セックスレス原因

 心と快楽と身体のすれ違い「セックスレス」を、ど うやって埋めていくのか。たかがセックス、されど セックス、といつも思う。そして、寿命が延び、い つまでも女、いつまでも男と願っても叶えられない 現実を打開し、今まで女として成熟しきれていない 自分を成熟するため

男と女…セックスをめぐる五つ心理。   阿部定事件」に見る女の嫉妬 商品につい

「別れる理由10」

この二人は結婚するだろうな」と思っていた長い付き合いのカップルが、思いがけず別れてしまったことを聞いてびっくり
ということはありませんか?
長年連れ添ったカップルでも、様々な理由から破局してしまうことがあります。それでは、長く付き合っているのに別れてしまう原因としては何が考えられるのでしょうか。具体的に見てみることにしましょう。

 1、忙しすぎて会えなくなって久しい

まずは、忙しすぎて会うことができなくなっていたというものです。会うことができなければケンカもなかなかできませんし、別れ話も面と向かってはできないもの。だからこそ、ずるずると、長く関係が続いていたのかもしれませんね。

また、なかなか会えないからこそ新鮮な気持ちでカップルを続けることができていたのかもしれません。そんな関係は、どちらかが関係をすっきりさせたい、いつも一緒にいることのできる人と付き合いたい、と思った段階で終わりを迎えてしまうもの。

長く続いていた理由も、別れる理由も、会えなくなってしまったからということがあるのかもしれませんね

2、金銭問題

どんなに好きでも、金銭的な感覚が合わなければ結婚にはためらいを感じてしまうでしょう。また、金銭的な問題を抱えた人とは付き合っていられないというのは、当たり前のことかもしれません。

金銭的な感覚が合わないままに付き合って、でも、結婚をすることは考えられないので別れるということが一つ、破局の原因として考えられます。
もう一つの金銭問題としては、ある日突然、相手が借金などの金銭的な問題を抱えていることが発覚した、もしくはいきなり借金を抱えてしまった、というものでしょう。
こうして相手に金銭的な問題があることが分かった瞬間は、長く付き合っているカップルの終わりの瞬間でもあるのかもしれませんね。

3、結婚観のずれ

結婚観のずれ、というのも一つの大きな原因となりうるでしょう。付き合った当初は、結婚観のすり合わせを行わない場合もあります。特に、学生時代に付き合い始めたカップルは、最初は結婚を意識していませんよね。

ですが、ある程度の年齢になると、やはり、結婚を考え始めるもの。そんなときに結婚観が合わなければ困ってしまいますよね。子どもを作りたいのか、作りたくないのか。
そもそも、結婚する気はあるのか、独身主義でいるのか。こういった結婚観のずれを解消することができずに、別れを選ぶカップルは少なくありません

4、お互いの両親と性格が合わない

長く続いているからこそ、浮かび上がってくる問題がこちらです。長く付き合っていると、相手の家族に紹介されたり、自分の家族を紹介したりといったことが起こるでしょう。そんなときに、お互いの両親と性格が合わないことが分かったら、結婚することはできませんよね。

親が反対しているから、もしくは、お互いの両親を義理の親にすることが嫌で結婚することができない。これは、特に結婚を意識している人間であれば、別れを選ぶ大きな理由となります。

5、避妊が面倒になった。もうピルを飲むのに疲れた

避妊の一つの方法として、ピルを飲む、というものがあります。ピルはホルモンに直接働きかけることのできる薬で、女性にとって飲むには勇気が要る薬ですよね。副作用なども怖いものです。

性行為後すばやく膣腔内温水洗浄する避妊方法

最初はまだ子どもも欲しくないと飲んでいても、それが続くと、心の中で限界になってしまうかも。結婚して子どもを作るのか、作りたくないのなら男性側が避妊をしっかりしてほしい。こんなストレスのかかる悩みが限界を越えると、別れを選ぶという決断に繋がりますね。

6、お互いが空気と化して、何も思わなくなった、兄弟と化した。

長く一緒にいると、マンネリ化が訪れます。一緒にいることが当たり前のようになってしまうのです。そこにいて当たり前の存在は、空気のように意識されなくなってしまうもの。

相手のどんな行動も自分の気持ちを動かすことができず、何にも、ときめくことができないというのは辛いですよね。そこまで冷めてはいなくても、まるで兄弟のように思えてくるという人もいます。

付き合っている以上は、一緒にいることによって生まれる新鮮な感情を味わいたいもの。それがなくなってしまっては、付き合っている意味がないと思ってしまう人が多いようですよ。

7、他の恋愛をしてみたくなった

一人の人間とずっと一緒にいると、ふと「他の人とではどんなお付き合いができるのだろう」と興味がわきますよね。まして、一人としか付き合ったことがないのなら、特に興味は湧き出てくるでしょう。
他の人だったらどんな恋愛ができるのか、自分はどんな気持ちになれるのか、ということに興味が湧き出ると、いつまでも同じ人と付き合ってはいられないという気分になります。これが長く付き合ったカップルが別れる原因の一つとなってしまうのですね。

8、セックスレスも一つの原因です。

特に、夜の生活の不一致は結婚後も大きな問題となりうるもの。たかがセックスレス、と思いがちですが、一度陥ってしまうとなかなか元のようには戻ることができません。

中高年層のセックスレス改善法の実例

こういった夜の生活での不一致、不満は、長く付き合っていてもなかなか話し合って解決することができずに、別れを選んでしまうのです。
まだ「諦あきらめるのは」はやい、ソフトーブル性用具を用いることで解決できるかもしれません一度試してください、避妊・避妊方法としても優れていて、心地よさも得られ、今からの性生活には欠かせない避妊用具です。

9、いつの間にか夫婦のどちらかが出世し、立場に大きな差ができてしまった

お互いの立場も重要です。どちらかが出世していると、やはり、同い年くらいのカップルでは劣等感や優越感が生まれてしまうもの。こうした社会での立場の違いを意識していると、精神的に疲れてしまいますよね。
恋人といる時間は楽しいものでありたいのに、劣等感や優越感が消えてくれないまま、溝を埋めることができずに破局してしまうカップルもいるようです。

10、浮気癖が直らないなど

嫌なことを直してくれないことに、心から疲れて長く付き合うほど、相手の嫌なところも全て分かっているでしょう。直してほしい、と、ずっと言っているのに直してくれないことに疲れてしまうカップルは少なくありません。

浮気癖や借金などは、言って直らないからと言ってみ過ごすわけにはいきません。相手の嫌なところばかりを見ていることに疲れて、別れて心機一転しようと思う人が別れを切りだすようです。
いかがでしたか?長く付き合ったカップルでも別れの原因は様々。長く付き合う中ではやはり、相手のことを大切に思いやり、きちんと話し合うことが大切です。

恋愛・結婚は博打のようなもので、一寸先は闇だし、互いに無防備な分、傷つきやすい。

恋人時代は会うたびにセックスし、それも二、三回とセックスしていた女。その心は、男の性欲を受け入れなければ浮気するんじゃないか、恋人関係が壊れるんじゃないかと危惧し半ば義務的に応じていたのか!?

 その後、結婚した女が、妊娠した、あるいは子供が生まれ途端に性欲が減退するという女が少なからずいる。反対に幼な子がいても実母らに子供を預け不倫の悦楽に走る妻も少なからずいる。女の性は自分勝手であり多くの男たちは理解できない。

このような前述性癖の妻が旦那とのセックスへの拒否対応のしかたに類似点がいくつかある。疲れている、体調不良などと訴え、旦那とのセックス先送りを図りしだいに嫌悪感を抱くようになる妻。或いはまたは、不倫相手との逢瀬に満足し旦那とのセックスにつまらない、感じないが、感じる振りの演技も我慢の限界に達し嫌悪感という形で表れる妻もいる。

性欲が減退した前述の妻であっても子供の手が離れると頃に孤独感に襲われるようになり、性欲が復活し、セックスがしたくしたくて堪らなくなる妻もいる。いままでプライドを傷つけた夫へ縋るが、ところが性の制約を強いられ失望した夫は仕事への情熱、子供への教育・子供愛に没頭することで忘れようと努めていた。

突如として妻からセックスは求められれば家庭平和を守るために仕方なしに応ずる程度、社交辞令ていどで、妻を満足させるには遠く及ばないだろう。

新婚時代のようにセックスに没頭し快楽を夫婦で分かちあうという情愛はすでに消え失せているのだ。一時の感情で「セックス拒否」「男のプラド」傷つけたことで夫婦仲は極端に悪化する場合もあることを念頭に置いて口から吐くと元に戻せないことを知ることだ。

恋人時代の延長が結婚と思っていた。現実はまったく違った。やさしい求愛のアプローチの願いは頑なに届かないことで、イライラが募りつい酒の勢いを借りて強行突破を試みると、妻に突き飛ばされあなたの排泄処理器じゃないなどと悪態を言い放され、男のプライドを踏みにじられたと。

あれはショックでしたね。拒絶するにしても仕方があるんじゃないか、と思った。その件は僕にとってはかなり尾を引きましたという人もいる

このセックス拒否パターンがセックスレスの多くの原因。そして、夫婦離婚の一般的なものではないかな!
男のセックス拒否によって、多くの妻たちもセックスレスに悩み自分の人生はこのままで終わってもいいのだろうかと悩むようになる。

昔の人は「四十女とお寺の鐘は、突けば突くほど唸りだす」と言ったとか。

言い得て妙で中年女の夫がこれに応えるには特段の精神力と体力と (「新鮮味あふれる感じあえる前戯・後戯」を補助しつつ新たな避妊方法、避妊具・膣洗浄器を用いた) 性戯に富んだセックスによって体力もさほど使わずに中高年女を満足させられる。

尚、当サイト恋愛サーキュレーション図書に収められている多くのさまざまな著者の本を熟読・理解することで、あなたに課された問題が見つかり夫婦仲を改善することができるかもしれません。

ピンクバラセックスを楽しめない      

と報告するのはふつう男性より女性ですが、
矢印女性の十%はセックスのとき痛みを感じると報告しています。男性の場合それは百人に一人しかいません。
矢印女性の二十%はなかなか(または、まったく)燃えてこない、と不満を訴えています。
矢印なかなかオーガズムに達することができない女性は三十八%で、男性は八%。
矢印セックス後に気が滅入ってしまう女性は八%で、男性は四%。

(米国内調査回答した五万二千人の独身者)米国心理学者シェーバー、フリードマン著書引用 

 女医 結婚一年目には、妻がセックスに応じようとしないという不満

結婚し子どもができ結婚一年目には、妻がセックスに応じようとしないという不満を持つ男性は一四パーセントにすぎないが、四年後にはその三倍の四三パーセントが不満を抱いくようになる。或いは少数の妻たちも同じ思いを募らせる場合もある。

男性の欲情のメカニズムは体内の精嚢(せいのう)に精液が満杯になると、自分の周辺にいる異性、憧れている芸能人・歌手というような人とつがっている生々しいアダルト・シチュエーションを妄想し夢射精することもあり、その精液の残滓はひどい嫌悪感を覚えるものである。

 精神衛生上生々しいアダルト・シチュエーション妄想を連日連夜見るような状況は性犯罪へ導く可能性もあることから、マスターベーションを用い常にすっきりすることで妄想癖は改善され、学生であったら勉強、社会人であったら技能習得に集中することができる。

男性の欲情のメカニズムつねにマスターベーションまたは、カジュアル・セックスあるいは、恋愛関係を願望する性癖があることから妻帯者の場合は夫婦破たんという代償を払うという場合もある。

女性の欲情のメカニズムは、数百万世代の祖先から引き継がれた女を駆り立てる性欲の発露は月経サイクルに分泌される二つのホルモン“そばにきて私に触って! 私をあなたのものにして!”と訴える一番目のエストロゲンというホルモンの仕業でもある。

二番目のホルモンはテストトロンである。女性の場合、このホルモンの量は男性よりずっと少ない。だが排卵期前後はぐっと量が増え、男性と同じ効果をもたらす。夜、相手を求めてさまよったり、何かを積極的に追い求めたり、戦いをものにしたりする背後には、テストテロンの働きがある。

 妻帯者の浮気相手となった独身女性あるいは人妻はなぜ安易に不倫に陥るのだろうか? 自分が望むような男性。或いは又は、配偶者との心地よいセックスができていないのが最大の理由かもしれない? または、こんにちは避妊技術が発達しており望まない妊娠はないことから、懐妊によって今後の人生に痛恨のダメージを受ける心配がないという事情もあって女性の浮気・不倫の数が非常に多くなってきているように感じる。

男性の欲情はさほど減退しないが、女性の欲情は子どもが産まれたら激減することから一夫一妻制の元では妻が男性の欲情を満たすとなればそれは多分難しいことです。閉経期を迎えたなら、なおさら性の不一致、セックスレス、セックスレス夫婦となって性拒否というものが当然ながらおこり中高年の80%がこの問題に直面していると日本性科学協会から発表されている。

女性のオーガズム

女性のオーガズムのうち、ペニス挿入そのもので引き起こされたものはわずか20%だが(残りはマスターベーションやファンタジー、あるいは前戯によるもの)月のうち受胎の可能性が高い時期ほど、挿入によるオーガズムが起きやすいのである。この事実から当サイト内オーガズムの定義に示されているような、女性が感じる小オーガズム、中オーガズム、大オーガズムと明らかに分類され定義できる。

従ってパートナーを淫蕩させ大満足させるほどのオーガズム を女体に与えられる技能・知識、或いは、セックスの中心(子宮頚)に達するような男性器の持ち主は然程いないということから倦怠期・閉経を迎えたなどいう場合、タンポン似程度にしか感じないセックスは面倒だから嫌という女性が多くなることはしかたないことである。

セックスの内容を劇的に変化させる効果がある下記をもちいて、マンネリ化しているセックスを改善し再び新婚生活のときの感覚を取り戻せるかもしれません、論より即・試してみてください。

新発明のソフトノーブル(女性用挿入避妊具「繰り返し約3年以上使用可・安全性考慮し2個組、二つとも使えるなら6年程度」)使用後に、素早くノーブルウッシング(温水挿入膣洗浄器「繰り返し使用可」)この二つの用いることで、極めて高い確率で避妊及び性感染症予防にすぐれており、今般、急速に増している性病疾患にも有効である。また、当該二つを使用により性行為において際立った性的アクションがよいという二面性をもっている。 よくある質問 

女医「セックスの義務感」

 セックスは夫婦のスキンシップの一つであり、双方楽しんでするものです。お互い気持ちいい、楽しい、となれば当然セックスレスになるものではありません。ですが、本来楽しんで行うものが、セックスしなければいけないという義務感が出てしまうと、それが原因でセックスレスになってしまうこともあります。だから性欲をたかめあう刺激がほしいということになります。
女医 「コミュニケーション不足
 1、夫婦間だけに限らず、人間関係はすべてがそうかもしれませんが、何も言われないから許されているわけじゃないことは知っておいたほうがいいかもしれません。
 2、恋人のときのような甘い囁きや刺激も欲しい、このまま馴れ合って生活していくのはつまらない――いつまでもドキドキした関係でいたいと思うのが女心なんです。
 

「嫌々でもセックスした方がいいの?」

あからさまに嫌な雰囲気を出してしまう、早く終わらせたいという気持ちが出過ぎてしまうと、相手も嫌な気持ちになるでしょう。そして「自分だけがセックスしたいのか」と自己嫌悪に陥って、今度は誘ってもこなくなってしまいます。

それこそ浮気してしまう原因になってしまうのです。嫌々セックスするというのは、本来の形ではないかもしれません。ただ、それでパートナーが満足して、夫婦仲が維持できるというのであれば、それは嫌々でもセックスした方が良いかもしれません。そして多少演技が入っても、嫌々やっているという感を出さない事です。

ピンクバラ 「男性の性欲」

は(毎日、2・3日間隔、1週間隔、月1・2回)という具合に個人差があり、通常の男性であればある程度は性欲を自らコントロールできるものの、限界を超えると就寝中に夢精し下着を汚し寝覚めの悪い最悪のパターンで自己嫌悪感・憎悪を覚えるものである。

例えばふだんはおとなしい動物のオスでさえ性欲が限界を超えイライラしているときには見境なしに狂ったように凶暴になり、飼い主さえも嚙みついたりすることもあり、また、繁殖用の種豚牡は飼い主をかみ殺した例が数多くあるなど人も動物も性欲が限界を超えると自制心を失くして凶暴になることはふつうの出来事であるからして、夫婦生活において性拒否を無碍(むげ)に“何するの”よ、と肘鉄(ひじてつ)で一喝するのは注意を要するのです。


 “何をするの”よ、と肘鉄の一回だけでもひどく男のプライド「(パートナーの喜び心地よさをと、おもい性戯のアレコレを尽くし自分なりに満足させてあげているという”有能感”を否定された怒り“自尊心”など)」を傷つけられたとひどく落ち込んで“いまにみておれ”“もう知らんヤメタ”と、憎悪する場合もあって、

その後の夫婦関係に重大なしこりを残し、今まで優しかった彼であっても“いまにみておれ”との怒りからくる怨念から、女はお前だけじゃないと逆襲(浮気願望)を芽生えさせ、さらに夫婦生活のセックスへの熱意(濃密なサービス精神)も失せて自己本位(早漏)するなどして成すことすべてが裏目に出て、セックスレス夫婦をつづけることで家庭さえも崩壊するのである。


しかしその裏には、パートナーのことを特に嫌っていなくても、こういう女の人の怒る理由を探ってみると、「疲れている」「肩が痛いのを我慢している」「便秘で苦しんでいる」「ピル・高血圧・常備薬など服用薬」などで、体調不良が隠れた要因になっていることが多いのです。


 このようなことが起こるのは普段のコミュニケーションの取り方に問題ある場合も少なからずあります。だから、ちゃんと前もって自分の体調不良をしっかり伝えておくことが大切です。

商品について

赤バラ「ヒューマンセクシュアリティー」

という教育があって「人間の身体の一部としての性器や性行動だけでなく、他人との人間的なつながりや愛情、友情、思いやり、包容力など人格と人格との触れ合いのすべてを含む幅の広い概念」といった考えからなりたっています。


 オーストラリアは、性教育を大学で積極的にヒューマンセクシュアリティー教育を取り入れ「個性の発達」の学習とか「人間関係の学習」と呼んでいます。
性教育は、生まれた時から始まるのですが、中でも性意識が芽生えくる幼児期から思春期、青年期に至る間の教育が重要です。この時期に子どもたちが抱く性的な疑問や興味、関心から行動までをおおらかに肯定的に受けとめた指導がなされるか、または拒否ないし抑圧がなされるかは、その後の人間形成に大きな影響を与えるのです。


低学年から誤解を招く性教育をしないようにするには、いつ何を教えるかというと身体の成熟に合わせようとします。だから、未成熟な幼児から小学校低学年のうちはまだ早いということになり、第二次性徴の始まる高学年以降に実施しようということになります。
 たしかに性器の発達や月経、射精といった身体の成長や変化に関するものは、体が成熟してこないとうまく理解できません。だからこうした問題は、当然身体の成熟に合わせて教えるべきです。

赤バラ「コミュニケーションの改善方法]

 これまでに、よく言われてきたことですが、うまくいっていない関係にとっていちばん必要なものは(コミュニケーションの改善)です。二人の間のコミュニケーションを改善する必要を感じても、それは妻の方であって、自分には必要ないと考える男たちは多いようです。よく働いて、よく稼いでいれば、すべてがうまくゆくと信じているからでしょう。このように信じ切っている夫たちに、そして貴方のコミュニケーションの改善方法を行ってみませんか☝

