認めないようにしていたんですが、どこかに変だという感覚はあったんです」と言うだろうか。
 ここで大きく二つのグループに分かれていくように思う。
 一つは、自らの辞書に「不幸」という文字を入れるグループ。それにはたいそうな勇気が必要だ。なぜならその言葉は単なる二文字に終わるのではなく、日常の風景、色やにおいなどもガラリと変えてしまうからだ。

 たとえば人間ドックに入って、がんが発見されたとしよう。その告知を受けて帰る道すがら見る風景がどう映るだろうか。桜が満開だったとしても、その一つの目にはそれは美しいとは感じられないだろう。それと同じように衝撃が「不幸」という二文字にはある。

 しかし、勇気をもってそうする人たちも勿論いる。そして彼女たちのそのような転換をいつも私は感嘆とともに聞く。まるで世界がひっくり返るようなことだろに、潔く転換する人たちなのだ。それはきっとその転換で失うもの(「しあわせな妻」という幻想)より、新たに獲得するもののほうが大きいということに気づいての決意だろう。

 その潔さの源は、苦しみと波乱に満ちた、それまでの結婚生活を(我慢していたにしろ)引き受ける覚悟ではないだろうか。その覚悟は、不幸である自分を引き受ける覚悟に通じるものがある。

「オバサンパワー」共依存

 もう一つは、自分のつらさを「夫や子どもをなんとかしなければ」というエネルギーに転換するグループだ。

 時として彼女たちの生活の中には、アルコール依存の夫、引きこもりの息子、摂食障害の娘が見え隠れする。それでも打ちひしがれている様子はない。もちろん、「私があきらめれば家族が壊れてしまう」「私が何とかしなければ」という責任感もあるのだろうが、それだけでは、あのエネルギーのすごさは説明がつかない。

 そうした女のエネルギーはしばしば、「オバサンパワー」と呼ばれたり、「女は強い」などと表現されてきた。そこには心からの感嘆というよりも、彼女たちを揶揄(やゆ)するようなニュアンスがある。太った体にセンスのよくない服をまとい、大きな声で話す人たち。それはおそらく、思春期の風情からは想像もできない女性の姿だろう。

 そのオバサンパワーにはその後、「共依存」という名前がつけられた。この言葉はアメリカで生まれたが、主としてアディクション(嗜癖と訳されている。簡単に言うと「ハマる」こと)の世界からだった。不幸のどん底にあえいでいるはずの妻が、当の不幸の根源である夫から離れようとしないで、むしろその人の世話を焼きつづけること、決して離婚して新しい人生を歩もうとしないことは、アメリカでは「病気」とされた。

 共依存にはいくつかの説明がなされているが、たとえば「他者によって自己を定義づける」人たちのことだ。簡単に言えば、「夫が‥‥」「家の娘がね‥‥」「隣の奥さんがね‥‥」という言い方でしか話が出来ず、「私が‥‥」とは言わない人たちだ。共依存の人たちは、他人の名を借りて目の前の人を思いどおりにし、支配していくのである。

 これは男の世界でもある。リストラのために人員整理をするときに、だれが「私が」「ぼくが」と言って仲間の首を切るだろうか。会社、企業という組織の中でだれが「私の意見」などと言うだろうか。目の前の人を圧倒する力をもつ理論や名前を盾にして、その背後の安全地帯から首を半分出しただけで意見を述べる。夫の名前を借り、それを盾にして母親集団の中を泳ぎまわり、二言目には「夫が」「主人が」と言って、世間の付き合いをやり過ごしていくのと、それは同じものだ。

 にもかかわらず、女性の「共依存」だけが問題にされているのはなぜか。それは女性だけにしかない仕掛けがあるからだ。その仕掛けの中心的な役割を果たすのが「母性」という、この上もなく美しく、この上もなく価値あるとされている言葉である。

すべてをねじ伏せる「母性」

「夫がね…」と、夫を盾や隠れ蓑(みの)のようにして生きることは、それほど非難されることでもない。なぜならそれは、すでに述べたように、当の夫、男たちも同様にしていきているからだ。しかし、「子どもがね‥‥」という隠れ蓑、盾は男はあまりつかない。これこそ女の独壇場である。これを理由に使って、世間を納得させることができるのは、圧倒的に女性の方だ。相手が納得していなくても、納得しているふりをせざるを得ないような圧力を与えることができる。「母」とか「母性」という「言葉」あるいは「制度」には、すべてをねじ伏せるようなパワーがあるからた。

 男たちのドラマに出て来るのが「お袋―!」と言って涙ぐむ光景だ。特攻隊として飛び立つ前に海に向かって「お母さ―ん」と呼んだという話は何度も読んだ。それらは公然と語られてきたが、そんな母親像の裏には、母親のことを「あの女を決して許さない」と考えている男もおそらく同数いるのではないかと思う。

 男たちの回帰する場所としてそんな母親像が機能しているのなら、同じ「母性」を出産と同時に身につけた女性に対して、ひれ伏すまでにはいかないが、一目置くぐらいのパワーを男たちが認めることは不思議な事ではない。

 私自身も何度も経験していることだが、主婦たちと約束をすると、十人いたらそのうち三人は必ず欠席する。その理由は、「子どもたちが熱を出した」「子どもの幼稚園の行事で」などなどだ。これをどうとらえるか。「そうか、子どもには母親しかいないから仕方がない」と考えるか、「だから主婦はダメなんだ」と考えるか、はたまた「子どもの面倒を見る人が見つからなければ、父親ではなく母親が自分の予定を犠牲にしなければならないのが世の常だから」と考えるのか。

 私自身は子どもがまだ小さいとき、それこそ薄氷を踏む思いで約束していたことを思い出す。核家族だった私には、代替え保育者など存在せず、どうか約束の時間に子どもが熱を出したりしないように、とただただ祈るばかりだった。

 自立などという言葉が完全に無意味化する状況は、子どもが生まれて初めて経験する事だった。自分で決めて自分で行動する、それを自立的状況と呼ぶならば、代替えの保育機能を備えていない母親である女性は、子どもの体調、子どもの事故によって自立的状況から完全に排除される。

 私はそのことを先取りして、子どもたちが幼い頃は、保育園に預ける時間外の研究会。研修会、学会などはすべて欠席することにしていた。それは子どものためでもあった。つまり私以外に、ご飯を作ったり、お風呂に入れたり、熱があるときに医者に連れていったり、薬を飲ませたりする人が存在しないのなら。他の事は犠牲にするしかないと自ら「選択」したのだ。

 当時の私がその事についてどう考えていたのかは記憶にない。とにかく時間に追いまくられていたからだ。そしてもちろんのことだが、子供との関係は苦痛だったわけではなく、それなりに十分楽しかった。仕事を休んで、熱の出た子どもを車で小児科に連れていき、診察の帰りはなぜか必ずコンビニでおでんを買った。発泡スチロールの容器を開けるとプーンといいにおいが漂い。熱々の柔らかい大根を子どもたち三人で食べた記憶は、今でも笑顔とともに思い出される。楽しいことがなければやつてられない。

 しかし今になって振り返ってみれば、私の中に、深く深くそれこそヘドロのように溜まっているものがあることに気づかされる。格好よくいえば「ルサンチマン」だ。そんな言葉は知らない! という人に簡単に説明すれば、「恨み」である。

 私は当時、同業の男たちが深夜まで仕事をしたり、研究会に出たり、そのあと飲みに行ったり、学会で一泊二泊してついでに観光をしたりすることを横から見ていた。そしていつの間にか「恨み」を募らせ、溜め込んでいたのだ。男たちと書いたが、正確には子供を産んでいない同業者である女性に僅かだが同じ思いを抱いたと思う。

 その同じ時間、私は自宅で日々膨大に生産される洗濯物をたたんだり、子どもの誕生日にちらし鮨を作って子どもの友達を呼んだりしていたのである。私は、両方の現実を知ったうえで、「私にとっては、仕事も育児も大切だ。やれるときにやっておかないとできなくなることがある」とひたすら自分に言い聞かせていた。それどころか、それらは必ずや将来、自分の栄養になると思い込もうとしていた。

 しかし五十代半ばを過ぎようとしている今日、振り返ってみれば、決してそのときの恨みが解消されたわけではないことに気づく。同年代の男たちに向かって、ときどき心の中でこう啖呵(たんか)を切っている。

「あんたたちはね、三十代、四十代と働き盛りのころ何をしていた! 私なんか、ひたすら昼間仕事をして、夜は家事と子どもの世話で、子どもが寝てから本なんか読んでいたんだからね! 育児や家事を女に任せてそれで『ぼくは仕事ができるんだ』なんてとんでもない! 女に『主夫』を与えて、育児や家事から解放させてみて。男の数倍、仕事ができるって」

 もちろん、こんなことは口が裂けても実際には言ったりしない。それは渡世の仁義というものだし、この世の中で男に恨まれたら不利になるからだ。
 それに、こんなルサンチマンを口に出したりすることは「私の美学」が許さない。「はいはい、けっこうすんなり生きてまいりました。偶然に恵まれて、ここまでやって参りました…」
 とへらへらして、オヤジたちにゴマをすっていれば、なんとか男社会の末端に位置を占める事も出来ようというものだ。

 ハンディを武器にして生きたくはない、これが私のちっぽけな美学である。「育児のために仕事をセーブしてきましたのよ、ホホホ」なんて言いたくもない。それは、男性が介護の経験を本にまでして出版することのしこりのような抵抗感と共通している。私にしてみれば、意地でも「勝手にやったんだ」という姿勢をとりつづけたいのだ。なんと言われようとそれは譲れない。

 このように書いてしまったことは、生まれて初めて「私の美学」の掟を破ってカムアウトしたことになる。それは共依存における「母性」という制度のもつ「力」について述べたかったからだ。「母性」という制度は、世間ばかりか女性自身さえもねじ伏せるパワーがあるということだ。

母性と支配と共依存

 私にとって育児とは、妊娠から始まる長い時間のことだ。そしてもちろん今でも子どもたちとの関係は続いているのだから、簡単に総括なんかできっこない。ちょっと自慢ぽっくやってみよと思えば、保育所探しに始まり、仕事を諦めずに、なおかつ子どもを育て行こうというガッツと悲壮感にあふれた体験談として語ることはできる。でも、それは子どもたちがそれなりに成長してくれたからこそできるのだと思う。過去の経験は現在の状態いかんによって、いかようにも物語としてつくり上げることができるんだからだ。

 その最中はたぶん、今をなんとかくぐりぬけることだけを心がけていたと思う。幸か不幸か思ったように仕事がなく、結果的に育児と家事にそれなりに時間を割くことができた。毛糸のセーターを何枚も編んだり、マドレーヌを焼いたり、梅干しを漬けたりと、今からは想像もできないほどの豊かな(?)生活だった。でも残念ながら、正直に言えばあまりパッピーではなかった。出合った事態をとりあえず経験してみること、それはきっと意味を持つようになる。いや意味を持たせるようにするんだ、という信念めいたものだけが自分を支えていたように思う。

 そうは言っても、育児を通して得るものはいくつもあった。中でも一番大きかったのは、「母親」という役割だけでひとくくりにされる体験をしたことだ。それは実に不思議な体験だった。年齢、学歴、その他の属性を超えて「母親である」ということだけを共有する世界には、これまで見たことのない光景が広がっていた。

「お母さんでしょ」と言われ、小児科医からしたり顔でお説教されること、年上の女性から母としての先輩風を吹かされること、母親集団には独特の力関係が働いており、ちょっと間抜けな母をやっていれば必ずうまく付き合っていけること、子どものことだけを話題にしていればなんとかその集団から外れないでいられること‥‥などだ。
その人達とは、母親になることしか決して友達になることはなかっただろう。

 そういう時間をすぎていくうちに、「お母さん」という言葉を持つ魔力に身を任せてしまおうとか、と思う事もあった。美空ひばりの歌のように「川の流れに身をまかせ」られば平穏な日常を過ごしていけるだろう、という甘い誘いとも思えた。

 仕事をして子育てをするということは、実に中途半端である。専業主婦からは「自分で育てない」と批判され、男性からは子育て最中だと仕事面では一人前扱いされない。その居心地の悪さは、迷いのない「お母さん」の世界に「入りま―す!」と言っちゃおうかなという誘惑を生んだ。読者の方は「できっこなかったでしょ」と思われるかもしれないが、当時の私は正直、そんな状態だったのだ。

 ひとくくりにする根拠はおそらく「お母さんであること」、今で言えば「ママであること」が一つの地位となるからだろう。それは母性によって裏付けられる。正面切って母性と呼ぶことは恥ずかしいという時代になった気もするが、もっと屈折して母性が強調されるようになった気もする。その母性は、ある地位をこの世で占めることができるほどの力をもっている。おそらく私が誘惑されたのは、そのような地位になだれ込むことで得られる力によってだろう。「母親として」「母親だから」という言葉で形容される世界に参入することで、手に入れることのできる力というものがあるのだ。

 多くの男性の上司、会社の使命を背景として(笠に着て)ものを言う。「うちの会社」「ぼくの会社」という表現でものを言えることは、なんという疑いようのない一体感だろう。

 それに対して、子どもを産んでしまって、仕事も自由裁量のきく時間を失った女性たちが笠を着ることができるのは、「子どもが」という言葉だ。どんな強権を振るう男性にも「お母さんはいたでしょ」と言えばシュンとしてしまうように。
 強者を背景に力を誇示するなどという方法は、女性たちにとってあまりに単純すぎる。いやそんな畏(おそ)れ多い方法は女性には許されていないと言った方がいいだろう。だから、小さな命を育むという、反論不能な母性をまとうことでステータス(地位)を得るのだ。不安定な、育児と仕事の板挟みの渦中にあって、私もその地位に幻惑されてしまったということだろう。

 母性、母性愛が制度であるといっても、しっくりこないひとのほうが多いだろう。どう説明したらいいのだろうと悩みながら駅のホームで特急電車が来るのを待っていた。二十分もある。講演の帰りだから夜も更けていた。そのとき聞くともなく耳に入って来た会話がある。背中合わせになったベンチに座った六十代後半らしい女性二人の会話だ。

「ほんとうにすばらしいことですわ。何よりのことですよ」
 いやに丁寧な言葉遣いの女性だ。それとなく振り向いてみれば、帽子をかぶり、いかにもその地方では名誉職を兼務していそうな雰囲気だ。
「あのような方をお産みになって、世の中に送り出されたことだけで、もう十分、世の中に貢献されていらっしゃるんじゃありませんか」
「そんなふうに言われるほどの事じゃ‥‥」
「とんでもありません、どれだけ愛情を注がれたか、どれくらい賢い育児をされたかがあの人を見ればすぐわかります。同じ母親として心から尊敬しておりますの」
「ありがとうございます。そこまで言って頂けるとは」
 もうっ一方の女性は息子が何賞かを受賞して、その授賞式かパーティーかの帰りだろうことは容易に想像できた。そうだ、母性を説明するのに最適な例ではないだろうかと思った。