ピンクバラ「離婚の原因」

出会って3年、結婚して3年過ぎると不惑(「欲求不満が蓄積され爆発寸前」)の時期で、不倫・浮気というものが自然の流れでおきてくるものである。

不倫・浮気において性の不一致が露呈し、性生活に虚無感を覚えるなら今後の生き方を見直すべく発想といっていいでしょうか、パートナーが尊敬も信頼もできない、将来像も描けなくなったと直感したら別れを選んでしまうんですね、懐妊可能な女性であったら優秀な子孫を授けてくるような男性と出会ったならばその人の子を宿せるうちに、たとえ夫・子供が居たとしても何の未練も残さず去っていくことができるのです。                 

 夫との離婚踏み切れぬ離婚の悩みは様々です家庭内暴力、金銭面のルーズなども対象になります。我慢の限界を超えると離婚調停を迫られる男性も多く法律事務所に駆け込んでいる例が後を絶たない。離婚は失うものが大きすぎて取り返しがつかない。そうならないように、“親しき中にも礼儀あり”この諺(ことわざ)の言うように、妻であったらなおさら話をよく聞き、話し合って直すべきは直しひとりの人間として妻を優しく労わってあげるということが重要ではないでしょうか。

 離婚が望ましいと考えるなら
 離婚の可能性を考える女性は決して少なくありません。とくに、<成人>する前に結婚した女性、幼児を抱えている女性、仕事に就きたいという願いがあり、しかも、夫が<変わらない>といつた女性に多いようです。
離婚の可能性に直面した場合に、離婚に関する正確な情報(手続きの事ではありません)を知っておくことが大切です

赤バラ 言でセックスレスといっても、結婚前から一度もセックスがうまくいったこともない夫婦もいます。

結婚してから徐々になくなる夫婦もいます。出産や、配偶者の不倫などの出来事をきっかけにセックスがなくなる夫婦もいます。
 経緯が多様で、さらに原因はもっと多様です。そして、解決方法は夫婦の数だけあるといっても過言ではないと思います。

 セックスレスが一旦問題だと思うと、多くの人がパートナーにそれをなんとかしようと話を持ちかけます。でも、パートナーは上手くできる自信がなかったり、応えられる気持ちになれなかったりするため、問題をはぐらかします。結果、喧嘩になり、さらにセックスから夫婦を遠ざけていきます。


 さらに難易度を上げるのは感情です。不思議なもので、セックスをしてと言って、してもらったセックスは満足度が極端に落ちます。

結果、問題を解決するために話し合ってセックスをしたのにも関わらず、誘った側は満足しません。そして、誘われた側は、頑張ったのに相手が不満足であることでさらにセックスへのモチベーションが低下します。かくして、誘いが成功したとしても、セックスを遠ざけてしまうリスクがあります。


 つまり、問題が発生する前より、解決の試みによってさらに問題が悪化するというのが、セックスレスの問題の特徴と言えます。
 結婚式で永遠の愛を誓ったはずなのに、日々の生活の中で気づいたら、会話がなくなったり、逆に会話をしたら喧嘩ばかりになったり。また、仲はいいけど、本音が言えなかったり、子育てのストレスでパートナーとして見られなくなったりもします。

日々の小さなすれ違いからも関係は悪化することがあります。
長い夫婦生活。今立ち止まって、もう一度より良い係を作り直したい。そんな方のためにカウンセリングをしています。
個人でどうしたら夫婦関係を良くするかを考えることもできますし

赤バラみんなの心の中で、ありがとうと言ってくれる」と信じてみる

◆誰も感謝の言葉を言ってくれなくても、大丈夫 
 ある若い女性の悩みは、「誰からも、ありがとうと感謝の言葉をかけてもらえないこと」だと言います。、「言葉では言ってくれないが、心の中では必ず自分に感対処謝してくれているはずだ」と信じてみてはどうかと思います。


 とくに日本人は感謝の言葉を伝えるのが下手な人が多いようです。実際、心の中で感謝しながらも、それを言葉として表せない人も多いようです。
心の中では感謝してくれている」と信じるだけでも、安心感が生まれるでしょう。

本表紙男と女…セックスをめぐる五の心理 亀山早苗著

男と女‥‥セックスをめぐる五つの心理

セックスは体と心、両方の快感を求めるものではないだろうか。心さえ満足すればいい、というのは欺瞞に過ぎないと思う。

 肉体を使った行為なのだから、精神だけの満足ではなく、肉体にも最上の快感を得たくなるはず。精神と肉体、両方が心地よくなければ、「満足感」にはほど遠い。そして、心と体がともに充足するためには、セックスにまつわる、自分自身と相手の「心と体のありよう」を知ることが、何よりも必要なのではないかと思う。
 だれもがもっと自分の気持ち、想像力、肉体、五感をフルに使って楽しむことができるようになればいいのに、と思う。

 自分自身の欲望や肉体をもっと詳しく認識すれば、きっと「めくるめく世界」が待っている。

 他人はどんなセックスをしているのか、自分の心の奥底に秘めた欲望をどうやって具現化させているのか。自分の中の「常識」の壁をどう打破しているか、そこに男女の違いがある。

愛情セックスで愛情は計れるのか?

男女それぞれがセックスに求めるもの
 セックスと愛情は、切っても切り離せない関係だ、常に一致する。そう言ったら、男性は首をかしげ、女性は大きくうなずく人が多いような気がする。

 つまり、男性は、「セックスと愛情を切り離す場合」がある。一方、女性は、「愛情がまず先にあって、セックスはそれについてくるもの」と解釈している傾向があるようだ。
男にとっての「風俗」とは?
 だが、男性が、愛情とは切り離してセックスできることも事実。多くの男性たちは、「愛情とセックスは別」というが、それは「愛情とセックスが一致しないこともある」という意味だ。つまり、男たちにとって、

風俗に対する男女の見解の違い

「ただ、どうして私という恋人がいるのに、風俗に行くのか、それが不思議でならないんです。彼は、『風俗に行くのは、浮気できない』と言い張るけれど、私はやっぱり裏切られているような気がしてならない。最初に彼が風俗に行っていると知ったときは、ものすごくショックでした」

 女性にとっては、「自分がいるのになぜ風俗で射精をするのか」ということは大問題だ。肉体の快感は、「愛する人との間のみで存在する」と思っている女性が多いためだ。だから、愛しているわけでないと言いながら、他の女性の手や口で射精してもらって喜んでいる男たちの意識を理解することが難しいのだろう。

 セックスを回避したがる女たち

 仕事、育児、家事などに追われて、性的な欲求が全くなくなってしまった、と嘆く女性たちも多い。
家庭をもつ、やはり三十代の女性も、育児と家事に多忙で、気力も体力もないと嘆く。
「それに夫との間で、もはやセックスをする気になれないんですよね。夫は子どもの父親であり、夫であって、私にとっては「男」ではなくなってしまっている。それでも夫は求めてきます。

拒否すると危険なムードになるから、一応しますけど、本音では、『風俗にでも行ってきてくれればいいのに』と思っているんです」

 特に小さな子供を育てている女性たちは、一様に、性的欲求の低下を訴える。もともとセックスが好きではないと言い切る女性も。決して少なくない。
男が恋に走ってしまったら?
 それでは、風俗ではなく、普通の女性と彼が関係を持ってしまった場合、あるいはその疑いがある場合、女性はどう感じるのだろう。

男の正直さをあなたは愛せる?

 別れを告げる前に「自分が本当に彼を好きかどうか」ではないだろうか。プライドを傷つけられたことよりも、他の女性と関係を持ってしまった彼、それを正直に告白してしまう彼、そんな彼を好きかどうか、そのことに問題を絞って考えた方がいい。そうでないと、麻里さんのように、未練を引きずることになりかねないからだ。

女性が他の男性と「したい」と思うとき

 女性は、「愛情」と「セックス」を一致させたがる傾向が強い。だが、最近、少しずつでは、あるが、「愛情とセックスは別の場合がある」と考える女性たちも、増えてきている。つまり、恋人や夫がいながら、他にパートナーを見つける女たちが多くなってきている。

 本来、付き合っている人がいない場合でも、セックスの欲求はあるはずだ。しかし、女性は「好きな人がいて初めて、セックスの欲求が生まれる」と信じている人も多い。

女性向け風俗店はなぜ流行らないか

 たとえば、もし世の中にもっとたくさん女性向けの風俗店があって、必ず秘密を守られると分かっているなら、女性たちは案外、気楽に行ってみるのではないだろうか。

 女性向けの風俗店がなかなか増えない、もしくは、一般に広がらない理由はいろいろありそうだ。ひとつには、女性が風俗店に行くという認識がないから、店はあっても客がなかなか来ないということ。

出張ホストなどは今もあるが、家に見ず知らずの他人を呼ぶのはリスクが大きすぎるということ。ホテルに行くには、トータルで払う金額が高すぎるということ。基本的に、女性はセックスしてお金を払うという歴史がなかったから、それだけで及び腰になる。

最近では、ホストクラブで大金を使い果たす女性もいるが、それは、「セックスに対してお金を払う」わけではない。ホストとの疑似恋愛に対価を払っているのだ。

 そして、最大と思われる原因は、実は女性の相手をする男性の性的機能の問題。男は射精してしまったら終わりだから、店で待機していたとしても、一日に何人もの女性を相手にすることができない。

女性が自らの性欲を認めない理由

 男性用風俗店で、相手をつとめるのは女性だ。金のためとはいえ、彼女たちは愛してもいない男の性器を握ったり咥えたり、ときとして、セックスしたりしているわけだ。クイズ問題にもよく出てくるが、世界最古の職業は、売春だと言われている。つまり、女性こそが、愛してもいない男とセックスできる、と断言してもいいだろ。

「愛情とセックス」、という言い方をすると誤解を招く。もっとスレートに言うなら、「愛情と性欲」と言った方がいいだろう。女性としても、「愛情と性欲」が、一致しない場合があり、性欲だけがわきおこっているケースがあっても不思議ではないはずだ。
男性たちが、女性についてあれこれ噂をするように、女性たちも男たちについて、好き勝手に品評会をしていることが多い。それも、実は男性よりえげつないことがある。ベースにあるのは、すべて「性欲」だ。

 それなのに、なぜ、「性欲だけが突出する」ことを、女性たちは、自分自身のこととして、認めようとしないのか。なぜ「愛情とセックス」を厳密に重ね合わせようとするのだろうか。

 愛してもいないのにセックスができる、と言ってしまったら、それは売春婦と同じだからだろうか。だが売春婦だって、ごく普通の女性たちだ。日本でも昔は、口減らしのために、少女たちが苦界に身を沈めたという歴史的事実がある。
本当は、女性たちは内心、怖いのではないだろうか。「愛していない男性とセックスして、感じてしまう自分」が。性欲や性感が、自分の心を離れてひとり歩きしていくのを、恐れているのではないか。

 男と女の浮気の定義

女だから」こそ、愛していない男とセックスするには、「自分の意思でなかった」という言い訳が必要なのだろう。「相手に性欲を感じたからセックスした」と言った女性はほとんどいない。

 そのあたりが女性の女性たるゆえんなのだろう。「私は遊んでいる女なの」と自ら言えるわけがないから、自分に対する言い訳は大切なのかもしれない。

既婚者の「恋するリスク」と「性の歓び」

 既婚男性たちは、配偶者以外に目を向けない理由として、こんな理由をあげられる。
「外で女性と関係をもって、それが発覚したら、家庭に騒動が起こる。そうしたら、いろいろ面倒だという想像がつくから」

「社会的信用を失いたくないから」
 一方、既婚女性は、
「いまさら恋愛するのは、面倒くさい」
「子供のことを考えるとできない」
「もう誰も相手にしてくれないと思う」
 などが多い。男女ともに、
「配偶者だけを心身ともに愛しているから、他の異性には目が向かない」
 と答える人はほとんどいない。内心はだれも彼も、
「恋したい」
「他の人とセックスしてみたい」
 と思っている。現実を考えると、精神的にも肉体的にも時間的経済的にも、面倒くさいという気持ちが先に立って、他の異性を好きにならないだけのようだ。また、好きになっても、感情を押し殺してしまう、

 病気、妊娠、露見など、あらゆるリスクが排除されれば、男も女も、
「外で恋をしてみたい」
「いろいろ人とセックスをしてみたい」
 と思っているのではないだろうか。

 もちろん、配偶者にばれるリスク、すべてが暴露されたときに社会的信用をなくすリスクなどあるから、それが抑止力となり、結婚という形態は、なんとか秩序を保っていくことができるかもしれないが。そのリスクを重く受け止めるか軽く受け止めるかで、恋愛へのアプローチも変わってくるだろう。
 女性たちは、必ずしもセックスを第一義にはあげない。やはり、「気が合って好きになったから、セックスという行為に及んだ」と言う。それは本当に「男女の違い」なのだろうか。

自分の心の中で、「なぜ他の異性と寝たのか」と考えたとき、「性欲に負けたら」と素直に認める男性と、「好きになったから」という女の心に、どれほどの違いがあるのだろう。根底に、相手への姓的欲求がなければ、「好き」にはならないと思うのだが。

 セックスと愛情の関係

 恋愛関係の中で重視するものは何だろうか。
 いろいろあるだろうが、私自身は、セックスをかなり重視するタイプだと思う。少なくとも、今まではそうだった。

 以前、恋人に、「もし僕が事故か病気で、下半身が使えなくなったら別れる?」と訊かれ、大きくうなずいて彼を傷つけてしまったことがある。別のボーイフレンドには、「オレの体だけが目当てなの?」と言われ、うなずきそうになったこともある。
 一般的に、特に女性は、肉体的なつながりを、精神的なつながりより低く見る。どんなにセックスの相性がよくても、自分が愚痴をこぼしたとき相手が慰めてくれなかったという理由だけで「彼は私を愛していない」と思い込んでしまう。

セックスの場面でどんなに丁寧に愛されたとしても、翌日電話が来なかっただけで、「あれは遊びだったの?」と疑念がわく。なぜそんなふうに思うのか、実は私には理解できない。

圧倒的にわかりやすい肉体のつながりに比べ、精神的なつながりは、どうやって実感するのだろう。電話の回数? 何か相談すると親身になってくれるかどうか? それで、本当に精神的なつながりが強いと断言できるだろうか。

「愛情のものさし」はいったい何?

 肉体的なつながりのほうが強いと、女性はなぜ不安になるのだろう。

「彼は、会うたびにセックスを求めてくる。彼は私の体だけが、目的なのでしょうか」
 と言うのは女性たちがセックスについて抱える、ごくごく標準的な悩みのひとつ。「私の体が目的」だなんて、よほど体に自信があるのかと勘ぐってしまう。

 正直いって、羨ましい。一生のうち、一度でも言ってみたいセリフのひとつだ。だが本人はもちろん、そういう意味で言っているわけではなく、真剣に悩んでいる。

 その一方で、デートしているのに、いつまでたっても手を出してこない恋人に対しては、
「私のことを本当に好きじゃないから、セックスを求めてこないのでしょうか」
 という悩みが出てくる。

 セックスを求められても、求められても、女性は愛されているかどうか実感できないわけだ。肉体で確認できないから、曖昧か「精神的つながり」というものに、愛情のよすがを見出そうとしているのだろう。
 たかがセックス、されどセックス。
 大好きな人とセックスすれば、人は精神的にも肉体的にも、最高の満足感を得られると思っている。だが、それはひょっとしたら、ある種の思い込みも含まれているのではないだろうか。

 抜群のテクニックを誇る男性とセックスしてみたら、肉体の快楽は、大好きな人とのそれよりずっと上になるかもしれない。肉体の快楽に引っ張られた結果、精神的にも満足してしまうかもしれない。

あるいは、肉体的な快楽が強すぎて、精神的な満足感など、どうでもいいと感じる可能性もある。特に関係が始まったばかりの時点においては、自分が相手を好きかどうかという気持ちさえ、実はかなり曖昧なものではないだろうか。

 わかっているのは、特に好きでも嫌いでもない男性とひょんなことからからセックスした場合、肉体的相性がよくなかったら、それは最悪の思い出になることだ。あるいは、好きでもない人であっても、セックスのときに嫌なことを無理強いされたら、心身ともに不快感が残るだろう。それが原因で、好きだった人を嫌いになってしまう恐れもある。
親密になると、話している最中、「わかりあえた」と感じる瞬間がある。セックスのときにも。まるで魂が触れ合っているかのような気がするときもある。だが、それは永遠には続かない。点でしかないのだ。その頻度が増えていったら、「絆」という線が生まれるのだろうか。

すぐ押し倒したがる男の気持ち

 男性はよく、恋人とケンカすると、うやむやにしたいために彼女を押し倒す。女性は、それが非常に不愉快だという。

「きちんと話し合いたいのに、彼はセックスで、すべてをなし崩しにしようとする。自分たちの関係を、彼がそんなふうに軽く見ているのだと思うと、すごく情けない」
 と、二十四歳の女性は言った。私自身は、脳が男に近いのだろうか、ケンカをセックスでなし崩しにすることが決して嫌ではない。
不毛な口ゲンカをしているくらいなら、押し倒されて快感を得た方がいい。よほど相手を憎んでいない限り、快感を得てしまったら、多くのことは、「たいしたことない」と思えるのではないか。
 男は別に、「ごまかそうとして押し倒す」のではない。口ゲンカが苦手なのだ。女性に言い負かされるのは分かっている、しかもケンカしたら後味が悪い、面倒くさい。だから、ケンカになりかかったら、女性が自分に対して文句を言い始めたりしたとたん、エイヤッと押し倒してしまうのだ。

セックスのおける「一般常識」はあるのか

 セックスというものは、非常に個人的なものであり、他のだれかと比べるわけにもいかない。必然的に個人差も大きくなる。男は一度覚えた自分のテクニックや手順からかなかなか抜けられない。女性はセックスにまつわる「倫理観」「社会的抑圧」から逸脱することが難しい。

 だから、男性が女性にしてあげたいこと、逆に女性からしてほしいことは、人によってかなり違う。

「好きな女にはフェラチオなんてさせたくない」
「彼が感じている顔を見るのが好き」
 という女性は、少なくないから。

 男たちは、好きな女とのセックスの場合で自分が行動するべき、女たちは好きな男とのセックスではこう反応すべき、という「一般常識」に私たちは縛られているのではないだろうか。そうさせているのは、アダルトビデオやちょっとエッチなラブロマンス映画の影響かもしれない。

「セックスの場面では、こう反応しなければ愛されない」
 そんな呪縛が頭の隅にあるから、本当に好きな人とは、自分自身をさらけ出したセックスができなくなり、かえって悩みが強くなってしまうのではなかろうか。

セックスに没頭するために

 女性の中には、
「好きな人とのセックスより、たまたま出会った、ゆきずりの人とのセックスの方がよかった。相手にどう思われるかを考えずに、セックスだけに没頭できたから」

 という人も、実は非常に多くいる。これもまた、愛情とセックスとを厳密に重ね合わせようとすることの弊害かもしれない。
 ゆきずりの人との場合は自然と、愛情と快感を切り離すことができて、欲望の赴くままに振る舞うことができる。だから、快感が突出する。そして、相手の思惑を気にせずに、その快感だけに、身も心もゆだねることができるのだ。そもそもゆきずりであって、惚れこんだ相手ではない。

 嫉妬 阿部定事件

ペニスが女を狂わせる?
ジェラシーの真実
 男女の間で、嫉妬はつきもの。ところがこの嫉妬というのは厄介な生き物で、いったん自分の中で飼い始めたが最後、どんどん増殖していく。
 今思えば、嫉妬は「愛情の裏返し」というよりは、「妄想」と結びつきやすいのではないか。
 当時の私は、「自分がこんなに彼のことを好きなんだから、いつ他の女性が彼を好きになるかわからない。そのとき彼は新しい女性を選ぶに違いない」と感じていた。常にそういう不安があって、それはだれが何を言っても治まらない。しかも、ときおり発作のように、その不安が爆発する。