 なるほど、こうやって女性たちは世の中に貢献し、そのことでねぎらわれ、地位を高めるのだ。それを制度と表現することに何の不思議でもない。
 その後、帽子の女性も三人の息子を「育て上げた」母親であることを延々と語り、特急を待つ時間は実に豊かなものになった。

 私が日々カウンセラーとして出会う多くの母親たちは、実はその制度から滑り落ちてしまった人なのだ。なぜなら子どもたちが「社会に貢献」するどころか、さまざまな問題を抱えてしまっているからだ。
 カウンセリングに足を運ぶ母親の必死さは、単に子どもの為だけではない。それは母性という制度から排除されまいとする、自己の存在証明を賭けた必死さなのである。

 ここまで読まれておわかりのように、共依存はさまざまに説明可能だ。私がこれまでよく用いたのが、「愛情という名の支配」「不幸でいながら離れられない関係」という定義である。また、カウンセリングにやってきたある女性が、「私は共依存を『自分の欲望を他者の欲望とすり替えること』と呼んでるんです」と言った。これはみごとなヒットである。じつにすぐれた分かりやすい定義ではないだろうか。

 男性たちは先の述べたように、自分より権威ある他者の欲望とすりかえることで自らの欲望を満たし、それをみずからの欲望と感じることすらなく生きていく。会社と自分の幸福な一体感というやつだ。主語を失った、つまり「私は」と表現できない中年男性はごまんといる。「相手が‥‥だから」と表現することしかできなくなっている人たちだ。

 妻から三行半(みくだりはん)を突き付けられた夫が、不思議なことに「ぼくは別れたくないんだ」とは言えず、「妻がそう言うなら仕方がない」「妻がそう言うから」と語るのを何度も聞いてきた。この人に離婚について自分の意志というものはないのだろうか、と疑問に思ったものだ。飛躍するようだが、企業との長年の共依存関係の中で、自分の欲望すらみえなくなった末路と言うべきだろう。みずからを支配する存在に、すすんで自分を捧げて生きてきた男性は多い。

 一方、女性は、権威や力をもつ他者ではなく、子どもという他者(保護者によって守られなければ生きていけない弱者である)の欲望とすり替えることで、共依存関係をつくっていく。それは男性とは対照的であり、母性という制度を盾にとって、「あなたのために」と言いながら自分の欲望にすり替えていくのである。

 子どもはあたかも母親の欲望実現の代理人でしかなくなるのだが、それは母性という制度に守られて美化され、称賛されるのみである。子どもにとって、このすり替えては、自分の欲望が母親によって掠(かす)め取られることである。ところが子どもはすり替えられているような感覚を感じられない。

「ねえ、アイスクリームを食べたくない?」という言葉は「私はアイスクリームが食べたい」ということを表している。「あなたはあの学校に行きたいとは言ったんでしょ」ということは「母親としてあの学校に入ってほしかった」ことを表している。すり替えられた子ども母の欲望を汲み取って、「アイスクリームを食べたい」「そう、ぼくがあの学校を志望したんだ」と言うだろう。そう言わないと母が傷つくと思うからだ。そのときの母の目に宿っている強制力を読み取るからだ。

 こうして子どもは、自分の欲望と母の欲望の区別がつかなくなり、しだいに自分の欲望すらみえなくなる。先の中年男性が自分の意思が見えなくなるのと似ているが、大きく異なるのは、子どもの場合は進んでそうしたわけではないという事だ。つまり逃げることの出来ない母子関係の中で、自分の欲望がすり替えられ、掠め取られていくのだ。

 このような巧妙な支配は、殴られる支配よりも抗(あらが)いがたく、そして実に美しい「母性」という言葉によってすでに正当化されている。子どもにとっては勝ち目がない戦いなのである。
 共依存という言葉は「母性」によって担保された地位が子どもへの支配を生み出しているということを明らかにした素晴らしい言葉である。

支配と思わずに支配する

 ここでさらに別の説明をしてみよう。
 相手の行動に困ったときに、その行動を止めさせようとして一所懸命に世話を焼き、その結果、相手をどんどん支配していく状態が「共依存」だ。この場合、支配と依存は裏腹で、支配を思わずに支配するのが共依存なのだ。

 たとえば、子どもが引きこもってしまい、「困った」局面に立たされた親は、どうするかというと、まず関連する本を読みあさる。いろいろな心の病について書かれている中から自分の子どもに当てはまりそうなものを見つけ、子どもに病名をつける。「だからうちの子は、ああいうことをするんだ」「これは病気のせいだ」と、親たちは子どもを病気にして納得するのだ。

 さらに、病気であれば、親の責任はなくなるという利点がある。「あの子が昼間寝ているのは『うつ』だから」と結論付ければ、うつの責任は親にはないから、責任を免れることができる。子どもの為ではなくい、親自身の為なのだ。そのとき、「治療」という言葉が巧妙に利用される。

 夫に病名を付けたがる妻もいる。夫に病名をつける事で、自分は正常の位置に上ることができる。「夫がヘンなんです」「異常なのは夫です」と言う妻は、正論、正常という武器を手にしている。このようにして傷つけられた自分が権力を握り、夫を支配するのだ。

 テレビやラジオの人生相談を見聞きしていると、世の中にはそういう人たちが沢山いるということが分かる。相談する人が開口一番に言うのが、「実は子どもが‥・」「主人が浮気して‥‥」「姑のことですが‥‥」である。「実は私が‥‥」とはほとんど言わない。やっぱり人生相談は自分の人生相談じゃない、他人の人生相談なのだ。

 カウンセリングを受けに来る人達も、同様だ。まず最初は、夫や子ども、つまり自分以外の人を救おうとして相談にやってくる。よくよく話を聞いていくと、それは夫や子どもの問題なのではなく、本人の問題であることが見えてくるのだ。

 私たちは、他人の人生を救おうとするのは、美しいことではない。あなたがそうやって心配してあげる事はかえって害になっていることもあるんです、と言う。これは時間をかけて伝えるしかない、なぜならその人達は自分のやっていることは「正しいこと」「いいこと」であり、相手の為になっているに違いないと思っているのだからだ。それが支配に通じるということを具体的に日常生活に密着した言葉で伝えていくことは、私の仕事の大きな柱の一つである。
 支配と思わず支配するのであれば、それを支配だとはっきり定義するところからしか変化は生まれないだろう。

被害者を自認する難しさ

DVの被害者はこうしてあらわれる
 自分の問題として引き受けるためには、時には自分が被害者であることを認めなければならない。実は、これが難しいのだ。
 DVの被害を受けている妻は、「暴力を振るわない夫にしたいんです」と言う。自分が被害に遭っていて、その地獄からどうすれば逃れられるのか、という聞き方をしない。

 顔を見れば、大きな痣(あざ)があるから。明らかに殴られたことによるものだ。それについて触れると、「でも、痣がだいぶ下に降りてきました。昨日までは目の下が真っ青だったんです」と言う。しかし、それを見る私が耐えられない。「大変でしたね」と話を向ける、その大変さに触れずに、
「先生、どうやったら彼が暴力を振るわない人になるんでしょうか」
「それはね。難しいかもしれません」
「でも、先生は専門家でしょう」
「でもね、ここにも来ない人に対して、暴力を振るわないようにするってできないんです」
「私のどこが悪いんでしょうか」
「殴る人が悪いんじゃないの?」
「先生、夫を責めないでください。だって彼は、二十四時間殴っているわけじゃないんです」
 当たり前だ。二十四時間殴りつづけることは物理的にも体力的にも無理だろう。
「楽しいときもあるんです。新婚時代はやさしかったし、前の夫に戻すことはできないんでしょうか」
 夫から殴られているのに、「暴力を振るわれた」と被害を訴える人ばかりではない。
 その女性たちは、カウンセリングでどのようなことを語るのだろう。それには大きく分けて五つのタイプがある。

 一つ目は、「子どもに問題があるんです」というタイプ。その問題は、ひきこもりだったり、摂食障害だったりする。ところが、何度か面談していろいろと聞いていくと、実は夫からひどく殴られているということがわかってくる。子どもは小さい頃から、母親が殴られてぼろ雑巾のようになっているのを毎日みてきているが、それについては親子で話したことがない。子どもはおそらく見て見ぬふりをしてきたのだろう。そんな子どもが時として、思春期になってから過食・嘔吐を繰り返すようになる。

二つ目は、先の例で挙げたように、「夫を救いたいんです」と言って来る人たち。
この女性たちに共通する特徴は、いろいろな医学書や心理学の本を読みあさり、マーカーで線を引いたり付箋(ふせん)をつけたりすることだ。中には、夫の生育歴を書いた分厚い調書を持参してくる人もいる。その調書を開きながら、「聞いてください、夫はこういう人なんです」と、講義のように話すのだ。そして最後には、みずから判断をくだす。
「こういうのってボーダーラインじゃないでしょうか」
「夫はアダルト・チルドレンですよね」
 簡単に説明しておくと、ボーダーラインは、正しくはボーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダーで、「境界性人格障害」と訳されている。病気(精神分裂症。二〇〇二年に統合失調症へと病名を変更)と神経症の境界線上にあたるため、この名がつけられた。アダルト・チルドレン、略してACは、現在の生きづらさが親との関係に起因していると自ら認めた人のこと。もとはアルコール依存症の親の元で育った人のことをいった。いずれも、一般的によく使われている言葉とは違う。その種の本をかなり読み込んでいることがわかる。
「どうしてそういう風に思うんですか」と聞いてみると、「実は夫は‥‥」と、次から次へとイモズル式に夫から受けてきた被害が語られる。

 殴ったり、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたり、浮気をしたりと、あらゆる方法で妻を苦しめている。彼女はそのような生活を何年も続けながら、「夫はなぜこんなことをするのだろう」と謎解きをしてきた。その成果が膨大な読書量だったり、夫の生育歴の調書だったりするのだ。
 夫はどうしてあんな理不尽でヘンなことをするのだろう。それは夫が病気だからに違いない。専門家から病気というお墨付きをもらえば、自分が病院に連れて行って治療をしてもらおう。そうやって夫を救ってやろう。なぜなら私はまともで正しいからだ。
 だから彼女は自分を被害者だとは言わない。「夫を救いたい」を繰り返す。

 三つ目は、「私が悪いんじゃないでしょう」と言って現れるタイプ。最初の面接の前に主訴(何に困っているのか)を書いてもらうのだが、それを見ると、「対人関係が下手」「自分の性格を直したい」など、自分にまつわることが書かれている。ところが、よくよく話を聞いてみれば、夫にひどく殴られていたり、レイプ同様のセックスを強要されていたりする。しかし、彼女はそのことに困って訪れたとは言わず、
「夫がそんなことをするのは私のせいではないでしょうか。私のどこが悪いのでしょうか」
 と私の目を見て訴える。あらゆるつらくて不幸な出来事の発生に、すべて自分がかかわっているのだという思考の回路が、そのひとには深く染み付いているのだ。その回路以外を知らずにそれまでの人生を生きてきたのだ。

 というようなことをいくら説明しても、何十年にもわたる考え方のクセはすぐには変わらない。だから何を話しても、その質問に戻ってしまうのだ。

 四つ目は、「夫の暴力をやめさせる方法を伝授してください」と言って来るタイプ。
ハウツーがほしいということだ。そんなものはない。逃げることくらいしかない。

 五つ目は、いかにも「私は被害者」という顔をしてくるが、目的は夫への復讐だ。自分が家を出れば、夫は打ちのめされるのではないかと考えている。だからカウンセラーが、「それなら家を出た方がいいですね」と言えば、嬉々として家を出る。夫を苦しめるためである。
 しかし、往々にしてあることなのだが、一週間くらい経つとむずむずしてきて、私たちカウンセラーには内緒で夫の様子を見に行く。見に行った彼女は愕然とする。夫は落ち込んでいるどころか、彼女がいなくても平気で暮らしている。口笛など吹いて機嫌はすこぶるいい。

 近所の主婦仲間に、「だれにもいわないでほしいのだけど、私、家を出たんです。夫の様子は最近どうですか?」と尋ねてみる。ひどい場合には、「あなた、知っている? 女ができたらしいわよ」なんていう答えが返ってくる。完璧に叩きのめされた彼女はどうするか。驚いたことに、「家に戻ります」と言うのだ。自分を散々ひどい目にあわせた夫に、「家を出て悪ございました」と詫びを入れ、愛人と争う妻の座に戻るのである。

救済者になろうとする被害者たち

 一部のDV被害者は、時としてどんなに痛めつけられてももいや、だからこそ更なる高みに立って「救済する」という立場をとり、そのことで夫を支配しようとする。その高みは「母」だったり、「治療者」「救済者」の立場だったりする。

 自分がひどく傷ついていると認めることができない。なぜなら、あまりにひどく傷ついているとき、その事実を直視することは不可能なのだ。そんな女に残された最終的武器は何だろう。それは、私は正しいまともであり、夫の方が間違っていてヘンなんだという意味をこめた「正常」という言葉である。「正常な自分がヘンな夫を救う」というポジションにすがるのだ。

交通事故や薬害の被害者であれば、傷ついた怒りを社会的な運動のエネルギーに変えていくことが出来るが、夫からの被害の場合は、どこに怒りを向けたらいいのだろうか。夫に向ければ逆切れされるかもしれない、浮気されるかもしれない。離婚されるかもしれない。妻という座が危うくなる。
 そこで彼女たちは、救済者となる。救済するということは相手を下に見るという支配的行為でもある。こうして怒りや恨みを支配のエネルギーに変えていくのではないだろうか。
 
 そう考えると、彼女たちの行動の意味が見えてくる。殴られれば殴られるほど、それに耐えて助けようとする自分の価値を上がっていくことになる。しかしこれは暴力を抑止するには逆効果で、殴っても殴ってもゾンビのように蘇ってくる妻に、夫がいっそう脅威を感じて、暴力がひどくなる場合もある。

 殴られた殴られるままにしないで、「殴り返してやる」とか、「私はあなたに殴られるような女じゃない」くらいの事は、一度は口にすべきだ。当事者でなければ、誰でもそう考えるだろう。しかし、現実にはそれさえも難しい。恐怖と驚きの中でそんなことを言えるだろうか。その後に数倍の暴力が返ってくることもあり、それがわかっていれば、歯向かうことなどできない。