始末に負えない、と自分でも感じていた。少なくとも、その頃の私は、「愛情があるから嫉妬するんだ」と自分を正当化しようとしていたが。実際には自信のなさの表れでもあった。「彼に捨てられたら私は生きていけない」と、信じていたのだから。

 そこまで好きだった相手と結婚したものの、結局は離婚する羽目になったとき、何よりショックだったのは、「どんなに好きな人であっても、自分自身の愛情が続かないことがある」と気づいたことだった。
同時に、「嫉妬」が、愛情と直結するのではなく、妄想のたまものであることも知った。

 自分の気持ちだって変わるのだから、ましてや他人の気持ちなど、自分の力でどうにかできるものではない。離婚してそう思ったので、以前ほどの嫉妬に苦しまなくなった。
嫉妬するより、相手を丸ごと受け止めることがいちばんだと、理屈で思うようになっている。

 俗に、女の嫉妬は、非常にしつこく質の悪いものだと思われている。そもそも、嫉妬という字だって、両方とも女偏だ。かたくなで、意地の悪いイメージがある。古くは、『源氏物語』に出てくる六条御息所、あるいは安陳清姫伝説など、嫉妬のあまり誰かを呪い殺したり、蛇になって追いかけたりするのは、いつも女と相場が決まっている。

「阿部定事件」に見る女の嫉妬

 私が「嫉妬」必ず思い出すのが『阿部定事件』だ。これほど「正しい」嫉妬の仕方があるのか、といつもある種の感動を覚えてしまう。

 日本が戦争に向かって突き進みつつあった昭和十一年、東京荒川の待合(今でいうラブホテルのような場所)で、四十代の男が殺されていた。彼の名は石田吉蔵、四十二歳。殺したのは彼の愛人、阿部定、三十二歳。吉蔵は料理屋の主人、定はその店で働いていたのだが、ふたりき、吉蔵の妻の目を盗んで深い仲となった。

 ふたりは待合で会っていたが、妻のいる吉蔵を家に帰すまいとして、定は吉蔵を殺し、ペニスを睾丸を切り取って逃走。捕まったときには、吉蔵の褌と下着をきちんと身につけ、ペニスと睾丸も、肌身離さずもっていた。これが世にいう阿部定事件だ。猟奇的事件、魔性の女と世間は大騒ぎになった。

 だが、『阿部定〈事件調書全文〉』(コスミックインターナショナル刊)を読むと分かるのだが、彼女は決して魔性の女でも、ただの淫蕩な女でもない。彼女がそこまでしたのは、吉蔵のペニスを自分だけのものにしたかった、ひいては吉蔵のすべてを自分のものにしたかったという、

むしろけなげな女心からなのだ。しかも、ふたりはセックスにおいて「まれにみる好相性
」だったらしい。裁判官でさえ、それを指摘している。だからこそ、離れられず、定の嫉妬も限界を越えたのではないだろうか。

 家に帰したら、吉蔵は奥さんを抱くかもしれない、そうでないにしてもあの気の強い奥さんことだ、吉蔵を外に出さなくなるかもしれない。たった数日離れていても、嫉妬と焦燥で気が狂いそうになる、と彼女は事件調書で述べている。

 ふたりは、ほとんど入浴もせず、何かに取り憑かれたように待合で、セックスばかりして過ごしていた。ある日、とうとうお金が底をつき、吉蔵はいったん家に戻ると言い出す。そこで定は「永遠に自分りものにするためには殺すしかない」と思い詰めるのだ。

 私はこの事件の調書全文を読んだ時とき、ここまでセックスの合う男、惚れこむことのできる男に出会ってしまった定の焦燥感が、分かるような気がしてならなかった。

彼には妻がいて、自分は添い遂げることができない。これほどまでに「寝間が巧妙」な男を、他のどんな女ともさせたくない。たとえ妻であろうとも渡したくない。彼のペニスは、「私だけのもの」のはずなのに、と定は思っていただろう。

 彼を殺せば、自分自身も快感を得られなくなる。だが、それと引き替えに、彼は永遠に自分のものになる。定が生きる糧にしていたのは、吉蔵と情とセックスだろう。

 あえて愛とはいわないが、「惚れた気持ちとセックス」だったことは、間違いない。それを失ってまで、彼を永遠に自分のものだけにしたいという気持ちは、刺し違える覚悟といっていいのだろう。定は、それほど吉蔵に惚れこんでいたのだ。

彼女は十代のころから、男性経験が豊富だった。だから、うぶな女が初めての男に惚れこんだのとはわけが違う。とことん惚れるということは、刺し違えても構わないと思うことなのだ、と今でも感じている。

 事件調書には、定が吉蔵を「かわいくてかわいくてたまらない」と思ったという表現が、何度も出てくる。年齢は定のほうがひと回り近く下だが、年齢に関係なく、男を「かわいい」と思った瞬間、女はその男から離れられなくなる。ここに、「男女の関係の本質」があるような気がしてならない。

 現代は情報過多となり、男女の関係においても、どこか知性や理性で処理していこうとする傾向が強い。よく聞くのが、理想の恋愛を問われて、「一緒に向上していきたい」という言葉だ。

そして、理想の相手に関しては、「尊敬できる人」という。もちろんその気持ちも分かるのだが、そういう理性での表現ではなく、感情的に、「何があっても、とことんかわいと思える人」と一緒にいられたら、それが至福ではなかろうか。

ペニスをむき出しにして裸で寝ている男を、女が「とことんかわいい」と思ったら、惚れこんでいると言えるのではないか。そこには、尊敬だの向上だのという面倒なことは存在しない。ただただ、かわいいのだ、手放したくないのだ。

嫉妬からの解放

 女の嫉妬は、ストレートだともいえる。突き詰めてしまえば、「このペニスを他の女のあそこに入れるな」という一点にかかっている。
あゆみさんは、二十代後半から三十代初めまでの五年間、職場の上司で、妻子ある十歳年上の男性と付き合っていた。彼とのセックスで、初めてオーガズムを得た。彼とはセックスすればするほど快感が深まり、失神したこともあるという。

「そうなるとひとりでいる夜が辛くて。今ごろ彼は奥さんとしている、奥さんもきっと私と同じような快感を得ている。そう思うと本当に気が触れそうになって、家を飛び出して、彼の家の近くをうろうろしたことがあります。

自分で自分の嫉妬に手が付けられなくなって、手首を切ったこともある。死のうとしたわけじゃないんです。ただ、血を見ると、ふっと我に返ることができるから」

 彼のペニスを切り取ってしまいたい、とやはり思ったことがあるそうだ。

「こういう言い方をすると変な女だと思われるかもしれないけど、彼のペニス、本当にきれいだったんです。太さも長さも固さも、本当に私好み。私が慣れてしまっただけかもしれないけど、当時の私には彼のペニスは最高の宝物だった。セックスの前後には、いつも彼のペニスをいじって遊んでいました。
彼に抱かれていた。嫉妬しながらセックスすると、辛いんだけど、快感が増すんです。彼に激しく突かれながら、『奥さんにもこんなことをしているんだ』と言う考えが頭をよぎる。その瞬間、ものすごく強いオーガズムがやってくる。

だけど、あとになると、落ちこんむんですよね。そうやって嫉妬しながら達してしまった自分に対して。彼と付き合っていて、楽しかったのは、最初の半年くらい。あとはずっと嫉妬との闘いだった」

 嫉妬から解き放されたのは、彼の妻が重病にかかって入院した。と聞いたとき。あゆみさんの心から「嫉妬」がすっと消えてしまった。彼は救いを求めるように、たびたびあゆみさんの元にやって来たが、実際には、なかなか勃起しなかった。
やはり彼の気持ちの中に、病気の奥さんに対する罪悪感があったのでしょう。

三角関係をどう考えるべきか

 女の嫉妬は、わかりやすい。常に相手の女性に向くから。女は惚れた男を責めることができないのだ。「かわいい」男には、帰ってきてほしいから。たとえば、自分のパートナーが浮気したとき、

女性は相手の女性に怒りが向き、男性は、自分のパートナーに怒りを向けるといわれている。これは、男女の気持ちの違いを、よく表している話ではないだろうか。
不倫している、あるいは彼に二股をかけられていると分かっている場合は、自分の彼、彼と彼女の関係は、「別のもの」と割り切った方がいい。私は常々、三角関係というのは三角を結んでしまうから、問題が起こると感じている。

男の嫉妬はもっと複雑なもの

 女性に比べて、男の嫉妬はもっとあっさりしているのかといえば、そんなことはない。実は、男の方がずっと嫉妬深いのではないだろうか。嫉妬する男など『女々しい』と思われてきた歴史が長いから、表に出さないようにしているだけだ。

だが、最近では、嫉妬を抑えきれない男性も増えている。ときどき、離婚した妻を、元夫が殺害するという痛ましい事件があるが、それを見ると、男の嫉妬深さがわかる。別れた夫を妻が殺すという事件は、聞いたことがない。
女に浮気を告白されたとき
つきあっていたのは二年ほどですが、今だから言うけど、その間、他の男と寝たことがある、と。それを聞かされたときは、目の前が真っ暗になりました。真っ先に感じたのが、『オレはバカにされていたのか』という思い。

まさにプライドをずたずたにされた。裏切られていた、という怒りもあった。だけど彼女は、『違う。これは裏切りじゃないの』と言うわけです。彼女の気持ちを理解したくて、毎日のように議論しました。

お互い本音をぶつけあった数ヶ月だったと思う。その結果、僕なりに分かったのは、彼女が全面的に信頼しているのは僕だけなんだけど、ときどき、ふいっと浮気してしまう可能性があるということ。

アイデンティティが揺らぐとき

 男の性的な快感は、ごくシンプルなものだ。女性の快感は深く、そして尾を引く。これが最高の快感だと思っていても、次にもっと淫らな彼の要求に応じたとき、より深い快感が深まると同時に、嫉妬も強まると言っているのだから、天国と地獄、両方同時に足を踏み入れてしまったようなものだ。

こういう状況では、自分のアイデンティティさえ、揺らいでしまうかもしれない。

「私、こう思ったんですよね。『自分が知らない男性とセックスして、これほど感じているのだから、彼もまた、相手の女性にこれほどの快感を与えているに違いない』『彼は、私とするより別の女性とした方が感じるんだ』と。

そう考えると、私の中で、彼との関係自体が崩壊してしまった。だって、彼とするより他の男性の方がずっと感じる、彼もそうに違いないと思ったら、精神的にも合わないのかもしれないような気がしてきて‥‥。

彼は『そうじゃない。体は他の人でも感じても、それは僕たちの関係にとって、単なる刺激に過ぎないんだよ』って言ったけど、なんだか説得力がなかった。いろんな意味で、自分たちがしていることが怖かったし。

これ以上、道を踏み外したくないという気持ちもありました。ふたりの関係にも、不安ばかり付きまとっていたから」

どこまで一対一の関係を重視するか

 今の時代、スワッピングをしたい、複数プレイをしたいと思えば、それが可能な場所はどこにでもある。探そうと思えば、インターネットで、たちどころにできる。

かつては、そういう趣味を持った人たちは、ひっそりと同好の士を募り、人目を忍んで集うしかなかった。

自分の中にある、やむにやまれぬ思いに背を押されて、決死の思いで特定の趣味の人に向けた雑誌などを買い、そしてさらに覚悟を決めてコンタクトをとり、ようやくスワッピングパーティに出向いていったのだろう。さまざまな苦労と葛藤の果てに、自分たちの「特殊な趣向」を満たす歓びを得ていたわけだ。

だが、今ではそういう情報はいながらにして手に入る。それが「特殊な趣向」とさえ、誰も思っていない。ごく簡単に、ごくカジュアルに、他のカップルと相手を替えてセックスしたり、乱交パーティに参加したりできるのだ。

ネットでちょっと検索する気さえあれば。セックスのバリエーションが一般化し、あらゆる形態のセックスについて、ハードルが低くなったといえるだろう。

 それだけに、自身の資質を見極めないままに、単なる「遊び」としてそういった場所に出向く人が多い。体験としては悪くないだろうが、心の底に暗い何かを抱えてやむにやまれず、自分の嗜好を満たそうとする人とは、どこか違っている。

 一般論として、二十代という若い時代に自分のセックスの領域を広げ過ぎていいのか、と疑問に思う。そもそも二十代で、自分の心の底に潜んでいる。ある種の趣向に気づけるものだろうか。
 美奈さんの彼のように、「オレは他の女性とセックスしたいから、オマエも他の男としろ」と強要するのは、どこかおかしい。彼女は彼を失いたくない一心で、他の男性としているのだ。隣で彼が他の女性としているのを見て、内心、嫉妬で気が狂いそうにさえなっているのに。

 お互いに、嫉妬など無駄な感情だと割り切っているならいいだろう。あるいは、嫉妬という感情を乗り越えて、ふたりで「禁断の世界」に一緒に行こうというなら、それもいい。

 葛藤 セックスは男がリードするもの?

相手のシグナルを読めない男たちは
 前章でも書いたように、どんなセックスにも嫉妬と葛藤が伴う。男女のカップルであっても、同性カップルであっても、それは変わらないのではないだろうか。ただ、同性カップルがお互いの性感やそこにまつわる感情を分かり合えるのに比べて、やはり異性のカップルには誤解や思い込みがつきまとう。

さらに、同性同士よりもセックスについて話し合いにくいという気持ちもあって、葛藤は、より大きくなるような気がする。

 もちろん、「男はこういうもの」「女はこういうもの」という従来の「男女のあり方」に納得しているカップルなら、とりたてて問題は起こらないかもしれない。

 ところが、今は、女性側のセックスに対する意識がかなり変化している。内心では、彼とのセックスが面白くないと思っている女性たちも多い。だが、それをきちんと言葉にして言えない女性はまだまだたくさんいるし、男性も、女性が積極的に、セックスについて話すのをよしとしない。

 どうやら男性は、女性が性欲を伝えると、自分が責められているように感じるらしい。それはとりもなおさず、セックスにおいては男がすべての主導権を握り、女性はそれを享受するべきという図式があるからではないだろうか。

セックスにおいて、思い込みや誤解が多ければ多いほど、そこには軋轢(あつれき)や葛藤が生じていくはずだ。

男と女は「暗黙の了解」が大切

 一夜の関係に限らず、セックスは男がリードしなければいけない、という思い込みは、男女ともに、持っているようだ。だがそもそも、男が言い出して女が承諾する、というのは、形式上のことではないだろうか。そのときすでに、女性は「勝負下着」を身につけていたりするのだから。
日本の男の幼稚さは、世界的に有名だ。若い女性がもてはやされるのは、その顕著な例だろう。若さに価値があると思っているのは、大人の女だと太刀打ちできないという、男の心理の表れではないだろうか。

 ヨーロッパでは、男性が女性に年齢を聞くことはまずあり得ないという。年齢など関係なく、
「相手が何を考えているか」「どういう人間か」「自分にとってセックスアピールがあるかどうか」が問題となると、ヨーロッパに住む女友だちは、口をそろえて言う。

だから男は生涯、「男」であり続けようと努力するし、女も、シワがあろうが、自分に自信を持って堂々と「女」であり続けている。

 日本では、ある程度の年齢になったら、「恋愛」や「色事」を引退しなくちゃいけないような風潮がある。わび、さび、枯れるということには日本的な美意識があるが、こと男女の関係においては、枯れる必要はない。男女であり続けないのは、成熟した社会ではないという気がしてならない。
女性に過大な幻想を抱き、自分の理想の女に、目の前の女性を当てはめたがるタイプではないだろうか。

「性の不一致は性格の不一致だから、彼とはたぶん別れた方がよかったと思うんですが
男が感じるプレッシャー
 いざベッドの上でのことになると、男性は非常に緊張するようだ。
「まず、女性の髪などを撫でて、いい雰囲気を作る。彼女の反応を見ながら愛撫して、それがすんである程度、彼女が濡れているとわかったら挿入して、体位は二度くらい変えた方がいいのだろうか、いつ変えればいいのだろう、

彼女は本当に感じているのだろうか、ヤバイ、先にイッちゃいそうだなと本当にいろいろなことを考えながら、男は頑張っているんですよ。

つきあい始めた彼女と、ひょっとしたら明日あたりそういう関係になるかもしれないと思ったら、一晩中、真剣にシミュレーションしちゃいます」

 これは二十代前半の男性の意見ではない。三十歳、川島義弘さんという男性の声だ。名前を聞けば誰で知っている有名企業につとめ、背も高くて感じのいい男性で、とてもモテそうなのに、ことセックスとなると、まったく自信がないと嘆く。だから、あるパターンでセックスするしかないという。

気持ちは分かる。だが、それこそが、「パターン」への落とし穴。そうやっているうちに、相手の反応を注意深く見ることを忘れてしまい、男性は自分のパターンにはまっていく。中には、自分のやり方に酔ってしまっているような男さえいる。

自分のやり方に固執するあまり、時と場合によって、あるいは相手によって柔軟に、セックススタイルを変化させることができなくなってしまう。

 確かに通常のセックスの場合、男がペニスを挿入しなければ終わらないという形態上、どうしても男性がイニシアチブをとっているように見えるものだ。しかし、当事者として考えてみたら、どちらがリードしているかわからない。実は、男がリードしているように仕向けている女性も多いのではないだろうか。

 体勢を入れ替えるときだって、女性が体を浮かすなり動くなりして、体位を替えたがっていることを男性に察知させるケースもあるだろう。

どちらがリードするというものではなく、阿吽の呼吸で、協力してお互いの快感を引き出そうとするのが、セックスの醍醐味ではないかと思うのだが。

 最初のセックスで、お互い協力しあえたという感触があれば、「この人とは相性がいい」と感じられるのではないだろうか。

 リードしなくちゃいけない、というプレッシャーに押しつぶされている男性は、とても多い。話を聞くと気の毒になるほどだ。

セックスを学ぶ場がない

アダルトビデオを見ていて、女性はあんなふうに、喘いだり悶えたりするものだと思っていたんです。最初にセックスしたのは、大学生のときだったんですが、同じクラスの女の子としてみたら、全然違ってた。でもそれは、彼女にも経験がないからだろうと思っていたんです。

ところがその後、誰としても、ビデオみたいな反応はなかなかしない。二十代後半になって、ビデオと現実はかなり違うと、実感するようになった。そうなると、じゃあ、自分がしていることは本当に正しいのか、これで女性は感じているのか、とどんどん自信がなくなっていって‥‥」

 アダルトビデオでおこなわれているセックスが普通だと思っているため、顔に射精したがる男が多いという。以前は、若い女性たち四、五人に話を聞いたら、全員、「最初のエッチで、顔にかけたがった男がいた」と、困惑した表情で話していた。
男が「自分の嗜好を満たすために」やっているとは思えない。ただの無知なのだ。ビデオを、無条件で信じているのだろう。だからこそ、女性たちは、彼らにきちんと自分の感じるところを伝えていかなくてはいけないと思う。
年上の女性とセックスの関係をもったことで、自分のやり方が間違っていると知ったという男性もいる。

「学生時代、家庭教師先の人妻とそういう関係になっちゃって…‥。そのとき、その人妻にいろいろ教えてもらいました。それまでは僕もアダルトビデオのイメージが強くて、男は、さっさと挿入して、がんがん動かなくてはいけないんだ、そうしないと女性は気持ちよくならないんだ、と信じているところがあったんです。