 中には、「それは暴力だ!」と糾弾し、きっぱりと別れる女性もいるが、そういうことのできる人は、そもそも相談に来ない。
 夫の暴力に悩みながらどこに訴えていいかわからず、あきらめるしかないと思っている多くの女性は、救済者になって夫の人生をからめとっていくという支配の中にハマっていく。
「殴りたければ殴りなさい。可哀想な人よね、あなたは」
 そう言いながらからめとる支配。それが「共依存」なのだ。それは逃げ場のない最も弱者である人たちに残された最終的武器としての支配でもある。

弱者ほどひとを救おうとする

 共依存は、関係を操作する支配といえる。
 家族の中で関係操作が最も上手いのは妻だ。「お父さんがご飯を食べているから、静かにしましょうね」と子どもを諭したり、「あの子も反省しているのだから、怒らないで」と夫を諭したりする。家庭における妻の役割は、ほとんどが関係操作だ。いつの間にかプロの関係操作術を身につける事になる。

 殴る夫やアルコール依存症の夫を救おうとする共依存の妻たちは、直接的な抑圧によって夫を支配するわけではない。夫が窮地に陥ると、そのときにさっと登場して夫を救う。そのためには夫が窮地に陥ることが必要なのだ。そして夫にとって妻はなくてはならない存在になる。それを、美しい夫婦愛ではなく、共依存的支配と呼ぶのだ。

 実際、DVの夫に話しを聞くと、次のようなことを言う人が少なくない。
「妻はずるい、正面から立ち向かおうとすると、スルスルと言葉巧みに逃げる。それでいつの間にか、自分の周囲には、妻の思う通りの環境がつくられている」
 それが我慢できなくなった時に、男は殴るというのだ。

 問題は我慢できなくなる事ではない。殴ることが問題なのだ。この点を押さえておかないと、時として暴力の正当化につながるだろう。
 ここで誤解のように強調しておきたい。「だから被害者も悪い」ということではない。「だから女はずるい」「殴られる女の方にも非がある」と言われかねないが、そのような強者の論理がまかり通ることを私は最も警戒している。
 社会的に弱者であり、経済的にも弱者である人が、関係操作によって生きているというのは、一つのスキルであって、私たちが否定できるものではないと思う。それを前提に話しを進めたい。

 弱者が強者を救うとき、「人=ヒューマン」という言葉に「イズム」をつけて、「ヒューマニズム」という、絶大な味方が背後に現れる。「あんなひどいことをされても、ご主人を救ってあげようとするなんて、あなたという人はなんて優しいの」「それこそヒューマニズムだ」「夫婦愛だ」と評価され、ポジションがスルスルスルと上がっていく。

 関係操作しかできずその方法で生き延びてきた女性たちは、ヒューマニズムとか愛とか献身といった、万人が共感するような原理を盾にしなければ、男(夫)よりも上位に立つことはできないのだ。

 男でも、不登校を経験し、大検に合格してやっとの思いで大学を卒業したような人は、時として福祉を仕事に選ぶことがある。尊い仕事ではあるが、対人援助の仕事に就こうとする人達は、ある種の弱者性をもっており、ヒューマニズムという大義名分を盾にしないといきられない人なのかもしれない。それはカウンセラーを生業にしている私にも言えることだ。

親兄弟の登場が解決を遅らせる

 私たちがまずDVの被害者に進めるのは、家を出るということだ。離婚ということではない。最低でも一週間、できれば一か月の間、とにかく家を出る。そうしなければ殴られ続けられるからだ。
 ところが彼女たちの多くは、「それはできない」という。
「夫は落ち込んでいます。私の痣をみるたびに、すごく落ち込む。そんな夫を置いて、家を出ることなどできません。まるで私が、夫を見捨てるみたいじゃないですか」

 そんな夫は見捨ていいと思うのだが、そんなことを言っても始まらないから、根気よく説得を試みることになる。
「でも、これは過去に何例もあるんですが、殴られてすぐというのはショックやら動揺があって、自分ではきちんと考えているつもりでも、実はそうではなかったりするんです。ですから、一週間でも十日でもいいから、夫といっさい連絡を取らないで離れてみませんか」

 それはだめで、彼女たちは首を縦に振ろうしない。そこに出て来るのが親兄弟だ。
「親にも相談しました。そしたら、『○○さんはいいひとよ。あなたにも落ち度があったんじゃないの』と言われました。そうかもしれません。彼が中日ファンなのを知っていて、巨人の話をした私が悪かったんです。私がおとなになって、彼のいうことに頷いていればよかったのに、『それは違うんじゃないか』といちいち反論したりするから彼が怒ったんでしょう」
 不思議なことに、親兄弟が一斉に夫の援護に回る。自分の娘が殴られているのに、「お前が我慢しろ」と言うのだ。孤立した妻は、殴られたのは、自分が夫を傷つけたからだと思い始める。それからは、自分の何が悪かったのかと、原因を自分の中に探し出そうとするのだ。その原因は、第三者からすれば、取るに足りない事やバカバカしい話であったりするのだが、本人はそれが殴られた原因だと思い込んでいる。

 娘から「夫から殴られた」と聞かされて。「それはひどい。すぐに離婚したほうがいい」という父親はほとんどいない。もしかしたら、本人も妻を、つまり彼女の母親を殴ってきたのではないかと疑いたくなるほど、多くの父親は娘の味方はしない。

 そして殴られてきた母親も、「それくらい我慢しなくてどうする」と娘を説得する。その多くは世間体からだろう。娘が婚家から逃げ帰って来たなどということを世間に知られたくないのだ。世間というものは、わずか二十人くらいの知人と、その背後に広がる「日本中のひとたち」という幻想から構成されている。

 仮に家を出たとしても、親類縁者が寄ってたかって夫の元に帰らせようとする。そしてやがて、カウンセリングにもぱったりとこなくなる。こうしている間にも、彼女たちは殴られつづけているのかと思うと、なんともやり切れない気持ちになる。

 DVにおいて、知人、親類縁者、つまり血縁を頼ってはいけないというのは、こういう理由からだ。また、近年増加しているDV加害者による残虐な殺人事件で妻の実家や知人がターゲットになっているのは、血縁や知人を頼るしかないという現実を加害者が逆用した結果だろう。

どんな男が殴るのか

被害者意識なし、加害者意識なし
 夫が妻を殴ることは暴力と称するようになったのは、DVという言葉が誕生してからだ。それまでは、「勝てない暴力」という言葉ではあったが、これは子どもから親への暴力に使われていたものだ。DVが「家庭内暴力」と訳されているのを見ることがあるが、それはおかしい。「配偶者間暴力」もおかしい。「夫から妻への暴力」が正しい(親しい関係の男から女への暴力は、近年デートDVと呼ばれる)。

 女から男への暴力も起きており、同性愛者における暴力も激しいものがあるが、あえて男性から女性への暴力に絞ったのは、生命危機に至るのは、九十%以上がこの暴力によるものだからである。
被害者が、最初は自分のことを被害者だとは思わないのがDVの特徴だが、では加害者の方はどうなのだろう。実はこれも加害者だと思っていない、それどころか、「女を殴る男は男らしくない」などと言ってはばからない輩もいるくらいで、「暴力」とも思っていない節がある。「おれは被害者だ」と言いながら殴る夫も少なくない。