だけど、感じ方には個人差があるし、同じ女性でも、その日の気分によって優しくされたいときや多少乱暴にされたいときなど、いろいろある。

それは、人妻とつきあってみて、初めて知りました。彼女に言われたことは印象に残っているのは、もし反応が読めないのなら、愛撫しながら『もっと優しくする?』『強くする?』と聞いてみなさい、ということですね。

本当は反応ですべてを読めればいいんだけど、なかなかそうはいかない。それなら彼女の耳元でそっと呟きながら聞いてみろ、と。これは非常に参考になります」

勃起への不安、ペニスの問題

ただ、男性にはそもそも、「肝心なときに勃たないかもしれない」という基本的な抑圧が、常にある。セックスとは勃ってこそなんぼ、女をイカせてなんぼ、の世界だという男たちの認識があるのだろう。

 勃起、挿入、射精という男主導のセックスを、もっと変えていきたいという女性たちは多い。もちろん、自分が勃起したら女性の気持ちと身体が高まりなどお構いなしに挿入し、自分だけ、がんがん動いて射精して終わり、という男性は論外だ。そこには何のコミュニケーションもない。

女性の体を使ってマスターベーションにすぎない。そういう男性に限って、「女をイカせた」と豪語するものだが、あそらく女性は身も心もまったく満足していないだろう。

 だからこそ、いっそ挿入などこだわらず、もっとふたりで「イチャイチャ」したい、そのほうがずっと愛を感じられるという女性も多い。セックスを前戯、挿入、後戯で分けるとしたら、多くの女性たちが、前戯と、終わってからの語らいが好きだというのではないだろうか。

それは、結果的に、挿入時の男性の身勝手さの裏返しではないかという気もする。挿入だけでオーガズムを得られるのは、三割程度の女性に過ぎないそうだ。

 七割もの女性たちは、クリトリスを同時に刺激されることでオーガズムを得る。あるいは挿入ではほとんど感じず、クリトリスへの刺激だけのほうが感じるという女性たちも多い。
もっとも、女性の中には、自分がどうされたら気持ちがいいかということさえ知らない人がかなりいる。それでいて、「身勝手な挿入」を糾弾するのは筋が違う。

 個人的には男たちに、「女をイカせてなんぼ」という気持ちをなくしてほしくないと思っている。もちろん、男が勃起しなくても一緒に楽しんで、快楽を得る方法はある。それも大事なことではあるが、

男における「ペニスの問題」

 男たちの葛藤の中には、ペニスのサイズ問題もある「大きい、固い、何度もできる」のが男のステイタスであり、なおかつ、女性を喜ばせる重要なポイントだと考えているようだ。

「僕、ペニスにコンプレックスがあるんですよね。あんまり大きくないから、彼女といい雰囲気になると、『オレ、小さいんだよね』って、冗談交じりにすぐに言っちゃう。それで彼女の反応を見るんです。卑屈で嫌だなあとわれながら思うんだけど」

 と言った。三十代の男性がいる。ペニスのサイズというのは、男性の存在価値を揺るがすほどの大問題らしい。

 だが、女性たちに言わせればちょっと違う。日本人の勃起時の平均的サイズは十三・五センチだという。余談だが、大きさといのはときには長さばかりが問題になって、直径が問題にならないのは、気になるところではある。

細くて長いのと、太くてそこそこの長さ、どちらがいいかと言われれば、個人的には後者をとる。一般的には、ある程度の長さがあれば、太さも兼ねて備えているという判断なのかもしれないが。

 ともあれ、女性たちは、大きすぎるよりはまだ小さい方がいいと、口をそろえて言う。
女性個人の好みにもよるが、大きすぎると男同士の間では羨ましがられても、女性からは好かれないということがある。大きすぎると、女性は痛みを感じやすいからだろう。

 実際、ペニスが大きすぎて、根元まで女性の中に入れられない、と嘆く男性もいるほどだ。極端に小さい男性もいるのだろうが、小さければその分、テクニックで補うという方法もある。つまり、女性は男性のペニスのサイズなど気にしないことがほとんどなのだ。

「私にとって、ペニスでいちばん大事なことは、密着感かなあ。密着度の高いペニス、自分が包み込んでいる感触を覚えられるようなペニスが好きなんですよね。

自分の中に入っていながら、『穴を貸しているだけ』と感じさせられるような、独立性の高いペニスはあまり好きになれないの。固すぎるとダメってことかしら」

 と同年代の親しい女友だちは言う。かと思えば「皮一枚、その下にはきんきんに張りつめて固くなっているペニスが好き」という女性もいる。好みのペニスも千差万別。女性たちは、女同士で、こんな話までしていたりするものだ。

またもや余談だが、イタリアを旅行したとき、日本の男友だちに頼まれて、現地でコンドームを買ってみた。日本で通常手に入る最大サイズは直径三十八ミリだというが、現地で買ったものの中には五十二ミリというのがあった。それでも最大サイズではなく最大は六十数ミリというのがあるという。

ペニスに支配される男たち

「ペニスは決して大きくないけど、私の彼はテクニシャンだと思う」
 酒田さおりさん(三十二歳)は言う。彼は、指で強弱をつけつつ彼女の性器を愛撫しながら、耳元で囁き続けるらしい。

「彼との最初のセックスのとき、彼は体を密着させ、耳元でずっと、『感じる? こんなに濡れて来たよ』『指が吸い込まれていくようだ』『すごくきれいだったよ』と囁き続けたんです。耳から脳に直接、感じる物質を注ぎこまれるような感じ。

それまで感じたことなかった不思議な感覚が、いつのまにか快感に変わって、指だけで達してしまいました」

 と。彼女は言う。彼のペニスはそれほど大きいわけではなかったが、彼女はその指の愛撫だけで何度も達してしまい、挿入されたあとも、何がなんだかわからないような乱れ方だったという。挿入前に何度もオーガズムを得ていると、挿入後のオーガズムはとても簡単に得られる。

 だからこそ、前戯は大事なのだ。ペニスを使う前に、彼女の五感を震えさせるような前戯ができれば、ペニスへのコンプレックスなどは吹き飛んでしまうのではないだろうか。

「男って、どうして勃起」しないと、急に黙り込んだり

『あー、ダメだ、今日は』って止めちゃったりするんでしようね。別に挿入しなくても、いくらでも一緒に楽しめるのに」
 これは多くの女性の、大いなる疑問。

たとえば緊張感や疲労や深酒のせいで勃起しなかったとすると。多くの男たちはそこでことを中断し、そのまま寝てしまうか、そそくさと帰り支度を始めるかどちらかだ。男としてはプライドが傷つき、自分を情けなく思う瞬間なのだろうが、そこでもしペニスを使わずに女性を喜ばせることができたなら、ふたりの関係は、一歩見込んだものになると思う。指だって舌だって、小道具だってあるのだから、ペニスだけに依存する必要はない。

 その場の雰囲気を壊さず、心身ともに高まっている女性を満足させられることができたら、その男性こそが「セックス上手」と言えるのではないだろうか。ペニスが言うことを利かないからその日は何もしない、とするのが、男性のいけないことだ。

女が抱えるプレッシャー

 男性が女性の反応について、いちばん嫌うのは、「マグロ状態」だという。つまり、彼がどう愛撫しようが、何の反応も示さない女性だ。

 だが、これもまた、女性側からいわせると、「声の大きな女は嫌われる」とか「あんまり感じてしまうと、遊んでいる女だと思われる」など、女の世界で伝わっている俗説が、多々あるのだ。
「我慢して我慢して、最後に耐え切れなくなったとき初めて、ため息のような声を漏らすような女性が好き。そうじゃないと僕は感じない」

 と言うのだが、この発言で分かるように、彼は自分の中で「理想の女性」を作り出し、相手をそこに当てはめようとするタイプ。なぜ、感じていることを表現するのに「我慢」しないといけないのか、と彼に聞いてみた。

「やっぱりさ、女性が耐えているときがいちばんきれいなんだよね」
 と、時代錯誤の返事が返ってきた。こういう男性とまかり間違って結婚した日には、耐え忍ぶ生活が続きそうで怖い。

 彼は、つきあう上で、セックスには重きを置いていないというから、セックスすきの女性は、そもそも彼には物足りなさを覚えるだろう。

 もちろん、感じたときの反応には個人差があるし、大声を出す女性もいれば、それこそ「恥ずかしいから」と唇をかみしめる女性もいる。だが、感じていることをどうして恥ずかしいのか、素直に表現することがなぜいけないのか。
 人はなぜ生殖を目的としないセックスをするのか。単純に性欲を処理したいという原始的な欲求から、快楽を得たい、相手と言葉以外の、あるいは言葉以上のコミュニケーションを取りたいから、といろいろな理由があるだろう。

相手の好みに左右されないで

 セックスは、男女双方(もちろん同性同士でもかまわない。念のため)が、相手を丸ごと受け入れる行為だと思う。それなのに、そこでの快楽の表現の仕方に注文をつけるのは、何かがおかしい。

 もちろん、相手の反応に対しての好みはあるだろう。すすり泣くような喘ぎ声が好きな男性もいれば、もっとストレートに大きな声を出されるほうが燃えるという男性もいるはずだ。

だが、常に「快感を表現することを我慢せよ」というのはおかしい。相手のあり方を受け入れないで、自分の好を押し付けながら、恋人としてつきあっているのもどうかと思う。
 それが女性たちを、不自由にさせる危険性がある。女性たちは、「彼に嫌われたくない」という気持ちを、とても強くもっている。恋人同士だけでなく、現在の人間関係すべてが「嫌われたくない」という消極的な意識の上に成り立っている。

もっと愛そう、もっと愛されようという、積極的な意識はないのだ。それが、現代のコミュニケーションの大きな特徴でもある。

 だから相手の意向にしたがって、女性は「演技」をしてしまう。彼がセックスに情熱的な女性を好むなら、そのように振る舞うし、我慢するのが好きなら声を出さずに頑張る。

 もちろん、一方では性的に奔放な女性も増えてはいるが、まだまだごく一握り。多くの女性たちは相手の意向、彼の好みに振り回されている。
それは何度も繰り返すように、女性たちが「自分の性欲のあり方」「自分の好きなセックスのありよう」を把握していないせいでもある。

もし自分の性欲や性反応などを、きちんと把握していれば、「私はあなたの望むような女じゃないの」と言えるはずだから。

 一般的に、セックスというものは、男が求めて女が応じるもの、という男性優位の考え方に、まだまだ支配されている。だから、自分がしたくなくても、彼に求められれば応じるし、自分がしたくても、彼からの誘いがなければ自らは求めはしない。

それは、いつまでたっても、心も体も解放されたセックスはできない。どこかで打破しなくてはいけないのではないだろうか。

要求をどう伝えるか

男の弱み(仮性包茎)にどう対処するか
 仮性包茎の男性の問題も、女性同士でよく話題になる。男性自身が、仮性包茎で、皮の間に恥垢(ちこう)がたまりやすいペニスだとわかっていれば、意識的に皮をむいて綺麗に洗うはずだ。
だが、そういう知識と意識の低い男性き、適当にしか洗わない。そうすると、たるんだ皮膚の間に常在菌が増え、異臭を放つようになる。日本人の六割が仮性包茎だといわれているから、案外、臭いペニスを我慢して咥えている女性は多いのではないだろうか。

 オーガズムを感じたことがない女たち

 女性たちの葛藤、コンプレックスでいちばん多いのが、「オーガズムを感じたことがない」「イクという感覚がわからない」というもの。それに対して、男たちはかなりの確率で、自分が女性をオーガズムに導いていると信じている。つまり、いかに演技をしている女性が多いかということだ。
性的反応はどういう経緯をたどるのか。これは五段階に分かれていて、欲求――覚醒――安定――オーガズム――消散という経緯をたどる。

 女性の場合、性的欲求を感じるところから始まり、刺激に敏感になる。安定期ではさらに覚醒が増し、ますます敏感になる。

 クリトリスは、包皮の下で収縮を始める。膣の入り口近くは充血し、子宮は上に持ち上げられて、膣の中はテント状になる。そしてオーガズムに達すると、女性の体は弓なりになり、筋肉が緊張する。

 続いて膣と子宮壁が、下腹部の筋肉と肛門と一緒に、リズミカルに収縮する。それが三秒から十秒ほど続く。手や足、顔をなどの体の他の部分で不随意筋(自分が意識して動かせない筋肉)の収縮が起こることもある。

 それが収まると、またすぐに安定期の状態まで戻る。だから、女性は何度でもオーガズムを得られると言われているわけだ。

 ただし、この性的反応のあり方にとらわれる必要はない。この医学的な性的反応を気にしすぎると、「あ、私は今、覚醒期なんだわ、ここから安定期に入るのね」と頭の隅で考えてしまいがちだから。自分が気持ちいいと感じることが、何よりも大事なのではないか。
 ただ、多くの女性たちが言う「挿入が気持ちよくない」というのは、もったいない気がしてならない。ひとつには、やはり心理的な壁を打ち破れないということが原因になっていないだろうか。

「私、セックスに集中できないんです。集中しようと思うんだけど、実際には頭の中で、明日の仕事を考えたり、お腹のぜい肉を引っ込めなきゃと思っていたりするんですよね」
 三十代半ばのキャリアウーマンの言葉だ。

 心のどこかで、セックスをいけないことだととらえたり、相手に心を開けなかったりすると、なかなか集中はできない。集中するということは、あらゆることがどうでもよくなって、自分の感覚だけが気になること、そして物理的刺激と精神的興奮に身を委ねること。

自分の体も心もすべて、相手に明け渡してしまうくらいの気持ちにならないと、オーガズムは得られない。

セックスについて話し合う重要性

オーガズムに達している演技をするのは、彼への思いやりかもしれない。だがそうしていることで、自分自身がどんどんオーガズムから離れていってしまうこともある。

 相手も、「彼女はすぐにオーガズムに達するんだ」と信じているわけだから、それ以上のテクニックを磨こうとは考えない。ひょっとしたら、女性自身、演技に気を取られて、本当に感じているはずのオーガズムを感じ取られなくなる危険性もある。

噓をつくのがいいとかいけないとかいう以前に、「もっとふたりでセックスを楽しもう」という気持ちをもち、話し合った方がいいのではないだろうか。

差し込み文書

 ペニス膣挿入した場合。女性のオーガズムを得られる部位がもしかしたら、膣奥であったり、排卵時に引き起こす子宮微細動でしか得られないのであれば、子宮そのものが心地よさを欲している女性なのかもしれない。

日本人だった膣(日本人の長さ:十一センチ前後)及び膣奥を心地よく愛撫するペニスは最大勃起時太さ:二十五センチ前後。長さ:十六センチ前後であればよしとするが、先に述べた日本人の平均長さ:十三・五センチであれば、

子宮頚部(うずら卵)にちょっと当たるような感覚があるが、しかし、性欲の疼きを満足させるほどの刺激は与えらないだろう。膣は伸びるし、子宮は押されると腹部奥へと後退してしまうから。

ノーブルウッシングB型あるいはC型を用いGポイントを愛撫することで得られるのではないか。

コンプレックスはだれでもある

 オーガズム以外にも、女性はセックスのときに感じる。根本的な葛藤やコンプレックスがある。中でももっと多いのは、胸が小さい、脚が太い、毛深いなど体にまつわるものだろう。
 セックスにおいて、何か自分の「売り」があると、大きな自信につながるだろう。たとえばフェラチオがうまいとか、あのときの声がいいとか、あるいは性器の締りに自信があるとか、胸は小さいけど感度がいいとか、何だっていいのだ。

売りがなくて体に自信はないけれど、性欲だけは自信がある。というのだっていい。相手に誇るようなものでなくていいのだ。
自分の「したいこと」は何か
 近ごろでは、男性からの愛撫を受けるだけではなく、積極的に、男性に愛撫したいという女性たちが増えている。だが、どこまでしたらいいものか、と悩んでいる女性たちも多い。

 女から男への愛撫というと、どうしてもフェラチオに限定されがちだが、もっと彼の体を探検してみてもいいのではないだろうか。男性だって性感帯はたくさんある。首筋、背中、脇腹、乳首、あるいは肛門に反応する男性も多い。彼の体をマッサージしながら見つけていくという手もある。
 そこでじっくりと時間をかけ、少しずつ彼を変えていこうと作戦を立てた。最初は、彼女にフェラチオもさせなかった彼が、「どうしても舐めてみたいの」という彼女に、フェラチオすることを許した。彼女は本などで必死にフェラチオの研究をしていたから、一度してもらえば、彼がその気持ちよさに目覚めてしまうのは当然のことだった。

抱かれる快感を得た男

 その後、彼は、彼女が全身を愛撫するのを許すようになった。彼女は、睾丸に舌を這わせるふりをしながら、何と肛門を舌で愛撫することに成功。彼は予想外に感じてしまったらしく、初めて声を上げたという。

そうなったらもう彼女のペースだ。彼を後ろ手に縛り。四つんばいにさせて、ついには肛門に指を挿入、前立線刺激で彼は文字通り、「ヒィヒィ」と声をあげて歓んだという。

「それから彼は、前立腺刺激に目覚めちゃったみたいで、いつもやってくれってうるさいんです。私も好きだからやってあげるけど、まさか彼がここまで変わるとは思いもよらなかった」
そこまでにかかった時間は、なんと四年間。しかも、ただつきあっていての四年はない。同棲していながら四年間だ。彼女がいかに辛抱強く努力し続けたか、よくわかる。

あれほど頑固だった彼も、「気持ちいい」ことに対しては、時間がかかったものの崩れていった。それ自体がうれしいと、彼女は顔を紅潮させなから話してくれた。
彼に隠れてスリルを満たす
 自分がしたいことを働きかけていくことは、とても大事だ。しかし、いくら望んでも、必ずしも受け入れてもらえるとは限らない。
彼は、『スリルなんて欲しいとは思わない。刺激なんてなくても幸せだと思えるのが、本当の愛情じゃないか』って。彼の言うことが真理かなあ、と思うんですよ。だけど私は、刺激がないと生きていけないところがある。

だからときどき、彼に黙って、他の男性と寝てしまうんです。その人のことを好きになるなんてことはありません。実はこの間、3Pしちゃたんです。男性ふたりに攻められ続けて、最後には前とアナル、両方にペニスを入れられて‥‥」

 瑞穂さんは、そのときの興奮を思い出したのか、顔を真っ赤にした。アナルセックスというのも今の時代、どのくらい一般的なのかよくわからないのだが、まだ「誰もがする」とはいえない範疇にいるのだろう。
そもそも、最近のブルーフィルムは、男ふたりに女ひとり、あるいは男女数人が入り乱れてというパターンが非常に多い。

いずれにしても、女性はヴァギナとアナルの両方に、ときとして同時に入れられ、最後にはアナルと口では射精を受け止める。もしくは、男性ふたりとも女性の顔面に射精する、というのがパターンだ。顔シャは、世界共通の男の願望なのだろうか。
それはともかく。瑞穂さんの3P体験はかなり強烈だったようだ。

「私、両方にペニスを受け入れるというのを一度やってみたかたんです。アナルは以前つきあっていた男性に開発されて・・・・。もちろん、今の彼はアナルに入れようとする発想はないみたいですけど。

両方同時というのは、それはそれは強烈な快感でした。終わった後、しばらく体が震えて寒気がしておかしくなるかと思ったほど、きっと、今まで味わったことのないような感覚を得て、脳がパニックを起こしたんでしょうね。毛布にくるまって、熱いコーヒーを飲んだら、ようやく人心地がつました」