「女は言葉で暴力を振るうではないか」という巧妙な言い逃れもある。言葉で傷つけられたから暴力を振るったのだということなのだろうか。「殴られた方に非がある」という言い方もある。もちろん、暴力はある種の関係の中で起こるものだから、殴られる方が全く受動的だったと言えない。しかし、いずれも、暴力に正当化する理由にはならない。言葉は言葉もって対抗すればいい。それができないのは言語能力がないということだろう。

どんな原因があろうと、暴力を振るわないひとはたくさんいる。原因に目を奪われることで、暴力そのものがもつ重大な加害者性が見えなくなる。ひととひとの関係性において、殴る以外の方法を持たない人間が少なくないという事が、DVに潜んだ最も大きな問題だと思う。

尾崎紅葉の『金色夜叉』という小説では、「金に目がくらんだかッ」といって男が女を高下駄で蹴る。熱海にはこの銅像があるが、これもDVだ。女が悪者になっているが、これも暴力を振るう側に加害者意識がない典型的なパターンだろう。男はしょっちゅう金に目がくらんでいるのに、女が同じことをしたといって暴力を振るっているのだから。

殴る夫の外の顔
 DVには大きく二通りがあって、日常的に、「おい。メシ!」と言う代わりに殴るというように、習慣化されている場合もあるし、ぎりぎりまで我慢していて「なんでわかってくれないんだ」とある日突然爆発し、それから止まらなくなるという場合もある。

 いずれにしても、DVは一回きりということはなく、多くは習慣化する。だから、家族内暴力をアディクション(嗜癖「しへき」)と共通した部分があると捉えることがある。
しかし、大前提としてDVが「犯罪」であることは間違いない。薬物依存者を覚醒罪常用の犯罪者として捉える一方で、依存症者(嗜癖者)として捉えることがある。

 ここで注意して置きたいのは、アディクションは「病気」ではなく「ビョーキ」であるという点だ。必ずしも精神科に行かなくてもいい、よくないクセの一つなのだ。「病気」とすれば、彼らを免罪してしまうという理由から、DVをアディクションの一つとすることに私は反対する立場である。
 では、DV加害者はどん男だろうか。

 DVというと、酒を飲んでというイメージがあるかもしれないが、そういう例は一般に考えられているほど多くはない。酒を飲んで殴る場合は、アルコール依存症という「病気」であると考えられる。現に、酒や薬物を止めると殴らなくなる男もいる。問題は、しらふで殴る男たちだ。困ったことに、DVの多くは、しらふの男によるものだ。

 彼らは外では柔和な人物として通っていたり、エリートだったりする。そして意外にも、というべきか、著名人にも多い。作家、芸能人、学者など、マスコミに名を売っている人、名前を聞けば誰もが知っていて、「え、あの人が?」という人も妻を殴っている。たとえば、こういう例がある。

 夫も妻も学者だ。妻の方は、暴力を振るうような男だとは知らなかったという。暴力が始まったのは、結婚してから数カ月後だった、この夫は社会的な地位もあり、世間的にも紳士であるとみられている。だが、家庭では恒常的に妻を殴る、まぎれもないDVの加害者だ。外の顔を見て知り合った妻は、いまだに、夫がなぜ暴力を振るうのか信じられず、何か理由があるのではないか探しているうちに、ずるずると離婚しないままで長い時間を過ごしてしまった。

 理由探しをしながらずるずると結婚生活を続けているというのは、DVではよくあるケースだ。 

殴る男は変われるか

 殴る男は変わるのか、殴らなくなるということはあるのだろうか‥‥。
 とても残念なことに、現実は難しいものがある。
 アメリカではDV加害者への矯正(きょうせい)教育が行われている。その効果を調べた報告によれば、加害者の七割は法律にのっとって強制的に受診させられている男たちで、自ら進んでやって来るのは三割に過ぎない。つまり、多くのDV加害者が、「刑務所にいるよりまし」程度の認識で、いやいや加害者治療を受けているのだ。

 ここで「治療」という言葉を使うことに、私はとても抵抗を覚えていることを付け加えたい、先に述べたように「ビョーキ」なのだから治療は必要ないと思うからだ。犯罪者として逮捕する国では「更生プログラム」と呼んでいる。

 日本では加害者へのアプローチが、保護命令以外は政策として皆無である。妻や恋人が自分の暴力によって逃げていっても、また同じような女性を探し、暴力は繰り返されることが多い。
 しかし、変わると思わなければ、妻たちも私たちもやっていられない。だから希望を捨てずに努力することになる。
 アルコール依存症でも、酒を飲むこと自体は、「男はみんな飲んでいるんじゃないか」
と思っている。会社を休んだり、暴力を振るったりするなど、困ったことが起こるから治療が必要になるのだ。それと同じで、殴ること自体に何の問題意識もない男に、「殴るな」と言ってもダメだ。妻の側に、「夫に殴られているあなたは暴力の被害者であり、あなたは殴られる必要はないのだ」と説得し、時には教育していくのと同時に、夫に対しても、殴るという事は暴力であり、妻に対する暴力も犯罪であり卑劣な行為であることを叩き込み、教育することから始めなければならない。

 DVの被害者のほうはそれでも、暴力を受ける恐怖があるし、ケガもする。逃げたくても経済力はない。追い詰められているから、わかってもらいやすい。けれども加害者の方は。経済力もあり、力もある。妻を殴る事などなんぼの物かかと思っているとすれば、その考えを変えるのは容易じゃない。

殴っては土下座の繰り返し

 繰り返し殴られても離婚まで踏み切れない背景には、暴力を繰り返す男の巧妙な仕掛けがある。典型的な例を一つ紹介しよう。
 酒を飲むと愛人との女性を殴る。それでも関係を続けているうちに、彼女が妊娠した。するとこの男はどうしたか。お腹を蹴って流産させ、他の女性と付き合い始めた。そこまでされて、やっと彼女は私たちの所へ相談にきたのだ。

「ほんとに彼と別れたいんです」と言い、何度かカウンセリングに通ってってきたが、あるとき男から電話がかかってきた。その男は泣きながら、彼女に訴えたというのだ。
「もしもし。ぼくだけど、わかる? ごめんね。ぼくさ―、寂しいんだよ」
 この電話で心がぐらついたらしく、とうとうその次のカウンセリングで、こんなことを言ったのだ。
「私、動揺しているんです。私が彼を捨てたことで、彼を苦しめているんじゃないかと思って。実は彼、下で待っているんです」

 担当のカウンセラーは啞然としたが、力ずくで止めるわけにもいかない。
「そういうことは、私は反対します。でも、そういうふうにお考えになっているなら、私は止めることはできません。でも、また何かあったときは必ずきてくださいね」

 と言って送り出した。果たして彼女は、それ以来、カウンセリングに来ていない。どのような生活を送っているのだろうか。
 この男の態度は、DVの加害者の典型と言える。殴っては泣きを入れ、また殴っては泣きを入れるのだ。またよくあるのが、土下座と坊主だ。

 その夫は。DV被害者が駆け込むシェルター(緊急一時保護施設)にいた妻を誘い出した。妻が会ってみれば、夫の頭は坊主だ。銀座四丁目のど真ん中で、その坊主頭が土下座をする。そうまでして反省しているのかと驚き、それで決心が鈍って家に帰れば、また殴られる。殴っては土下座が繰り返されるのだ。

 DVに限らず。土下座と坊主は男の常套手段だ。女は、すでに人生が土下座だったりするから、あらためて土下座はしない。ではなぜ男の世界で土下座が通用するのかといえば、男は大なり小なり自分が偉いと思っている。「こんなに偉い男が女に土下座までしているのだ」というメッセージなのだろう。