 そういう体験をしてしまうと、恋人とのセックスが、つまらないものになってしまうのでないだろうか。そう問うと、瑞穂さんは、首を強く横に振った。

「だって彼とのセックスは、愛情確認ですから、彼以外の男性とのセックスは、私にとって、刺激に過ぎないんです。日常には決して持ち込まない、自分だけの世界だから、もちろん葛藤はありますけどね。こんなことをしていていいのか、とか、彼にばれたらどうしよう、とか」

自分の常識は他人の非常識

 女性が葛藤を抱く場面は、まだある。彼がしたいということを、どこまで受け入れるか。かつて、ある女友だちが、
「彼は明るいところでセックスしたがるのだけど、私は暗いところでしたい」
 と言ったことがある。

 間をとって少しだけ明るいところでやってみたら? と話したのだが、こういった葛藤はだれにでもあるだろう。その際に大事なのは、
「こういうことが好きな彼は、おかしいのではないか」

 という疑惑を抱かないことだ。人は自分の常識だけが正常な範疇だと思いがちだが、「自分の常識は他人には非常識」なのだ。特にセックスにおいては。

 お互いに自分の価値観だけに縛られていたら、つきあう意味がない。お互いの価値観を分かったうえで、妥協点を見いだしたり、受け入れがあったりするから、つきあうことによって世界が広がっていくのだ。
それは恋愛、セックスの身ならず、人づきあいの根本ではないだろうか。

一度は相手の願望につきあってみる

 セックスは、突き詰めていくと、最終的には、その人の趣向によって、どこかしらの方向に偏っていくような気がする。

「ふたりきりでするもの、流れとしては愛撫、挿入、射精がベース」というセックスをノーマルなものだとしたら、ソフトSMもアナルセックスも3Pもコスプレも、みんなアブノーマルとなってしまう。

私にはノーマルとアブノーマルの境界線が分からないから、あえて分ける気はしない。もし、信頼できる相手が、どれかを要求してきたら、取り敢えずは受け入れてみてもいいと、考えている。やってみてから、自分の感情をじっくり見据えてみたい。
自分を知ることは結局、他人に対しても理解できる範囲が広がるということだろう。いろいろな体験を重ねていくことで、それまで知らなかった自分の一面を知ると、戸惑いはあったとしても、ものごとや人への対処、対応がきっと違ってくるはずだ。

 一般的になっていないだろうが、アナルセックスだって、私には、それほど変態的な行為とは思えない。なぜなら、肛門には末梢神経が集中しているから、快感がないわけがないのだ。

衛生面に気をつけて、じっくり開発していけば、膣とはまた違った感覚を得られるに違いない。「どんな快感があるのだろう」と考えると、わくわくしてくるのではないか。

新しい快感を得たとき、人はその前とは少しだけ「何か」が変わる。それまで、アナルセックスが異常なことだと決めつけていたとしたら、「ちっとも異常なことじゃないんだ」と思うだろう。

「結婚しているから、帰る家はあそこだ」

「一緒に住んでいるから、帰る場所は他にない」

 という認識は、ただの帰巣本能にすぎない。無意識のままで家に帰り、義務で妻を抱く夫のなんて多いことか。それに演技で応える妻も、また多い。だが、習慣というのは根強いものだから、多くの人たちは習慣によって生活していくことで安心感を得る。
「男が『自由』を求めること自体、私には腹立たしいんです。私が三人の子供を育てている間に、彼は協力もせずに浮気ばかり。自分だけ自由をものにする権利が、どこにあるのかと、怒りが沸いてくるんです。子どもは、ふたりで育てるべきでしょう?」

 憤懣(ふんまん)やるかたないという感じだった。まだ三十代なのに、眉間に深い皺が刻み込まれている。夫が浮気したから、彼女がキリキリするようになったのか、彼女が口うるさいから夫が外に自由と快楽を求めるようになったのか、どちらが先か分からない。

女だけに刷り込まれた特別なモラル

 ゆきずりの人と寝て、それで肉体的に満足がえられたら、それはそれででもいいのではないか。「いけない」と感じるのは、「いけないこと」と、教えられていたからではないだろうか。

 私にも覚えがある。私が十代のころは、まだ、「女は処女でお嫁に行った方がいい」という価値観が残っていた。私自身も、親に「自分を安売りするな」と言われた記憶がある。

 だがそのとき、私は「安売り」ってどういうことだろう、と意味も分からずに困惑した。女の貞操は商品なのか、と。高く売るということはどういうことなのか。玉の輿に乗るということなのか。処女ならいいとこへ嫁に行けるのか。親にそう尋ねたこともある。

大人のカップルならではの「自由」

 彩子さん自身も、そのゆきずりのセックスが、肉体的には、決して悪くなかったと白状している。付き合っている人ではないからこそ、体も心も解放でき、その結果、恋人とは得られないような快感を手にすることもあり得るわけだ。

 もちろん、その後、そんなことをしてまった自分を責めたり、嫌な気分になったりするのであれば、二度としない方がいい。だが、頭から、「ゆきずりのセックスは、いけないことだからしない」と決めてかかるのは、刷り込まれた価値観の正否を、自分で確認することもなく受け入れているだけではないか。

相手の「自由」をどう考えるべきか

 男女関係というのは、一対一(一夫一妻)を意味するモノガミーがすべてで、それ以外の自由恋愛や複婚するポリガミーな人は、みな糾弾されるべきだろうか。もちろん、現代においては、多くの国家が一対一の関係を推進しているし、一夫一妻制を敷いている、それは為政者が、国を統治するために効率的だからだ。

だが、一対一の関係をずっと続けていくのは、人間の生理や心理ら、本当にあっていることなのだろうか。

 私の心の中にも、「ひとりの人とずっと寄り添って生きていく」という考え方は理想として存在する。だが、それはあくまでも、「理想」だ。現実はそうはいかない。
結婚している人と付き合ってしまうこともあるかもしれないし、付き合っている相手が、浮気している可能性だって否定できない。もちろん、自分が浮気するかの性だってある。

女が他の男とつきあうとき

 そう考えると、案外、女性の方がしれっと浮気しているかの性もある。特に最近は、
「セックスしているからといって恋人とは限らない」
 という認識が蔓延しているから、セックスは一部の女性にとって、非常にハードルの低いものとなっている。

 その一方で、保守的な女性も非常に多いのだが、それでも浮気してしまう人はいる。女性の浮気がパートナーにばれにくいのは、男が、「彼女は自分のもの」と思い込んでいて、彼女が浮気するなどとは夢にも思っていないということが、ひとつの原因だ。

 女性の側からいえば、簡単には他の異性と寝ない分、いざ浮気をするときには確信犯になるから、なかなか男には見破れられないという特徴がある。

 しかも女性は自分の中で、相手をきちんと選別する。今付き合っている彼では物足りない部分、今の彼が持っていない面を持っている人と浮気するケースが多い。

 男性はとりあえず好なら口説いたりするので、案外、パートナーと浮気相手が似ていたりすることがあるのだが、女性には、そういうことはあり得ない。自分の心の中にぽっかり開いた、パートナーが埋めてくれない穴を、埋めてくれる人を求める傾向がある。

その上、女性は嘘がうまい。うまいというよりは、嘘をついているうちに、嘘か現実かわからなくなってしまうところがある。

 男の嘘が、点を必死で繋げていくような心もとないものに対して、女性は最初から筋書きがきちんとしているのだ。そのドラマの中に入ってしまえば、アドリブにも柔軟に対応できるから。

男のように、ひとつついた嘘を次にフォローしようとして、かえって露見してしまうということがない。

私は「女」としてまだ通用する?

 恋人と同棲しているのに、他の男性とときどき寝てしまうという三十代の女性は、恋人に浮気がばれたことはないという。

「たとえば帰りが遅くなったとき、『会社の先輩たちに誘われて飲んできちゃった』ことにしようと決めるとします。そうしたら、帰り道で、その筋書は、頭の中でできている。私は今、先輩たちと飲んだ帰りなんだ、とすぐに気持ちを切り替えることができるんです。
なぜ他の男性と寝てしまうかというと、「女でいたから」だそうだ。
 恋人とは四年間、一緒に暮らしている。結婚という形にはこだわらないが、もはやふたりの関係の実態は、長年連れ添った夫婦のそれに近い。家族愛や友情に近い感覚になっているそうだ。そうなると、当然、刺激や興奮がなくなり、セックスもマンネリ化していく。

セックスフレンドは必要か

 ある雑誌のアンケートで、二十代から三十代のOLの三人にひとりは、セックスフレンドがいるという結果が出ていた。非常に驚かされる結果だ。

 恋愛関係にある相手には、どうしても遠慮が働いて、言いたいことの半分しかいえない、という悩みをよく聞く。その一方で、セックスフレンドのいる人が、三人にひとりは。おそらく、恋愛についてもセックスについても、非常に奔放な人と、保守的な人の二極化が進んでいるのではないだろうか。

 セフレ(セックスフレンドのこ)がいる女性たちは、付き合っている彼とは「安定した居心地のいい関係」を結び、セフレとは快楽を追及しているのだろうか。彼女たちは、本当にそれらの関係を、それでよしとしているのだろうか。

 セフレとは何のこだわりもなく、セックスだけを通じた関係を築き上げているのだろうか。確かにここ数年、実感として、女性たちの性意識が激変しているのを感じとってきた。

もちろん、恋人さえいれば他の男性には目がいかない、いったとしても実際に関係をもつなどという「裏切り行為」はできないという人もいるだろうが、おしなべて、女性たちは、セックスについて以前よりは、正直になろう、なりたいと思っているようだ。

複数の異性とつきあってバランスをとる

 セックスフレンドがいるという。三十代前半のOL、松坂玲子さんは、恋人とセックスフレンドとは、付き合い方がまったく違うという。

「三年付き合っている彼がいますが、彼とは食事したり映画を観に行ったり、お互い休暇がとれれば、旅行に行ったりします、仲はいいんですよ。だけど彼は、あんまりセックスが濃厚じゃないんですよね。

付き合いだしたころから、セックスは月に一度あればいいほう。それが唯一の不満なんです。セフレとは半年ほど前に、ネットの出会い系サイトで知り合ったんです。十歳年上の既婚者です。何度かメールでやり取りして会ってみたら、けっこういい人だった。

会ったその日に、ホテルにいってしまいました。その時のセックスがすごくよくて、また会うことになって‥‥。とにかく前戯は念入りに、時間をかけてくれるんです。

私は前戯が大好きなので、前戯だけで何度もオーガズムに達してしまう。年齢が言っている分、ガツガツしない感じもします。私をイカせることが目的、といつも言ってくれる。その人には、安心して自分の快楽を任せられるという感じがするんです。

どんなに乱れてもいいと思える。だけど、恋人だとやっぱり遠慮しちゃうんですよね。前に恋人が途中で萎えちゃったことがあって、そのときは『私じゃもうダメなのかしら』ってけっこう真剣に悩みましたもん。

セフレに対しては、そういう気遣いをする必要がないから、気が楽なんです。こっちがいろいろしてあげれば、それだけで喜んでしてくれるし。
純粋にセックスを楽しめるのは、圧倒的にセフレですね」

セフレは、文字通りセックスが目的だから、ふたりの関係って、すごくはっきりしているんですよ。お互いにどこまで快楽を与えられるか、受け取れるか、というのが、ふたりの最大かつ唯一の目的だから。
セフレは目的がはっきりしているから、思いっ切り自分を解放して、深い快楽を得たら、その日は『じゃあね』ってさらりと別れられる。もちろん、恋人がいなくてセフレだけだったら、虚しいと思うんですよ。
こういう言い方をしたらいけないんだけど、恋人がいるからセフレもあり、っていう感じですね」

「彼との関係で、セフレとしているようなセックスをするのは。無理だと思うんです。セフレとは、ホテルの駐車場や非常階段なんかでもしたことがあって、すごく刺激的な体験だった。
セフレはセフレ。付き合い方が違うし、目的も違う。そうやって割り切っているから、セフレに恋愛感情を抱いて苦しくなるというようなことはないんです。自分の中では、完全に分けて考えています。

一度きりの関係だったんです。だけど、今回は違う。自分の意思で出会い系にアクセスして、自分の意思でセフレと会ってるんですから。だから最初のころは、『恋人がいるのに私、何やってるんだろう』って思いました。だけど、セフレとの関係を断ち切れなかった。だって、あまりにもセックスが合うから」

コミュニケーションのとり方は男女で違う

 女友だちなら、「何それ、ひどーい」と一緒に怒ってくれるのに。男は、女性が愚痴やおしゃべりを始めると、相槌を打ちながらも右から左に聞き流すか、急に意見を言い始めるかどちらかだ。だから、過剰的に共感してもらおうとすると、逆に誤解を生じて、ケンカが勃発する。
恋人に対して、
「女友だちでもあってほしいし、趣味もすべて一致してほしいし、セックスも同じようなテンションでしてほしい」

 というのは、無理なのかもしれない。だからこそ、それぞれの分野で、もっと合う人と一緒にいた方が楽しいのはよくわかる。

 日常的に不満はないが、セックスにおいては、テンションや濃密さの趣味が合わない、というなら、それだけを他の人に振り分けるのはしかたないことではないか、と私は玲子さんの話を聞きながら感じていた。

妥協はしても我慢はしない

 以前、セックスの回数と密度と時間帯が合わないといって、共働きの妻と離婚した男友だちがいた。ふたりはで会って三ヶ月後には入籍したスピード婚だった。一緒に生活してみてわかったのは、妻は、セックスに淡白だったということ。

セックスは週末の夜だけで充分、しかも早寝早起きタイプなので、深夜になる前にセックスを終わらせて、早く寝たいという。密度に関しても、濃厚なのは好みでなかった。
 結婚当初、妻は三十歳だったが、セックスの経験も豊富ではなく、「どんなセックスが好き?」と彼が聞いても、まったく答えられなかったという。彼が尋ねたら、妻はマスターベーションさえしたことがなかったそうだ。

 一方かれは、「エッチ大好き」というタイプ。当時、三十代半ばだったが、週に二、三回はしたい、時間があるときには濃厚にしたいし、ベッドの中でいちゃいちゃしているのも大好きという男性。

 だから、ふたりとも仕事が休みの週末、濃厚なセックスをしてもなおかつ翌朝はベッドからなかなか抜け出さずに、セックスしたり抱き合ったりしながら話をしたいと思っていた。ところが妻は、平日が忙しくて家事が滞りがちだから、週末はふたりで手分けして家事をどんどん片付けようと言う。それで何度も衝突していたのだ、ある日、とうとう妻は、彼を受け入れようとしなくなった。

「生理的にダメなの、あなたとはもうセックスできないと思う」
 と言われたという。

「夫婦なのに、『生理的にダメ』って言われて、すごく落ち込んだ。まるで汚いものでも見るような目で見られて。セックスが合わない女性と一緒に暮らすのは、とても大変なことだなあと、そのとき、実感したんだ」
 と、彼は嘆いていた。

 結局、彼は我慢できずに離婚を申し出た、長い間も揉めたものの、最終的に妻は離婚に合意。かれは、その三年後に再婚した。
「今回は、ばっちり合うんだよね、セックスの濃厚さも回数もテンションも。人にはいろいろな価値判断があるから、決めつけることはできないけど、僕は、セックスが合わないのに一緒にいるのはつらいものだと、改めて知りました」

 彼は、実生活でセックスが合わないという、彼にとっては大きな理由から離婚した。だが、もし子どもがいたら。あるいは彼自身が離婚する勇気が出なかったったら、どうしていただろう。
 不思議なことにだが、セックスというのはかなりお互いの精神状態が反映されるものだという気がする。とても愛おしいと思われているのもわかるし、感じさせようと頑張ってくれている気持ちもわかる。

気持ちの中に一点、おそらく私への不信感や憎悪に近い気持ちがあるときも、察することができる。どんなに言葉で取り繕っても、その人の心の深い部分が投影されるものだという気がする。だからといって、セックスが二人の関係のすべてではないということも、分かってはいるが。

 セックスとマスターベーションの関係

 ある二十代の女性が、彼の家に泊まりに行ったとき、彼がマスターベーションをしているのを見て、非常にショックを受けたと話してくれた。

「その晩、私とセックスしたんですよ。私はそのまま寝てしまったのだけど、彼は眠れなくて、どうやらエッチビデオを見ていたようなんです。夜中に、ふと目が覚めて、隣の部屋を見たら、彼がビデオを見ながら呻いていて…‥。

見てはいけないものを見てしまったという気がしたので、声もかけませんでした。でもそれ以来、事あるごとに、その光景を思い出して、私じゃ満足していないのかもしれない、と卑屈な気分になっていくんですよね。彼に言った方がいいのかどうか、ずっと迷っているんです」

 セックスとマスターベーションは、別のもの。相手に満足していないという理由で、マスターベーションをするわけではない。それは女性も同じでしょう、と言うと、彼女は、キョトンとしていた。どうやらマスターベーションをしたことがなかったようだ。

 アメリカの最近の調査では、八十五パーセントの女性が、マスターベーションをしているという結果が出た。おそらく、日本の数字はそれよりは下だとは思う。六割以上の女性がしていると、何かの報告で読んだことがある。ということは、三割以上がしていないということでもある

マスターベーションで、より自由に

 セックスとマスターベーションとは別、と認識を変えれば、惨めな気分になる必要はない。自人自身の性的感覚を知り、自分の性欲を満足させることはできるのは、問いも素敵なことではないだろうか。

 マスターベーションなんてしたくない、惨めなことだと感じる人がいるとしたら、そう思ってしまう原因は何か、自分の心の奥を覗いてみた方がいいような気がする。

何かが「自由」を阻んでいるのだ。その「何」は、おそらくセックスのときにも、壁となり得るはずだ。あるいはすでになっているかもしれない。

「性」というものに対して、臆する気持ちや自由になり切れない思いが潜みがちなのは分かる。だが、それは自分自身で作り出した「壁」なのではない。何度もいうように、社会や、周りの規範から押し付けられた価値観ではないだろうか。

 セックスにおいては、ふたりの合意があれば何をしてもいい。そして、マスターベーションは、自分一人の世界だから、より自由になっていい。想像の中では、複数の男に犯されたっていいし、次々と男を変えてもいい。

誰にも非難されないし、誰も傷つけない。自分の体をまさぐっているうちに、意外な性感帯を発見する可能性もある。
「彼女がマスターベーションをするようになってから、僕たちのセックスもとてもスムーズにいくようになったんです。もちろん、それまでも彼女とのセックスは楽しかったんだけど、彼女はどこかセックスに対して自由になり切れていない、殻がるような気がしていた。でも、だんだん変わっていきましたね。この前なんか、一緒にラブホテルに行ったとき、バイブレーターを買ったんですよ。彼女、結局、それを持ち帰ってしまいましたからね。

でも、彼女がセックスに積極的になってくれたのは、すごく嬉しい。ほとんどの男はそう思っているんじゃないかなあ」

 マスターベーションで自分の体に慣れるということは、自分の性感を的確に知るということでもあろう。

 器具を使うのももちろん賛成だが、指を入れてみるのも大事な気がする。入れたときの指自体の感触、指が入っている膣の感覚を知るのは、とても興味深い。指を一本、二本と入れてみて、どんな感じがするのか。

そうやって慣れていくうちに、自分がある程度確実にオーガズを得られる方法が分かってくるはずだ。大事なのは、指にしろバイブレーターにしろ、「きもちいい」を通り越して、イキそうになったときに決してやめないことだ。

感じる自分を受け止められない

「私、マスターベーションはよくするんですが、実はセックスでもマスターベーションでも、オーガズムを感じたことがないんです。これ以上やると、達してしまう、という手前でいつもやめてしまう。セックスのときも、彼に、『止めて』と、本気で叫んでしまうんですよね」

 池内香世子さん(三十三歳)は、せつなそうに、そう話してくれた。
 何が彼女をそうさせたのだろうか。そこでやめなければ、今までとは違った感覚が得られるのに、それが怖いのだろうか。
 彼女はなぜ、オーガズムを得るのを恐れるのだろう。未知の感覚を味わいそうになったとき、恐れを抱く気持ちは多少理解できる。ただ、女性がオーガズムを恐れる理由は、それだけではないような気がする。それを得たとき、自分がどういうふうに乱れるのか、それを彼に見られ、彼がどう思うか。そのことが怖いのではないだろうか。

 自制心や理性を失い、動物のように欲望に忠実になった結果がオーガズムだとしたら、それを見た彼が、自分を嫌うんじゃないか。そんな恐怖や不安が彼女の心の奥底にあるのではないだろうか。

快感を得る自由を他人任せにしてはいけない

 マスターベーションであっても、いったん、オーガズムを得てしまえば、次のセックスで得やすくなるのは分かっている。ひょっとしたら、彼にどう思われているか、という以上に、自分自身が、欲望の虜になるのが、怖いのかもしれない。

 確かに、オーガズムに達すると、女性たちは理性が吹き飛んでしまう。体も、自分のものであって、自分のものではないような動き方をするし、そのとき自分がどんな声を上げているのか、どんな顔をしているのか考える余裕もなくなる。だが、それを心配しても始まらない。
むしろ男たちは、そうやってオーガズムに達し、そこに没入する女性を見ることを歓びとしているのだから、不安に思う必要はない。自分が彼女をオーガズムに至らせることができた、と感じるのは、男にとっては自信につながる。

 達したときに乱れすぎる彼女を見て、それで嫌になった、嫌いになったというような話は聞いたことがない。万が一、そんな男性がいるとしたら、そういう男は、女性側から願い下げにしたほうがいい。
自分の心も体にも、まだまだ未知の部分が残されている。オーガズムを得られたとしても、その快感は、もっともっと強まる可能性が大きい。凄まじいオーガズムに何度も翻弄されてしまいには失神してしまったという女性もたくさんいる。

自由の果てにあった。不自由な感情

 彼とは、ここ二年ほどマンネリになっていると感じていた。そのため、刺激を求めて、一年前から相手を交換するグループセックスのスワッピングパーティに参加するようになった。もともと、「お互いは自由な存在」と認めあっているふたりだが、それぞれ相手がいちばんだと思っていたから、実際に浮気をしたことはなかった。

自由の裏にもリスクがある

 どんなセックスを好もうがかまわない、と私は思うのだが、それでも一般的にはセックスはふたりでするもの、という認識がある。他人のセックスをのぞきたがる、あるいはスワッピングを好む、などというのは、一般常識からは少し離れるだろう。

 そういう趣味嗜好が、本質的なものか、単なる一時的な興味なのか、今の冬美さんにとっては問題になっている。冬美さんは恋人に誘われて、興味本位でそういう世界に足を踏み入れた。だが自分では、いつでも抜け出せることができると思っている。

おそらくは今の恋人も、興味と好奇心が先立っており、本質的にその世界に深入りすることはないタイプなのだろう。

 解放 心を解き放つとき

セックス観を見直すきっかけ
 自分を解放したい、男性に欲望を抱いたらその気持ちに忠実に行動してみたい、と感じている女性は多い。ところが多くの女性は行動できない。行動できないことに忸怩(じくじ)たるものを抱えている女性も多いようだが、ある意味ではできないのが当然だと思う。

 ある意味というのは、現実的に考えれば、女性が自分の欲求を満たすために、男性をナンパするような文化はまだ育っていないといことだ。万が一、誰かと知り合って欲望の炎を感じ取ったとしても、その男性がまともな人がどうかは、そう簡単には分からない。

 ふたりきりの空間にいってみたら、急に態度が変わるかもしれない。ひょっとしたら女を殴らないと興奮しない、というような、とんでもない性癖を持っているかもしれない。そう考えると二の足を踏むのはごく当たり前だろう。

 だが、自分の欲望を感じていながら行動をしないだけなのか。欲望自体を否定するような価値観を抱いているのか、そこには自身を見極める必要がありそうだ。なぜなら、偏狭な価値観に縛られているのは、とてもつまらないことだから。
独身同士の恋愛、夫婦だけのセックスは正しくて、どちらかが既婚であったならそれはどんなに惚れ合っていても「汚らわしい関係」だと断罪する。そういう価値観こそが問題ではないのだろうか。

セクシーな男性との一夜の関係

「セックスって不思議なもので、しなきゃしないですむのに、そうやって開発されてしまうと、どんどんしたくなるんですよね。私も快感が高まるにつれて、もっとしたい、と思うようになっていきました。

だけど彼は仕事が忙しいし、家庭もある。会えるのはせいぜい月に二回くらい。私、物足りなくなってきちゃって‥‥。最初は彼に買ってもらったバイブを使ってマスターベーションをしていたんです。でもいつも悶々としていて、彼に『もっと会いたい、どうして会えないの』と文句ばかり言っていました。

あるとき、仕事関係で知り合った人と、ホテルに行ってしまった。この人がまたセックスの相性がけっこうよくて。ただ、私は本命の彼と別れる気はまったくないから、それ以来、たまに『いいな、セクシーだな』と思う人に出会うと、自分から粉をかけるようになっちゃったんです」

 自分を解放する、ということは、たくさんセックスすることではない。セックスにおける自分の中の「窮屈な縛り」を解くことだ。その結果、ひとりの人と心身ともに愛しあえることもあるだろうし、相手はひとりでなくても自分自身が精神的に楽になり、セックスを真正面から取り組めるようになることである。

どの道に落ち着くかは、人によって異なるだろう。大事なのは、いろいろ偏見をなくして、セックスを楽しめるようになること。それによって人生を楽しめるようになることだという気がしてならない。

セックスレス夫婦、セックスレス、性生活、性の不一致、夫婦生活

本表紙ウィーン大学の研究において電子機器とモニターの助けを借りて、膣(ヴァギナ)内のオーガズムを生理学的に観察した実験結果を見てみよう。


男性の性欲は主としてテストステロンのレベルが保たれていることによって引き起こされ、射精によってオーガズムを得られるが、一方女性とても複雑であり、脳の役割がずっと大切になるらしいことがわかった。生殖器が感じた興奮を脳が認識するには、ある一定の基準を満たさなければならないらしい。

女性の性欲には、非常に異なる三つのホルモンが複雑に混ざり合って影響を与えている

二番目のホルモンはテストトロンである。女性の場合、このホルモンの量は男性よりずっと少ない。だが排卵期前後はぐっと量が増え、男性と同じ効果をもたらす。夜、相手を求めてさまよったり、何かを積極的に追い求めたり、戦いをものにしたりする背後には、テストテロンの働きがある。
三つ目のホルモンはプロゲステロンである。このホルモンはいわば“意欲に水をかける”ホルモンで、女性が家に溜まって家族の中に閉じこもりたくなるのはこのホルモンの働きなのである。

女性のオーガズムに達するメカニズムは

膣の三分の一(外側)が強い収縮を起こす。最初のころの収縮は二秒から四秒に続き、後のほうの収縮は0.八秒の間をおいて起きる。膣の内側三分の二がやや広がる。子宮が収縮する。絶頂に達し、からだ中が熱くなる。体の様々な箇所で筋肉が収縮し始める。いわゆる全身痙攣(けいれん)を引き起こすし、呼吸数、心拍数が高まり、血圧が三割ほども高くなる。声を出す例もみられる。

また、ヴァギナと子宮の筋肉が収縮すると、ヴァギナの奥が子宮に向かってリズミカルに震え、子宮頚も繰り返し震える。これには、“吸い上げ”の効果がある。ヴァギナに溜まっていた液体は、精液であれば女性自身の分泌液であれ、子宮頸を通って吸い上げられていく。精子にとっては、これは卵管を通って卵子に出合う旅に出る後押しになる。また、ヴァギナから出られるという効果もある。

しかし、女性のオーガズムのうち、ペニス挿入そのもので引き起こされたものはわずか20%だが(残りはマスターベーションやファンタジー、あるいは前戯によるもの)月のうち受胎の可能性が高い時期ほど、挿入によるオーガズムが起きやすいのである。

挿入そのもので引き起こされたものはわずか20%だが

受胎の可能性が高い(排卵)時期にしかオーガズムを得られないように感じられるが、閉経後の女性にもオーガズムを感じている人が多くいる、なぜだろう? 性感帯とは? 性テクニックなの? ペニスが小さすぎ? ヴァギナが緩すぎる? 詳細は当サイト免責事項“オーガズムの定義”から閲覧ください。

身体の中心

人間の性的関心には実にバラエティがあり、指紋のように一人一人違うと言ってもいいほどである。情熱が燃え上がって、だんだん愛が成熟して行くのであるが。
1947年、キンゼーの研究チームは若い人妻の8%が家庭の外に愛人を持っていて、35歳に達するまでにはその割合は20%に上ることを発見している。それから何十年がたち、女性が自由になればなるほど、その%テージは上がったわけである。
この調査の結果、47%の女性に複数の相手がいることが解った。つまり、5日間の間に少なくとも1回以上、別々の男性とセックスした女性がそれだけいたのである。これは女性のパートナー選びに焦点を当てたほかの研究結果とも合致する。

 1980年、女性誌『コスモポリタン』が行った調査によると、34歳までの人妻のうち半分が、夫を裏切ったことがあると答えている。もちろん『カンパニー』や『コスモポリタン』の読者は、ことにセックスに関する調査に協力しようなどという女性は、いわゆる普通の女性よりも性の知識が豊富で積極的であり、素直に自分の体験を語るだろう。

そしてもっとも妊娠の可能性が高い時期に愛人に会うことが多いのである。カール・グラマーのクラブでの実験行った実験で証明されたのはこの事実だった。エストロゲンとテストステロンの高い時期、妊娠の高い時期には、女性は性欲を満たそうとする。しかも“レギュラー”でない相手と。

 この結果は我が日本の女性ともほぼ同じ結果が日本性科学協会発表によっても明らかであり。
 身体の中心とはヴァギナ或いは、子宮(子宮頚)を心地よく愛撫しえる太長くて逞しいペニスがヴァギナ或いは、子宮頚及び子宮に全身痙攣(けいれん)を素早く引き起すファンタジーがあるから家庭の外に愛人を持ったりし、家庭崩壊を招くのである。だからといって、その愛人と一緒になったからといても幸せになる保障はない冒険をする必要はないのである。
 それよりか、当社発明のソフトノーブル使用で避妊と究極の性的ファンタジー十分であり、いま安定した家庭環境なら現在のパートナーといたほうがいい。
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心の中心

人間の性的関心には実にバラエティがあり、指紋のように一人一人違うと言ってもいいほどである。情熱が燃え上がって、だんだん愛が成熟して行くのである。
もちろんセックスも大事な要素だが、精神的な絆も強く感じている。身体の中心だけでなく心の中心で、相手とつながっているのがはっきりと意識できる間は性の不一致また、セックスレス,セックスレス夫婦なということは起きえないが、心の中心(相手を尊敬できない、不信感、経済困窮)など陥った場合などでは精神的な絆が崩れると性の不一致また、セックスレス,セックスレス夫婦なという事態になってしまう。

女性の月経サイクルとホルモンの満ち干はどういう関係があり、それはどのような心の動きを生み出すのだろうか。
当サイト恋愛サーキュレーション図書室=

男はなぜ新しい女が好きなの? 男と女欲望の解剖学=サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳から引用。

未だ女性の性欲の存在に疑問を感じている人々がいたとしても

中には快楽のために夫を必要としない女性さえいるのだという事実が生きた証拠となった。だがそれも“積極派”と“受身派”の議論は終わらなかった。いや、ますます過熱するばかりだった。

 両方の派閥ともやや意見を変え、敵に譲れるところは譲り、次の対決に備えて刀を磨いて待っていたからである。女性のオーガズムより、その機能へと関心は移っていったのである。いったい何のために、女性はオーガズムを感じるのだろう? 

 西洋にはギリシア時代の昔から、この問いに対する答えが二つある。一つは女性のオーガズムがもたらす震えが精液を究極の目的地へ送り込み、妊娠を促進するという答えである。そしてもう一つは、オーガズムは女性の健康全般にいい影響をもたらしているというものである。

 フェミニストの精神科医、メアリ・ジェーン・シャーフィーの考え方は後者を少し変形してみせたものである。1972年、議論を呼んだ論文『女性性の進化とその本質』の中でシャーフィーは、人類の始祖たちは性的に奔放な女性の支配する社会を形成したという見解を示している。

 この社会の女たちは、好きな男と好きなときに交わり、そこに感じるオーガズムは、骨盤から不要な鬱血を取り除くのに役立ったという。その結果進化論的に見ると、性に積極的で長く強いオーガズムをしょっちゅう感じる女性が有利だっただろう。

15、精子戦争

男性の性欲は主としてテストステロンのレベルが保たれていることによって引き起こされる。このホルモンがあるから男性は、出来るだけ多くの相手とできるだけたくさんセックスをしようとするのである。かたや女性の性欲には、非常に異なる三つのホルモンが複雑に混ざり合って影響を与えている。
エストロゲンについてみてみよう。このホルモンはいつでも生産されているが、排卵の直前に特に多くなる。セックス・セラピストのテレサ・クレンショウはこのホルモンを“マリリン・モンロー・ホルモン”と名付けている。“そばにきて私に触って! 私をあなたのものにして!”と訴えるホルモンだからである。女性を駆り立てるのも、このホルモンの仕業である。二番目のホルモンはテストトロンである。女性の場合、このホルモンの量は男性よりずっと少ない。だが排卵期前後はぐっと量が増え、男性と同じ効果をもたらす。夜、相手を求めてさまよったり、何かを積極的に追い求めたり、戦いをものにしたりする背後には、テストテロンの働きがある。

 このホルモンは、セックスにも関係がある。ふと立ち止まり考えずに前に進むのは、テストステロンのせいなのである。

三つ目のホルモンはプロゲステロンである

このホルモンはいわば“意欲に水をかける”ホルモンで、女性が家に溜まって家族の中に閉じこもりたくなるのはこのホルモンの働きなのである。

 このホルモンの働きが強い人は、積極的・攻撃的な行動を取るよりもむしろ何かを育み、守る傾向が強い。また女性の月経サイクルの最後の方や妊娠期には、このホルモンは大量に生産される。

 このように多様なホルモンが補い合って作用しあい、満ち干きを月ごとに繰り返す。これを理解すると、女性の性衝動に関してこれまでよりはずっと真実に近づける。
決まった相手がいながら一人でクラブに来る女性たちは多かったし、彼女たちの服装や振る舞いにも共通するものがあった。

 社交クラブで採取したゾフィの唾液を分析してみると、エストロゲンとテストステロンが両方とも濃い。排卵期だったのだ。
 
 ゾフィのドレス、ホルモンの状態、そしてクラブに来るまでの経過から研究者たちになじみのパターンをまとめてみよう。ゾフィはその夜、妊娠可能な状態にあった。そしてボーイフレンドから離れ、一人でここにやってきた。
なぜ女性の性はあれほどバリエーションに富んでいるのだろう? クリトリスの本当の役目は何なのだろう? それに、そもそもなぜ女性は絶頂に達するのだろう?

一つ目。セックスのあとヴァギナから流れ出た液体はいつも同質ではない。そしてそれは、射精の量とも関係がない。むしろ、“フローバック”の量は、女性のオーガズムのタイミングとの関係がある。
女性は男性が達する一分前から三分後にオーガズムに達すると、ヴァギナに溜まる精液の量は増え、男性よりずっと早く、あるいはずっと遅く女性が絶頂に達したり、女性が一切オーガズムを感じないと、女性の体内に溜まる精液の量は減る。

そして二つ目。女性のオーガズムのうち、挿入そのもので引き起こされたものはわずか20%だが(残りはマスターベーションやファンタジー、あるいは前戯によるもの)月のうち受胎の可能性が高い時期ほど、挿入によるオーガズムが起こりやすい。

オーガズムと妊娠に関係あると思っていた古代ギリシア人の考え方は、完璧なものではないとはいえあながち間違っていなかったのではないかとベイカーとべリスは考えた。だがそれならば、オーガズムはどういう役割を果たすのだろうか?

 1960年代にマスターズとジョンソンが研究成果を発表して以来、あるいは、1970年代にコペンハーゲン大学のゴーム・ワーグナーがオーガズムに達した女性のヴァギナを撮影して以来、研究者たちは“テント効果”と呼ばれるユニークな生理的現象を知った。

ヴァギナと子宮の筋肉が収縮すると、ヴァギナの奥が子宮に向かってリズミカルに震え、子宮頚も繰り返し震える。これには、“吸い上げ”の効果がある。

ヴァギナに溜まっていた液体は、精液であれば女性自身の分泌液であれ、子宮頸を通って吸い上げられていく。精子にとっては、これは卵管を通って卵子に出合う旅に出る後押しになる。また、ヴァギナから出られるという効果もある。
さてベイカーとべリスは、どれくらいの状況でどれくらいの精液が女性の体内に溜まっているかを確かめた。そして今や、精子の出所を確かめる時が来た。そのためには計算式が必要だ。女性は受胎可能な時期に、どれくらいの頻度で誰とセックスしているのだろう。

 この調査の結果、47%の女性に複数の相手がいることが解った。つまり、5日間の間に少なくとも1回以上、別々の男性とセックスした女性がそれだけいたのである。これは女性のパートナー選びに焦点を当てたほかの研究結果とも合致する。

すでに1947年、キンゼーの研究チームは若い人妻の8%が家庭の外に愛人を持っていて、35歳に達するまでにはその割合は20%に上ることを発見している。それから何十年がたち、女性が自由になればなるほど、その%テージは上がったわけである。

 1980年、女性誌『コスモポリタン』が行った調査によると、34歳までの人妻のうち半分が、夫を裏切ったことがあると答えている。もちろん『カンパニー』や『コスモポリタン』の読者は、ことにセックスに関する調査に協力しようなどという女性は、いわゆる普通の女性よりも性の知識が豊富で積極的であり、素直に自分の体験を語るだろう。

 だがこのような数字を突きつけられてみると、女性は男性より生まれつき性欲が弱く相手のバラエティを求めないという説は頷くことができなくなってくる。

 女性が一夫一妻制を守るという思い込みに対する打撃は、ここで終わらなかった。ベイカーとべリスが研究を進めると、さらに衝撃的な事実が明るみに出た。女性はレギュラーのパートナーとは、月経サイクルの一周目と最終周、すなわち最も妊娠しそうにない時期に愛を交わしがちである。

そしてもっとも妊娠の可能性が高い時期に愛人に会うことが多いのである。カール・グラマーのクラブでの実験行った実験で証明されたのはこの事実だった。エストロゲンとテストステロンの高い時期、妊娠の高い時期には、女性は性欲を満たそうとする。しかも“レギュラー”出ない相手と。

それにテストステロンが誘導するのは、セックスだけでない、このホルモンは女性を、マスターベーションにも駆り立てる。だれにも相手にされない欲求不満の女性が自分を自分で慰めるのだという一般的な思い込みとは裏腹に、セックスの回数の多い女性ほどマスターベーションの回数も多いと女性ほどマスターベーションの頻度も高いという研究結果が出ている。

 もちろん、セックスの相手を見つけて興奮しているせいかもしれない。だが、もっと隠れた理由はないだろうか? ベイカーとべリスはこんな説を立てている。マスターベーションは、次にやって来る精子軍団に向けて跳ね橋を上げるような行為なのかもしれない。ヴァギナだけではなく子宮頸の中も、酸性に傾いていく。

こう見ていくと、“レギュラー”の男の精子にとって、受胎への道は生易しいものではないことがわかる。ところがベイカーとべリスは、さらに気の滅入るような情報をもたらした。女性がいつセックスをするかを確かめた二人は今度、セックスの内容を調べてみた。

その結果、“レギュラー”の男は二重(三重に)不利な立場に置かれていることを発見したのである。女性が受胎可能な時期に、夫と愛人、二人とセックスしたとしても、愛人のセックスの方が相手のオーガズムの時期がずれない。つまり、愛人の精液の方が体内に残りやすいのである。

受胎可能な時期にした愛人のセックスの70%が“高体内保留率”セックスであるのに対し、夫のセックスではその割合が40%まで低くなる。どう考えても、間男のほうが分がよさそうである。

実際夫とのセックスのほうが愛人の二倍多かったとしても、父親になるチャンスは愛人の方が高いのである。
外に愛人を作った女性は、いつかはばれるかもしれないというリスクをつねに背負っている。ならば避妊には相当慎重になるだろうと、誰しも思うことだろう。だか、これはいささか事実と違っている。

家を出て外で密会するためには知恵を絞っている女性たちも、避妊になると全然気をつけていないらしいのである。リスクを思えば、もっと賢い振る舞いもできるだろうに、なぜこうなるのだろう?