 ところで、DVの加害者が土下座をして謝るということについては、今、いろいろな考え方がアメリカや日本で出てきている。これまでは、暴力を振るったことを後悔し、妻とやり直したいから土下座をするのではないかと考えられてきたが、実はそうでないのではないかと推測されるようになったのだ。

 DVの加害者は、土下座しながら妻の目を見ている。「許すもんか」という目から、「この人にここまでさせてかわいそう」という目に変化する様子を仔細に観察している。土下座は、妻を自分のものに取り戻す戦術なのだ。

 どん理由であれ、妻に戻って来てほしいというのは彼らの本心だろう。とにかく戻ってほしい、そのためには何でもやる。妻への執着なのか、所有欲なのか、支配欲なのか、それとも愛情と呼ばれるものなのか、そのあたりは非常に微妙だ。はっきりしているのは、土下座して謝っても、女性が自分のもとに戻れば、しばらくしたのちに殴るというケースがほとんどであるということだ。

 頭を丸めるという方法も、DVの加害者に限らず、男性たちがお詫びをするときの常套手段だ。髪は女の命とまでに言われているが、実は、男にとってこそ髪は命なのだろう。かつら会社があれだけもうかるのも、髪の毛がなくなる。つまりハゲることへの恐怖の集積があるからだ。何かというと髪を切ったり丸めたりするのも、そこまでの覚悟を示すための見えやすい手段だからだ。 

 いずれにしても、DVの加害者は、自分の体を伏してとか、あるいは自分の大事なものを自ら取り去るなどして悔悛(かいしゅん)の情を見せようとする。でも、妻に対して、「殴ったお詫びに、このおれを殴ったり蹴ったりしてくれ」とは決して言わないものだ。

 そこから見えてくるものは、被害者に対する加害者の甘えである。殴る夫は、殴った妻に依存しているのだ。自分より劣位の性である女を必要とし、自分に惹きつけることしか、自分のパワーを確認できない男なのだろう。
 また時として彼らは、自分たちこそ被害者だと思っている。妻はあそこまで自分を追い詰めて、ことばで支配する。それが正しいことを疑いもしない無神経さ。だから自分は妻を殴る以外ないのだと。

 夫が自らを被害者であると思うことと対のようになって、自分こそ殴られていながら夫をコントロールしているのだという女性の側の幻想がからむ。そして、泣きながら土下座をする加害者を前に、また殴られるかもしれないという疑念はあっても、「このひとは、こんなにしてまでして私を必要としてくれているのだ」「私がこんなにこの人を苦しめているんだ」というどこか甘い感慨にひたり、再びもとの生活に戻ってしまうのだ。

 アメリカのブッシュ大統領の、9.11以降の演説を聞いていて、DVの加害者の論理そののだと感じた。「こっちは被害者だ」と言っては殴り、殴った後は少しも悪びれずに加害者意識を持たないではないか。最後に「神の加護を」などと付け加えたりもする。

「家事もまともにやらず、子どもにもろくなものを食わせていない。あいつは母親としてけしからん。子どもを救うために殴ったんだ。これでもあいつも自分の非に気づくだろう」
 子ども救済を旗印に妻を殴る男も少なくない、イラク侵攻についてのブッシュ大統領の演説をすべて日本語に訳してみたら、DV加害者の論理がみえてくるかもしれない。

お気づきだろうか。女ばかりでなく男たちも救済者になろうとする人は少なくないが、女と違っている点は、直接的な暴力を正当化したり隠蔽するために、救済者の衣を着るというところだ。

「家族の問題」はアンタッチャブル?

二〇〇一年十月、DV防止法(正式名称は「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」)が施行された。
しかし、DV防止法は、加害者の被害者への接近禁止を謳(うた)ってはいるものの、それは以外の制限や処罰ができない。だからザル法といわれるが、私から見ればザルにもなっていない。ネットに大きな穴が開いていて、そこをボールが通っていくというイメージだ。

 DV防止法が施行されてから、DVがらみの事件が表面化するようになった。DVから逃れるために家を出た妻を夫が追いかけていって、妻の実家に暮らす姪を殺したり、妻の実家に火を点けたり、あるいは妻子を保護しているときに見知らぬ女子高生を拉致して殺すという事件も起こっている。二〇〇三年には、テレビのチャンネル争いから妻に暴力を振るい、妻が近く住む娘宅へ逃げると猟銃を持って立てこもり、警察官に重傷を負わせるという事件も起こっている。また、妻が援助機関に相談して逃げた(おそらくシェルターに入ったんだろう)ケースでは、妻の友人に居場所を教えろと何度も迫った。友人である女性が「知らない」と言ったところ、その男は包丁を三本、その女性の背中に突き刺して殺してしまった。

 妻の最も苦しむことをして、見せしめにしているのだろうか。それとも単に自分への関心を喚起させるためなのか。
 DV加害者の正体見たり、である。自分のことを雄々しいと思っている男性たちが、このような卑怯きわまりない同性をなぜ批判しないのだろうか。DV加害者の行動については謎が多いのだが、これについてもまた謎だ。

 法律が施行されて、妻や子どもが逃げられるようになったことは、一定の前進だと認めなければならないが、加害者を拘束するなどの加害者へのアプローチがいっさいできないことが、これらの事件の背後にあるだろう。そして、こんな事件が続けば多くの女性は、仕返しが怖くて逃げることさえできなくなるのではないだろうか。

 各地の女性センターやシェルターで働いているひとに聞くと、年々、DVの相談件数は増えてきているという。シェルターに逃げてくる人も増えてきている。夫の暴力は耐えるべきものでなく犯罪なのだ、ということを明文化したのが、DV防止法の一番の功績だろう。

 当たり前じゃないかと思う人がいるかも知れないが、実はこれは画期的なことなのだ。これまで長い間、家族内の暴力は「当たり前」と考えられてきた。「父権」とか「男らしさ」などという言葉で包まれて、「父親や夫というものは殴るものだ」と思ってきた人たちがすくなかっただろう。いゃ、殴るという言葉さえなかった。「手を上げる」としか表現されなかった。巧妙だなあ、と感心するばかりだ。それが法律が出来たことで、「犯罪である」ということが明確に示された。

 また、法律が出来たことによって微々たるものであっても予算はついているわけで、公的機関に逃げ込めば、被害者を保護するようにはなっている。しかし、そこから先に踏み込むのはかなり難しいだろう。

 アメリカではDVを振るう男は犯罪者として扱われ、刑務所に入れられるか、もしくは強制的に教育を受けさせられる。この日本で果たしてそこまでできるのだろうか。
 加害者へのアプローチが出来ないのは、子ども虐待についても同様だ。DVも虐待も家族の問題であるのはいうまでもない。ところが家族は安らぎの場としての役割を社会からは期待されている、そのような場を汚したくないという意図を感じてしまう。「家族」の中に加害者を作りたくないのだろう。

 ケガをすれば病院で治療をしてくれる。これは当然のことだ。だから夫や親に殴られてケガをすれば保護し、時には治療する。それだけだ。現在のDV防止法程度では、家の階段から落ちて骨折しても、夫や父親に殴られて骨折しても、同じ扱いをしていると言ってもいい。被害者を助けても、加害者対策は不在なのだ。