ある社会生物学者が女性のセクシュアリティに関して語るとき指摘したとおり、婚姻関係の外にバラエティ豊かな相手を求めるという男性の衝動が進化の過程で、消えなかったのは、少なくともある種の女性たちがそれを受け入れたからである。

そしてそれは、たんに生活の糧を得るためではない。女性たちはもっと恒久的なもの――すなわち遺伝子――を残そうとしたのである。
自分で意識している、していないにかかわらず、女性の体は子どもの父親が誰かうまくごまかす機能が備わっている。排卵は目に見えず、受胎は体内で行われる。“フローバック”に“アップサック”、それにマスターベーションやオーガズムもある。すべて、あまりあからさまにではなく、数ある男性のなかでプライオリティをつけるための道具立てなのであ。

そう考えると、クリトリスもオーガズムも哺乳類の進化してきた過程での偶然の産物ではない。女性にパワーを与える武器なのである。おまけに、この知識があれば女性は、もっと意識的な選択ができる。

 男も女も悪気がなくても、相手を騙すことがある。つがいになっておきながら、外でさらに繁殖のチャンスを探す。そしてたいていの人は、自分の裏切りには納得していても愛の裏切りは許さない。
 たしかに理屈に合わない話だが、これが事実である。

 男から見ると、女が浮気をすると別の男の種を宿して夫婦のベッドに帰ってくることになる。女にとってはそれでも構わないだろが、男にとっては大損害である。エネルギーと資産をつぎ込んで、自分の子と勘違いした他の男の子どもを育てるほど無駄なことはない。

 女を得て保護してきたエネルギーや資産がすべて無駄になるのである。おまけに、子どもへの投資もすべて。その上女が妊娠している間ずっと、女を自分の遺伝子を後世に伝える道具として使えなくなる。

 そう考えると、進化の過程で、パートナーの性行動を厳しく見守り、相手に浮気心が見えたら速やかにきっぱりとした行動を取る男が生き残ったとしても不思議ではない。つまり、嫉妬深い男のことだ。

 そして日々の生活ではさほど目立たない嫉妬も、実際相手の浮気や相手に捨てられそうだという危機にさらされると、突然その姿を大きく現す。

 このような状況に置かれるとまず、男の敵意は相手の男に向かう。デイリーとウイルソンの調査によると、男性が男性を殺す殺人事件のうち少なくとも20%は嫉妬が根本的な原因になったものだという。

 たとえ、表面的には他の理由があるとしても。だが私たちが知っている通り、男の攻撃は妻にも向かい、死に至らしめることさえある。虐待された妻の避難施設で行った調査の結果、50%が夫の嫉妬をぶつけられていたことがわかった。

 だが女から見ても、夫の浮気は深刻な結果を呼ぶ。女の場合、産んだ子供が自分のものだということは常にはっきりしているが、そして、夫が浮気しても自分の繁殖の機会が減るわけでもないが、夫が浮気をすると、先々まで被害を受ける可能性がある。夫の気遣いが、彼女の産んだ子どもをから逸れてしまうかもしれないのである。

 もちろん今日では女性も経済力を持ち、シングル・マザーになったからといってただちに子どもの人生が駄目になるわけではない。だが今までの人類の歴史の中で99%の時代は、そうではなかったのである。

 寛大な親戚が大勢いない限り、夫に捨てられた女と子どもは身の安全どころか、生き長らえていくことさえできなのである。
デイリーとウィルソンは考えた。男と女の優先事項が違う以上、嫉妬を感じる要因も違うだろう。男は相手の肉体的な浮気により嫉妬を感じるのではないか。そして女は、管状の上での浮気に危機を嗅ぎ取るのではないか。見捨てられたり、夫の資産が他に行ってしまったりする可能性が出てくるからである。
一つ目のシナリオは、パートナーが他の誰かと精神的な絆を築いているというシナリオであり、二つ目は、パートナーが行きずりのセックスを楽しんでいるというシナリオだった。二つのシナリオの間にはクリーニング・オフの時間を取り、生理学上の反応のデータを徹底的に集めた。

バスが予想した通り、女性たちは精神的なほうのシナリオに強く反応し、男性たちは行きずりのセックスのシナリオに強く反応した。

実際、自分のパートナーが他の男とベッドにいるところを想像すると男性の心拍数は、コーヒーをストレートで三杯飲んだ時と同じくらい上がった。たしかに、男も女も嫉妬を感じる。けれども種類は少し違うようだ。

まったく肉欲とは、「あれほど強く訴えかけてくる快楽はない」手強い敵である。抑えようとすればするほど、人は肉欲に取りつかれるようである。 

 どれだけ避けようとしても、どれだけいけないと思っても、人間社会はつねに、なんらかの性の文化がある。その文化はそれを作っている性そのものと同じように、強く深く影響を社会になげかけている。破壊力を秘めている性をコントロール――そういう純粋な動機から生まれた文化がある。ときには、それも成功する。

だが、これが失敗することが多い。規則を正当化するために神話や宗教が作り出す性のヒエラルキーは、権力を持ったものに都合よく、信じやすい大衆の性を奇妙な形に歪めていくのである。無理が重なると、歪みが大きくなり、崩壊していく。

キリスト教は平和と無私、そして思いやりの文化を創ってきた――少なくとも、信仰し美徳を重んじる者に対しては、だがその間つねに、もっとも利己的な活動と言ってもいいもの――セックス――を相手に戦いを繰り広げてきた。そこにあまり情熱を注ぎ込んだため、異常な罪悪感を生み出し、子づくりを目的としない一切の性のバリエーションが禁じられたことになった。

人間には性によって繫殖する生物で、人間を進化させてきた衝動も文化の影響を超えたところで、一人一人の性が違ってくるのである。それぞれが望み、そしてできれば実現してみたいという行為やシナリオに、個性が出てくるのである。セックスを語るとき、私たち“好み”という部分は、この第三の要因が創り出しているのである。

 男と女どちらが好きか、ブロンドとブルネットどちらが好きか、頭脳派と肉体派のどちらが好きか、自分の親と似ている相手と似ていない相手のどちらが好きか、胸と尻のどちらを重視するか、支配するのとされるのとどちらが好きか、優しいセックスと荒々しいセックスとどちらが好きか――これはそれぞれが持っている特殊性によって決まるのである。

 人間の性的関心には実にバラエティがあり、指紋のように一人一人違うと言ってもいいほどである。

排卵期の分泌液の匂いは男性のテストステロンのレベルをぐっと上げ、150パーセントも上がった例も見られたほどだった。
盲目の愛に陥った人でも初めは、同時に何人もの相手に惹かれたていることがある。だが奇跡が起こり、思う相手と気持ちを確認し合うと、他の候補者は目に入らなくなり、情熱が燃え上がって、だんだん愛が成熟して行くのである。
もちろんセックスも大事な要素だが、精神的な絆も強く感じている。身体の中心だけでなく心の中心で、相手とつながっているのがはっきりと意識できるのである。

19世紀のフランスの小説家で傑作『赤と黒』で知られるスタンダールは、愛について小冊子も書いている。この中で彼は、愛する人が恋する者の目にいかに輝いて見えるかに読者の注意を促している。欠点などないように見え、ただ魅力を、貴重な人格を、完璧さだけを備えているように見えるのである。

スタンダールはこのプロセスを結晶作用と呼んでいる。ザルッブルクの近くにある岩塩の産地で見た塩づくりにインスピレーションを得たのである。水に棒を――ごく普通の棒を――入れ、何週間か待つ。すると、棒の周りにびっしりと結晶がつくのである。光を受けて輝きを放つ結晶は、もはやただの棒には見えない。

まるで宝石を散りばめられた杖のようである。魔法でもかかったのかと思えてしまう。そうなるともう、それがただの棒だと信じられなくなる。貴重なもの、何かとても価値のあるものに思えてくるのである。美しさの点で比類ないものだ。

テノブ持っこの作用が、盲目の愛の重要なプロセスだと認めている。けれども、その結果については、スタンダールと意見を異にしている。結晶は相手の欠点を覆い隠すのではなく、欠点そのものが、ダイヤモンドになるというのである。恋する者は愛する人の欠点に普通の人と同じように気がつく。

ただ、解釈が違うのである。誰がしてもおならはおならだが、あいするひとのおならは可愛い。それだけでない、恋する者は愛する人の長所を過大評価する。やさしさのある人は類まれなる寛大な魂の持ち主となり、美しい青い瞳はこの世で他にないほど美しい青の瞳になるのである。

男性の脳にも女性の脳にも、快感を与えたり、環境に適応させる機能をもつ神経伝達物質には四種類ある。これはテストステロンやエストロゲンと同じようなホルモンだが、もっと微妙な性質を持っている。その本部機能は脳にあり、男性にも女性にも似たような効果を表す。

こうした神経伝達物質のうち最も知られているのがアドレナリンで、これが恋の始まりにも大きく影響している。だがアドレナリンにはまた、別の役目もある。脅威にさらされたときなどに、とっさに対応できるのもこのホルモンのおかげなのである。

アドレナリンが放出されると、血が筋肉に行き渡り、心臓の鼓動が早くなり、血糖値が上がる。それと同時に消化機能が落ち、口が渇き、胃が栄養を吸収しなくなる。気分は昂ぶり、心も身体も行動を起こす準備を整える。

ほかの神経伝達物質と同じように、アドレナリンも微妙な量の調節を受けて初めてきちんと作用する。神経伝達物質が複雑に混ざり合ってはじめて、人間の脳は外の環境に反応できる。その主なものにドーパミン、セロトニン、そしてエンドルフィンなどがある。こういう神経伝達物質も、人の感情に影響を与える。

そしてこのカクテルの中に、もう二つ、謎の成分が加わる。この二つが恋にまつわる行動と密接に関連しているのではないかと言われている。その一つはフェニレスラミンで、PEAと省略される。

PEAは、激しい恋に突然落ちた人ならみな覚えがあるあの、“宙を歩いているような”気分にさせる神経伝達物質である。PEAが“ロマンスのホルモン”ではないかという人もいるが、おそらくこれは間違いないだろう。恋の常習者の中には、もともとPEAレベルの低い人が多い。これを上げるために、次々と恋の冒険に乗り出すとのだとも言われている。

もう一つは、ウブナス・モバーグの得意のホルモン、オキシトキンである。以前からオキシトキンは、出産に関係のあるホルモンだといわれていた。分娩のときの強い収縮をもたらし、出血を抑える働きがあるからである。
だがウブナス・モバーグによると、オキシトキンの役目はもっと幅広い、そしてその影響力は、肉体だけでなく心にも及ぶ。

そしてウブナス・モバーグによると、おそらくそこにある関係がある。オキシトキンのレベルは出産前後や授乳期だけでなく、次の三つの行動をとっている時にも上がるからである。それは愛撫とキス、それにセックスである。その上、効果は女性に留まらない。数年前に行ったマスターベーションをしている男性を対象にした経験によると、射精の瞬間にオキシトキンのレベルは最高に達する。
おそらくこれが、オーガィズムとその後の心地よいけだるさをいっそう快いものにしているのだろう。
今では、肉体的な苦痛がエンドルフィンを高め、スカイダイビングやバンジージャンプと同じ効果をもたらすことが解っている。また、強い不安が性的興奮に繋がることもわかっている。

 たとえばディヴィッド・バーロウの行った実験では、電気ショックを送るぞと脅かされた被験者の男たちが普段より強い勃起を見せ、ドン・バーンの行った実験では、アメリカ国歌をカラオケで歌わされた女たちが強い興奮を見せた。

人類学者のヘレン・フィッシャーは、三番目の説を信じている。しかも彼女は、離婚や愛の死は古代から人間にとって大きな問題だったろうと言う。世界中の離婚に関する国連の統計を見た彼女は、非常に多くの離婚が結婚後四年後に起きていることに気がついた。これは、最初の愛情が薄れ、まだ長期的な絆が出来上がっていない時期である。しかも離婚の主な原因は、不貞と子どもが出来ないことだった。

 実に分かりやすいではないか。相手の生殖能力に問題があって、あるいは相手の浮気によって、遺伝子を将来へ伝えられないのならば、あきらめたほうがいい。

 だがフィッシャーの理論はさらに先を行く。結婚後三年か四年で離婚率がぐっと高くなっているということは、誰かと結婚して子どもを一人産んだら、次の相手を見つけてもう一人子どもを作るほうが進化論に叶っている証拠だというのである。その方が、さらにバラエティに富んだ子孫が残せるからである。

 だがこの理論にはいくつか欠陥がある。まず一つ目は、恋をすることは多大な時間とエネルギーを取られるということである。なのに、なぜそんなことを何度も繰り返さなくてはならないのだろう?二番目は、結婚生活を捨てるということは少なくともしばらくは、一人になるということである。なぜそんなリスクを冒さなくてはならないのだろう? 

 そして三番目にはこれまでの相手よりいい相手に巡り会える保証はないということである。それに、の自分子どもでない子にやさしくしてくれるだろうか? だからどうしても我慢できない相手でない限り、何度も賭けを繰り返すよりは今の相手と一緒に居た方がいい。

 結婚生活の推移について研究を続けてきたアーサー・アーロンも、結婚の最初の年月を乗り切るのが難しいという点ではヘレン・フィッシャーに賛成している。だがアーロンはその難しさを、人がバラティに富んだ遺伝子を残したがっているのではなく。この以上の発展性が望めなくなる恐怖から来ているのではないかとしている。

付き合い始めて最初のころのカップルには、目新しい体験がたくさんある。お互いについて次々と発見もあるし、一緒に暮らし始め、結婚し、子どもを作るなど、発展的な出来事が続き気分は高まる。だが生活が単調になりお互いの性格も趣味を、生まれも育ちも知り尽くしてしまうと、発展の機会は消えていく。

 アーロンによるとこれは、人間なら避けようのないことである。そして船を見捨てるより、より良い関係づくりに努力したほうがいいと彼は言う。たとえば一緒につり橋を渡ったり、スカイダイビングやバンジージャンプのようなことをしてみたり、エキゾティックなリゾートに出かけるのである。
 出会ったときの頃に味わったような興奮や新鮮な気持ちを思い出せるようなことなら、何でもいいとアーロンは言う。
 『男と女欲望の解剖学=サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ訳』から引用。

赤バラ「理想のタイプじゃない人との恋愛もある…」
本表紙
「選んでいるから結婚できない」という女性は、「自分の好きなタイプ」にこだわりすぎているのかもしれません。だから、好きな人には好かれないというパターンに陥ってしまうのではないでしょうか。


結婚生活はどちらか一方が我慢してしまうと、持たない、自分が我慢しすぎてもいけないし、相手に我慢を強要してもいけない。二人の生活は、二人で折り合いをつけながら築いていくしかないのではないでしょうか。


夫婦の関係が実質的に終わるのは、努力しないことを開き直ってしまったときです。浮気したとしても、隠そうとしているうちには、まだ愛情は残っている。でも、浮気・不倫がばれてもしょうがない、といふうになってきたら二人の仲は終焉を迎えます。


 また、相手に対する興味がなくなった瞬間に、男と女の関係は終わるのです。
 私的に言わせてもらえれば、夫婦間の異性としての賞味期限は、十年くらいはあると思うんですよ。ごく稀に、その賞味期限が一生続くカップルだっています。
 でも賞味期限の長さ、イコール、夫婦の仲がすごくいい、というのとはまた違うんですね。夫と一緒にいてドキドキするというのは、結局、今の関係に安心できないから、ということもあるんです。初めての結婚
 ピンクバラ 「
義務と自由」 
 たいていの男たちは浮気願望を持っています。
 男の立場から、結婚相手に選んだら苦労するよ、という男は、全体の三十パーセント、百人いたら三十人ぐらいでしょう。彼らは、「結婚したから、もう恋愛は出来ないんじゃないか」なんてことは思いつきもしない。「もっといい人がいたら、いくらでも行くよ」という、

浮気がばれてもしょうがないという“恋愛武闘派”と呼ばれる男たちです。
 残りの六十パーセントは、浮気したい願望を持ちながら、チョロチョロするものの、離婚はしない。離婚はしないけれども、チャンスがあれば、つかの間のアバンチュールを楽しみたいという男たちです。

ピンクバラ 「おとこ心のQ&A」

本表紙男性の自己中心性
Q:男性のエゴ(この場合は自己本位の意)をあげるとしたらどんなことが一般に言えるでしょう。

A:男性は一般的に仕事志向、地位志向ですから、人の業績でも自分のもののような顔をしたがることだと思います。注意深い上司はかなり意識して「これは部下の○○君の功績です」とトップに報告します。意識しない限り、ついうっかり自分だけの手柄顔する傾向が男性にはあるようです。
 それゆえ男性のエゴは女性のわがままは少し違ったエゴです。対照的にいえば男性のエゴは競争心(攻撃性)、女性のエゴは甘え(愛情欲求)が主流を占めていると思います。

男は科学者的か
Q:男は科学的・客観的に考えるが女性はそれが苦手、と一般的にはいわれますが、それはどうでしょうか。

A:男性のほうが科学的・客観的とは言えないと思います。それは文化のせいです。女性でも数学・土木工学・経営工学などを受験するのがおかしくない時代になりつつあります。それゆえ将来は男性のほうが科学的・客観的とは言えなくなると思います。

 女性は感情的だという人はたぶん、生理的に不安定な時期の言動だけから女性の傾向を一般化しすぎているのではないでしょうか。男性でも体調がすぐれないと感情的になります。
 もうひとつ。「女性は感情的」という人は、女性のわがままのことを言っていると思います。男でもわがままものは論理的思考によわいものです。わがままが許されない状態で゛育った人間は科学的・客観的にならざるをえないと思います。

◆  痴漢の心理
Q:男はなぜ痴漢になるのでしょうか。

A:第一の理由は、男は性感情の意識度が女性より高いからです。性的欲求の量はたぶん男女とも差はないと思いますが、意識度に差があると思います。
 第二の理由は、性感情および性的行動への文化的規制が女性より男性のほうがよわいからです。
 第三の理由、女性の場合性感情は受身的状況の中でないと充足されないのに対し、男性のそれは能動的行動にあるからと考えられます。
 それゆえすべての男性は痴漢候補者といえます。

男の友情、女の友情
Q:男の友情と女性のそれとどう違うのでしょうか。

A:独身時代は同じだと思います。結婚してから違ってくると思います。結婚したあと男性は女性より不安が強くなると思います。今までの文化では男が一家の柱であり、女性は被護される立場になるからです。不安が強いとお互いに心の通いあう仲間をもつことによって、この不安をやわらげたくなります。

 それゆえつき合いで酒を飲んだり、クラス会に出たりしたくなります。仲間と生活感情をわかちあうことによって生への意欲も出てきます。

 女性は夫にいう頼るものがいるので、とくに同性と心の交流をもたずにはおれない切迫感が少ないと思います。
 男性でもさほど同性との友情を持とうとしない人もいます。たぶん、妻に頼っている人です。そういう人の妻は、同性との友情を必要とすると思います。夫に頼れず、夫が愛情の対象にならないからです。ここで私のいう愛情とは感情のギブ・アンド・テイクのことです。夫に頼られるばかりの妻は、ギブばかりでテイクがないわけですから、対等のつきあい――ギブ・アンド・テイク――つまり同性との友情を持ちたがるはずです。

男にとっての出世の意味
Q:多少のことは犠牲にして出世を望む男性がいますが、男性にとって出世はそれほど重要なことなのですか。

A:そうなのです、ここがたぶん、女性がもっとも理解しにくいところだと思います。男は自分が出世すれば妻も喜んでくれると思い込んでいますが、妻にすれば「妻を無視して自分のことしか考えていない夫」と映るようです。
 私は女性も職場進出するにつれ、男がいかに出世したがっているかを知るようになると思っていまし、女性自身もやがて出世願望が出てくると思います。「認められたい欲求」は老若男女を問わず、人間の基本的欲求だからです。
男の職場と女の職場のちがい
Q:女ばかりの職場は人間関係が難しいと言われていますが、男の職場でも出世とかが絡んで女性の職場以上に難しいと思いますが…。

A:男の職場も女の職場も難しさは似ていると思います。それは嫉妬心だと思います。同じような仕事をしていても認められる人とそうでない人が出てくるので、心の中で争いが生じることです。
この場合、男女のちがいは、女性は自分のパーソナリティが認められたかどうか(好かれたかどうか)に敏感で、男性は自分の仕事が認められたかどうか(公平に評価されているかどうか)に敏感なことです。


認められなかった側は腹が立ちますから、仲間の悪口を言いたくなります。そして不公平な扱いをした上司の悪口をいいます。ここも男女とも同じです。
上司としては女性の扱い方の方が難しいと思います。客観的に判断しにくい人柄を平等に扱い。感情を大事にしなければならないからです。男の場合は客観的に仕事ぶりを評価すすればよいのですから比較的しやすいと思うのです。

出世しない男の心理
 Q:万年平社員に甘んじている男性はどのような気持ちでしょうか。

 A:様々な事情があっての万年平社員ですから、そのさまざまの事情を甘受し、これが自分の人生であったと達観している人が多いと思います。つまり人生の哀感・諸行無常を知っている人が多いということです。
  職場での不遇をカバーするために、いい父親、いい夫、趣味人、熱心なボランティア、資産家など、いわゆる出世組の及ばない人生を楽しんでいます。むしろ出世組のほうが万年平社員に同情される部分があるようです。

男性は女性蔑視的か
Q:男女平等の世のなかだと言いますが、仕事・学力の面にかけて。女のくせにという気持ちをほとんどの男性はもっているものでしょうか。

A:仕事や学問の世界ではそういう感情をもたないのが普通です。アンナ・フロイドやメラニイ・クラインやカレン・ホルネイそれからスルフなど心理療法の世界でいい仕事をした女性は少なくありません。そして男性心理学者でこれらの女性を軽視する人はいません。


ところが日常生活では違います。お茶を入れてくれない女性やにこやかでない女性、行儀のわるい女性には「女のくせに」と思う男性が圧倒的に多いのではないでしょうか。すべての男性が女性には母親を求める傾向があるからです。
しかし、これからの若い世代の母親が男性に伍して生活していくようになれば、その母親に育てられた子どもたちは「女のくせに」とは考えなくなるでしょう。

◆ 女性のあら探しをする男性
Q:女性が経済的能力を身につけると、食べるために結婚する必要がないから、純粋に愛そのもののために結婚するでしょう。しかしそうなると、男性は女性を支配しにくくなるので、女性の欠点を探し出すことに懸命にならないでしょうか、そうして夫婦関係のバランスを失うことにならないか心配です。


A:新しい時代に適応できない男性はそうなると思います。新しい時代の男女関係は、上下関係、支配・服従関係でなく、ヨコの関係、協力関係にならざるをえないと思います。それゆえ、これからの男性は女性との協力的な人間関係を学習する必要があると思うのです。女性のあら探しをする男性の心理は「引き下げの心理」といって、劣等感を克服しようとする非生産的なあがきです。

女性の地位向上への男のホンネ
Q:女性の社会的地位の上昇について男性はどのように考えているのでしょうか。

A:自分の上司が女性であるということで劣等感をもつ男性は少ないと思います。たとえば薬の指示に多くの亭主は従っています。
 役割の上下関係については非を唱えませんが、女性は概して視野が狭いので困るという男性は意外に少なくありません。もし高地位の女性が低地位の男性の抵抗にあうとすれば、それは女性だからなめられているのでなく、視野が狭いからだと思います。

コンプレックスは愛を妨げる
Q:男の人が女の人に対して何かのコンプレックスをもっていると、愛することができないのでしょうか。

A:そうです。
劣等コンプレックスがあると相手に対して防衛的になるか、攻撃的になるかします。防衛も攻撃も愛を妨げます。
 カイン・コンプレックスがあると、相手と競う心理にかられます。相手をライバル視します。足の引っ張り合いは愛ではありません。
 エディス・コンプレックスがあると、相手の女性を愛することによって母親に対する罪障感が生じます。それゆえ板挟みの心理です。結局は女性をあきらめ母親を取ります。
 コンプレックスについては拙著『カウンセリングと精神分析』を参照してください。

男性のきらう女性
Q:男性がもっともきらう女性のタイプとはどんなものでしょうか。

A:これは男女とも同じだと思います。女性の嫌う男性とは、女性のナーシシズムをつぶす男性です。同じように男性の嫌う女性とは、男性のナーシシズムをこわす女性です。
 ところでナーシシズムとは、自己中心性・うぬぼれ・万能感をワンセットにした自己愛のことです。これはすべての人間にあります。つまりどんな人間にも人にチヤホヤされたい、誉められたい、認められたいという欲求があります。これが満たされないと誰でも意気消沈します。そして腹が立ちます。たとえば「あなたそれでも男なの?」「あなた冷たいのね」というセリフは男を不快にし、「あなたやっぱり男ね」「あなた以外にやさしいのね」は男に自信を与えます。

女性の魅力
Q:男性は女性のどんな場面を見てもいいなと思っていますか。また、どんな場面を見てイヤだなと思いますか。

A:第一の質問に対して「身だしなみ」と「にこやかさ」をあげます。たとえば合宿のとき、寝ぼけ眼で朝食をとる男たちのなかで、きちんと身づくろいした爽やかな顔をした女性をみると、「やはり女性はえらいなあ」と感嘆します。兵隊が疲労困憊(こんぱい)しているときでも、将校はきちんとした服装と元気な顔を失わないようにしますが、あの心意気を女性に感じたとき、いいなあと思います。
 第二の質問に対しては、「身だしなみ」「わがまま」を挙げたいと思います。

女性はなぜクヨクヨするか
Q:男の人に比べ女の人は性格的にさっぱりしておらず。クヨクヨ考えたり、あとあとまで根に持つことが多いのはどうしてでしょうか。

A:今の文化では女性の方が抑圧的だからです。自己表現が男性ほど許容されていないので我慢しています。ゆえにいつまでも心に残るのです。子どもが、ほしいケーキを我慢すると夢にまでみるのと似ています。
 ゲシュタルト療法ではこれを「未完の行為」といいます。いいたいこと、したいことをきちんと完成しない限り、いつまでも心に残るので、それを完成させよとゲシュタルト療法では教えています。
 女性でもさっぱりした人はいますが、たぶんふだんから「未完の行為」が少ないからです。男性にもクヨクヨ考える人がいますが、抑圧的な人柄ゆえに「未完の行為」が多いのだと思います。
 それゆえ、男も女も必要に応じて自己主張する能力があれば、いつまでもクヨクヨしないですみます。相手を怒らせないように自己主張する方法を工夫することです。

わがままの心理
Q:恋愛関係にある男女が相手にわがままをしたくなるのはなぜでしょう。

A:親しくなるにつれ構えが取れホンネが出るからです。この場合のホンネとは、男性は女性に母親を求め、女性は男性に父親を求めることです。私たちは教養・学歴・年齢・地位・職業を問わず、いくつになっても親を恋うる気持ち、親に甘えたい気持ちがあります。
つづく  ふたまたかけた愛

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「おとこ心のQ&A」

◆ 男性の自己中心性

Q:男性のエゴ(この場合は自己本位の意)をあげるとしたらどんなことが一般に言えるでしょう。

A:男性は一般的に仕事志向、地位志向ですから、人の業績でも自分のもののような顔をしたがることだと思います。注意深い上司はかなり意識して「これは部下の○○君の功績です」とトップに報告します。
 意識しない限り、ついうっかり自分だけの手柄顔する傾向が男性にはあるようです。
 それゆえ男性のエゴは女性のわがままは少し違ったエゴです。対照的にいえば男性のエゴは競争心(攻撃性)、女性のエゴは甘え(愛情欲求)が主流を占めていると思います。

男は科学者的か

Q:男は科学的・客観的に考えるが女性はそれが苦手、と一般的にはいわれますが、それはどうでしょうか。

A:男性のほうが科学的・客観的とは言えないと思います。それは文化のせいです。女性でも数学・土木工学・経営工学などを受験するのがおかしくない時代になりつつあります。それゆえ将来は男性のほうが科学的・客観的とは言えなくなると思います。

 女性は感情的だという人はたぶん、生理的に不安定な時期の言動だけから女性の傾向を一般化しすぎているのではないでしょうか。男性でも体調がすぐれないと感情的になります。
 もうひとつ。「女性は感情的」という人は、女性のわがままのことを言っていると思います。男でもわがままものは論理的思考によわいものです。わがままが許されない状態で゛育った人間は科学的・客観的にならざるをえないと思います。

◆  痴漢の心理

Q:男はなぜ痴漢になるのでしょうか。

A:第一の理由は、男は性感情の意識度が女性より高いからです。性的欲求の量はたぶん男女とも差はないと思いますが、意識度に差があると思います。
 第二の理由は、性感情および性的行動への文化的規制が女性より男性のほうがよわいからです。
 第三の理由、女性の場合性感情は受身的状況の中でないと充足されないのに対し、男性のそれは能動的行動にあるからと考えられます。
 それゆえすべての男性は痴漢候補者といえます。

男の友情、女の友情

Q:男の友情と女性のそれとどう違うのでしょうか。

A:独身時代は同じだと思います。結婚してから違ってくると思います。結婚したあと男性は女性より不安が強くなると思います。今までの文化では男が一家の柱であり、女性は被護される立場になるからです。不安が強いとお互いに心の通いあう仲間をもつことによって、この不安をやわらげたくなります。

 それゆえつき合いで酒を飲んだり、クラス会に出たりしたくなります。仲間と生活感情をわかちあうことによって生への意欲も出てきます。

 女性は夫にいう頼るものがいるので、とくに同性と心の交流をもたずにはおれない切迫感が少ないと思います。
 男性でもさほど同性との友情を持とうとしない人もいます。
たぶん、妻に頼っている人です。そういう人の妻は、同性との友情を必要とすると思います。夫に頼れず、夫が愛情の対象にならないからです。
 ここで私のいう愛情とは感情のギブ・アンド・テイクのことです。夫に頼られるばかりの妻は、ギブばかりでテイクがないわけですから、対等のつきあい――ギブ・アンド・テイク――つまり同性との友情を持ちたがるはずです。

男にとっての出世の意味

Q:多少のことは犠牲にして出世を望む男性がいますが、男性にとって出世はそれほど重要なことなのですか。

A:そうなのです、ここがたぶん、女性がもっとも理解しにくいところだと思います。男は自分が出世すれば妻も喜んでくれると思い込んでいますが、妻にすれば「妻を無視して自分のことしか考えていない夫」と映るようです。

 私は女性も職場進出するにつれ、男がいかに出世したがっているかを知るようになると思っています、女性自身もやがて出世願望が出てくると思います。「認められたい欲求」は老若男女を問わず、人間の基本的欲求だからです

男の職場と女の職場のちがい

Q:女ばかりの職場は人間関係が難しいと言われていますが、男の職場でも出世とかが絡んで女性の職場以上に難しいと思いますが…。

A:男の職場も女の職場も難しさは似ていると思います。それは嫉妬心だと思います。同じような仕事をしていても認められる人とそうでない人が出てくるので、心の中で争いが生じることです。

この場合、男女のちがいは、女性は自分のパーソナリティが認められたかどうか(好かれたかどうか)に敏感で、男性は自分の仕事が認められたかどうか(公平に評価されているかどうか)に敏感なことです。

認められなかった側は腹が立ちますから、仲間の悪口を言いたくなります。そして不公平な扱いをした上司の悪口をいいます。ここも男女とも同じです。

上司としては女性の扱い方の方が難しいと思います。
 客観的に判断しにくい人柄を平等に扱い。感情を大事にしなければならないからです。男の場合は客観的に仕事ぶりを評価すすればよいのですから比較的しやすいと思うのです。

出世しない男の心理

 Q:万年平社員に甘んじている男性はどのような気持ちでしょうか。

 A:様々な事情があっての万年平社員ですから、そのさまざまの事情を甘受し、これが自分の人生であったと達観している人が多いと思います。つまり人生の哀感・諸行無常を知っている人が多いということです。

  職場での不遇をカバーするために、いい父親、いい夫、趣味人、熱心なボランティア、資産家など、いわゆる出世組の及ばない人生を楽しんでいます。むしろ出世組のほうが万年平社員に同情される部分があるようです。

男性は女性蔑視的か

Q:男女平等の世のなかだと言いますが、仕事・学力の面にかけて。女のくせにという気持ちをほとんどの男性はもっているものでしょうか。

A:仕事や学問の世界ではそういう感情をもたないのが普通です。アンナ・フロイドやメラニイ・クラインやカレン・ホルネイそれからスルフなど心理療法の世界でいい仕事をした女性は少なくありません。
 そして男性心理学者でこれらの女性を軽視する人はいません。
ところが日常生活では違います。お茶を入れてくれない女性やにこやかでない女性、行儀のわるい女性には「女のくせに」と思う男性が圧倒的に多いのではないでしょうか。
 すべての男性が女性には母親を求める傾向があるからです。

しかし、これからの若い世代の母親が男性に伍して生活していくようになれば、その母親に育てられた子どもたちは「女のくせに」とは考えなくなるでしょう。

◆ 女性のあら探しをする男性

Q:女性が経済的能力を身につけると、食べるために結婚する必要がないから、純粋に愛そのもののために結婚するでしょう。しかしそうなると、男性は女性を支配しにくくなるので、女性の欠点を探し出すことに懸命にならないでしょうか、そうして夫婦関係のバランスを失うことにならないか心配です。

A:新しい時代に適応できない男性はそうなると思います。新しい時代の男女関係は、上下関係、支配・服従関係でなく、ヨコの関係、協力関係にならざるをえないと思います。
 それゆえ、これからの男性は女性との協力的な人間関係を学習する必要があると思うのです。女性のあら探しをする男性の心理は「引き下げの心理」といって、劣等感を克服しようとする非生産的なあがきです。

女性の地位向上への男のホンネ

Q:女性の社会的地位の上昇について男性はどのように考えているのでしょうか。

A:自分の上司が女性であるということで劣等感をもつ男性は少ないと思います。たとえば薬の指示に多くの亭主は従っています。

 役割の上下関係については非を唱えませんが、女性は概して視野が狭いので困るという男性は意外に少なくありません。もし高地位の女性が低地位の男性の抵抗にあうとすれば、それは女性だからなめられているのでなく、視野が狭いからだと思います。

コンプレックスは愛を妨げる

Q:男の人が女の人に対して何かのコンプレックスをもっていると、愛することができないのでしょうか。

A:そうです。
劣等コンプレックスがあると相手に対して防衛的になるか、攻撃的になるかします。防衛も攻撃も愛を妨げます。
 カイン・コンプレックスがあると、相手と競う心理にかられます。相手をライバル視します。足の引っ張り合いは愛ではありません。

 エディス・コンプレックスがあると、相手の女性を愛することによって母親に対する罪障感が生じます。
 それゆえ板挟みの心理です。結局は女性をあきらめ母親を取ります。
 コンプレックスについては拙著『カウンセリングと精神分析』を参照してください。

男性のきらう女性

Q:男性がもっともきらう女性のタイプとはどんなものでしょうか。

A:これは男女とも同じだと思います。女性の嫌う男性とは、女性のナーシシズムをつぶす男性です。同じように男性の嫌う女性とは、男性のナーシシズムをこわす女性です。

 ところでナーシシズムとは、自己中心性・うぬぼれ・万能感をワンセットにした自己愛のことです。
 これはすべての人間にあります。つまりどんな人間にも人にチヤホヤされたい、誉められたい、認められたいという欲求があります。
 これが満たされないと誰でも意気消沈します。そして腹が立ちます。たとえば「あなたそれでも男なの?」「あなた冷たいのね」というセリフは男を不快にし、「あなたやっぱり男ね」「あなた以外にやさしいのね」は男に自信を与えます。

女性の魅力

Q:男性は女性のどんな場面を見てもいいなと思っていますか。また、どんな場面を見てイヤだなと思いますか。

A:第一の質問に対して「身だしなみ」と「にこやかさ」をあげます。たとえば合宿のとき、寝ぼけ眼で朝食をとる男たちのなかで、きちんと身づくろいした爽やかな顔をした女性をみると、「やはり女性はえらいなあ」と感嘆します。

 兵隊が疲労困憊(こんぱい)しているときでも、将校はきちんとした服装と元気な顔を失わないようにしますが、あの心意気を女性に感じたとき、いいなあと思います。
 第二の質問に対しては、「身だしなみ」「わがまま」を挙げたいと思います。

女性はなぜクヨクヨするか

Q:男の人に比べ女の人は性格的にさっぱりしておらず。クヨクヨ考えたり、あとあとまで根に持つことが多いのはどうしてでしょうか。

A:今の文化では女性の方が抑圧的だからです。自己表現が男性ほど許容されていないので我慢しています。ゆえにいつまでも心に残るのです。子どもが、ほしいケーキを我慢すると夢にまでみるのと似ています。

 ゲシュタルト療法ではこれを「未完の行為」といいます。いいたいこと、したいことをきちんと完成しない限り、いつまでも心に残るので、それを完成させよとゲシュタルト療法では教えています。

 女性でもさっぱりした人はいますが、たぶんふだんから「未完の行為」が少ないからです。男性にもクヨクヨ考える人がいますが、抑圧的な人柄ゆえに「未完の行為」が多いのだと思います。

 それゆえ、男も女も必要に応じて自己主張する能力があれば、いつまでもクヨクヨしないですみます。相手を怒らせないように自己主張する方法を工夫することです。

わがままの心理

Q:恋愛関係にある男女が相手にわがままをしたくなるのはなぜでしょう。

A:親しくなるにつれ構えが取れホンネが出るからです。この場合のホンネとは、男性は女性に母親を求め、女性は男性に父親を求めることです。
 私たちは教養・学歴・年齢・地位・職業を問わず、いくつになっても親を恋うる気持ち、親に甘えたい気持ちがあります。
つづく  ふたまたかけた愛