 北朝鮮の拉致問題の盛り上がりをきっかけに、日本では「家族幻想」は強まる一方だ。「家族の絆」や「家族愛」という言葉が、より強大なパワーを持つようになっている。その中で「家族内暴力」は、今後もずっとアンタッチャブルでありつづけるのだろうか。何人の死者、犠牲者が出れば、国は動くのだろう。

 いったい、どのくらいの男が女や子供を殴っているのだろうか。家庭裁判所や少年院の職員への調査によると、父親からの身体的虐待を受けている非行少年は、かなりの数にのぼるということがわかってきている。犯罪を起こす子どもたちの多くが、徐々に明らかになり、その影響が表面に出始めている段階であるというのが、
今の日本の現状だろう。

女性嫌悪、ホモ嫌い、DV

 私は、男が殴る一つに「女性嫌悪」(ミソジニー)があるのではないかと考えている。
 哲学者内田樹さんの本『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川書店)に、実に興味深い女性嫌悪についての記述があった。私流に解釈すれば、こうなる。

 アメリカは歴史的に激しい女性嫌悪の国である。そもそも移民してきた人間は圧倒的に男性が多く、結果的に一人の女性ゲットするために、男同士が戦わなくてはならなかった。その恨みが変形して、さまざまなハリウッド映画の西部劇の女性の描き方に結実している。女なんてろくなものじゃない、男同士の友情が一番大事なんだと。これがアメリカの女性嫌悪の底流にある。そのことと、アメリカのDV問題は切り離すことはできない。

 な―るほど、である。そして内田さんは、アメリカという特殊な国のことをそのまま日本のスタンダードにしてはいけない、とも述べる。そう、まったく同感だ。
 でも私は時として、DVを振るう男性の言葉に女性嫌悪としかいいようのないものを感じることがある。彼らは、唾棄(だき)するように女を貶める。「このごくつぶし!」「人間じゃない」「ウジ虫以下」「女のクズ」「俺の人生をよくダメにしてくれた」などなど‥‥。
 これが嫌悪でなくて、何なのだろう。

 またあまり表面に出てこないが、セックスの問題も大きいだろう。ED(勃起不全)などという言葉が登場し、それは病気として医療が関与する事態を、私はなんともグロテスクで哀れな事態と思っている。たとえばそのこととDVと関係があるのかもしれない。性的に女性を満足させられないということが、男性にもたらす深刻なアイデンティティーの危機は、私たち女には全く想像できない、いや、それがわかっているからこそ、優しく嘘をついてあげて、その脆いアイデンティティーを支えてあげているのかもしれないのだが。

 つまり、劣位の性である女に支えられて初めて男であることを確認する。そのことの危うさをどことなく感じているからこそ、彼らはちょっとした言葉に脅威や危機感を感じて殴るのかもしれない。あーあ、でも殴るのだけはやめてほしい。あなたたちの脆さはわかっているけど、あんなに殴らなくてもいいだろう。こう思ってしまうのは私だけだろうか。

 「介護」をめぐる男女差を見ても、似たようなことを感じる。男が介護をするときは崇高なるほどこしとして称えられ、美談として伝わるが、女の場合はやって当たり前。いわゆる、世間で語られる「嫁と姑の争い」もそうだ。女は劣位で愚かだという意図された女性嫌悪を感じられずにはいられない。

 女性嫌悪と同性愛嫌悪(ホモフォビア)は一体をなしているという説もある。たしかに、頷けることは多い。男に「ホモ嫌い」は多い。カウンセリングの現場でも、「ホモになるんじゃないか」「ホモに襲われるんじゃないか」という恐怖に取り憑かれている男性に出会ったことがある。女は同性愛者をそこまで嫌悪しない。

 こんなこともあった。随分前の話になるが、私より二十歳以上も若い医学生と話をしていた時のことだ。話題がホモセクシャルに及び、「ホモセクシャルの人たち」と言いかけただけで、それまでにこやかだった彼の顔色が変わり「あんなやつらは、ごみ焼却場へ捨ててしまえばいいんだ」と、吐き捨てるように言った。そこまで嫌悪するのかと、非常に驚いた。

 男は女を性的欲望の対象としても、自分が性的欲望の対象になることに嫌悪と恐れを感じるのだろうか。女なんて、路上でも電車の中でも性的対象とされることの日常的恐怖の中で生きてきているのに。
 男だけが肩を組んだり、抱き合って泣いたりするのは女性嫌悪のためではないかという説もある。

 テレビの国会中継などで、男性代議士たちの様子を見て気づくことがある。なんて身体的接触が多いのだろう。たとえば腕を組む、ひそひそと耳打ちをして内緒話をする、肩を叩くなど、まるで女子高生のようだ。おまけに「純ちゃん」だなんて呼んだりする。あれは「敵ではないですよ」ということを表明する行為だそうだが、あんなに男同士で身体接触する世界は、ほかにはないように思う。

「女なんて」「ホモなんか」などと言って排除することによって「連帯」し、成り立っているのが男社会なのだろうか。
 この歳になって気づいたことがある。女は人類とは思われているが、人間とは思われていないんだなあと言うことだ。永田町の密談の中には女は一人も入っていないし、地球の将来を左右するような重要な局面に女は参加していない。「人間は考える葦(あし)である」(パスカル)というときの「人間」に女は含まれていないということだ。

 そのときの「人間」を別名「ホモソーシャル」と呼ぶということを女性学を通して学んだ。それは男という階級のことを指すのだ。男性の人数が多い集団に入ったときなど、重要な話になると、私という人間がその集団において「いない人」のような扱いを受けることがある。また地方で講演した後、クラブやパブと呼ばれる場所に接待されたこともある。私と同じ性である女性たちの肩に手をまわしながら酔っ払う男たちは、私をどう見ているのだろうか。心底、居心地の悪い思いをしながら、私は「人間」にカウントされていない、そして女としてもカウントされていないのかもしれない、と思った。

 まだまだある。医者たちの集まりに参加すると、もっと露骨だ。同性の医者には無条件で「先生」とつけるのに、私には「あなた」と言う。ポリシーとして全員を「あなた」と呼ぶなら、まだわかる。明らかに、女であり医者ではない私だからこそ「あなた」と呼ぶのだ。呼称は最も、そのひとの上下関係観や立ち位置を表すと思う。一度、そのような男性に対して「あなた」と呼んでやろうかと思う。そして「先生」とは決して呼ばずに、「さん」をつけてみようかとも。

「先生」と呼ばれたくてこのように書いたのではない。私が女性であることとで自動的に「あなた」と呼ばれ、ホモソーシャルから排除されていることを実感し、その差別に対して怒りを感じてしまうからである。
 こんなことを書いていると、暗い気持ちなってくる。それでも私が、この世の中でなんとか生き延びているのは、「こんな男ばかりではない。この世の中のどこかには、もっとまともな男が必ずいるはずだ」と思う事で救われているからだ。それに、本当に数は少ないが、周囲にまともな男性がいないわけはない。

 その人達は、男に生まれたことを呪っている。男に生まれて何がいいことがあるのかと心底つらそうだ。生まれ変わるなら、まだそれでも女の方が良いと思っているひとたちだ。誤解しないでほしい。彼らはネクタイを締め。ホモソーシャルの中で一定のステータスを持っている人たちである。私は男との関係で口惜しい思いをするたびに、真の男の代表はこの人達なのだと考えることで、なんとか自分を納得させている。

つづく 第三章「女」が沈むとき「母」が出る
女の支配、男の支配
妻たちの「完璧な支配」